Emerald Sword10
初戦で大成功を納めた砦攻略作戦、そしてその二日後に行われた二戦目までもが無事成功に終わった。
老兵たちの作戦は面白いぐらいに爆発し、我々は僅かな犠牲で百人近い敵を屠る事に成功したのだ。
士気は高まり続け留まるところを知らず、城中がこの報告に沸く中、すぐに三度目の作戦の準備が進められた。
そして今日の朝、城から港に続く隠し通路から先に出た待ち伏せ部隊に続き、囮役の騎士たちは「三度の征伐を!」と勇んで出撃して行ったのだった。
しかし、夕闇に紛れて帰ってくるはずだった軍は戻らず……夜が更けても、結局勇士たちは一人たりとも戻ってくる事はなかったのだった。
ごうごうと吹く風の音だけが、やけに響く真夜中。
防衛戦をするためだけの人員しか残っていない、主のいない抜け殻の城……
そのずいぶんと寂しくなった大部屋で、俺たちは最後になるかもしれない会議を行っていた。
「フシャ様、今ならまだ敵も動いてねぇ、あんたはすぐにずらかるべきだ」
「そうですよぅ、夜が明けたらエイラ様とムウナ様を連れてすぐにコウタスマ様の所に行きましょう」
「城は我々騎士団が預かりまする、どうかフーシャンクラン様におかれましてはお逃げ延びを……」
城に残っているキントマンの傭兵団の一部と、イサラを始めとした騎士団の面々がそう言ってくれるが、俺に任された役割を思えばそういうわけにもいかなかった。
「状況もわからんのに動けるわけがないだろう。城を捨てて逃げて、敵に取られた城に父上たちが戻ってきたなんて事になってみろ……俺はその後、どの面を下げて生きていけばいいんだよ」
弟が城を守る役目を果たさず父を見捨てて逃げた、などと揶揄されれば……王都にいる兄もさぞやりにくくなる事だろう。
そこには、国からの救援が来ないだの、俺が十歳だのといった事はまるで関係がないのだ。
一筋の傷があれば、容赦なくそこを突かれるのが貴族社会なのだと、グル爺は言っていた。
書庫にあった本にも、よくそういう話が面白おかしく書かれていたものだ。
知恵者の老人たちを従えるように座るグル爺をちらりと見ると、傷を抉られ荒野まで追われてきたかつての名将軍は、にっこりと笑って頷いた。
わかっているさ。
貴族は面子で生きている。
つまり、面子のために死ぬ事もまた、貴族の役目なのだった。
「……キントマン、悪いが朝になったら港まで母と妹と子供たちを頼めるか?」
「おい! そりゃあないぜ! その間に敵が攻めて来たらどうするんだよ!」
キントマンは反論するが、母と妹を逃がすのは俺の一番大切な仕事だ。
だからこそ、頼める中で一番仕事のできる奴に任せたかった。
「お前を見込んでの事だ。そのまま港に留まり、いざという時は母と妹を王都まで頼む。礼は必ず兄がしてくれるはずだ」
「そんな……そんなもんっ! いらねぇよ! あんたが死ぬかもしれねぇって時に横にいねぇ子分なんか、いる意味がねぇだろ!」
「上の骨を拾うのも下の役目だろう。なあ、頼むよキントマン、俺を安心させてくれ」
頭を下げてそう頼むと、彼は泣きそうな顔をして、まるで懇願するようにこう言った。
「じゃあ……じゃあよぉ! 約束してくれよ! もしこれであんたが生き残ったら、こんな貧乏くじはこれっきりだってよぉ!」
貴族に面子があるように、きっと傭兵にも傭兵の面子があるのだろう。
それを曲げさせてしまったのだとしたら、彼には悪い事をした。
「わかったよ、約束する。武運拙く死んだとしても、お前への恩は必ず忘れんよ」
「じゃあよ……戦えない者をみんな連れて、俺たちは明日の朝出るぜ」
「ありがとう、状況がわかればすぐに狼煙を上げる。兄も承知の事だと思うが、城が落ちれば一目散に行け」
俺は残りの者の顔を見回して、机の上にトンと拳を突いた。
「残りの者は、悪いが一緒に死んでもらう事になるかもしれん。何か心残りのある者はキントマンと共に行け、俺の責任において咎め立てはしない」
そう言うと、騎士たちはなぜか立ち上がり、嬉しそうに叫んだ。
「いませんよそんな奴は!!」
「こんないいところで逃げたら、空の上で親父たちに小突き回されます!」
「妻子はもう港にいます! 心残りはありません!」
「この時代に生まれて良かったぁ!!」
「……皆、ありがとう」
騎士たちはまるで物語の勇者のように殊更に勇猛に振る舞ってはいるが、本当にそう思っているわけではないだろう。
彼らは幼い俺を心配させないために、空元気を演じてくれたのだ。
その心遣いには頭が下がるばかり。
本当は彼らも逃してやりたいが、そうすると敵が城を超えて一気に港まで流れ込む恐れがある。
港に家族を残している者も大勢いるし、どの道全員は船には乗れない。
ここで踏ん張るしかないのは、彼らも俺と同じだった。
「縁者への手紙を渡していない者は、明日の朝までに書いておけ」
最後に皆へそう言って、会議は終わった。
何の事はない、俺がした事は生きる者と死ぬ者を選んだだけだ。
父たちが生きていればいいが、死んでいればどれだけ頑張ってもこの城が春を迎える事はないだろう。
敵のいる荒野も行けず、雪の積もった山も越えられず、船無しでは海も渡れない。
だが、たとえどこかへ逃れられたとしても、どの道我々に行き場所などないのだ。
あればこんな荒野で、戦略的に何の意味もない城に何百年もしがみついているわけがない。
この悪い土地だけが、俺たちの居場所なのだ。
大部屋を出て塔へ向かう途中、そんな事を考えながらふと見上げた廊下の窓からは、月がこちらを見ていた。
風前の灯火となった俺たちを、永遠に空へ佇む月が、憐れむように見下ろしていた。
「おぅい」
そしてそんな月を見ていた俺を、誰かの声が呼んだ気がした。
「おぅい」
「あれ、何だろ? イサラは聞こえた?」
「聞こえましたよぅ」
それは決して月の声などではない、なんだか疲れ切ったような、生気の薄れたか細い声だった。
「おぅい、フシャ様よぅ」
目を凝らして暗い廊下を見回すと、声は鍛冶場の入り口からしているようだった。
近づくと、鍛冶場から微かに漏れる光の中に、岩人のコダラが立っていた。
背中を丸め、目を血走らせた彼は幽鬼のような有様で、身体も拭いていないのか少し臭った。
「どうしたんだよコダラ、お前寝てないのか?」
「おりゃあ、あんたに言われた仕事をしてたんだよ。出来上がったからよ、見てもらおうと思って……」
「仕事って……剣が間に合ったのか!?」
そう聞くと、コダラは不思議そうな顔で首を傾げた。
「間に合った……?」
「今朝出ていった父上たちが夜になっても一人も帰ってこなかったんだ。お前たちには明日の朝港に退いてもらう事になった」
「おお、そりゃあ危ないとこだった。さ、さ、すぐ見てくれよ」
俺はコダラに引っ張られるがままに鍛冶場へと入った。
火の落ちた鍛冶場の中にはランプ一つだけがかけられていたが、全く暗いとは感じない。
なぜならば、鍛冶場にはもう一つ光源があったのだ。
「すげぇ……」
足踏み砥石に立てかけられた、薄緑色のその剣が。
俺がコダラに頼んだ、神剣鋼のその剣が。
マッキャノ族が、紺碧剣と呼んだであろうその剣が。
全身でその存在を主張するかのように、緑色の光を周囲に放っていたのだ。
「これ、なんで光ってんの?」
「あ……? 熱が冷めてからはずーっと光ってるが……そういう素材なんじゃないのか?」
「光るとは思わなかったなぁ……」
なんだか感電でもしそうな気がして、こわごわと薄緑色の剣を手に取った。
俺の身長の半分以上もある長さのその剣は、しかし、驚くほどに軽かった。
「これ、なんでこんなに軽いの?」
「坩堝に入ってた時から、素材からは考えられないぐらいに軽かったが……そういう素材なんじゃないのか?」
「軽いとは思わなかったなぁ……」
なんとなく振るってみるが、他の剣とは違って全く身体が持っていかれる感覚がない。
これぐらいなら、今の俺にでも使う事ができそうだった。
「これなら俺も戦えそうだな」
「それなら良かった! 寝ないで間に合わせた甲斐があったよ!」
「ありがとうコダラ、この剣に恥じないように戦うよ」
剣は騎士たちのよく使うロングソードと同じぐらいの長さで、剣身とは別の金属で作られた柄には流麗な彫金が施され、握りの部分には滑り止めの細い溝が無数に彫られている。
剣身は向こう側が透けて見えそうな半透明で、内側から緑の光を放つ美しいその姿は、まるでライトを当てた翠玉のようにも見えた。
「……エメラルド・ソードと名付けよう」
「エメ……? マキアノの言葉ですか?」
「ま、そんなところかな」
不思議そうな顔でこちらを見るイサラにそう言って笑い、俺はコダラのくれた鞘に入れて腰にその剣を吊った。
その姿を見て、コダラはなんだか緊張の糸が切れたように床へとへたり込む。
相当無理をしてくれたのだろう、彼はまるで命を削ったかのようにやつれていた。
俺が彼の前にしゃがみ込むと、コダラは顔を俺の方を向けてぽつぽつと話し始める。
「なあフシャ様よう、そいつは間違いなく、俺の人生で一番の剣だ」
「ああ、こんな凄い剣は見た事がないよ」
「俺はちゃんと、役に立ったかい?」
「もちろんだ、完璧だ」
「俺はちゃんと、仕事をやれたかい?」
「ちゃんとやったさ、この剣が証明だ」
「俺なんかがその剣を打って、本当に良かったのかい?」
「お前以外に俺の鍛冶師はいない、よく形にしてくれた」
「じゃあ、良かったよ……」
安心したようにそう零して、彼は床の上に大の字になった。
「明日の朝の退却には遅れるなよ。ちゃんとキントマンについていけ」
「わかってる……さ……傭兵は……逃げ足も……武器……」
あっという間に眠りに落ちつつある彼の身体に、近くにあった革のエプロンをかける。
そして今生の別れになるかもしれないとは思っていたが、俺は振り返らずに鍛冶場を出た。
窓へ目をやると、もう月は見えなくなっていた。
ただ、腰に吊った剣から漏れる燐光が、俺の行き先を照らしてくれていた。
その知らせは翌日、母や妹がすでに港についたであろう昼過ぎにやって来た。
荒野から港へ逃れ、隠し通路からやって来たその騎士は、攻撃部隊に参加していた者だった。
「策を逆手に取られ! 敵二百の待ち伏せに遭い! 本隊は現在敵部隊を逃れ渓谷地帯に潜伏しています!」
「父は無事か?」
「ご無事です!」
「おお!」
「それは一安心!」
安堵に沸く騎士たちと共に、俺も胸を撫で下ろした。
やはり領主の生存という報の力は大きく、昨日まで張り詰めていた皆の空気が一気に緩んだようだった。
「ですが敵の数が多く、渓谷より逃げ出す隙も滅多にございません! 水の手持ちが心許なく、このままでは干上がってしまいます! 夕闇に紛れ、乾坤一擲の勝負をかけて城側への脱出を試みるため、なんとか陽動を願う! との事です!」
「陽動ねぇ……」
俺の腰には、ちょうどそういう用途のために誂えたように、ビカビカと光るよく目立つ剣が吊られていた。
この剣が本当にマッキャノ族の伝承にある紺碧剣と同じものだとすれば、城からこれを持った者が出てくる衝撃は計り知れないだろう。
陽動としてはそれ以上ない物になるはず。
とはいえ、実はこの剣が本当に彼らにとってお宝なのかという事については、未だにわかっていないのだ。
俺はそれを確かめるため、剣を持ってマッキャノ族の捕虜の入る牢を訪れたのだった。





