暗黒星雲の謎(1)
イグレドの操縦室もいつにない妙な緊張感が漂っていた。
居合わせているのは名目上のキャプテンであるラフロに操舵士のフロド、その他情報処理のノルデというイグレドクルー。あとはゲストの彼女、地質学教授デラ・プリヴェーラと今回のメインゲストの惑星考古学教授のメギソン・ポイハッサである。
「ねえ、ここのデータはないの?」
「ないんなー」
デラの質問に応えたのはノルデ。通称ゴート遺跡、ゼムナの遺志と呼ばれる人工知性である美少女は膨大なデータベースを保有している。危険であるがゆえに、事前情報をほしかったのだが彼女も持っていないらしい。
「こんなのそこら中にあるのな。全部調べてたらキリがないなー」
「そういうのまで網羅してる酔狂くらいいるのかと思って」
「空っぽの揺り籠を眺めるのは酔狂が過ぎるんな。せめて赤ん坊が産まれてからにするのなー」
人間からすれば無限の時を生きるゼムナの遺志。有り余る時間を観測に費やす個体もいると聞いていたので質問してみたのだが、さすがに無理なようだ。
「空っぽの揺り籠とは言い得て妙だねぇ」
「星の生まれるスパンは比較にならないんな。ノルデもここ八千五百年の記憶しかないのなー」
「それだってさ、星間文明の始祖人類がやっと道具を作ることを憶えたかどうかって昔の話なんだけど」
少女が例えたそれはデラの眼前に広がっている。宇宙を飛びまわる暮らしをしてても馴染みの少ない光景。周囲を星に包まれていない状態だった。
「教授、そちらではなにか観測できますか?」
女性の声に尋ねられる。
「だからメギソンでいいって、ネリーちゃん」
「そう申されましても。知識のない自分には分析すべき方法もわからず、教授にお頼みするしか」
「年下の男にそんなにへりくだる必要ないよ。学歴や肩書なんて、宇宙の神秘は簡単に木っ端微塵にしてくれるんだからさぁ」
通信パネル内の女性はファネリゼ・スゥ。階級は旅団長。戦闘艦艦長として普通の階級である。
星間平和維持軍戦闘艦『アスタメリア』の艦長で、今回の調査任務の指揮を執る女性。年齢は三十五歳だというのでデラやメギソンより年嵩なのだが、上下にうるさい軍人らしく権威を重視して丁重な扱いをされている。
「はぁ……」
しっくりこない様子。
「そりゃ、この目の前にある暗黒星雲だって、端的にいえば星間雲の溜まりみたいなものさ。温度が低くて発光せず、密度がそれなりに高いから向こうの星が見えない。だからこんな真っ黒の雲みたいに見えるねぇ」
「はい、不気味です」
「でもね、現実的な話をすると、実はもう僕ちゃんたちは暗黒星雲の中にどっぷりと浸かってる。密度が高いっていってもこの程度なんだ。周りになにか黒い霧みたいなものが見えるかい?」
透明金属窓の外を示す。
「見えません」
「ここにあるほとんどの物質は水素分子でしかないからさ。かなり薄いし目にも見えない。ところがそれが惑星系数百個ぶんとかそんな厚さになると向こうが透けて見えなくなってしまう。それだけのこと」
「メギソンさんの説明は非常にわかりやすいです」
愛想ではなさそうだ。彼女は真摯に聞き入っている。
「それなのに、一年後もここがこのままかって訊かれると専門家の僕ちゃんでも答えられない」
「そうなのですか?」
心から不思議そうだ。
「うん。例えばここからほんの一光年のところに分子雲コア、つまり恒星の卵ができたとする。すると、このへんの分子もそこに吸われはじめちゃう」
「薄くなるんですね?」
「それだけじゃない。卵が自己重力で潰れて新しく生まれた星からジェットが放出されはじめると分子がイオン化して発光してるかもしれない。今よりずっと明るくて熱くなってるとしたら?」
想像の範疇を超えたのか、目を丸くしたまま首が傾いていく。
「ここは暗黒星雲を卒業して散光星雲って名前にクラスチェンジしてるだろうね。そして、とてつもなく長い時間を経て惑星系が一つできあがるのさ」
「ああ、それで先程の会話で星の揺り籠っておっしゃってたのですね?」
「ここは星が生まれるとこなんだ」
厳密にいうと表現としては正しくない。分子雲の濃い部分も薄い部分もすべては銀河中心にある巨大ブラックホールの広大なダストリングみたいなもの。
星が生まれるたびにその周囲の分子が使われて宇宙空間が晴れる。そのくり返しで晴れた部分が増えていく。暗黒星雲はまだ晴れてない場所に過ぎない。
(共通認識の必要性から名前という形で概念化するから誤解が生まれちゃうのよね。分子雲が各々の星の重力圏の隙間を流れて溜まっているところが暗黒星雲になってるだけ。そこで発生したものじゃないのよ)
理系学者ならそういうものとして理解できるが、基本教育を受けただけでは容易に身に付きづらい概念的な話なのである。
「お伺いするに、ここは特殊でも危険でもない場所と思えてきたのですが、それならばどうして遭難事故が起きたのでしょう?」
ファネリゼの認識でも不可思議な場所ではなくなってきたらしい。
「そいつは僕ちゃんにもわからない。普通はあまり興味を惹くような場所じゃないもんでさ」
「はい。ほぼ希薄な水素分子なのでは資源的価値にも乏しいですから」
「研究的価値はあるんだけど、逆にいうと研究的価値しかない。一般的価値がないとなかなか研究もされないもんで、暗黒星雲に含まれる極めて微量な物質の種類はすべて網羅されているなんてお世辞にもいえない状態でね」
得体の知れなさを匂わせる。
「人体への安全上、問題のある物質が絶対にないとはいえないからあまり飛びまわるのはお勧めできない」
「それが調査船や捜索船が行方不明になった原因だとお考えですか?」
「それくらいしか思いつかないんだよねぇ」
探査が行われていないわけではないが、さほど熱心にとはいえないレベル。原始的組成ではあるが、年々新たな物質が発見されては発表されているのも事実である。
それらは一時的に天文学会を騒がせるものの、実用的に乏しいものがほぼ全てですぐに下火になる。そのくり返しで、一向に探査が進まないのが現実なのだった。
「調査船はなにか人体に害がある物質を発見してしまったのでしょうか?」
メギソンの言からGPF艦長が導きだした答え。
「それをずさんに扱ったために調査船のクルーに問題が生じ、救助に向かった捜索隊のメンバーも巻き込まれた、と」
「じゃないと辻褄が合わないんだよね。ご覧のように航宙保安に支障が出るほどの物体っていうのは暗黒星雲内にまず存在しない。希薄な分子がほとんどだから。それなのに航宙船が二隻、極めて稀な支障物の直撃を偶然食らうなんてことあると思う?」
「ほぼ皆無かと」
確率でいくと、小数点の下にいくつゼロを連ねなければならないか。
「だとすれば調査船が回収した物質が有害で、捜索隊もそれにやられたと思うのが順当じゃないかねぇ」
「そうですね」
「結構焦ってたみたいだし」
遭難した調査船というのが近隣の国家の新興大学のもの。経営不振がつづき、生徒を集めるのに名を挙げる実績を欲して暗黒星雲に挑んだのである。
「冒険が過ぎるのは困りものだねぇ」
惑星考古学教授はしみじみと言う。
「ええ、メギソンさんほどの見識ある方ならともかく、一発勝負みたいな賭けで未開領域に挑まれるのは遠慮してもらいたいですね」
「ネリーちゃんみたいに、要請されれば拒んだりできない立場の人間まで引っ張りだされちゃうもんねぇ」
「いえ、自分は任務であれば否やはないのですが」
暗にメギソンを慮る。
(で、私はなんでここにいるんだっけ?)
話の流れに取り残されたデラは憮然として同僚の背中を視線で刺した。
次回『暗黒星雲の謎(2)』 「え、どうしてそれを?」




