妻に会いにいきました。
アウレンティ城には政務を行う外宮と、国王と妃と王の子どもたちが生活する内宮がある。
エドアルドがクラウディアと結婚した直後にクラウディオ王が突然死に、二十四歳のエドアルドは二十歳のクラウディアは国王と王妃になった。
国王になったエドアルドは外宮は自分が、内宮をクラウディアが管理することを宣言した。
アウレンティ王家の血を引くのはクラウディアだったが、アウレンティ王国は女性の社会進出が遅れて「女は家を守るべき」という考えが根付いていたため、エドアルドの不公平さのあるこの方針は周囲からすんなり受け入れられた。
「内宮がこんなに静かなのは珍しいな」
内宮の一番手前にある部屋は国王であるエドアルドの部屋。
その部屋を通り過ぎて奥の扉を開ければ、妃たちの部屋が無数に並ぶ廊下になる。
住人のいる部屋の扉にかかった黒い旗にエドアルドは哂う。
「形だけでも弔意を示しているのか」
廊下を進み、一番奥にある部屋がエドアルドの正妃であるクラウディアの部屋だった。
彼女は先王の時代からここに住み、先の時代は継母の間柄となる先王の側妃や愛妾たちを管理し、いまは夫の愛人である側妃たちを管理をしていた。
「相変わらず薄暗いな」
一番奥にある部屋に続く廊下は長い。
住人のいる部屋よりも空き室のほうがはるかに多く、生気のない廊下は冷たく陰気だった。
「王国の輝く太陽、国王陛下」
クラウディアの部屋の前には一人の侍女が立っていた。
クラウディア付きの侍女はアウレンティ王国では珍しい褐色の肌をした彼女だけで、エドアルドにとっては見知った顔だが、
「驚きましたか?私もまだ自分の声に慣れておりません」
「お前は口が利けないのではなかったか?」
「先代国王クラウディオ陛下が呪術に傾倒していたことはご存知ですよね」
「永遠の命を得るため。俺の祖国に攻め入ったのも、多くの命を奪えば長生きするなどという迷惑なたわ言を信じたからだろう?」
時間が経っても消えない恨みを込めてエドアルドが吐き捨てると、侍女は苦笑して自分の喉に手を当てる。
「私の祖国に攻め入ったとき、あの男は喉の病気を患っていました。そこで彼が考えたのは誰かの声を奪って自分のものにすること。白羽の矢が立ったのは歌が得意な王女だと評判の私。あの男は私の声を呪術で封じました、あの男の血が絶えるまで消えない呪いです」
初めて聞く侍女の生い立ち。
肌の色から自分と同じ異国の民だと察していたが、非道な生い立ちに花かごをもつ手に力がこもる。
「残虐な奴らだ」
「奴ら、ですか」
侍女の声に混じる嘲笑にエドアルドは気づかなかった。
「この先は自由にするといい。このまま城に勤めてもいいし、城を出るというならこの先の生活に困らないように手配する」
エドアルドの言葉に侍女は壮絶なほどの美しい微笑みを向けた。
ピリッと肌を刺激する殺意混じりの怒気と敵意にエドアルドの眉間にしわが寄る。
「クラウディア様が全て生前に手配してくださいましたので、いまさらのお気遣いは結構です」
『放っておいてくれ』と丁寧に言われた拒絶にエドアルドは言葉が続かず、黙り込んだエドアルドを侍女は不敬にも鼻で笑うと一歩横にどいてエドアルドのために扉を開けた。
(こんな部屋だったか?)
廊下の冷たさが嘘のように温かい空間。
カーテンも淡い桃色で、そこかしこに鉢植えが並び中の植物は全て活き活きとしている。
クラウディアの四十歳の誕生日に、子ができる可能性はもうないから来なくていいと言われて以来一度も着ていない部屋はずいぶんと雰囲気が変わっていた。
花の芳香に消毒薬のつんとした臭いが混じる。
長い闘病生活ではあったが、家臣の反感を買わぬために義務的な花かごを贈らせただけで、エドアルド自身が見舞ったことは一度もなかった。
「花かごを飾らせていただきます」
そう言って侍女はエドアルドから受け取った花かごをベッドの一番近くに置く。
その台には所狭しと花かごが置かれていて、
「ははは」
「何かおかしいですか?」
首を傾げた侍女に色華やかな花かごのひとつを指さす。
「弔花には相応しくない色合いの花かごだな。この女が死ぬのを喜ぶ奴がこんなにもいるとは」
エドアルドの言葉に侍女は目を瞠り、その後また笑う。
「お言葉ですが、この花かごたちは殿下たちからの見舞いの花かごですよ」
「は?」
「月に一回杓子定規に花を贈ってきた誰かとは違い、殿下たちは毎週花かごをクラウディア様に贈っていました。亡くなる前にクラウディア様はこの花を枯れるまでこのままにと言いました。自分が死んだからといってまだ生きている花を捨てるのは忍びないからと」
「ちょっと待て、王子たちがこの女に花を?」
エドアルドとクラウディアの間に子はいない。
エドアルドが王であるためには夫婦の義務は定期的に果たしていたが子をなすことはなく、エドアルドの子は全員側妃が産んだ子だった。
「クラウディア様は殿下たちの教育係でしたから」
『そのくらいご存知ですよね?』と言外に問う侍女の目線にエドアルドはカチンとして「当然だ」と答える。
「自分の子のことだぞ」
「教育係になると申し出た経緯はご存知ですか?」
「アウレンティ王国に相応しい後継にするために無理矢理強行したと、側妃たちの反対を権力でねじ伏せたと聞いている」
「その報告はマッテオ侍従長からですね。それについて殿下たちと話したことは?」
「マッテオから聞けば十分だから王子たちに聞く必要はない」
マッテオはエドアルドの乳兄弟だ。
あの日、フォンターナ王国が攻め込まれたときは隣国に行っていたため難を逃れ、風の噂でエドアルドがアウレンティ王国に連行されたと聞いて王国まで来てくれた忠義者だった。
「侍従長は悪い方ではないのでしょうが……まあ、これも今さらですね」
「どういうことだ?」
侍女が黙り込み、その表情からその言葉の理由を説明しないことをエドアルドは察した。
「それで、教育係をやった縁だというのか?」
「殿下たち全員が学院に入学するまでです、短い縁ではないと思いますが?」
学院と聞いてエドアルドは全寮制の学校に行かせることを反対したのに、内宮は自分にまかせたのだからと主張してクラウディアが強行したことを思い出した。
「学院への入学だって好き勝手を。幼いうちから管理の厳しい寮で生活させるなど俺がどんなに反対したか」
「陛下、そうやってクラウディア様は殿下たちを守ったのですよ」
「なんだと?」
「クラウディア様がそうしなければ、殿下たちは全員死んでいたかもしれないということです」