王妃の子
「二人の殿下、第一王子のマルコ殿下と第二王子ファビオ殿下の御母君たちの争いはご存知ですよね?」
「それについては……私もことあるごとに諫めている」
諫めてはいるが効果はない、とエドアルドは思う。
エドアルドの子ども五人の母親は全員違う。側妃として推薦されて召し上げて子ができた頃に、また別の女性が側妃として推薦されて召し上げて子ができて、そんな感じでエドアルドの側妃五人はそれぞれ子を産ませた。自分の行いを振り返るとエドアルド自身も流されるままに妃を娶ってきたと思わないでもないが、エドアルドは後悔はしていない。アウレンティ国内での基盤がないエドアルドにとって必要な政略だった。ただそれだけのこと。
エドアルドは側妃五人のうち誰かを特に気に留めたことはないが、子を産むまでは定期的に通って懐妊したら足が遠のいていた形だったせいか『元寵妃』と『現寵妃』という認識が側妃たちの間で生まれてマウント合戦がはじまった。よい傾向ではないが表立って問題は起きていなかったのでエドアルドは気づかない振りをしていた。
(いや、素直に認めれば……あの女は見事に抑えていた)
後宮内がどれだけ荒れても、クラウディアはその諍いを後宮の扉の向こうには決して漏らさなかった。あくまでも女たちの矜持の問題で片づけ、その対立を政治にまで影響させなかった。後宮の問題が政治に介入するようになったのはクラウディアが床に臥せることが増えてから。特に第一王子の母・マリエッタと第二王子の母・ソフィアの戦いは家門を巻き込んで激化している。誰もが次の王妃になるのはこの二人のどちらかだと思っているからだ。
「陛下は、殿下たちが母君たちに『食事』を禁じられていることをご存知でしたか?」
「……何だと?」
信じられないことを聞いた。そう書いたエドアルドの顔に侍女は呆れたような目を向ける。
「毒殺を恐れたためです。幼い頃からずっと、殿下たちは毒を盛れない乳母たちの乳以外は回復魔法で生きてきたのですよ」
「そんな馬鹿な……いや、確かに回復魔法があれば死にはしないが、食事をせねば健やかな成長などできんだろう」
回復はあくまでも回復。骨や筋肉の成長には物理的な栄養が必要であるし、『食事をする』ということは社会活動の一環であり、食事をしたことがないなど――。
(俺には想像ができない……)
「マルコ殿下があまりに小柄で痩せ細っていたのを不思議に思ったクラウディア様は、殿下の乳母を締め上げてそれを知りました。そしてお妃様たちに週に一回必ず殿下を自分のもとに連れてくるようにと命じました。陛下の寵愛がなかろうと王妃ですからね、命令にはお妃様たちも逆らうことはできませんでした」
侍女は眠るクラウディアの側にいき、花かごの向こうから腕輪を持ってきた。
「使われたことのない消化器官は機能が不十分なこともありますが、それ以前に殿下たちは食事をしない。怖かったからです。だからクラウディア様はこの魔導具を使って、ご自身が摂取した栄養を殿下たちに与えておりました。この腕輪、クラウディア様が改造なさりましたが元は虐待を受けてエサを食べられなくなった動物のために開発されたものだそうです。殿下たちが受けていた虐待はそれだけ非人道的なことだったのです」
唖然とするエドアルドに侍女はため息を吐いた。
「殿下たちのため、クラウディア様はいつも苦しそうに食事をなさっていました。でも仕方がないのだとクラウディア様はいつも……子が増えればもっと、子が成長すればもっと、必要となる栄養の種類も量も増えていく……毎日大量に牛乳を飲むことに耐えられますか? 体調が悪く気分が優れない日だってクラウディア様は殿下たちのために無理矢理食べては吐いて……流石に限界を感じておられたのでしょう。だからクラウディア様はこれを作ったのです」
侍女はエドアルドを放って廊下に出ると、隣の部屋に入る。何も言われなかったけれど『ついてこい』だと思ったエドアルドはそれを追い、また驚くことになる。
「図書室に……厨房、だと?」
「ご安心くださいませ。クラウディア様は送風機をお作りになり、厨房の空気は図書室側には来ないようになっておりますから」
純粋な驚きは高価な書物の傷みを気にして発した言葉のように誤解されたが、そう受け取られても仕方がない言動を繰り返した自分を思い出してエドアルドは否定を口にはしなかった。
「この厨房でクラウディア様と殿下たちは、みんなでご飯を作っていらっしゃいました」
「作る? 王子たちが料理だと?」
「鳥の雛と同じです。母親が与えてくれるエサを待っている時期が過ぎれば自分でエサを取りにいかなければならない。尊い血であろうと、生きるためには食べなければいけないことに変わりはありません」
必要だといっても生まれたときから王女だったクラウディアと料理の心得などない。
「最初の頃はいつも包丁で手を切って、目的が野菜を切ることであることなど忘れてしまいそうなくらい手を切り傷だらけにしておりました。辛うじてレベルですが私は治癒魔法が使えたので……今度こそと意気込むクラウディア様の手を何度治したか」
侍女の表情が柔らかいものになる。
(この侍女は“そのとき”もこんな顔をしてあの女を見ていたのだろうな……今度こそと意気込む、か)
エドアルドが初めて会ったときのクラウディアは幼く、エドアルドは彼女の静かな表情しかみたことがないがあの頃のクラウディアが頑張ろうとしている表情を思い浮かべて僅かに口元を緩めた。エドアルドは自然と足を厨房に向けて、立ち止まる。
「中に、入っても?」
「……どうぞ」
ここはエドアルドの知らない場所。知ろうともしなかった場所。山奥に隠されていたわけではない。あの日クラウディアに「もう来なくていい」と言われるまで月に三回訪れていたクラウディアの寝室の隣の部屋。すぐ傍にあったもの。
「鍋がたくさんあるな」
「ここで作られたのはスープが多かったからですわ。クラウディア様たちの技量の問題もありますが、一つの鍋で作られたものならば『安全』と分かりやすいですからね」
エドアルドの中にあったほのぼのとした気分が霧散する。なぜここにこんな部屋があるのか忘れるな、と侍女に釘を刺された気がした。
目を逸らしたエドアルドは、水切り籠に小さな鍋が入ったままになっていることに気づく。
「この鍋は、あの女が?」
「いいえ。ファビオ殿下がクラウディア様のためにリゾットをお作りになったときに使った鍋です」
「ファビオが……あの女のために……」
意外な答えにエドアルドは驚き、そのまま言葉が口に出た。
「陛下、一言だけよろしいでしょうか」
初めて聞いた、呆れではなく不快感が籠った侍女の声。叱責される予感がして、思わずエドアルドは姿勢を正す。自分の母親とは似ても似つかない容貌だが、侍女の姿に亡き母の怒る姿が重なった。
「『この女』『あの女』と……普段の陛下がクラウディア様をどう呼ぼうと勝手ですが、クラウディア様が眠る傍で、仮にも夫であった方が蔑むようにそう呼ぶのはいかがなものでしょう。私は不快極まりありません」
エドアルドは反射的に口を自分の手で覆う。
「陛下、クラウディア様が陛下に何かをしましたか?」
◇
(……彼女が俺に何をした、か……そう言えば、考えたことがなかったな)
三十年ほど『夫婦』であったが、エドアルドの中に『連れ添った』という記憶はない。それはクラウディアも同じだろうという思いが浮かぶ。
「陛下、殿下たちがもうすぐ着くと連絡がありました」
「……分かった」
王子質を出迎えるため、エドアルドは立ち上がる。
「クラウディア派を抑えるいいアピールになりますね」
マッテオは満足気だったが、エドアルドはその言葉に頷けなかった。
王城の正面につけられた大きな馬車が開くと、学院の制服に身を包んだ五人の少年と少女が出てきた。最後にマリサがファビオの手を借りて降りると、それを確認したマルコが出迎えた侍従や侍女たちに向き直る。
「戻った。急なことで皆さぞ忙しいだろう。仕事に戻ってくれ」
マルコの声は侍従や侍女を労わるもののように聞こえたが、その表情はそんなことを言っていなかった。マルコと他の子どもたち全員の顔は『この国の王妃が亡くなったのに随分と暇そうだな』と嘲るようだった。
「お帰りなさいませ」
一人の女性の声が重い空気を切り裂く。
「サラ」
五人は他の使用人は一切無視して『サラ』と呼んだ侍女に向かう。褐色の肌をしたその侍女が誰か直ぐに分かったが、声で分からなかったのは誰もがその声を聞くのが初めてだったから。
どうして王妃の専属侍女がここに?
なぜ殿下たちはこの侍女にそんな表情を向ける?
そんな疑問が渦巻くなか三人の王女は侍女に駆け寄り、末っ子のマリサ王女は侍女に抱きつき、他の二人は侍女の肩にそれぞれの顔を押しつけた。
「お帰りなさいませ、お待ちしておりました」
三人を受け止めたサラは穏やかに微笑む。
「フィオレラ殿下、またお美しくなられましたね」
「サラは、こんな声をしていたのね」
「イゾルデ殿下、本日の髪型もとても素敵ですわ」
「ふふふ、ありがとう」
「マリサ殿下、大きくなられましたね」
「私もお姉さまたちみたいに褒めてもらいたいのに」
むくれるマリサにサラは目を合わせて、諭すように優しく語り掛ける。
「大きくなることは大切なことです。きちんと栄養バランスのよい食事を心がけていらっしゃいますか? クラウディア様がいつも仰っておられたでしょう? 美しさは……「内面から表れる、でしょう?」……その通りでございます」
胸を張るマリサの頭にマルコの手が乗る。
「心配無用だよ、サラ。マリサときたら学院の食堂に入り浸ってはランチメニューにあれこれ注文をつけているんだから」
肩を竦めるマルコにファビオが笑いかける。
「まあまあ、兄上。マリサのおかげであの味気ないメニューが改善されたのですよ。私はマリサの食堂改革に深く感謝しています」
「私だって感謝しているさ。ただサラにマリサが相変わらず食いしん坊だと報告しただけだ」
「マルコお兄様!」
じゃれ合う五人に使用人たちは目を丸くして驚く。彼らの母親たちは仲が悪い、いや、互いに命を奪い合おうと昼も夜も暗殺することを考えているほどの関係。それなのに五人はとても仲が良いように見える。
驚く者たちの中には、子どもたちの父親であるエドアルドもいた。
(ああ、俺は本当に何も知らないのだな)
「サラ、お母様にお逢いしたいわ」
エドアルドの子どもたちはクラウディアを『母』と呼んでいた。
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