Emerald Sword4
夜更けに城を立った俺たちは、荒野が朝焼けに染まる頃にはカラカン山脈の裾野へ辿り着いていた。
幸いに懸念していた敵との遭遇もなく、薬草の方もだんだん枯れ始めてはいたが、ギリギリ採集はできそうだ。
「イヌザメありがとう、下ろして」
「あいよ」
俺はこれまでおぶって歩いてきてくれたイヌザメに礼を言い、地面に降りるとさっそく薬草を集め始めた。
ここいらの山は薬草を取るのが俺だけという事もあって、色々な種類の草が割りと簡単に見つけられるいい採集場だった。
そのうちタヌカン領に錬金術師が増えればこうはいかなくなるだろうが……
とりあえず今のところはありがたく、集められるだけ集めておこう。
「フシャ様、俺らもなんか手伝いましょうか?」
「いや、皆は警戒を頼む」
皆も手伝ってくれようとするが、今日のところは断った。
薬草の薬効というものには、草の摘み方に気をつけなければ失われてしまうものもある。
どの薬も最大限の薬効で作っておきたい状況だ、今は一本の草も無駄にはできなかった。
根に薬効あるものは根の周りの土ごと掘り出し鉢に入れ、すぐに萎びてしまう繊細な薬草は水を含ませた布に挟んで保存し、滲み出る汁が必要なものはナイフで切り込みを入れて瓶へと保存する。
これから冬だ、最後の材料補給と思えば気合も入った。
そんな中、キントマンが何かを見つけてしゃがみ込んだ。
「……おいイサラ、これ」
「あー、まずいなぁ……」
彼らはそんな事を話していたかと思うと、突然二人して剣を抜き放った。
「真新しい蹄の跡だ。奴さん達、ここいらまで来てるぞ」
「どうします、引き返しますか?」
「いや、ここは森に入ろう」
皆が警戒して武器を抜く中、俺はそう言った。
まだまだ材料は足りないし、どうせ夜陰に紛れてでしか城には戻れないのだ。
加えて相手が騎馬ならば、追われれば徒歩のこちらがどうやったって不利。
ならば馬の入って来られない森に入った方が、いくらかマシというものだ。
「なぁに、こちらの方が土地勘があるんだ、大丈夫だよ」
「……木には躓かないでくださいよぅ」
俺が呑気に言うのに、イサラがため息を付きながらそう返した。
そうして俺たちは昼間だというのにぼんやりと薄暗く、倒木や枝がごろごろ落ちていて歩きにくい森の中を、薬草や木の実を採集しながらじりじりと進んだ。
焚き火跡や人の痕跡もなく、敵はまだこのあたりの森には入り込んでいないようだった。
だんだん太陽も中天にかかり、普段ならばとっくに昼飯でも食べている時分……
うるさいぐらいに鳥が鳴いている水場の近くで、俺が岩にへばりついていた苔をナイフでこそぎ落としていた時の事だ。
どこからか「あっ」という声が小さく響いた。
何気なくそちらを見ると、キントマンの部下の犬人族のコボラの目の前に、皮の鎧を着込んだ男が曲刀を構えて立っていた。
相手にとっても予期せぬ遭遇だったのだろうか、一瞬時が止まったように互いの動きが停止し……
最初に動き出したのは、コボラの隣にいたキントマンだった。
「ヴォッ……」
何かを叫ぼうとした男の首には、金文字の彫り込まれた黒い剣身が目にも止まらぬ早業でねじ込まれていた。
しかし、すでに相手方には接敵を気づかれていたようで……滝のように血を流しながら座り込む男の後ろからバキバキと枝を踏む音が響く。
巨漢のイヌザメが俺の前へ盾になるように立ち、イーダは魔法の詠唱を始め、イサラの髪からは妖精が飛び出して剣に纏わりついた。
だが、その魔法や剣が振るわれる事はなく。
姿を現した三人の敵、その前に飛び出したキントマンがくるっと身を翻し、ひゅっと音がしたかと思うと……ぱっくりと斬られた三人の喉笛から、音に遅れて血が吹き出していた。
三人は糸が切れた人形のようにつんのめって倒れ、そのまま動かなくなった。
「……なるほど、飆なわけだ……」
思わずそうこぼすと、なぜか俺の前で盾になっていたイヌザメが嬉しそうな顔をして頭を掻いた。
「後続はないようだが、どうする?」
「この兵たちの目的を探れないか。マキアノが本当にフォルクに攻め込むつもりなら、その事を王都に伝えれば援軍が来るのが早くなるかもしれない」
「だがよぉ、そもそも山を超えるにはちと軽装すぎねぇか?」
そう言いながら、キントマンは一番地位の高そうな、立派な兜飾りを持つ敵兵の持ち物を手早く確認する。
鉄剣、呼び笛、水筒、ナイフ、様々な物が死体の横に並べられていくが、どうも変わった物はないようだ。
「なんだこりゃあ、財布か?」
小さな小袋を逆さにすると、出てきたのは黒色の細かな石だった。
「マキアノの銭っこは普通の銅貨だよぅ」
「じゃあ、こりゃ何だ?」
「俺にも見せてくれ」
俺は細長い黒い石を一つ摘み上げてみたが、どうも石にしては重い気がした。
地面に落ちていた石の上にそれを置き、他の石で挟むように叩いてみるが、黒い石は割れない。
「フシャ様、貸してみな」
コボラはそう言うと、持っていた戦鎚を黒い石にガギンと叩きつける。
すると黒い石は下にあった石ごとばっくり割れ、断面をぎらりと輝かせた。
「金属だったのか……」
ここでは何も分からないが、後で調べてみよう。
俺は地面に落ちた黒い石に見える金属を小袋に入れ直し、薬草籠へと放り込んだ。
「こいつら、馬で来てるはずだが……」
「森の外に繋いでるんじゃないか?」
「イーダ、敵の規模だけでも調べられねぇか?」
「無理ですよ、使い魔もいないのに」
逆に言えば、使い魔がいれば偵察までできるのか、魔法使いってのは凄いなぁ。
「誰か行ってくるか?」
「でも山ほど敵がいたら事だぜ……」
キントマンたちは話し合いながら、イサラの方をちらりと見た。
「あー、イサラ、お前の妖精を飛ばせたりはしねぇか?」
「なんでだよぅ。わざわざ藪を突っつかなくたって、このまま帰ったらいいじゃないかよぅ」
「できないんなら別にいいんだが……」
「できないなんて言ってないんだよぅ」
「じゃあ頼めるか、イサラ」
俺がそう言うと、イサラはなんとも言えない不満気な顔をしながら、不承不承といった様子で妖精を飛ばした。
イサラはあんまりやりたくないようだが、俺はこのせっかくの機会に、相手の真意をある程度確認しておきたかったのだ。
相手の戦略目標すらわからないのでは、どちらかが皆死ぬまで戦が終わらない。
マキアノ族とタヌカン領は、領土を接している割にこれまで互いの事を知らなすぎた。
理解ができない相手と関わっていくのは、どんな形でも難しいのだ。
程なくして、イサラの妖精は帰ってきた。
妖精がイサラの耳元に口を近づけて報告をするのを、彼女はうん、うん、と小さく相槌を打ちながら聞いていた。
「……ここら辺に我々以外の人間は三人だけですよぅ」
「三人か。なら恐らく送り狼になる事はねぇな」
「そして、山を超える部隊でもなかったわけだ」
俺はそう言いながら、一つの事を考えていた。
相手を理解する、一番手っ取り早い方法をだ。
「生け捕りにしたい。やってくれるか、イサラ」
俺がそう言うと、彼女は口をへの字に曲げたまま、ピンと立てた右手の指先に妖精を止まらせた。
「御身の望みでありましたら」
「では、行こうか」
過保護な彼女には悪いが、ここが命の張りどころだ。
勝っても負けても戦後があるのだ、相手を理解するための教材を手に入れる事は必要だった。
俺がイサラにやってくれるかと聞いた理由は単純明快だ。
彼女の力が、生け捕りに向いているからに他ならない。
木陰から飛び出したそんな彼女の剣が、森の外に七頭の馬を繋ぎ火を炊いていた三人を襲った。
「ギャッ!」
薄く燐光を放つ彼女の剣の腹で叩かれた敵は、まるで電気ショックを受けたかのように身体を震わせていく。
結局相手に剣を抜かせる事もなく、イサラと共に風が吹き抜けたその一瞬の後には、焚き火の周りの全員が白目を剥いていた。
「やるなぁ。さすがは『濁り』のイサラだ、名が売れてるだけあるぜ」
「うるせぇんだよぅ」
イサラとキントマンがそんな話をしている間に、他の者たちは手早く三人の武装を解いて後ろ手に縛り上げていた。
相手は屈強な男が二人、残りの一人はなんと老婆だった。
何のためにこんなとこに連れてこられたのだろうか、案外俺と同じように薬草を摘みに来た錬金術師なのかもしれないな。
「婆さんは緩めにしてやれ、死んじゃうぞ」
「あ、わかりました」
魔法使いのイーダがそう言いながらほんの少しだけ縄を緩め、その代わりとばかりにギチギチに猿轡を噛ませた。
まぁ帰り道で騒がれたらヤバいから、猿轡は必要だな……
「しかし、これで馬が七頭手に入ったなぁ。帰りは楽ができるぜ」
「お頭、久々に傭兵働きができて楽しそうですねぇ」
「お頭はよせよ」
元傭兵団の面々が収奪品と採集品を手早く馬に載せると、すでに陽は傾きかけていて……
荒野は夕暮れに染まり始めていた。
「さぁて、城へとずらかるか」
「凱旋って言えよぅ」
俺はイサラの前に乗せられ、闇に染まり始めた荒野を馬が走りはじめる。
城の灯か敵の砦の灯かもわからない、漆黒の闇を切り裂くような光りを目指して、俺達は進み続けたのだった。
—--------
北の果てで死にかけているジジィに、もっと北の果てで死にかけているジジィから手紙が届いた。
わしが国に仕えていた頃の戦友、腐れ縁。
一時だけだが、敵だった事もあったか。
今や名も残っていない貴族家の三男坊にして、上り詰めた場所からも厄介払いされた悲劇の大将軍……
なんて言われているらしい、グルドゥラから手紙が届いた。
「お義父さん、その手紙は何です? 督促状?」
「友人からの手紙じゃあ」
「あら、まだご友人が生きてらしたのね」
やかましい息子の嫁から隠すようにして、包丁で手紙の封を切る。
「お義父さん! 包丁を勝手に触らないでって言ってるでしょう!」
「わかっとるわい!」
本当にやかましい嫁だ。
酒を飲んでは文句、飯を食いすぎては文句、鼻をかんでも文句、屁をこいても文句、日がな一日文句ばっかりだ。
一体うちの息子はあんなののどこが良くて結婚したのか。
うんざりした気持ちのまま、手紙を開いた。
「死に場所を見つけた? そりゃあええのぉ」
手紙に書かれていたのは、グルドゥラが世話になっているというタヌカン辺境伯家とかいうド田舎が異民族に攻められているという話だった。
こちらは千に満たず、相手は万を超える大軍団。
日毎に損耗していく軍だが士気は旺盛にて、城を枕に討ち死にする覚悟……
常在戦場と思って生きてきたが、まさかこんな胸踊る死に場があるとは思わなんだ、だと。
「ええのぉ、一対十、フォルトゥナ戦役を思い出すのぉ」
「お義父さん、また昔話ですか?」
「あんたには言うとらんよぉ」
ふんふん、近々海上が封鎖される気配あり、これからしばらく後、敵の油断を誘い隊を分け後背を突く所存……
なるほどこれが地形図か、後背を突くと言ったって遮蔽物がなくてはな。
北東に渓谷があるから、北西に船をつける場所があればなんとでもなりそうな気もするが……
「地図が小さいのぉ」
「あら、地図が小さいんじゃなくてお義父さんの目が悪いのよ、私が読んで差し上げましょうか?」
「ええ、ええ。もったいないのぉ、士気さえ高ければ、やりようはありそうじゃが……」
「お義父さんったら、お友達とも昔の戦の話をしてるのね」
「昔のじゃない、今の戦じゃよ」
「あらあら。ほんと、男の人ってそういうのが大好きなんだから」
「…………」
なんだか、わしを心底ジジイ扱いする息子の嫁と話していると、心まで老け込みそうだ。
なんか、だんだん羨ましくなってきたな。
千人隊長として最後の戦を終えた時は、もう二度と戦場に出ずに済むと安堵したものだが……
いざ隠居してみると、あんなに恋い焦がれた平和な生活というものは、思っていた何倍も退屈なものだった。
作戦立案の煌めきも、軍を動かす充足感も、裏をかいた時の喜びも、敵を打ち倒す血の滾りも、何もない。
ただ腹の肉がだぶつくほどパンを食い、酒を盗み飲みして、息子の嫁に叱られる事に怯えるだけだ。
わしも行こうかな。
昔の誼だ、今から行けば百人ばっか預けちゃあくれんだろうか。
わしも昔は『蝮』のウィントルと呼ばれた大用兵家、タヌカンなんて田舎者でも知っとる奴は知っとるはずだ。
城を枕に討ち死に、いいじゃあないか。
どうせジジイだ、放っといたって来年には死んどるかもしれんのだ。
最後の祭りだ、グルドゥラにも久々に会いたいしな。
「ユーミさんや、わしはちょっと出かけてくるから。しばらく帰らんでな」
「あら、どこに行かれるの? 晩御飯はどうされます?」
「遠くで葬式に出るから、遅くとも春までは帰らんよ」
「まあ春まで! それは遠くですのね、じゃあ準備をしなきゃ」
息子の嫁がバタバタと駆けていく中、わしは自分の部屋の床を引っ剥がした。
そして床下の土を掘り返して、一つの壺を取り出す。
蓋をしていた皮を取ってひっくり返すと、大金貨が数枚と軍人時代の勲章が転がり出る。
「いつむぅななや、まぁ、こんなものか」
大金貨のうちの一枚を孫の部屋のベッドの上に投げ、一枚を食卓の上に置き、その隣に勲章を添えた。
そして杖代わりの細剣を持ち、ローブ一枚を羽織って家を出る。
「急がんとなぁ。祭りが終わってしまう」
この手紙を届けてくれたネィアカシ商会とやらの商館が、ほど近い港町にあるはずだ。
動かない身体に鞭を打って、できるだけ急ぐ。
カラカン山脈へ向けて吹きつける、冷たく重い風が、冬の訪れを告げていた。





