第3話 王妃のいまの生活
『おはようございます』
「おはよう」
機械特有の固く聞こえるAIの声に挨拶を返す。
AIに挨拶を返すのは変だと言われたことがあるけれど、『挨拶はコミュニケーションの基本』と孤児院で徹底的に躾けられたからか挨拶に挨拶を返さないのは妙に気持ちが悪い。AI相手でもそれは同じだった。
『今日の天気は晴れです』
「そう、ありがとう」
『どういたしまして』
【オルビタリス】の普及に伴って生活に浸透したAI。生活や仕事のサポートをしてくれるAIはあっという間に生活必需品になった。
AIには自動学習機能があるので、使用者が望む通りに振る舞う。話し方も話題も、友だちのようだったり、恋人のようだったりと様々だ。
そうだった。
「AI。魔石の残魔力量が20%きったものを教えて」
昨日のVRゴーグルの魔力切れで、魔力残量の確認を朝のルーチンワークにしようと決めたのだった。
ちなみに私はAIを『AI』と呼んでいる。いつだったか知人に聞かれて「犬に『犬』と名付けるようなものだよ」と笑われたが、恋人が変わるたびにAIの名前を変えていた彼女のことを思うと安定感は大事だと思う。
『残魔力量が20%を切ったものは、冷凍機能付冷蔵庫と乾燥機能付き洗濯機です』
「冷蔵庫、最近魔力を補充したと思うのだけれど早くない? 故障?」
『前回の補充は43日前。室温を比較すると魔力の消費量増加は正常の範囲内。故障の可能性は低いでしょう』
AIの分析に安堵はしたが、「月日の流れが速く感じるのは年を取った証拠」と聞いたことがあるのでそっち方面は不安になった。
「AI、冷蔵庫の魔石ホルダーを出して」
『完了しました。冷凍機能付冷蔵庫に使用する魔石は氷の魔石です。新しい氷の魔石を購入するか、氷の魔法を充填してください』
ホルダーから出した魔石に氷の魔力で充填する。
「次、洗濯機」
『完了しました。乾燥機能付洗濯機の魔石は、上から火の魔石、風の魔石、水の魔石となっています。入れ間違えにご注意ください』
大丈夫、入れ間違えないように魔石にはそれぞれペンで何の魔石か書いてある。こういうアナログ管理は大事、高額の修理費を節約できる。
魔導具も高いが魔石も高い。
石なのだから頑丈と思いきや、属性の違う魔力を充填してしまうと魔石はあっさり割れる。割れた魔石は使えない。石なんだからもっと頑張れって思うのだけど……実際に何個か割って財布が地味どころかかなり痛んだからペンで何属性か書くことに決めた。
需要の高い、生活必需品となっている火と水と雷の魔石は政府の補助でかなり安く抑えられている。だから普通の冷蔵庫と洗濯機なら比較的安価な魔石でよかった。
「結婚するから不要になる」という職場の人から安く買った冷凍機能付冷蔵庫と乾燥機能付き洗濯機がね、さすがハイグレードの魔導具って感心したくなるくらいで……便利だけど、魔力の消費量は半端ないし、政府の補助のない風の魔石と氷の魔石はかなり高価。
一人暮らしの私にこれらのハイグレード魔道具は贅沢品だが、私はクラウディアの記憶だけではなく魔力も引き継いでいた。急速充填ができるくらい魔力量は多く、全属性の魔法が使える私の場合は中古品の魔石を買えばそれを使いまわせるので維持管理はかなり安く抑えられている。あとは壊さないだけ。
魔導具が発達したこの時代において魔力は魔石の充填くらいにしか使われない。
500年前だったら魔力を持つ者は重宝され、一人前の魔術師になれば一生分の生活費を10年で稼げると言われていたというのに。いまや魔力は家計の節約術でしかないとは。
かつては呪いだった力が今ではプチチート……おかしい話。
でも便利な者は便利。天性の才のおかげで毎月の支出のほとんどは家賃と食費、収入の30%を貯蓄できている。孤児院出身の者としてはまずまず良い例のほうに区分される自信がある。
◇
『8時になりました』
「ありがとう。AI、今日の天気と、新しい職場になるディア本社やその周辺の雰囲気に合わせた服の用意をお願い」
部屋に備え付けられた魔導クローゼットガサガサと音がする。
いまやクローゼットも魔導具の時代。洗濯機から出した乾燥した衣類を畳まずそのまま放り込んでも、科学技術と魔石による完全な温湿度管理で服はシワも臭いもなく完璧に管理される。虫食いなどあるわけもない。
うちは乾燥機付洗濯機だからまずないが、生乾き臭がする衣類を魔導クローゼットに放り込むと「洗濯し直してください」と衣類を排出するらしい。つい先日、クローゼットによるダメ出しが1000回を超えた知人は布用の消臭剤が欲しいと嘆いていた。
「AI、私の上司になる予定のアレクサンダーの情報を簡単に教えて」
『アレクサンダー・ブルック・ディア。ディア財閥の主力企業であるディア工房の社長、今年38歳。ディア財閥総帥のジョージ・フィールド・ディアの3番目の妻ローラの子で、ディア財閥の次期総帥と見込まれています』
「アレクサンダーには何人兄弟?」
『アレクサンダーは5人兄弟の第4子」
「全員ローラの子?」
『3人の姉はジョージの最初の妻カレンの子ども。アレクサンダーと弟のエドワード・ウェイド・ディアはローラの子です』
「恋多き男ね、ジョージ」
『ジョージは現在4番目の妻・ダイアナと離縁して独身です』
「ここまでくると2番目の妻の名前が気になるわ」
『ジョージの2番目の妻はサラフィーナです』
ディア財閥の次期総帥争いがあるとすれば、注意すべきは弟のエドワードか。
「アレクサンダーとエドワードの関係は良好なの?」
『エドワードとは2週間に1回、業務報告を兼ねてランチミーティングを実施。直近5年間の新聞記事によると“良好”と判断できる表現が約80%』
「アレクサンダーはタブロイド紙のお世話になるようなタイプ?」
『直近5年間の醜聞記事は見当たりません』
「ディア家でタブロイド紙の常連は?」
『ジョージです』
「直近2年に絞って」
『ジョージです』
……なるほど。
アレクサンダーが離婚を繰り返すタイプではないと知って安堵したのは、私が彼のもとで働くキッカケが彼の妻のジュリアさんだから。
ジュリアさんとは道で迷っているところを助けたのがキッカケで仲良くなった。1回なら“仲良くなる”まではいかなかっただろうが、3回も迷っているところを助ければそれなりに仲良くなる。世間話で転職しようと話していたら、ジュリアさんが「うちの夫の会社で働いたら?」と言ってくれた。
完全な縁故採用。
そうでなければ孤児の私が国でも有数の大企業の社長秘書になんてなれるわけがない。老後の資産をちゃんと貯めたいので、できれば長く勤めたい。だからジュリアさんとは離婚しないでほしい。
『よくお似合いです』
白いブラウスを着て、緑色のスカートを履いたらAIが褒めてくれた。私の今までの給料では手痛い出費になったけれど、私の縁故になったジュリアさんに恥をかかせるわけにはいけない。
腰まで伸びた黒髪は手早く一つに結ぶ。
飾り気のない野暮ったい髪型だけれど、この国の半数くらいと同じ黒髪は私のお気に入り。目立たないのが一番。邪魔じゃないのかなって思われるくらい伸びた長い髪は、私の翠色に金色が混じった珍しい目を隠してくれる。
クラウディアだったときと同じ目。
当時もその珍しさは注目を集めたけれど、『王女』や『王妃』という立場が守ってくれた。でもいまの私は『孤児』。自分の身は自分で守らないといけない。世の中には後ろ盾のない孤児には何をしてもいいと考える輩が一定数いるから。
アクセサリートレーの上にある指輪をはめると、瞳の色は無難な茶色になる。目の形や網膜は変更できないけれど、生活するうえで問題ない。この指輪は警察から支給されたもので犯罪の被害者が希望すると支給されるもの。
黒髪に茶色の瞳。
この国に最も多い色に変わると少しだけ安心できる。
「そういえば」
―― 既婚者を装うのが一番ね。
金糸雀が教えてくれた異性関係のトラブルを防ぐ方法を思い出す。彼女が言うには『既婚者』になると男性からの誘いが80%減るらしい。
それ、ちょうどいいんじゃない?
「平和が一番」
私は指輪を左手の薬指に付け替えた。
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