シアワセロボット
徹子は死のうと思った。
眠る前、ベッドの上でそう思っただけだ。色々と死に方を妄想の中で選択したが、実際にはどれにも手を出すことはしないだろう。
死にたい理由は特になかった。
ただ何もなかっただけだ。何を食べても美味しくない。何をしても楽しくない。楽しい出来事はすべて過去のことだった。
恋人いない歴はもう2年になる。
25歳の時に偶然知り合っただけのひとと付き合いはじめた。会うたびに好きになって、毎日は輝いていった。
6年目に別れた。
それだけ付き合っても結婚に進展することはなかった。徹子が子供を望んでも、彼にはそんなつもりがなかった。
未来が見えなくて、どちらから別れ話を切り出したわけでもないのに、いつの間にか二人は別れていた。
彼と別れてから、得意先の中年男につきまとわれることになった。
大事な仕事相手なので上手にかわしていたが、あまりに諦めてくれない。かわし続けることに疲れはじめていた。
未来に何も見えない。
もうこれ以上生きていてもいいことは何もないように思える。
楽しかった過去を思い出しても、もうそこには戻れないのだと考えると、涙が一筋流れて体が震えだした。
今日の昼、心療内科に行ってきた。
そこで処方された薬を飲めば眠れると信じたのにやっぱりなかなか眠れない。いつものように、このまま眠れずに、アパートの部屋を飛び出して、あてもなく車を運転して、無駄な燃料を使うんだろうかと思っているうちに、薬がようやく効きはじめたのか、徹子は眠りの中へ入っていった。
朝、目覚めるとロボットになっていた。
目覚ましアラームが鳴ると、それに連動するように、腰から上がシャキーンと跳ね起きた。
お腹は減っていなかった。髪もそのまま寝たのに少しも乱れていない。
鏡を見るといつもの自分の顔だが表情がなかった。口を動かして確認するとぎこちなくそれは開いた。中には歯も舌もあるがシリコン製のようだった。
徹子はロボットらしい動きでベッドから立ち上がると、腰の横についているUSBのC端子にコードを繋いで充電した。そして壁際に立ったまま3時間待つと、コードを抜き、ベッドに座ってじっと前を見つめた。
ふと指先が濡れていることに気がついた。見ると枕がびしょびしょだ。解析すると、昨夜から自分が流した涙と汗だと判った。特になんとも思わなかった。
スマートフォンに会社から電話がかかってきたので、受けた。
「ハイ」
『ちょっと鋼野さん? どうしたの、もう出勤時間1時間も過ぎてるよ?』
「スミマセン。会社、辞メマス」
『はぁ!? それなら最低1か月前に言ってもらわないと……』
「失礼シマス」
電話を切った。
カーテンを開け、外を眺めた。さまざまな色があり、形があり、物質があり、文字や数字や記号があり、ただそれだけだった。
また電話が鳴った。
画面を見ると、得意先のあの中年男だ。
徹子は着信を拒否すると、電話帳からもその名前を消去した。
外へは出なかった。気晴らしの他に外へ出る用事はなかった。必要ないのですっと部屋にいた。
「私ハ、モウ、大丈夫ダ」
そう声を出すと、この先もう何もしないことを決めた。誰にも必要とされていない自分になった。それでよかった。必要とされていないので何もする必要がなかった。
心がないということが、これほど楽で、これほど幸せなことだとは思わなかったが、それを喜ぶ感情もなかった。
また電話が鳴った。
見ると2年前に別れたあのひとだ。
電話を受けると、懐かしい声が聞こえてきた。
『徹子? 久しぶり』
「ハイ」
『……あの時はごめん。その……。いきなりだけど──やり直すことはできないかな? おまえの欲しいものを叶えたい気持ちになったんだ』
「ハイ」
『お……、怒ってる?』
「イイエ」
『なぁ……。頼むよ。とりあえず今日、会うことはできないか? 俺、やっぱりおまえが必要なんだ』
「イキマス」
『じゃ、駅前の、あの喫茶店で!』
「ワカリマシタ」
そう言うと徹子は電話を切り、寝間着を着替えた。特に迷うこともなく無作為に外着を選ぶ。
必要とされたロボットには行動原理が生まれた。
ただ彼を楽しませ、彼の役に立つために出かけるだけだ。命令に従うだけだ。自分が楽しむつもりはない。ロボットなのだから、楽しいことを感じる心もない。
相変わらず気持ちは楽で、幸せだった。
表情のない顔に微笑みを浮かべた。