逃げるが勝ち(4)
「本当にそうか?」
ラフロはジャナンドに問いかける。
「家族を持った時点でそなたの身体はそなた一人のものではなくなったのではないのか?」
頭をガツンと殴られた気分だった。なにもかも忘れてパルサーに手を伸ばそうとしていた自分があまりにも愚かに思える。
「あ……ああ……」
「吾の父はそなたと同じことをした。のちにひどく後悔している。間違ってはいないと確信していてもだ。それの意味するところはなんだ?」
青年の剣が心を貫いている。
「魂が否定しているからではないのか? 心を二つに引き裂くからではないのか? 人はそんなことに耐えられるとは思えぬが」
「君の……、言うとおりだ。すまない」
「言えた義理ではあるまい。が、あえて言おう。そなたの双子の娘を吾と同じにするな」
全身から力が抜けた。とんでもない間違いを犯すところだったと気づかされる。聞かれていたのかハッチが閉じられる。ゆっくりと宇宙の神秘が視界から失われているのに未練を感じなかった。
「俺は……、馬鹿だ」
ジャナンドはコクピットで両手に顔を埋めて震えていた。
◇ ◇ ◇
七回目の超光速航法を終えたイグレド。個室でもらったデータの精査をしていたメギソンは友人の訪問を受ける。先の会話も操縦室で聞いていた彼は、打ちひしがれた様子のジャナンド・ベスラを快く招きいれた。
「堪えてるねぇ」
さすがにアルコールは避けて、ソフトドリンクの無重力タンブラーを座り込む男の前に置く。
「情けないだろう? 俺は今までなにをしていたのかわからくなってしまったよ」
「お前は頑張っていたさ。それは教授って地位が物語ってるし、ベスラ研究室の生徒も保証してくれる」
「知識は教えてやれる。経験に基づいた実践的な研究法もな。だが、俺は皆に人間として誤った姿しか見せてなかった」
ため息とともに弱音を吐きだす。
「間違っちゃいないねぇ。ただ、ちょっと偏ってるだけさ。特別おかしなわけじゃない。学問を極めようという専門家なんて、多かれ少なかれそんなとこあるんだって」
「それじゃ駄目なんだ。生徒たちにとって担当教授は人生の指標の一つになってしまう。それがこんな人間じゃ彼らの人生を捻じ曲げてしまうじゃないか」
「だから、そんな気負うなよ。大学の生徒なんてもう大人の鳥羽口に立ってる。他人を俯瞰もできるし、それで自身を見直すことだってできるんじゃないかねぇ」
跳び級のお陰で年齢がまちまちであっても、それまで学んできた分量や経験には大差がない。子供扱いすべきではないとメギソンは思っている。
「どんな課題だって立ち向かって困難を克服する背中を見せて導く指導者になりたかった」
友人は普段口にしないようなことをあけっぴろげに語る。
「なのに、俺が彼らに見せていたのは社会性に欠けた偏執的な専門馬鹿の背中だったらしい」
「そこまで卑下することはないじゃん?」
「そうなんだよ。ラフロ君の父親は国王だという。それならば家族をなおざりにしても国の在り方や国民のために働かねばならないから許される。しかし、俺はなんだ? ただの研究者じゃないか。それが驕り高ぶって銀河を救うだの人類に貢献するだのと、どれだけ自分を高く買ってたんだって話だ」
本気だっただけに反動が大きいようだ。
「待て待て。極端すぎるって。もうちょっと今までの自分も見直してやれよ」
「無理だ。今は反省点ばかり頭に浮かんでくる。家族と向き合えなかった奴なんて、生徒とも向き合えてなかったような気もする。ろくな指導もできてなかったんじゃないのか?」
「あのな……。まあ、そっちは置いておけって。気が付いたんなら、改めて生徒と向き合ってみれば自分がどう見えていたのかわかるんじゃないかねぇ?」
ここで教育論を深堀りしてもキリがない。それこそ千差万別、人それぞれのやり方というものがある。
「それよりこれからのことが大事じゃん」
頭の切り替えを促す。
「どうすんだよ、お前。まさか一度リセットしたいとか言うなよ?」
「言わん。ペロシーとパルミーの父親でいたいんだ。二人を愛してるし愛されたいと心から思ってる。リミーネの愛はもう失くなってるかもしれないが、拝み倒してでも父親であることは許してもらう。俺が今一番なりたいのはちゃんとした父親なんだ」
「まあ、及第点だな。どこが減点対象だったのかは自分で気づかないと意味がないから教えてやれないねぇ」
ジャナンドは少し不満げな面持ち。
「これを終わらせたら真っ先に家に帰る。事が収まったんなら報告なんて単なる事後処理。いつやっても同じものになる」
「そうしろそうしろ」
「思いっきり触れ合うんだ。毎日遊んで父親の顔を忘れるなんてできなくしてやる。日々成長する娘たちの姿をこの身で実感する。かけがえのない大切な時間を過ごして、それから俺は……、俺は……」
戸惑いに瞳が揺らぐ。自分には他にやりたいことがないと気づいてしまったのだろう。職務にすべての生き甲斐を感じてきた男は、それを捨てる決意をしたとき自らの中に開いた穴を覗き込んでしまう。
(底の見えない大穴に宙ぶらりんに吊られた気分だろうねぇ)
メギソンは苦笑いしながら友人の様子をうかがう。
「だーから、お前は極端なんだよねぇ」
呆然とする相手の肩を軽く小突く。
「誰がすべてをなげうてって言った? 教授って肩書に見合う仕事をするのもお前の義務なんだって。それを忘れちゃいけない」
「だが、職に伴う義務にまた向き合おうとすれば時間は足りなくなる。せっかくの家族との時間を。俺が研究する恒星は無数にあって、まだまだ計り知れない姿を持ってる可能性に満ちているのに」
「研究は続けろよ。それにお前の知識と経験は役に立つ。不可欠だと言ってもいい」
生き甲斐の天秤を仕事のほうにも傾けさせる。
「だが、もう毎回現場に立ち会う必要はないんじゃないのか? そこは人任せにしてもかまわないと僕ちゃんは思ってるんだけどねぇ」
「誰かに任せる……?」
「お前のゼミのメンバーでいい。現場に放りだして経験を積ませてやれよ。いつもいつも先頭に立って引っ張ってばかりじゃ成長できないじゃないか」
ジャナンドのスタイルを否定するのは気が引ける。だが、そこを変えていかねば彼の生活を変えることはできない。
「結果をつかませてやれって。失敗するかもしれないけどそれも悪くない。わからないデータに頭を悩ませているようなら支えてやればいい。それがこれからのお前の仕事なんじゃないのかねぇ?」
違う生き甲斐の形に目の色が変わってくる。
「そうか。それでいいのか」
「フィールドワークから逃げだして自分の時間を持て。その時間を家族のために使うんだよ。そうすれば願いは叶う」
「本当だ」
顔が上がって直視してくる。
「成果は挙がる。そりゃ、論文に載るお前の名前はちっちゃくなるさ、ただの担当教授ってだけ。でも、ゼミメンバーは大きな仕事をしていくじゃん? それこそお前一人じゃできないほどの人類へ貢献度を上げていく。それは勝ちじゃないのか?」
「そうだ。俺は別に名を挙げたいんじゃなくて、人類に良かれと思って研究をしてきたんだった」
「そ、『逃げるが勝ち』ってやつじゃん?」
ジャナンドは両手の拳を握って顔を伏せ震える。次に顔を上げたときには期待に満ち溢れた表情をしていた。
「そうだ。それで十分だ」
「だろ?」
親指を立ててみせる。
「二人とも、そろそろ操縦室に来て。もう少しで最後の時空界面突入だよ」
「おっと、最後のショーを見過ごす手はないんじゃない?」
「当たり前だ。急げ!」
二人は慌ただしく立ちあがった。
次回『逃げるが勝ち(5)』 「今、お前が言った言葉の意味をよーく考えろ」
 




