さまよう心(2)
「いい契機になるかもしれない」
ジャナンドが味わっているのは強い酒の苦味か、人生の苦味か。家庭を持たないメギソンには想像するしかできない。しかし、友人の助けになりたいと心底感じていた。
「リミーネたちをこれ以上苦しめないですむなら俺が身を引くのが一番じゃないかと思う」
半ばあきらめているようだ。
「待てって。リミーネちゃんは『家庭を顧みて』って言ったんだろ? まだお前と夫婦でいたいからって意味じゃないか」
「父親がいないのも子供には良くないだろうからな。それなら自分が我慢すればいいと思っているのかもしれない」
「ばーかが。いいかげんにしろ? あの娘はそんなんじゃない。もし、そうだったら僕ちゃんが大プッシュしたと思うかい?」
正面でグラスに額を当てて瞑目する男をたしなめる。
「疑ってない。女を見る目だけは確かだからな。それが上手に遊ぶために培われた能力だったとしても」
「わかってんなら、もっとよく考えろよ」
「でもな、つらいんだ。どうして俺はリミーネにこんなことを言わせるしかできないんだろうってな」
悩みは深い。相手を想っている分だけ、大切に感じている分だけ傷つけたくないと考えてしまう。
「そいつは逃げだねぇ」
指摘する。
「言わせるしかないじゃなく、言わせてしまう自分が歯がゆいんじゃん」
「く……」
「お前が仕事に誇りを持って臨んでいるのは立派だと思うぜ。それを生き甲斐とまで言うのは真似できないし敬意も持ってる。でもな……」
グラスで友人を指してから一口含む。
「嫁さんにまでそれを望むのは間違いだ。彼女には彼女の人生がある」
「なら別れるしか……」
「バランスだよん。リミーネを尊重しつつ自分を忘れなきゃいい。ちょうどいいとこがあるんじゃないかと思うんだけどねぇ」
氷を鳴らしてから酒を注ぎ足す。そんなちょっとしたアクセントもジャナンドに考える余地を与えると思いながら。
「俺はお前みたいに器用じゃない」
深い溜め息にしかならない。
「譲歩したところで、リミーネの理解が得られないと仕事を続けられない。それくらい重い職務だってわかってほしいんだ。本件だってそうだろう? 俺が家のことに心を割かれてミスをすればどれほど被害が増えるか予想だにできない」
「おいおい、僕ちゃんが頼りないって言いたいのかい?」
「そうじゃない。でも、それぞれの判断ミスが未曾有の事態を引き起こしかねないのは確かじゃないのか?」
(もう心が家族に引っ張られてるのに気づいてないのかねぇ。不安定にさまよってるのは中性子星だけじゃなさそうじゃん)
メギソンはもれそうになる笑いを噛み殺す。
「今結論を出そうとするなよ。追い詰められた状態で出した答えなんてろくなもんじゃない」
必ずといって後悔する。
「ちゃんと話し合って決めるのが一番さ。彼女が本当になにを望んでるかなんて今のお前にわかってるとは思えないね」
「そうだな。仕事馬鹿の俺には無理だ。だが、仕事馬鹿には仕事馬鹿の誇りがある。やり遂げてみせないと他のことなんて考えられん」
「だったら保留しとけ。決めるのは頭ん中が集中できる状態になったときだ。他の誰かの人生なんて考えなくていいときに自分と彼女のことだけ考えろ。他でもない二人、いや四人の人生が懸かってるんだからな?」
説得できるのはここまでだ。それ以上深入りすれば判断に影響するかもしれない。ジャナンドが少しでもそう感じてしまえばしこりになってしまう。
「生きるってのは案外大変なんだな」
「幸せになるのはもっと大変だよん。なんたって人間一人ひとりの内面はこの星間銀河より広いんだからさぁ」
妙な例えのあとにメギソンは友人とグラスを合わせた。
◇ ◇ ◇
翌朝、ジャナンドが酔いの残り香を振り払いながらメギソンと操縦室に顔を見せると美少女が注目を促してくる。投影パネルには、ぼんやりとした天体の画像が遠景で映っている。
「これは?」
一見してなにかわからない。
「ガス惑星なのな」
「はぁ?」
「パルサーが現れたのはこのガス惑星の傍だったんなー」
輪郭が不安定で大気が揺らいでいる。拡散してしまった水素やヘリウムが再びガス惑星の重力に捕らえられて戻ろうとし、濃い場所と薄い場所の層を作っていた。そのために歪なまだらの縞模様のようになってしまっている。
「こうなるか。まあ、崩壊しなかっただけマシといえなくもない」
「たかだか五〜六万kmに位置に恒星クラスの質量が突然現れたんだからねぇ」
形を保っていられただけでも奇跡のように思える。崩壊限界どころではない距離。もちろん崩壊するとしたらガス惑星のほう。そうなったら惑星系全体に影響が出ていただろう。
「解析が進むと判明すると思うけど、液体金属水素の地層も一部崩壊してるのな。相転移して気体還元してるはずなんなー」
「これはとうぶん資源採取どころじゃなさそうだ」
そこが時空間復帰ポイントだったのは水素やヘリウムガスの資源採取のため。いくつかある軌道ガスステーションに接続してカーゴタンクにガスを積載する輸送船が近傍への復帰をくり返していた。
「いずれは元の状態に戻りそうだが、これは数十年くらいは掛かるんじゃないのか?」
どちらかというとメギソンの専門に近いので聞く。
「それは最短での話さ。事例が少ないから正確には言えないけど、下手すれば百年越え。経済損失はちょっと考えたくないねぇ」
「すごく損しちゃう?」
「そうだね、フロド君。それほどの量は必要としてないと思うが、輸入に頼るしかなくなる。おそらくステーションも墜落したんじゃないだろうか」
設置からの再開となる。損害として馬鹿にならない。
「ほんの一時間ほど中性子星が現れただけでこの有様なー」
ノルデが肩をすくめる。
「これがもし居住惑星の傍だったら天変地異どころでない騒ぎだ。地上はめちゃくちゃ、衛星は崩壊、裏側でも中性子線が降り注いで人的にも物的にも冗談どころでない被害が出る」
「そんなに意気込むなよ、ジャン。防ぐために動いてるんだって。それより真相にたどり着いてる?」
「調べてみるんな」
星間管理局はパニック防止で機密扱いにしている。
「数件ほど言い当ててる意見もあるけど、ただの勘なんな。一番多いのはタッチダウン過多による時空界面崩壊なんて馬鹿言ってる連中な」
「今どき、つまらない都市伝説が流行っているもんだ」
「ほとんど宗教レベルだもんねぇ」
天体近くの一定宙域でタッチダウンをくり返すと時空界面崩壊が起きるという迷信である。環境保護カルトなどが食いつきやすい言論でしかない。
「あれって本当に迷信なんだ」
フロドが興味を示す。
「そんなことは起きない。超光速航法の時空穿孔機でも数cmの面積に50t以上の荷重、対消滅炉だと数nmに1tていど。それほどの重力波を掛けないと時空界面は揺らぎもしない」
「じゃあ、岩石惑星くらいの重力波じゃ界面崩壊なんて絶対起きないね」
「ああ、それこそ中性子星やブラックホールみたいな常識外の質量体でも動揺している状態じゃなければ時空界面は越えられないんだ」
現代では気軽に用いている超光速航法という技術。様々な技術的裏打ちや安全性の確認なしに成立しているものではない。
一般人には正確に理解されていないそれらを自分たちの思惑に利用しようとする輩には怒りを覚える。先人たちの苦労を嘲笑ってはならない。
(本件だって先人の禁を破った所為で起こったものなんだからな)
ジャナンドはパネル内の映像をにらみながら早期の収束を胸に誓った。
次回『追われるパルサー(1)』 「なにか方法があるなら捧げるぞ?」




