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王太子が夜会で婚約破棄宣言などという非常識な行いをした理由

作者: 雨稀河流
掲載日:2023/04/19

 婚約破棄から始まる作品第二弾です。

 色々ツッコミどころの多い作品なので、肩の力を抜いて気軽に読んで楽しんで戴ければ幸いです。

「皆! どうか聞いて欲しい重大な報告がある!」


 優秀な王に大臣に騎士達を数多く輩出してきた歴史ある名門校、ライランド王立学園で開かれた夜会。

 その会場であるダンスホールの中心で声高らかにそう言い放ったのは、この国の王太子であるアルフォンス・ヴァン・ライランドだった。


「ストロイヤー辺境伯令嬢、リザ・ストロイヤー! ボクは君との婚約を破棄し、ボクが唯一愛し、心から信頼しているシルヴィア・コリンズを新たな婚約者として迎える事を此処に宣言する!」


 アルフォンスの突然の婚約破棄と新たな婚約の発表にダンスホール中は蜂の巣を突いたかのような喧騒が一瞬で広がり、この場にいた生徒や教職員達、全員の胸中は戸惑いや好奇心等の混沌とした感情で溢れていった。


 人々の視線は先ずアルフォンスへ向かい、それからすぐ新たな婚約者と名指しで宣言したシルヴィアへと移った。


 シルヴィアはダンスホールの隅の方で目を丸くしたまま、戸惑いの表情を浮かべてオロオロと周囲の視線を気にしているようだった。

 どうやら彼女は何も知らされていなかったらしく、突然の事にどうしたものかと困り果てているのは一目で分かる。

 

 続いて、全員の視線は一際強く存在感を放つアルフォンスの婚約者、リザへと一斉に向かっていった。


 彼女の容姿はまさに美少女という言葉が相応しいものだった。

 桜色の長い髪に澄んだ美しい琥珀色の瞳。

 幼さを残しながらも十分に成長した女を感じさせる美しい顔立ちに異性どころか同性の視線さえも奪う抜群のプロポーションを誇る完璧な肢体。


 この美しい女性こそアルフォンスの婚約者であるストロイヤー辺境伯令嬢、リザ・ストロイヤー。


 この王国と周辺諸国との国境の防衛を一手に引き受ける“王国の守護神の一族”とまで言われている名門一族の長女、王家と言えども決して無碍にしてはならない女性だ。


 そんな彼女にこんな無礼な振る舞いをして、我が国の王太子殿下は一体どうしたのか? と人々は固唾を飲んで事の成り行きを沈黙しながら見守った。


 しかし、そんな非常識なアルフォンスの振る舞いに対して、リザはチラリと一瞥しただけで、何も言わずそっぽを向いてしまった。


 人々はリザが怒り狂わなかった事に内心ホッと息をついたが、アルフォンスは何も返さないリザの態度が気に入らなかったらしく、怒りで顔を紅潮させながら乱暴な足取りで一歩前へ踏み出した。


「おい! 聞いているのかリザ!? ボクはもうお前から解放され……」


「それまでだ!」


 鋭く威厳のある一声が響き、アルフォンスの動きが止まった。


 リザの態度に激昂するアルフォンスの言葉を遮ったのは、本来ならばこの場にいるはずのない人物、アルフォンスの父であり、このライランド王国の主でもある、国王だった。


 彼は一部の側近を除く関係者には秘密にして今回の夜会の様子を見に来ていたのだが、息子であるアルフォンスによる突然の暴挙を見兼ね、放ってはおけぬと馳せ参じたのだ。


「アルフォンス! 貴様は自分が何を言っているのか分かっているのか!?」

「ち、父上……」

「アルフォンス、貴方は一体何をしているの?」

 父親である国王の憤怒の色に染まった表情に息を呑んだアルフォンスの前に続いて現れたのは、国王の妻にしてアルフォンスの母親でもある王妃だった。


 両親の介入に言葉を詰まらせるアルフォンスに構わず、国王は厳しい口調で更に言葉を続けた。


「アルフォンスよ、よもや忘れた訳ではあるまいな? 長男でありながら弟のオズワルドよりも足りぬものが多いお前が王太子の座に就けたのは、そこにいる“王国の守護神の一族”の長女であるリザ嬢がお前の婚約者だからこそだ」


 公務の関係で今はこの場にいない優秀な弟と比較され、更に実の父親から能力不足だと評されてアルフォンスは悔しげに顔を歪め、歯軋りをした。


 ツカツカと力強い靴音を響かせながら国王はアルフォンスの元へと更に近付いて行く。


「最近、護衛の騎士達からお前の様子がおかしいという報告を聞き、忍んで様子を見に来てみれば……王家と辺境伯家で取り決めた婚姻関係を余に相談する事もせずに独断でこのような愚行を犯すとは、失望したぞっ! アルフォンス! 貴様を王太子の座より退け、即刻廃嫡とする!!」

「は、廃嫡だって……」


 国王の言葉にアルフォンスは大きく目を剥いた。


「っ! へ、陛下! それはあまりにも重たい罰です! アルフォンスにどうかご慈悲を!!」


 国王の容赦ない言葉に王妃は驚愕の表情を浮かべた後、悲壮感に染まった表情でアルフォンスを庇うように国王とアルフォンスの間に割って入った。

 国王は王妃を邪魔だと言わんばかりに押し退けると、アルフォンスを鋭く睨みながら再び口を開いた。


「だが、お前がこの場で今、誠意を持ってリザ嬢に許しを乞い、リザ嬢が寛大な心をもってお前の謝罪を受け入れたのならば、廃嫡は考え直そう」


 国王の言葉は提案の一つという形ではあったが、その口調からは異議を挟む事を許さないという意志の強さが込められていた。

 国王としても、王国最強の戦力である辺境伯家と取り交わした婚約を一方的に破るような愚行は無かった事にしたい。

 それに、どうやらリザの方もアルフォンスの婚約破棄宣言に対して憤っている様子は無いので、この隙に全てを丸く収めようという思惑がある事に周囲の人々も察しが付いた。


 そんな国王の言葉に対して、アルフォンスはーー。


「……構いません」


「何だと?」


「構いません! 廃嫡でも追放でも処刑でも何でも構いません!」


 アルフォンスのあまりにも衝撃的な発言に周囲は一層ざわめき、責めていたはずの王も近くにいた王妃も揃って困惑も表情を浮かべた。


「ああ! いっそ処刑して下さい! もうこんな女を妃に迎えて一生暮らす事になるくらいなら死んだ方がマシです! ボクはもう解放されたい! 自由になるんだー!! あはははははははっ!!」

「ど、どうしたのだアルフォンス! 気は確かなのか!?」

「アルフォンス! 貴方一体どうしちゃったの!?」


 突如、狂ったように笑い出したアルフォンスの瞳からは次々と涙が零れ落ち、明らかに正常ではない姿に王と王妃も言葉を失った。


 よく見れば、アルフォンスの顔色は元々色白だったものがより青白くなって、まるで病人のように非常に血色が悪く、目は血走って濃い隈まであり、かつては優しげだった青い瞳は、濁っているように暗く狂気が迸っている。


 明らかにアルフォンスは精神を病んでいるようで、人々は彼の狂気染みた様子が恐ろしくなり、無意識に半歩ほど距離を空けてしまっていた。


 その時だった。


「アルフォンス殿下! 大丈夫ですか!?」


 今まで沈黙を守りつつ、事を見守っていたシルヴィアが口を開くとアルフォンスの元へとすぐに駆けて行った。


「もう大丈夫ですよ。ほら、ゆっくり息を吸って吐いて、そうです。思った事を慌てて全部言わなくても大丈夫です。先ずは一番伝えたい事が何かをゆっくり考えて……」


 シルヴィアは取り乱すアルフォンスを優しく抱き締めながら、その背中をゆっくり優しく摩りつつ、小さな子供に言い聞かせるような口調でアルフォンスに語り掛けた。


 そんなシルヴィアの献身的な姿を見て、周囲の人達は“やっぱり婚約者には見えないし、あり得ないな” と胸の内で思った。


 何故なら、アルフォンスが婚約すると宣言したシルヴィアは、今年で齢六十になる老年の女性だったからだ。

 ふくよかな体型に皺の多く刻まれた優しげな表情、白髪の混じった銀髪を頭頂部辺りで結い、服装は上品だが流行りから少々遅れた古風な紫のドレス。

 この光景は王子と愛される姫君というよりは、むしろ幼い孫と優しい祖母である。


 シルヴィアは、流行病で子爵だった夫に先立たれた未亡人で、現在は王立学園にある相談室に勤務しているベテランのカウンセラー。

 跡取りとしてのプレッシャーや勉強に訓練等のストレスで疲弊した生徒達の不満や悩みを聞き、精神を落ち着かせてまた復帰出来るように助力するのが彼女の仕事だ。


 数多くの生徒達が彼女の相談室を利用する中で、特に足繁く通い続けては数え切れない程の不平不満を聞いて貰っていたのが、他ならぬアルフォンスだった。


 婚約者であるリザの事や両親に対する不満や周囲から容赦なく課せられる重責で心を病むほどに疲弊しきっていたアルフォンスにとって、信じられるのは何時も相談に乗り、悩みや愚痴を文句一つ言わずに聞いては慰めてくれるシルヴィアだけだった。


 その事もあって、アルフォンスはシルヴィアへの執着をどんどん強めていき、身分どころか年齢までも無視して婚約を言い出す程に歪んだ依存心を抱いてしまったのだろう。


「大丈夫、もう大丈夫ですから……アルフォンス殿下、此処は人が多くて落ち着きませんでしょう? 先ずは保健室へ行って少し休みませんか?」


 シルヴィアが優しく声を掛けながらアルフォンスを宥めていく。

 アルフォンスの狂気染みた笑いが止まり、表情が少しずつ順調に落ち着いていくところは流石ベテランのカウンセラーである。


「……シルヴィア、もう大丈夫だ」


 狂った笑いを完全に止めたアルフォンスは、シルヴィアの肩に手を置いて、そっと離れると未だそっぽを向き続けるリザの後ろ姿を睨み付けた。


「ボクの事を心配してくれて、ありがとう……しかし! 今日こそボクは言ってやると決めたんだ! おい! リザ! 聞こえているんだろ!? いい加減こっちを向いて話を聞け!!」


 アルフォンスは先程よりも大きな声でリザに呼び掛けた。


「んー? なんじゃさっきから?」


 アルフォンスに背中を向けていたリザが今度は身体ごとしっかりと振り返って、憤るアルフォンスとしっかり対面した。


 そんなリザは今、口周りにたくさんのソースを付着させ、両手にはローストビーフや豚の丸焼きといった肉料理が乗った皿を幾つも手に乗せており、明らかに食事に夢中な様子だった。


「ワシはいま、ニクをくってるところじゃ! アルフォンス、つまらんハナシはあとにしろ!」


 今までの重苦しい空気を全く物ともしない、場違いに快活で大きな声が会場にいる全員の頭上から聞こえてきた。


 どうして頭上から聞こえてきたのか?


 何故なら、それは彼女が……学園で一番広大な施設であるダンスホールの天井に頭が付きそうになる程、巨大だからである。


 存在感がではなく、物理的に背が高過ぎる文字通りの巨人なのだ。


 しかも、その服装も問題である。


 リザは王国の西外れにある魔物の森で仕留めたという巨大な狼型の魔物、フェンリルの毛皮で作ったふんどしを巻いているだけで、他には何も身に付けていない。


 つまり乳房も臀部も丸出しな、限りなく全裸に近い状態なのである。


 これこそがアルフォンスが公衆の面前で婚約破棄という異常な行動を取るほどに心を病んだ一番の原因であり、結婚するくらいなら王太子の座どころか命すらもいらないと言い放つ規格外の存在、婚約者のリザ・ストロイヤーである。


「いいや! 今日こそ絶対に言ってやる! だから聞けリザ!」


 鼻息を荒くしながらアルフォンスは自分よりも遥かに巨大なリザに指差しながら叫んだ。


「ス、ストロイヤー令嬢! アルフォンス殿下はとても大切なお話があるのです……ですから、お食事をしながらで構いませんので、どうか少しだけお耳を傾けて戴けませんか?」


 リザの雑な対応に再び爆発しそうになったアルフォンスの身を案じたシルヴィアが、丁寧かつ恐る恐るリザに懇願した。

 すると、リザは手にした皿の上の料理を口の中に流し込み、もぐもぐと咀嚼しながらジッとアルフォンスとシルヴィアを見詰めた。

 それから、ゴクンと飲み込むとリザは口を開いた。


「くいながらでいいならきくぞー。たいせつなおはなしってなんじゃ?」


 一度首を縦に振ったリザは、また新しい皿を手に取っては料理を大きな口の中へと落とした。


 その食事の光景は人間というよりも魔物のようだ。


 数多くの強い戦士たちを輩出し、外敵からライランド王国を守り続けた功績から“王国の守護神の一族”と呼ばれるようになったストロイヤー辺境伯家。

 そんな辺境伯家の歴史、いや、王国の長い歴史の中でも、間違いなく歴代最強かつ最大と言われているのがリザである。


 リザも生まれた時は普通の子供と変わらない大きさの愛らしい赤ん坊だったが、生誕して僅か半日で這う事を自力で覚え、その翌朝には二本の足で立ち、日が沈む頃には走る事まで出来るようになったという規格外の身体能力を披露した。


 それからというもの、身体はあり得ない速度でどんどん大きく育ち、三歳の頃には辺境伯が抱える騎士団に混ざっても違和感がない程の長身になっており、年頃の娘になった現時点で完全に巨人となっていた。


 更にその巨体には、それに見合う以上のとんでもない戦闘能力も秘められていた。


 今はふんどしの材料にしているフェンリルも本来ならば、王国中の騎士や魔法使いの中でも、特に優秀な人材で構成された精鋭部隊を組織して、やっと仕留められるか否かという恐ろしい魔物なのだが、それをリザは一人、しかも素手で屠ってしまったという。


 それからも王国に侵攻してくる敵国の軍や強大な魔物を蹴散らし続け、果ては王国に攻め込んできた魔人族の国、シャドガルド魔王国の魔王が率いる軍隊さえも一人で返り討ちにし、当時最強最悪と世界中から畏怖された“魔王デズモンド”すらも討ち倒した事により、リザは王国中から守護神の化身と讃えられ、国外からは王国史上最強の生物として恐れられる事になった。


 しかし、その功績が後に大きな問題を生み出してしまうとは、王宮の誰もが夢にも思っていなかった。


 なんと、リザの父親であるストロイヤー辺境伯がリザをアルフォンスかオズワルドのどちらかの婚約者にする事を魔王軍討伐の褒美として要求してきたのだ。


 それというのも、ストロイヤー辺境伯は娘であるリザを可愛く思ってはいたが、身体が異常なまでに巨大で頑強である事に反比例するように精神年齢が幼児並み、しかも言動はまるで野人か蛮族のような彼女を教育する事に完全にお手上げ状態だったのである。


 このままでは、娘は確実に独り身となり、自分達が亡くなった後に面倒を見てくれる人間がいなくなってしまう。


 この自由奔放かつ規格外過ぎる娘の手綱を握っていられる相手をなんとしても探し出さなくてはならない。


 そう考えたストロイヤー辺境伯は、王家が断る事が難しい戦勝の褒美としてリザとの婚姻を求めたのである。


 王家に嫁ぐ事が出来ればリザの将来は安泰だし、更に王家ならば王国でも最高の家庭教師を雇い、王立学園への入学の斡旋等をして、教育に失敗した自分に代わってリザの奔放過ぎる性格を矯正してくれるかもしれないと希望を持った故の要求だった。


 結局、魔王軍討伐の功労者である辺境伯からの要求を断り切れず、当時はまだ王太子ではなかったアルフォンスに、王太子の座に就ける事を条件にリザを迎え入れさせたのだ。


 アルフォンスは自分よりも遥かに優秀な弟のオズワルドに嫉妬の念を抱いていた上に、自分の事を偏愛してくる母親からの期待にも応えなくてはならないという焦燥感も手伝い、自分は王太子にならないといけない、という強迫観念に囚われていた。


 だから、リザを婚約者にする事に関しては不満どころか渡りに船と即快諾した。


 更にいえば、オズワルドには、すでに王国の政治の中枢を担う名家であるアバネシー公爵家の長女、カテリーナという婚約者がおり、互いに相思相愛の仲だった二人から側室を迎える事はありえないと強く拒否されており、無理を通そうとすれば親子間は勿論、公爵家との関係にもヒビが入りかねないと元々候補から外されていた。


 こうして、アルフォンスは婚約者と共に王太子の地位も手に入れて順風満帆の人生を送れる、とこの時点ではそう思っていた。


 しかし、それは順風満帆どころか大波乱の幕開けだった。


 リザの常識破りな怪力と言動はアルフォンスの、いや、王宮の関係者全ての人間の予想を遥かに超えていたのだ。


 そして、それによる被害によって溜まったアルフォンスのストレスが今夜遂に爆発した。


「お前の勝手な行動のせいでボクがどれだけ肩身の狭い思いをしているのか分かってんのか!? 門から通るのが面倒だからって城壁を破壊したり、服を着ろと言っても窮屈だから嫌だと大暴れして城の塔を二つへし折ったり、遊び半分で騎士団を三つも壊滅させたり、森で狩りをすると言って動物を大量虐殺して生態系を狂わせたり、城の食糧庫を食い尽くそうとしたり、庭でデカいクソを漏らして放置したり……もう最悪だっ!」


 アルフォンスが一気に捲し立てるリザの問題行動の詳細を聞き、周囲の人々は心の中で、うわぁ……、と引きながらアルフォンスに同情の気持ちを込めた生温かい視線を送った。

 それと同時にリザならやりかねないと、この場にいる全員が思った。

 リザは先程アルフォンスが言った通りの傍若無人ぶりを王城で発揮していたが、それは王立学園でも同じだった。


 リザは授業中は基本大きなイビキをかいて寝ており、その音量と振動はクラスメイトどころか他クラスや他学年の生徒達にとっても迷惑この上なく、一度食堂へ赴けば学食を一人でほぼ全て食べ尽くし、動いて何かする度に施設や道具をうっかりと破壊し、こんな問題だらけの性格でも見目は麗しい上にほぼ裸の格好なので男子生徒や男性教師達は日々目のやり場に困り続けている。


 リザに対する不満を抱えた生徒や教師は数多くいたが、小難しい話を嫌うリザに何を言っても全然響かず、実力行使などしようものなら逆に命の危機に直結する為、結局苦情は全て婚約者であるアルフォンスへと集中する結果になった。


「リザ! お前が問題を起こす度に婚約者の手綱を握れていないボクのせいだと、両親からも学園の皆からも、周りにいる全員から責められて……周囲から白い目を向けられる王太子なんて世界中探してもボクだけだ! もうウンザリなんだよっ! この生き地獄がどれだけ辛いか分かってるのか!?」


 アルフォンスは今までの溜まりに溜まった鬱憤を一気に吐き出すようにリザに向けて怒りの限り吠えた。


 しかし、怒鳴られている当のリザはーー。


「ふむ……ながすぎてナニいっとるのかわからん! それよりもっとニクじゃ! おカシでもよいからよこせ!」


 アルフォンスの怒りと不満が全くと言って良い程に伝わっておらず、能天気に料理の追加を笑顔で要求する始末だった。


「だぁぁああー! このデカブツバカ女がぁああー!!」

「殿下! 落ち着いてください! ほら、ゆっくり深呼吸をして……誰か殿下にお水を一杯持ってきてください」


 シルヴィアがアルフォンスの背中を摩り、落ち着かせながら指示を出すと近くにいた衛兵が慌てて水差しと杯を持ってきた。


「陛下、もうアルフォンス殿下の心はこの通り限界なのです。今は静かな場所でゆっくり休ませて、今後の事は殿下が落ち着かれてから、陛下と王妃様と殿下の親子三人で改めてお話をなさった方がよろしいかと……」

「嫌だー! もう話し合いなんかしたくない! ボクの事を分かってくれるのはシルヴィアだけだー! こんな怪獣女と結婚させようとしてくる父上も母上も大嫌いだー!」


 そう叫ぶとアルフォンスはシルヴィアのふくよかな胸に顔を埋め、周囲の事など気にせずにおいおいと泣き始めた。


 アルフォンスの人目を憚らぬ哀れな醜態に、最初は怒りに満ちていた国王の勢いも完全に削がれてしまっていた。


「……ああ、アルフォンスには最早無理だと、よく分かった。リザ嬢の意思は……敢えて、問う必要もなかろう」


 国王は未だに我関せずといった様子で料理を食べ続けるリザを一瞥すると、眉間に皺を寄せながら悩ましげに深い溜息を吐いた。


「こうなっては仕方がない……リザ嬢を側室に迎えるようオズワルドに命じるしかないな。あやつもカテリーナ嬢も揃って頑固者だから説得するのは中々骨が折れるが……」

「なりません! アルフォンスも今は疲れているだけで本気で王太子の座を捨てたりなど致しません! そうでしょう!? しっかりなさいアルフォンス!」

「お前はこの目の前の光景が見えてないのか!? アルフォンスは最早壊れて使い物にならん!」

「アルフォンスは長男なんですよ! 次男のオズワルドがアルフォンスを差し置いて王太子などあってはなりません! 貴方はアルフォンスが可愛くないの!?」

「お前もいい加減アルフォンスへの無駄な期待は止めろ! 例え長男だろうが役立たずにこれ以上目を掛ける必要はないだろう!」

「何ですって!? それが父親の言う事なの!?」


 心を病んだ息子を容赦なく切り捨てようとする父親に、長男に異様な偏愛と重過ぎる期待をかける母親。

 完全な毒親っぷりを晒しながら夫婦喧嘩を始める自国のトップ二人の醜態に、ダンスホールにいる全員はドン引きしていた。


 シルヴィアはアルフォンスの精神状態を慮り、喧嘩の仲裁に入ろうとはしていたが、いかんせん二人揃って激しい舌戦を繰り広げているものだから入り込む余地がなく、泣き続けるアルフォンスを慰める事しか出来ないでいた。


「ところでアルフォンスは、なんでないとるんじゃ?」


 テーブル上の料理を全て食べ終え、やっと一息ついたリザが近くにいた同級生達に尋ねた。

 何度もリザが原因だとアルフォンスは言っていたが、未だに伝わっていないようだった。


「あ、え、えーとっ……陛下と王妃様が喧嘩をなさっているからではないでしょうか?」


 しかし、王国史上最強の巨人女を相手に、お前が悪いとは言えず、声を掛けられた生徒は適当にそう答え、周囲もそれに同調するように頭を何度も上下させた。


「おおっ! そうかっ! なら、ゲンインがいなくなればよいんじゃな?」


 すると、リザはあろう事か国王と王妃の身体を乱暴に掴み、まるで人形のように軽々と二人を持ち上げてしまった。


「うおっ! リザ嬢! 一体何をするのだ!?」

「きゃあっ! り、リザ! 貴女何をするつもりなの!?」

「どうするのがイチバンかのう? うーむ……よし! くおう!」


「「…………は?」」


リザの言葉に国王と王妃は異口同音に間の抜けた声を発し、同時にキョトンと困惑した。


「くってなくなってしまえばゲンインがいなくなってカイケツじゃ! アルフォンスもなきやむぞ!」

「な、なんだと!?」

「えっ、う、嘘でしょ? 幾ら貴女が常識知らずの野蛮人でも人喰いなんてしないわよね? 冗談よね? ねぇ!? そうよね!?」

「あんしんせい! ワシはうそはいわんぞ! ゆーげんじっこうというやつじゃ! さいきんおぼえたことばじゃ!」

「いやぁぁぁああああっ! 誰か助けてぇぇぇえええっ!」

「よ、よせ! 止めるのだリザ嬢! だ、誰か早くリザ嬢を止めぬかっ!」


 国王はリザが本気だと知るや、慌てて衛兵に自分達の救出を命じたが、衛兵達の動きは鈍かった。

 それも当然の事だった。

 王国中、いや、世界中を探してもリザよりも強い存在は恐らくこの世界に存在しないのではないかと言われている。


 つまり、リザに戦いを挑むのは自殺行為以外のなにものでもない。

 それはアルフォンスとシルヴィアは勿論、生徒や教員達も同じ考えで誰もリザに歯向かおうとはしなかった。


 そもそも先程の見苦しい争いで王家への求心力は大分低下していたのも要因となり、命を賭けてまで忠誠を誓う者は一人としていなくなっていた。

 結局、誰も助けに来る気配はなく、リザは国王と王妃の二人を高々と掲げながら大きく口を開いた。


「ニンゲンはくったことないが、ニクならたぶんうまいじゃろう! なによりアルフォンスのためじゃ!」

「「ぎゃぁぁああああっ!!」」


 国王と王妃の悲鳴がホール中に響き渡った。


 その直後だった。


 突然、ホールの扉が大きな音を立てて開き、黒いフード付きのマントで姿を覆った背の高い男が落ち着いた歩調で中へと入って来た。


「ん? おまえはだれじゃ?」


 国王達を食べようとした両手を下ろし、闖入者の姿を見てリザは首を傾げた。


「久しぶりだな、ストロイヤー辺境伯令嬢」


 男は落ち着き払った口調で言うと、リザの元へとそのまま近付いて行った。


「んん? ワシおまえとあったことないぞ?」

「いや、私は確かに君と会っているが……それを覚えていなくて当然だろう。当時の私は父に脅え、その背中に付き従うだけの弱い男だったからな」


 そう言い終えた直後に男がフードを外すと、その顔を見て、自分の事でいっぱいで周囲の事に気が付いていないアルフォンス以外の全員が驚愕した。

 フードの陰に隠されていた男の顔は、息を呑む程の美貌だった。


 流れるような艶やかな濡羽色の髪に、鋭くも妖しく人を惹きつける紅い瞳、顔立ちは整い過ぎてゾッとする程の美形。

 

 だが、それ以上に人々を驚かせたのは、男の頭に二本の黒いツノが生えていた事だった。


 頭にツノを生やしているのは、魔人の証。


 魔人の男が再び口を開いた。


「私の名はグレンデル。先代魔王デズモンドが嫡男にして、シャドガルド魔王国の現魔王である。リザ・ストロイヤー辺境伯令嬢、私は君に決闘を申し込みに来た」


 デズモンドの名を聞くや否や、人々は今までの大騒ぎを忘れて各々恐怖の悲鳴を上げた。


 かつて世界を恐怖の底に叩き落とそうとした邪悪の権化である魔王の跡継ぎが現れた。


 その恐怖は次々と人々の間に伝播していき、ダンスホール中の人々は恐慌状態に陥った。


 しかし、そんな中でも全く動じなかった者が一人だけいた。


「んー? ケットウするのはいいが、なんでおまえはワシとケットウしたいんじゃ?」


 それは当然リザであった。

 さっぱり分からないという様子で首を傾げながら、グレンデルの姿をまじまじと見詰めていた。


「決闘の理由? それは勿論、君との決闘に勝利し……」


 グレンデルが決闘の動機を説明しようした時、突然リザが、あ! と大きな声を出して、それを遮った。


「わかったぞ! あれじゃな! ちちのかたきー! みたいなやつじゃろ! それでワシをたおして、このくにをのっとりにきたんじゃな!」


 リザは得意げな表情を浮かべながらグレンデルに向けてビシッと勢いよく指差した。


「父の仇? いや、私は……」

「とにかくケットウじゃな! わかったぞ! せんてひっしょうじゃー!!」


 グレンデルの話を聞かないまま、リザは両手に持っていた国王と王妃をポイと雑に投げ捨てると、勢いよく床を蹴ってグレンデルのいる方向へ駆け出した。

 リザが駆け出した事による衝撃で砕け散った床の破片が、丁度後ろの位置にいた生徒達に向かって飛び散り、また新たな悲鳴が上がるが、そんな事は全然気にもしないでリザはグレンデル目掛けて拳を振り上げた。


「イモのようにつちにうまっておれー!!」


 リザの一撃で巨大な要塞をも砕く必殺のパンチがグレンデルの頭上に落ちようとしていた。


 だがーー。


「正々堂々とした特攻、やはり君らしいが……だからこそ、読みやすい」


 グレンデルは一切怯む様子もなく、指をパチンと鳴らした。

 すると、突然リザの足元の影が沼のように変化し、巨大なリザの両足はズブズブと沈み込んでいった。


「どわぁっ!」


 突然足を取られ、前のめりに倒れそうになったリザは驚きの声を上げ、反射的に両手を前に出して身体を支えようとした。


 だが、それは悪手だった。


 両手が地面に触れた途端、今度は掌と床の間に出来た影が沼と化してリザの両手を飲み込んでいった。


「んん!? な、なんじゃこれは!?」

「私の魔力で君の影を闇の世界へと繋げた」


 冷静な調子のまま、グレンデルはリザに説明をすると優雅さを感じさせるゆったりとした歩調で、四つん這いの状態のまま動かないリザの元へと近付いて行った。


「ぐぬぬー! ぬけん! なんでぬけないんじゃ!?」

「残念だが君の影は今、底なし沼と同じ性質になっている。君の力が幾ら強くとも、それに一度嵌れば抜け出す事は出来ない」


 その言葉通り、リザが必死になって影から抜け出そうと暴れれば暴れる程に両腕も両脚もどんどん沈んでいき、あっという間に四肢は完全に影の中に埋まり、顔と胴体を床にベッタリと着けた文字通り手も足も出ない状態になってしまった。


「うぐぐぐー、うごけん……おい! ずるいぞマオウ! せいせいどうどうとケットウせい!」

「決闘とは、己が掲げる誇りを持って挑む事、一対一である事、己が持てる力の全てをもって死力を尽くす事、この三つを原則としている。策を弄する事と魔法の使用は禁じられていない」

「ぬぬぬ……ふ、ふんっ、うごきをとめてもムダじゃ! ワシのからだはセカイでいちばんかたくてつよいんじゃ! どんなブキもまほうもきかんぞ!! なにもきかなければワシのかちじゃ!!」

「さて、それはどうかな?」


 リザの怒りの抗議も負け惜しみの憎まれ口も冷静に受け流しつつグレンデルは歩を進めていき、身動きの取れないリザの尻の近くで足を止めた。


「ほう、中々躾がいのありそうな尻だな」


 グレンデルは目の前に広がるリザの大きな形の良い色白の尻を眺めながらサディスティックな笑みを浮かべた。

 すると、徐に右腕をゆっくりと上げていった。


「ひっ、な、なにをするつもりじゃあ!?」


 何か嫌な予感を覚え、リザは冷や汗をかきながら自分の視界から見えないグレンデルへ向けて叫んだ。

 グレンデルは右手に視認出来る程に込めた膨大な魔力を集中させると、リザの剥き出しの臀部へと勢いよく振り下ろした。


 ヴァァアアンッッ!!


 まるで火山が噴火したかのような爆音が周囲に響き渡った。


「ぴぎゃぁぁあああっ!!」


 直後にリザが大音量の悲鳴を上げた。

 あまりの声の大きさに窓やシャンデリア、テーブル等が揺れて、まだホールに残っていた全員が耳を塞ぐか又は失神してしまった。


「いいい、いたいいいいい!!」


 リザは尻から走ってきた予想外の強い痛みに涙を溢した。

 グレンデルが叩いた箇所には、しっかりと赤く腫れた手形が残っていた。


「な、なんでいたいんじゃ!? ワシのからだはいちばんかたくてつよいんじゃぞ!?」

「簡単な事だ。私の持てる魔力のほぼ全てを腕一本に集中させ、その頑丈な肉体でさえも意味をなさない程に腕力と衝撃を強化すれば良い。それだけだ」


 そう言って、更に追撃の張り手を振り下ろした。


「ひぎぃぃいいいいっ!! い、いたぁぁぁあああっ!!」


 尻を叩かれたリザは恥も外聞もなく子供のように泣き叫んだ。

 しかし、それは当然の事である。

 リザは産まれたばかりの頃から人間離れした成長速度と身体能力を持っており、物心がついた頃にはすでに身体は鎧無しでも武器を通さない程の頑強さを誇っていた。


 つまり、リザは今まで痛みというものを殆ど経験する事なく、生きてきたのだ。


 敵国の剣や槍に攻撃魔法も、大地を抉るフェンリルの巨大な牙も、果ては“魔王”デズモンドが所持していた山さえ切り裂くと言われた魔王の大鎌の刃でさえ、リザに傷一つ付ける事が出来なかった。


 それだけではなく、実は王家の品位を落とすという理由や純粋な利害関係でリザを王太子妃にする事に反対していた一部の貴族達が密かに裏社会経由で凄腕の暗殺者や傭兵を雇い、秘密裏にリザを始末しようと目論んだ事もあった。

 

 だが。


 城一つ吹き飛ばす爆弾を眠っている隙に仕掛けて起爆させてもーー。

 闇魔導士の軍勢による島一つ消滅させる滅びの大魔法が直撃してもーー。

 火山の頂上に誘い込んで溶岩の煮え滾る火口に落としてもーー。

 一滴でドラゴンさえも絶命させる猛毒を混ぜ込んだ料理を大量に食べさせてもーー。

 

 リザは平気だった。


 ちなみにその貴族達は何をやっても殺せないリザを始末する事を完全に諦めており、中には玉砕覚悟で自領の騎士団を率いてリザに戦いを挑んだ者もいたが、一瞬で返り討ちにされている。


 そんなリザにとってグレンデルによる尻への平手打ちは人生初の痛み。


 その体験は精神面のまだ幼いリザの心を折るには十分な効果があり……。


「さて、三発目をそろそろ……」

「ひ、ひぃぃぃいいいい!! も、もういやじゃぁあっ!! ワシのまけでいい!!」


 リザはあっさりと負けを認めてしまった。


 あまりにもあっさりし過ぎて、リザとグレンデル、そして未だに自分の事でいっぱいで我を失っている王族親子三人を除いた全員があんぐりと口を開けた。


 まさかリザが負けるとも、王国最強の生物であり守護神の化身でもあるリザがすぐ降参するとも思っていなかったから当然の反応である。


「この決闘は私の勝ち……私は君よりも強い、それを認めるか?」

「うううー……うん」


 リザは涙目になりながら、一度頷いた。


 リザの敗北宣言を聞いた瞬間、グレンデルの人間離れした美貌に満面の笑みが浮かんだ。


「ま、負けないで下さい! ストロイヤー令嬢! 貴方が負けたら、この国は一体どうなってしまうとお思いですか!?」


 耳の奥と頭がグラグラするのに耐えながら、この場に残っていた教師の一人が我に帰ると同時にリザに向かって叫んだ。


「もうむりじゃもん! おしりいたいもん! ワシいたいのいやじゃ!!」

「ストロイヤー令嬢! 貴女が負けたらこの国が終わるんですよ!? 簡単に諦めないで下さい!!」


 教師の必死の叫びを皮切りに、他の教師や生徒達が一斉にリザへの応援や非難等を浴びせ掛けた。

 応援する者達は、負けないで、この国を守ってください、と心から懇願し、非難する者達は、無責任だ、それでも王国最強なのか、と野次を飛ばした。


「静まれ」


 そんな混沌極まる騒ぎを、グレンデルは魔力を込めた言葉一つで抑え込んだ。

 魔力だけでなく、グレンデルの威圧的な存在感も相まり、口々に叫び続けていた全員が一斉に口を噤んだ。


「先ずは、この事を伝えておかなければならなかったな……私はこの国を、ライランド王国を支配するといった害を成すつもりは毛頭ない」


 予想外の言葉にアルフォンス以外の全員が、え、と素っ頓狂な声を上げた。

 グレンデルはコホンと一つ咳払いをして、仕切り直すと言葉を続けた。


「私の願いは王国の征服ではない。むしろ、これから言う私の願いの為、そして、過去に父が犯した過ちに対する償いの意も込めて、王国とは友好的な関係を築き上げていきたいと思っている。詳細な点に関しては後日、こちらから使者を送り、王国と魔王国間での同盟や交易等の打診を検討している」


 一瞬、ホール中が沈黙で満ちた。

 想定外の事態に陥ると、人はすぐには何も出来なくなって静まり返るものである。

 では、何故魔王はリザに決闘を挑んだのか?

 魔王の願いとは一体何なのか?

 今度は魔王の目的という謎が人々から言葉を奪った。


「ひっぐ、うう……ち、ちちおやのかたきじゃなかったのか?」

「先程、言いそびれたが違う。生憎だが私は父とは良好な関係ではなくてな。仇を討とうなど微塵も思わなかった」


 リザの尻から離れ、顔の方へと歩き出したグレンデルがリザの問いに静かに答えた。

 やがて、涙で瞳を濡らし、グズグズと鼻水を啜っているリザと向かい合ったグレンデルはリザの桃色の髪にそっと手で触れると、その目的を口にした。


「私の望みはただ一つ……リザ、いや、リザ・ストロイヤー辺境伯令嬢、どうか私の婚約者になって欲しい」


「んえ? こ、こんやくしゃあ?」


 何を言っているのか分からない様子でリザが首を傾げた後、周囲の人々は一斉に、ええええええええ、と驚愕の悲鳴を上げた。


「これに関しても説明が必要なようだな」


 グレンデルは手にしたリザの髪を優しく撫でながら語り出した。


「かつて私は、父であるデズモンドの独裁によって我が国民、いや、世界中の罪なき人々が苦しめられている事を知りながらも圧倒的な力の差に反抗する事が出来ず、黙って父の命じるままに従う情けない男だった。息子でありながら父親の悪逆非道を止められない己の不甲斐なさに自死をしようかとすら考えた……そんな時、父が推し進めた王国侵攻への進軍中にリザ、君と出会った! 勇猛果敢に単身で当時の我が軍に突撃し、武器も盾も鎧すらも使わず全てを蹴散らす君はまさに戦女神だった!」


 自分とリザの出会いを滔々と語り始めたグレンデルの瞳は爛々と輝いていた。

 その様子はどこか盲目的というか、狂信的ともいえる興奮の仕方で、周囲はその熱量に少し引きながらも内容は気になっていたので耳だけはしっかり傾けていた。


「そして、君は忌まわしい父を滅ぼし、それによって私たちは父の支配から解放された! その瞬間に見た君の勇姿は今も目に焼き付いている! その時、私は感動のあまり君に求婚をした!」

「きゅ、きゅーこん? ワシされたっけ?」


 リザは記憶に残っていないようで、ポカンとしていたがグレンデルは構わずリザとの出会いを熱烈に語り続けた。


「だが……君はその時、私に“ワシよりつよくないやつのいうことはきかん!”と返して去ってしまった。その通りだと、私は思った……父親の言いなりになって他国への侵攻の手伝いをするような力も心も弱い男だった私に、君のような気高い女性に求婚する資格などなかったのだ」

「……ワシ、そんなこといったっけ? ううん……いったかもしれんな」

「だから、私は生き残った兵士たちと共に自国へと帰還した後、今までの弱かった自分に決別をする為に己を鍛え、心身共に磨き続けた。全ては君よりも強く、君の婚約者に相応しい男になる為に!!」


 リザの言葉を人生の目的として先代を超える魔王へと成長したグレンデルに対し、そもそも言った事自体うろ覚えなリザとの温度差は凄まじく、人々はそんな魔王に対して哀れみの視線を向けた。


 しかし、当の魔王は長年の夢が叶った事で頭も胸の内もいっぱいで、そんな視線を向けられている事に全く気付いていなかった。


「風の噂で王太子のアルフォンスがリザとの婚約破棄を考えているらしいと聞き、今こそ君よりも強くなった事を証明して私の想いを伝える好機の時だと思い、私は君に決闘を申し込んだのだ」


 リザ、とグレンデルは名前を呼ぶと優しい手付きで動けずにいるリザの頬をゆっくりと撫でた。


「あの運命の日からずっと、私は君の事を愛している。どうか私の妻になって欲しい」


 そう言って、グレンデルはにっこりと笑った。

 その笑顔にリザはゾゾっと本能的な恐怖を覚え、彼女の肌は総毛立った。

 一見優しげに見える美しい笑顔の裏に、有無を言わさぬ圧が潜んでいる事をリザは感じ取っていたからだ。


「……い、いやじゃといったら?」

「その冗談は笑えないな」


 試しに拒否しようとした途端、間髪入れずに聞かなかった事にされてしまった。


「リザ、私は君との約束通り、君よりも強い男になって決闘に勝利した。その約束を反故にするような無粋な真似を誇り高い君はしないだろう?」

「うぅん、でも、おまえなんかこわいし……おしりたたいてくるし……」

「ほう……では、決闘はまだ決着がついていなかったという事か? ならば、どちらかが降参するまで続きをしなくてはな」


 そう言ったグレンデルの右手に再び膨大な魔力が凝縮されていくのを見て、リザは、ひぃっ、と悲鳴を上げた。


「わ、わかったぁ! ワシ、おまえのこんやくしゃになる! いうこときく! じゃから、もうおしりたたかないでぇ!!」


 また尻を叩かれると思ったリザはいよいよ観念し、グレンデルからの求婚を泣きながら受け入れた。


「ありがとうリザ! 今日は間違いなく人生最高の日だ!」

「う、うえぇぇぇん……ふぇぇぇ……」


 城に登場した時の威圧的な様子は何処へ行ったのかというくらいにグレンデルは朗らかに笑いながら喜び、対するリザは人生初の敗北感と悔しさで涙と鼻水を流しながらグズグズと子供のように泣いていた。


「泣き顔も美しいが、私としては愛した女性にはいつも笑っていて欲しい」


 そう言うと、グレンデルは自分のマントを外してリザの琥珀色の瞳から次々と零れ落ちる涙を丁寧に拭いつつ、その頬にキスをした。


「う、ううぅぅ……」

「笑った顔も怒った顔も、そしてこの泣き顔も全て美しいな」


 そう言って、グレンデルはうっとりと愛おしげにリザの事を見詰めていた。

 それに反して、リザの方は恨めしそうな視線でジトっと見返していたが、どうやら気付いていないようだった。


「それでは、約束通り彼女は貰っていく。これから王国との関係が良きものに出来るよう尽力しよう。さらばだ」


 そう言うと、グレンデルは自分とリザの真下に複雑な魔法陣を召喚したかと思うと、二人揃って一瞬で消え去ってしまった。

 残された人々はしばらくの沈黙の後、今夜起こった一連の出来事に関して各々話し合い始めた。


「ストロイヤー辺境伯令嬢は大丈夫だろうか?」

「まさか彼女が負けるなんて、今も信じられないよ」

「転移魔法なんて高度な魔法を一瞬で構成するとは、やはり魔王の名は伊達ではなかったか」

「この国はこれから一体どうなるんだ?」

「魔王はストロイヤー辺境伯令嬢と婚約さえ出来れば、この国と友好関係を結ぶと約束してたけど……」

「いや、それもあるけども、国王様と王妃様を見てみろよ」

「さっきからずっと虚ろな目で笑ってるな……食い殺されそうになったんだから仕方ないとはいえ、確かにありゃもうダメだ」


 リザにポイ捨てされた国王と王妃は二人揃って股を生温かいもので濡らしたまま、焦点の定まらない目と大きく開いたままの口で、エヘエヘと不気味な笑みを浮かべながら床にへたり込んでいた。

 そんな二人を会場中の全員が何とも言えない表情で見詰めていた。


 こうして、アルフォンスによる婚約破棄宣言から始まった大事件は幕を下ろした。


 それから、リザとアルフォンスの婚約は正式な手続きを経て無事に破棄され、代わりにグレンデルとリザの婚約がライランド王国とシャドガルド魔王国の間で公認のものとなり、瞬く間に世界中に知れ渡る事になった。

 リザを連れて自国へと帰ったグレンデルは宣言した通りに王国と友好な関係を築き上げ、両国は平和になった。


 悩みの種だったリザは他国に嫁ぎ、毒親の両親は揃って正気を失って隠居。

 ストレスの原因が無くなった事で精神状態が順調に回復したアルフォンスは、シルヴィアをはじめ迷惑を掛けた当時の関係者一同に謝罪をした後、自分のような男は次期国王に相応しくないと王太子の座を弟に譲り渡した。


 全ての重責から解放されたアルフォンスの表情はとても清々しく晴れやかだったらしい。


 そして、弟のオズワルドは王太子の位を譲られてから僅か半年後、未だ廃人同然なままの両親に代わって国王の座に就く事になった。

 若き国王となったオズワルドは、自分が国王になると同時に王妃となった最愛の妻、カテリーナと共に二人仲睦まじく王国を治め、国民達から“偉大なる名君と尊き国母”として末永く讃えられたという。


 ー婚約破棄騒動の夜から五年後ー


「グレンデル! さっきリリスが立ったぞ! きっとこの娘もワシと同じ大きくて強い子に育つぞ!」


 魔人族の国、シャドガルド魔王国の首都の中心に堂々と聳え立つ夜闇のように黒い城壁を持つ魔王城。

 それとは別に首都から外れた広大な魔物たちの住まう森の中に、もう一つよく似ているが、大きさが首都の城とは比べ物にならない程に巨大な城が建っていた。

 それは、魔王グレンデルが巨体の持ち主であるリザが不便な思いをしないようにと特別に建築させていた第二の魔王城。

 そこの執務室で書類に目を通していたグレンデルの元に、赤ん坊を抱いたリザが乱暴に扉を開けて、無邪気な笑みを浮かべながら部屋に入ってきた。


「そうか。では、今宵はリリスが立ち上がったこの日を祝う宴を開くとしよう」


 グレンデルが心から愛おしそうにリザとリリスを見詰めながら言うと、リザの顔は更にぱあっと明るくなった。


「やったー! 宴じゃー! 喜べリリスー!!」


 リザは五日前に生まれたばかりの時点で、すでに自分の両腕いっぱいに収まる程に育った巨大な娘を抱き抱えながら、楽しそうにくるくると踊るように回っていた。

 父親と同じ二本の黒いツノと黒い髪に母親とよく似た琥珀色の瞳を持ったリリスはキャッキャッと愉快そうに笑った。


 この五年の間に、リザはグレンデルとの間にリリスを含めて七人もの子供を産んでおり、今は生まれて間もない末っ子であるリリスの世話で忙しくも楽しく過ごしていた。

 グレンデルによる愛に溢れながらもサディスティックなスパルタ式教育法のおかげで、リザは口調や性格はあまり変わらなかったもののマナーや教養を習得した。

 事実、以前のように裸で過ごすような非常識な事は魔王国に嫁いでから無くなり、今は魔人族の間では最高級の素材とされているアラクネの糸で織られた特製の黒い上品なゴシックドレスを着ている。


「そういえば、先程ライランド王国のアルフォンスから王城への招待状が来ていたな」

「アルフォンスから招待状? 去年の結婚式以来じゃな。一体何の招待状じゃ?」


 リザは去年、王国で開かれたアルフォンスの結婚式に招待された時の事を思い返した。

 四年間の療養ですっかり回復したアルフォンスは現在、弟のオズワルドの補佐をする為に自ら志願して宰相の元で王宮での公務を学びながら精力的に活動をしており、そんな多忙の中で待望の結婚式を挙げた。


 相手はシルヴィア……ではなく、彼女の孫娘のミランダ・スワン伯爵令嬢。


 スワン伯爵家に嫁いだシルヴィアの長女の一人娘で、実は彼女は王立学園で一目見た時からアルフォンスに惹かれていたのだが、その直後にリザとの婚約が決まった為、諦めていたらしい。


 それから、リザがグレンデルと新たに婚約を結んで王国を去った後、祖母の手伝いという名目でしばらく情緒不安定だったアルフォンスのカウンセリングをミランダは積極的に手伝うようになった。


 当時まだ精神の状態が悪かったアルフォンスから、時に心ない言葉を浴びせられたり、乱暴に八つ当たりされる事もしばしばあったものの、ミランダは愛情と真心をもってアルフォンスに接し、彼の傷付いた心を癒やし続けた。

 そんな優しく寄り添い続けてくれるミランダにアルフォンスは申し訳ないという思いを抱きつつ、彼女の一途な愛に対して淡い恋心を抱いた。


 そうして、このままではいけないと立ち直ったアルフォンスは今までの卑屈だった自分と決別し、現在のようにしっかりと王族としての自覚や誇りを持ち、己の務めを果たすようになって身の回りが落ち着き始めた頃、ミランダにプロポーズをした。


 こうして、二人は無事に結ばれて去年結婚式を挙げたのだった。

 あの時のアルフォンスとミランダの幸せそうな笑顔と祝福する人々、そして美味しかった料理の味を思い出してリザは楽しい気持ちになった。


「あの時のステーキは美味かったのう。デザートのウェディングケーキも美味かった」


 リザの口の端からヨダレが垂れそうになっているのを見て、グレンデルは魔力を使って自分の身体を浮かせ、リザの視線に合う高さまで上昇すると、封筒の中から取り出した招待状の内容に目を通しながら、リザ専用のハンカチを魔力で手繰り寄せて口許にそっと押し当てた。


「成程、アルフォンスとミランダの間に待望の長男が産まれた事を祝う催しを行うらしい」

「おお! アルフォンスのところにも子供が生まれたのか! では、祝いに行かねばならんな! 出産祝いのプレゼントを持って行こう!」


 宴や祝い事が好きなリザは心から楽しみだと言わんばかりの明るい表情を浮かべた。

 純粋無垢なリザの笑顔にグレンデルも釣られて微笑んだ。


「やはり、リザの笑顔は美しいな」

「むっ! い、いきなりそんな事を言われると照れるのじゃあ……」


 急なグレンデルの惚気にリザは顔を赤らめながら、腕の中のリリスをギュッと抱き締めた。

 そんなリザの姿を愛おしげに眺めながら、グレンデルは胸の内に広がる何物にも変え難い幸福感を噛み締めた。


 嫁入りしたばかりの頃は何かと反発も多かったリザもグレンデルの本気の想いに幾度も触れる内に心を許すようになり、今ではすっかり両思いになっていた。


「リザ、私の最愛の妻、大切なリザ」

「ひゃっ! こ、子供の前で恥ずかしい事を言うなっ!」

「愛している」


 顔を林檎のように真っ赤にするリザの大きな唇に、グレンデルはそっと優しく自分の唇を触れさせた。


 こうして、グレンデルはリザと、オズワルドはカテリーナと、そして、アルフォンスはミランダと結ばれ、各々幸せに暮らした。

 最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

 王子だの貴族の跡取りだの色々と責任ある立場のある彼等はどうしてこうも非常識な振る舞いが出来るのか? 頭おかしくなってんじゃないか? という発想から生まれた作品でした(笑)

 この作品を読んで少しでも楽しんで戴けたのならば、とても嬉しい限りです。

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[気になる点] 文中の言葉に引っ掛かったので辞典で調べたところ 中年……青年と老年との中間の年ごろ。現代では、ふつう四〇歳代から五〇歳代にかけてをいう。 老年……人の一生で、年をとって心身の衰えが…
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