逃げるが勝ち(1)
デクレミド軍演習場に転移した中性子星は艦隊にオーバーホールを強いただけで、人的被害を及ぼさずに終わる。ただし、メギソンや友人のジャナンドに与えた精神的ダメージは大きかった。
(のちの対処まで計画してたってのに、入り口ですべてが崩れるとはね)
軌道諸元の傾向の読みは間違いなかった。そういう意味ではまったくの失敗ではない。しかし、世間に対する心理的影響を読み違えた。人は容易にパニックに陥り手順を破ってしまう。
(仮にパルサーの転移を阻止できたとしても、その後の禁止行為を守れそうにないぞ。また転移をはじめたら生活圏に出現をくり返す状態に逆戻りだねぇ)
簡単に想像できてうんざりする。
中性子星監視機関のような専門組織を立ち上げて厳格に管理する方法がなくもない。だが、そのとてつもなく長い期間に当初のルールが緩みミスが発生するのも予想に難くない。
(人類と中性子星の鬼ごっこは分が悪い。負けた人々は命も危ういんだからさぁ)
演習場の一件も紙一重だった。イグレドにもパルサーの動きを阻止する方法がない以上、艦隊が墜落して千名余りの命が喪われる可能性は低くない。
「根本的にどうにかする方法がないと……。ラフロ君、あれ、斬れない?」
苦し紛れに訊く。
「斬れぬ」
「冗談冗談、ごめん」
「力場刃は核力にも作用するゆえ、性能的には斬れぬこともなかろう。いかんせん、刃が15mしかない」
真面目に返してくる。
「いや、無理なのは……」
「一時的に50mまで伸長させる機構もあると聞く。しかし、維持には多大なエネルギーを必要とするそうだ。これを15kmまで延長などできぬ」
「技能的には無理じゃなさそうな口ぶりだねぇ」
ブリガルド装備の15mクラスは連続使用に耐える限界近くなのだという。ラフロが求めるのは常用できる剣なので、今以上の性能を求めてはいないそうだ。
「軽口で空気を変えられるレベルじゃなくなったぞ、メギソン」
友人の心痛は色濃い。
「本格的な対処法を模索しないと」
「わかってるんだが相手が悪い」
「仕方ないのな。ちょっと危険だけどやってみるんなー」
ノルデがそんなことを言ってくる。
「中性子星を破壊する方法があるのか?」
「ないんな。でも、連れてく方法はあるのな」
「連れてくって?」
美少女の言うことの意味がつかめない。理解できるかと友人を見るが、彼も首を傾げている。
「追うのはやめて、今度はイグレドを追わせるのなー」
一向に話が解せない。
「そんな方法があるとしよう。では、破壊できない中性子星をどこに持っていくんだね? まさか銀河中心まで運ぶミッションになると何年掛かりになる? その間にまた誰かが予想し得ない介入をして失敗するような気がするんだが」
「そんなに手間掛けなくてもブラックホールは一つではないんな。手近なところへ引っ張っていくのな」
「待ってくれ。確かに星間管理局でも把握しているブラックホールもあるだろうが、そこまで正確な位置を確認できているとは。なにせ易々と接近できる代物じゃない」
調べればいくつか候補は挙がるだろう。しかし、狙って時空間復帰できるほどに明確に位置を把握しているものはない。近づけば光さえ離脱できないのだ。無人観測機でも信号さえ放つことなく飲まれるのみ。
「ノルデの仲間には、ふらふら放浪するだけが好きな個もいるのな。ちゃんと記録してあるデータベースがあるんなー」
「おいおい……」
常識外れの事実に絶句する。つまり、そこにブラックホールがあるのを確認して離脱できる航宙機の技術を彼らは保有しているという意味。その事実のほうが怖ろしく感じてくる。
「次は確実に捕まえるのな。んで、重力の井戸に叩き落としてやるんな」
「急に物騒だな」
前回の横槍は、この美少女をかなり立腹させているのをメギソンは理解した。
◇ ◇ ◇
「いつもこうなのか?」
「そうさ。結局はイグレドとそのクルーの能力に頼って解決してる。デラ女史が嘆くのもわかるよねぇ?」
「あれほど聡明な彼女が振りまわされていると聞いて誤解だと思っていたが、どうやら本当らしい」
ジャナンドは半信半疑だった。だが、事実に直面すると信じざるを得ない。
二人でどうすればノルデから件のデータベースを引きだせるか検討するつもりだったが、どうも太刀打ちできる相手とも思えない。メギソンは端から無理だと確信している様子。
「だからって任せきりとはいかん。なにか得るものがなければ俺がここにいる意味はなんだ?」
承服しかねる。
「そんなに気負うなよ。こうして鼻っ柱をへし折られてないと、自分の小ささに気づけないじゃん」
「君の受けとり方は実に楽観的でいい。俺もそんな生き方ができればな」
「色々脱ぎ捨てると見えてくるものもあるさ。そうやって人は年老いていくんじゃないかねぇ?」
友人がひどく老成して見える。こういうのを達観というのだろうか。ジャナンドはその域に手が届かないでいる。
「っと、通信か」
「誰だい?」
「リミーネだ」
遠慮なく接続する。
「ジャン?」
「俺だ。どうした?」
「やあ、リミーネ、久しぶり」
メギソンもカメラ前に移動してくる。
「一緒だった。忘れてた」
「冷たいじゃん」
「ごめんね、忙しくて」
妻がメギソンと顔を合わせるのは半年ぶりくらいだろう。眉が少し動いたので、自分ではわからない彼女の変化を見て取ったか。
「ちょっと疲れてるかい? 双子の子育ては大変だろうねぇ」
プライベートに踏み込みながらも嫌味を感じさせないのが友人のいいところ。
「なんとでもなるの。メルケーシンは福祉がほんとにしっかりしているもの」
「良し悪しなんだけどさ。裏を返すと、職務に励んでくれということだからねぇ」
「皮肉屋は健在ね」
妻はくすくすと笑う。
「だからって家庭をないがしろにしていいわけじゃない。そう言い聞かせてはみたもののさ、こいつもなかなか強情でね」
「……なにか聞いたの?」
「すまん。話した」
「もう、あなたって人は」
ただの相談のつもりだったが、二人のことに口出ししてくるとは思ってなかった。情が薄いとは言わないが、人間関係には淡白な友人のはずなのだが。
「じゃ、遠慮なく」
リミーネは前置きする。
「まだ帰ってこれないの、ジャン?」
「今回はかなりの厄介事なんだ。そうそう簡単には解決しない。やっと糸口をつかめたってところだからな」
「そう……」
伏し目になった妻は眉根を寄せる。
「もう一度言うけど、子供たちの成長はあなたが思ってるよりずっと早いのよ」
「実感してる。帰るたびに大きくなってるからな」
「感じている時間もずっと速いの。わたしたちが体感している一年の間に、二人は十年とかそんな感じの経験を重ねてる。どんどんと思い出も増えていってるのよ。その思い出の中に父親の姿はあまりない。それは不幸だと思わない?」
リミーネは思いを訥々と語る。そこに怒りは感じないが、子供の手前抑えているのだろう。彼女の中の愛は冷めても、父親は必要だと考えているのは明らかだ。
「大事には思ってる、君もペロシーもパルミーも」
本心なのだが妻の中では上滑りしているだろうか。
「でも、この銀河だけでも君たちみたいな愛すべき人々がそれこそ星の数ほどいるんだ。俺にできるなら叶うかぎり救いたい。お願いだから理解してくれ」
「理解してるつもりよ。パパはとっても素晴らしいお仕事をしているんだって子供たちにも言い聞かせてる。ただ、このままだと二人が将来思いだすのは記録に添付されている父親の顔なんでしょうね」
「苦しめたくはないんだ。だが、誰かがやらねばならん。その誰かが……、いや、業を背負うのは俺だけでいいのかもしれん」
血を吐くほどの苦しみでジャナンドはその台詞を告げた。
次回『逃げるが勝ち(2)』 「少し振ってくる」




