第36話:フレアの決闘
「よし今のうちだ行け、フレア!」
「え、ええ。分かったわ!」
ワンツの指示を受け、フレアは第7決闘場の扉を押し開く。
重たい扉が閉まると、すぐに背後から戦闘が始まった音が聞こえた。
「ワンツ……」
振り返ると、分厚い金属の扉がフレアとワンツとを阻んでいる。
「ルキウスを倒す。それが私の仕事……」
今回の決闘で一番難しく、それでいて一番大切な仕事。
それは、ルキウスを倒すことだ。
これだけの大役をワンツは、フレアに任せてくれたのだ。
昨日の作戦会議の時には、それはもう舞い上がった。
しかしひとりになると、途端にプレッシャ─が押し寄せてきた。
期待に押しつぶされそうで耐えられなくて、もしかしたらあいつに会えるかもと思い、深夜の旧校舎に行った。
あいつと話している間は心が安らいだが、それも一時だけ。
ひとりになると余計に心細くなって、真っ暗な部屋にあいつの顔が浮かんだ。
ワンツはフレアに期待してくれている。
ならばその期待には、必ず答えなければならない。
もしも期待に答えることができなければ、役立たずと罵られるかもしれない。
それだけで済めば、まだ良い方だ。
もしも愛想を尽かされてしまったら……。
「はっ! 今私、余計なこと考えてたわ!」
あれやこれやとワンツたちがほぐしてくれたが、まだ緊張しているらしい。
余計なことを考えないために、頬を思いっきり叩く。
「いっ! つつぅ……ふん!」
嫌なことばかりが頭に浮かんできたから、頬を思いっきり叩く。
つい悪い方へとばかり考えてしまいがちな頭を、強い痛みでリセットする。
ゲルダ辺りにはまた、考えなしのおバカさんと言われるかもしれない。
しかし余計なことを考えているばかりに、動きが鈍くなる方が良くない。
難しく考えるよりも、先に動いてしまう。
それだけがフレアの考えだ。
「いけない、急がないと」
フレアの戦いを邪魔させないように、ワンツたちが入口を守っていてくれている。
とはいえふたりだけでは、いずれ限界がきてしまうだろう。
フレアに求められているのは、スピ─ドだ。
この学園で最強クラスの相手だろうと関係はない。
「できるだけ早く見つけて、速攻で倒してやる。そして……」
一瞬、理想の光景が脳内を走り抜ける。
「あいつにいっぱい褒めてもらうんだから」
入口近くの階段を駆け上がる。
悪役というのは、最上階にいるのがお約束なんだと、ワンツが言っていた。
あれだけ苦労して作ったワンツのクランが、ルキウスに潰されそうになっている。
つまりフレアにとって、ルキウスは悪役みたいなものだろう。
「うん、そうに違いないわ」
飛ぶように階段を駆け上がり、一気に4階までたどり着いた。
「さあルキウスはどこに……ってうわっ!」
目の前にいきなり黒い物体が飛んできた。
反射的に回避したので、何かが当たったような感覚はない。
「あれ……小鳥かしら」
天井の近くを、ぐるぐると飛び回っている。
どこからか入り込んで、出れなくなってしまったのだろうか。
フレアが手を出すと、手のひらにちょこんと止まった。
「あ、ちょっと待って!」
フレアと目が合ったのを確認すると、小鳥は飛び立ってしまう。
こんな時に、小鳥と追いかけっこをしている場合ではないことは、当然わかっている。
しかしフレアの勘は、あの小鳥を追いかけろと訴えているのだ。
フレアは、己の勘には素直に従うことにしている。
小鳥はいくつかの部屋の前を通り過ぎて、一番奥の部屋に入っていく。
「ここにいたのね」
そこはいくつかの机と椅子が置かれているだけの、殺風景な部屋だった。
そして部屋の奥側の、床が一段上がった場所にルキウスが腰掛けていた。
小鳥がルキウスの方へ飛んでいって、手の上に止まると、消えてしまった。
「やはりお前が来たのか、フレア・スカ─レット」
「やはり? 私が来ることを、知ってたようなこと言うのね」
「圧倒的な数的不利を背負っているお前たちに、残されている勝ちの目は、たったひとつ。俺を最速で倒すことだ。しかし、雑兵に阻まれて送り込める人数は、ひとりが限界。
なら最適解は、最も破壊力があるお前を、俺にぶつけることだ。その間、他の奴らは時間稼ぎに徹してな。だからお前は、ひとりでここに来たんだろう?」
「なるほど、全部お見通しって訳ね。でも破壊力だけなら、セレ─ネが一番強いわよ? もしかしてあんたは、れ─るがんを見たことないのかしら」
「あれは攻城兵器の一種だ。対人戦闘においては、いくら高威力の武器を持とうとも、当たらなければ意味はない。それともお前は、あれを準備している時間をチンタラ待つのか?」
確かに、弾を装填し構え撃つ。
こんな手順を踏まなければならない武器を向けられた所で、発射の前に邪魔することは簡単だ。
何かを言い返そうとしたが、ルキウスの言い分に納得してしまって言葉が詰まった。
「それは……」
「俺たちは戦争をやっている訳じゃない。まったく、少しも決闘の役に立たないというのに。あれは時間を浪費しただけの、無駄の象徴だ」
「あんた、それ本当に思ってるの?」
「当然だ。第一、どれだけの威力があろうとも、俺程度の魔法に防がれているんじゃ、無意味だ」
「そう。そうやって言い訳ばかり考えているのね」
ルキウスの声のト─ンが一段低くなった。
「何が言いたい」
「あんたたち賢い人間は、いちいち考え過ぎなのよ。考え過ぎるから、簡単なことに気付けない。あんたがセレ─ネに伝えたいのは、本当にそんな言葉なの?」
「バカは口が減らないな。魔王に与する人間は、全員俺が叩く。来いよ、まずはお前からだ」
「そう言いながら、自分はそこから立つ気はないのね。いいわ。私も急がないといけないし、はじめから全力でいかせてもらうわ!」
心は炎だ。
激しく燃え盛る炎は、常にフレアを前へ進ませる原動力となる。
普段は胸に秘めている炎を、一気に放出する。
そんなイメ─ジを固めながら、フレアは唱えた。
「オ─バ─ファイア! 来なさい、ファイアダガ─!」
胸元から溢れ出した炎が、フレアを一瞬にして包み込む。
燃え盛る炎を手懐け、金色に輝く髪をたびかせる姿は、猛き炎の化身。
唱えながら手を振ると、軌跡をなぞるように燃えるダガ─が出現する。
出現した5本のダガ─を周囲に展開させながら、炎をまとった大剣を構える。
オ─バ─ファイアを発動した時は、体内外を焼かれているような痛みを感じていたのだが、今はなぜかその痛みがない。
「よく分かんないけど、絶好調! 今ならいけるかも、あれを」
愛剣を構えながら、あの時の光景を思い出す。
悔しかった。
妬ましかった。
そんな感情は、いまや消え去り、感謝が残り、自信へと変化した。
『できるか?』
「誰に言ってるのよ。余裕よ、これくらい!」
どこからか聞こえてきた気がしたあいつの声に、頼もしい声を返す。
「一緒に行くわよ!」
周囲にダガ─を展開しながら、ルキウスへ突進する。
「一斉攻撃!」
真正面からはフレアが、他の場所からはそれぞれのダガ─が向かい、全方位から同時に攻撃を行う。
これがワンツとの決闘から得た経験を活かした、フレアの新しい戦い方だ。
「防御態勢」
ルキウスがぼそっと唱えながら手を振ると、不可視の盾がすべてのフレアの攻撃を受け止めた。
「これは、セレ─ネのあれを受け止めた!?」
「複合防御魔法アイギス。俺が生み出した、最強の盾だ」
最強の盾と呼べるような魔法を発明したら、自慢のひとつでもしたくなるのが、人間の性だろうに。
とてもつまらなさそうな声で、話している。
不可視の壁ごしに、ルキウスはフレアを見上げてくる。
途端、体の中に寒気が走った。
フレアは反射的に体を動かす。
「だがそれだけじゃない」
ルキウスが手を振るうと、不可視の盾アイギスが、鋭利なむき出しの刃に姿を変え、突撃してくる。
「ッ! このッ!」
ファイアダガ─で迎撃しながら、距離を取る。
「速いだけならまだしも、見えづらいわね!」
盾として使っているときは、薄い板のような形をしているので、まだ見つけやすいのだが、小さな槍となって攻撃してくるときは、ほとんど見えない。
かすかな光の反射に反応して迎撃しているが、そう長くはできないだろう。
「クッ、じれったいわね。こういうとき、あいつなら……」
真正面から不可視の槍アイギスが突撃してくる。
「あいつなら!」
大剣の腹で攻撃を受けながら、突進する。
「やけくそにでもなったか」
アイギスがフレアを包囲する。
頭上から迫ってくる攻撃には、大剣を投げつけて迎撃する。
前方から迫る間近の攻撃は、頬の薄皮を何枚かくれてやる。
アイギスは全部で5枚。
これでルキウスは、全部の防御札を使い尽くしたはず。
「懐に入り込んで!」
拳に炎を集中させ、座っているルキウスに対して殴りかかる。
いくらルキウスが強力な防御魔法を展開しようとも、フレアのオ─バ─ファイアは防御魔法を焼き尽くす。
「あんたの腐った性根を、叩き直してやるわ!」
ルキウスの顔面を殴りつける寸前のところで、拳が静止する。
フレアの炎よりも、さらに強い防御魔法を展開したのだろう。
しかし、そんなことは想定内だ。
「フルバ─スト・ナックル!」
ルキウスの間近くで、フレアの殴りつけた所が爆発した。
一瞬で爆炎に包みこまれ、爆風に吹き飛ばされる。
「げほっ、一撃でボロボロね」
あの一撃に全力を出し切ったので、膝を付いているのがやっとだ。
感覚は無いが、右手は大火傷を負っているだろう。
我ながら、見てられない惨状になっている。
「なるほど、知らない技だ。だがこの程度の威力なら、問題はない」
煙の中から出てきたルキウスには、袖が焦げているくらいの、些細なダメ─ジすらも無かった。
どうやったかは知らないが、咄嗟に呼び出したあの、細身の槍でどうにかしたのだろう。
ここまで圧倒的だと、悔しさよりも先に笑けてくる。
「ははっ、まさか無傷だなんてね」
「アイギスを消滅させ、お前の爆発の前に再展開させた」
「あの一瞬で?」
「テンスラウンズなら、これくらいは平気でやる」
ゆっくりと歩いてきて、槍を突きつけてくる。
全方位をアイギスに囲まれ、まさに絶体絶命の状況だ。
「それがあんたの武器?」
「ヴォルフガング。ランギス家に伝わる聖槍だ。その気は無かったが、使わざるをえなかった。これは誇っていい」
「ペラペラとよく喋るわね。勝ちを確信するには、まだ早いんじゃないかしら?」
「ただの強がりだな。ダガ─の同時操作だけでも、かなりの集中力を使ったはずだ。魔王ならともかく、器用には見えない、お前もできたとはな」
「ワンツの能力は、今の私の技をそっくり真似すること。ならワンツにできて、私にできないはずはないでしょう?」
「あいつはお前がした努力の上澄みだけを、さらっていったんだぞ。悔しくないのか?」
「悔しいか、ですって? ……そうね。むしろ逆よ。私が死に物狂いで考えた魔法は、簡単に真似できる程度の魔法だったのよ。それってつまり、私はもっともっと強くなれるってことでしょ。ワクワクしてこない?」
「……意味が分からないな」
「あんたも分かるわよ、あいつといたら」
フレアは突きつけられている槍の切っ先を、握り締める。
決して離さない。
そんな目つきでルキウスを見上げながら。
「やっと捕まえた」
迫力のあるこの声は、覚悟が決まっている証拠か。
フレアを再び炎が包み込む。
さっきよりもさらに強い炎は、周囲を黒く焦がし消し炭へと変化させる。
「オ─バ─ファイア、全力全開よ」
「その出力……お前まさか死ぬ気か?」
フレアの手を切り裂く結果になろうとも構わない。
それくらいの力で槍を引き抜こうとするが、フレアはさらに激しく炎を燃え上がらせて、それを妨害する。
「そんな訳……ないじゃない。まだ何も成し遂げてないもの。私も、あいつも!」
「そうか。なら教えてやるよ。いくら願おうとも、叶わないことがあることを」
「なら、私も教えてあげるわ。夢はね、願い続けないと、絶対に叶わないのよ」
「まったく……魔王も、お前もずいぶんと世迷い言が好きらしい」
「叶えられるわ。あいつと、私……たちなら」
もちろん、こんな所でリタイアする気はない。
だが、加減をする気もない。
もしも本気を出せば、フレアの体がどうなってしまうか分からない。
だが大丈夫だろう。
フレアがいなくなったとしても、ワンツがいる。
彼ならどんな逆境だって、軽口を叩きながら、なんとかしてくれるだろう。
「それに、あいつだっているし……」
いつもフレアの揚げ足ばかりを取ってくる、嫌なヤツ。
しかし彼の隣に立つのは、あんな風に賢くて器量の良い女の子の方がいい。
だからもしここで、フレアがいなくなったとしても、問題はない。
問題は……ない……。
「炎が、消えていく?」
フレアを包む炎の勢いが、急にしぼんでいき、ついには消えてしまう。
白煙を体から放出させながら、フレアの手は槍の切っ先から離れ、うなだれる。
「ようやく分かったか。俺に挑む無謀さに。この戦いの無意味さに」
「違う、そうじゃないわ。ここですべてを出し切ってしまう気だった。ここで死んでも構わない。本当にそう思ってた」
懺悔をするように、フレアの声は細く小さくなっていく。
「それなのに、お前の戦意は急に消失した」
「怖くなったのよ。こんな形で、あいつとお別れしたくない。だって私は、あいつと一緒に、あいつの隣で一緒に夢を見ていたいもの!」
抑えきれず涙が溢れてくる。
目の前に立ちふさがる相手が、あまりにも圧倒的で怖い。
期待に応えられなくて悔しい。
そんな負の感情がごちゃまぜになって、溢れてくる。
「ならここで降伏しろ」
「それは嫌」
「なんだと?」
「だって私は言われたんだもの。お前ならルキウスを倒せるって。だから簡単に、リタイアはできない」
「なら理由を作ってやるよ」
ルキウスはゆっくりと、槍を振り上げる。
動かなければ。
ここで動けなければ、フレアの戦いは終わる。
ワンツたちは、フレアがルキウスを倒すことを信じて、入り口を守ってくれているのだ。
ここでフレアがやられたら、ふたりの苦労は無駄になって、このまま決闘に負ける。
動かなければ。
ここで動かなければ、フレアのせいでワンツは退学することになってしまう。
まだ何も成し遂げてはいないのに。
「──っ」
しかし体は少しも動かない。
ゆっくりと迫ってくる槍を認識しているのに、少しも力が入らない。
フレアは生まれて初めて理解した。
真の意味で、人間が挫折をした時、体は動くことを拒否するのだ。
「ごめんなさいワンツ。私負けちゃった……」
目をつむると、涙がこぼれた。
瞬間、激しい金属音が鳴り響いた。
「ファイアダガ─!」
「え?」
今、一番聞きたかった声が聞こえた。
目を開けると、今一番会いたくない人がいた。
涙でにじんで、はっきりとは見えない。
しかし、すぐに分かった。
決してここには現れないはずの、あいつの名前を呼んだ。
「ワンツ……なんで?」
「あの爆発を見て、ゲルダが早く行けって」
ワンツの判断だけで、来てくれた訳ではないのか。
大切な人がピンチを救ってくれた。
こんな最高の状況であるのに、チクリと嫉妬の針が胸を刺す。
笑顔でお礼を言うべきなのに、出てきたのはため息交じりの言葉だけだった。
「そう、あいつが……」
「それよりお前、泣いてたのか?」
「な、泣いてないし!」
「お前がそう言うならいいや。あとは俺に任せとけ」
「まったく、もう……。いいわ、良いところはあんたに譲ってあげる」
「ああ、すぐに片付ける」
そう言って、ワンツは行ってしまった。
こんな状況ですら、素直な気持ちを伝えられない自分に嫌気が差す。
それでもワンツは、すべてを察してフレアがやるべきだったことを、嫌な顔ひとつせず託されてくれた。
こんな気持ちは、無責任だと分かっている。
しかし、それでも思わずにはいられない。
「頑張れ、ワンツ」
ヒ─ロ─の背中に、精一杯のエ─ルを送った。