逃げるが勝ち(3)
イグレドのハンマーヘッド両端から展開している重力波フィンが普段の三倍以上にまで伸びている。船尾のメインフィンも同様だろう。
本来は推進のために生みだす重力場が増大する。中性子星との間に生まれる潮汐力はその重力場に影響先を変え船体の軋みは和らいだ。
「重力バリアなのな」
「なんて出力だい」
「それだけじゃないんなー」
超高速自転をしているパルサーの挙動が変わる。直近の重力場にゆっくりと引かれる様子を見せはじめた。
「おいおい、マジで?」
「追わせるんな」
見た目は直径15kmの小惑星サイズ。しかし、内包する極大の質量を知っているだけに学者たちは恐怖を拭えない。
(ちょっと危険って程度じゃないじゃん)
メギソンは腰が引ける。
「イグレド、時空界面突入」
『承知しました。時空穿孔を開始いたします』
フロドの指示で小型艇は超光速航法に移る。
船首方向の虹色の泡が波打ち、その向こうに人間では認識できない空間の広がりを感じた。静かに、かつ強引に船体は時空間から消失する。
「跳ん……だ?」
『時空間復帰しました。予定座標との誤差1700mです』
「うわー、さすがに大質量の傍だとすごい誤差出るね」
「あきらめるのな」
ノルデは補正するつもりもないと言う。それほどの精密さは必要ないそうだ。位置把握だけミスらねば成功すると。
「パルサーは?」
「もう来るのな」
タッチダウンの重力震の最中、後方にぬるりと球体が現れる。イグレドに向けて加速する気配を見せながら。
「追いかけっこのはじまりなんなー」
美少女が楽しそうにのたまう。
「笑い事じゃないから!」
「そう言ってもさ、イグレドでもこの界面状態じゃ跳べないし」
「どうしてそんな冷静でいられるのさ、フロド君」
大人のほうが気が気でない。
「大丈夫。重力波フィンもちゃんとパワーマージン内で制御してるから逃げきれるよ。ほんの1万kmだから」
「地獄の鬼ごっこに聞こえるんだけどねぇ」
「システム、相対距離ロックでオートクルーズ。異常監視は僕もする」
小型艇は加速している。速度表示は90fd/h(秒速3750m)の表示。航宙制限速度の1.5倍で、なにかあればただではすまないし保証もない速度。
もっとも、周囲にはなにもない宇宙空間。そういう場所を選んで時空間復帰したのだろうと思われる。
「パルサーはどうして追ってきてる? 至近の重力場に引かれているのは理解できるんだが」
ジャナンドが疑問を呈する。
「これくらいのフィン出力で時空界面突入すると時空間復帰並みの重力震が発生するのな」
「そうなのか?」
「普通は時空界面の膜に小さな穴を開けて滑り込むイメージなんだけど、今は力任せに突き破ってる感じになってるんなー」
中性子星は、その界面動揺に飲まれて転移しているらしい。
「ベクトルと引力が一致してるから、繋がったみたいにそのままついてくるのな」
「理屈はよくわからないが」
「追跡遮断くらいにしか使えないと思ってたのに、意外なところで役に立ったんな」
ノルデは嬉しそうに首を揺らしながら解説する。彼女たちにとっても新発見は心躍る体験らしい。
「これをくり返して最寄りのブラックホールにご案内って寸法かねぇ」
「お手々つないで宇宙散歩なー」
(ご機嫌が治ったのはよかったか。重力の井戸に叩き落とすとまで言ってたのにさ)
段取りを狂わされたのにご立腹だったようだ。
「お姫様、そろそろご予定を伺っても?」
「くるしゅうないんな。超光速航法をあと七回で散歩は終わりなのな」
最大で四千光年、意外に近いと感じた。
「お手間を取らせますねぇ」
「お昼寝でもしてるのな。ポイするときくらいは起こしてやるんな」
「ありがたき幸せ」
(こんな騒動、僕ちゃんが生きてる間は二度と起きてほしくないけどさ、記録くらいは残しておかないとね)
メギソンは深々と礼をしつつ考えていた。
◇ ◇ ◇
(失敗はなさそうだ。それはいい)
ジャナンドは思う。
意図的に誰かと遭遇する可能性のない位置を選んで時空間復帰しているとメギソンも言う。そういう場所のほうが多い。難しくない作業だろう。
(だったら、なにもしなくていいのか? 俺がここにいる意味はなんだ?)
作戦開始までに下船を勧められた。中性子星が予想外の挙動を見せる確率は低いというがゼロではない。危険があるのだから二人は降りてもいいと。
しかし、彼は拒んだ。最後まで責任持って確認すべき立場だと思ったからだ。だが、見届けるだけでは能がないと思えてならない。
(対処法のデータは残る。技術的に可能かどうかを除けば、前例があるのは前進になる。足りない技術を克服すればいいだけの話なんだからな)
家庭をないがしろにしているのにできるのは見届けることなのか。リミーネを苦しめてまでやるべきなのか。胸の中で疑問が渦巻く。
(無理に役割を作ろうなんて驕りでしかないのはわかってる。恒星進化学教授の名が泣くとかそんな考えは邪魔でしかない。だが、やるせなさはどうしようもないじゃないか)
葛藤する心は迷いの海を泳ぎまわるのみ。そうしているうちに六度目の超光速航法が終了した。残りは二回。二回跳べば中性子星はブラックホールに飲まれて二度と彼の前には現れない。
(そう、現れない。自分から出向かないかぎり遭遇する可能性も極めて低いだろう。ただし、それは俺に限っての話だ)
ひらめいた。
(この先誰かが中性子星に出会うかもしれない。そのとき俺以外の誰かはそれが危険な星だとわかるのか?)
ジャナンドは立ちあがる。自分がすべきことを見出したのだ。それがここにいる意味だと確信する。見届けるので正解なのだ。それは正確かつ精密にでなくてはならない。
『σ・ルーンにエンチャント。機体同調成功』
ラゴラナのシステムが接続を告げる。
ジャナンドはコクピットにいた。肉眼ではやり遂げられないことをするために。
「後部ハッチを開けてくれ。パルサーの正確な観測データを取りたい」
操縦室に告げる。
「危ないよ、後ろは特に。もし、転げおちてパルサーに引き寄せられたら救助できない。観測データならイグレドでもちゃんと取ってるから」
「頼む、フロド君。俺でなければ駄目なんだ」
「嘘じゃない。提供するって約束するから」
制止しようと説得される。
「こんな高性能な船のデータでは意味がない。どんな観測機を積んだ船でも、すぐに適合照会できるようなデータがほしい。本件みたいな事故を起こさないために、なくてはならないものになる」
「頑固だな」
「お願いだ。俺がすべきことをやらせてくれ」
懇願する。すると、後部ハッチがゆっくりと開きはじめた。
「次の時空界面突入までの間だけ。それ以上は絶対に駄目」
「ありがとう。恩に着る」
ラゴラナのセンサーが中性子星を捉え記録をはじめる。彼もモニターに映るその姿を注視した。
(これが……、これが恒星の最終形態の一つ)
目を細める。
(美しささえ感じる。燃え尽きた残りカスなんかじゃない。物質を構成するクオークの一形態なんだ。ある種究極の状態とも言っていい)
極限近くまで凝縮された質量体は見事な球体である。ハイスピンによってわずかに楕円をしているはずなのだが、一見すると真球と思える。
(宇宙の神秘が目の前にある。人が決して触れられないものが)
魅入られたように腕を伸ばす。
(あれに触れられるのなら俺の命なんて……)
ラゴラナが少しずつ滑っているのに気づけない。視界にあるのはただ中性子星のみ。ところが、野暮な振動が彼の意識をも揺らす。
「それ以上は行くな」
「止めるな! 俺の命だ! 俺の好きに使わせろ!」
ジャナンドは無粋なラフロのブリガルドに吠えた。
次回『逃げるが勝ち(4)』 「言えた義理ではあるまい。が、あえて言おう」




