緑色の枷(1)
中央公務官大学所属の地質学者デラ・プリヴェーラは無表情でシートに腰掛けている。隣には老紳士の姿。同じ大学の高名な昆虫学者パイ・モーガン博士である。
「私は必要ですか?」
「必要なのだろうね」
(緊張するわ!)
心の中で悲鳴をあげる。
(博識で有名なモーガン博士の随行っていえば名誉なのかもしれないけど、それは同じ学科の弟子でも連れていけばいいじゃない)
無理にデラである必要はない。普通であれば、である。ただし、この旅客船が向かっている先の宙区支部で合流するのが小型艇『イグレド』でなければの話。
「聞けば、君のお陰で大学は非常に潤っているという」
微笑を浮かべながらモーガンが言う。
「その腕前を買ってのことではないかね」
「ロレンチノの件で桁違いの研究予算が大学に落ちてきたのは本当ですよ。だからって私がいなければならない理由はないと思うのですけど」
「その前の件でも成果が出ているのだろう? 管理局本部としては流れを切りたくないと考えても不思議ではないと思うがね」
(違う。絶対違う。きっと仲介人に仕立てあげる気なんだわ)
あのゼムナの遺志と相棒の青年との。
「見込まれてしまったのだから大人しく人身御供になりたまえ」
「言っちゃう? それ、言っちゃう?」
思わずツッコんだ。
「し、失礼しました。ですが、地質学者の出番などない案件なのではないでしょうか?」
「それはわからんね。原因が不明なのだから」
「関係なければ私に泣けと」
単なる無駄足になる。
自分の研究の邪魔になるのが業腹だ。そうでなくとも惑星ネローメでは嫌というほど無力感を味わう羽目になった。さらに高いステージを目指したい。それが今の彼女の心情である。
「惑星ワリドント。保全指定が決まってから長い惑星だがね」
「はぁ」
その惑星ワリドントで異常が起きているという。保全指定ということは文明発展の素質があるとされているはずだが、想定外の事態になっているらしい。
「長期にわたって放置されてきたのだが」
「長いスパンの話ですからね」
数百年の放置を見越している場合もある。
「まあ、あそこの場合可住環境ではない。特殊な環境下で生物がどんな進化を遂げるのか観察する意味が強かったと思われる」
「そうだったのですか」
「それで一月ほど前に経過観測が行われたのだが、予想だにしない変化が訪れていた。そこに注目した企業があって調査申請をしたようだ。星間管理局も監督の必要があるので同行せねばならんのだ」
今回は公共事業ではない。
「モーガン博士にお声が掛かるということは、昆虫類に変化が表れたんですよね?」
「うむ、元よりほぼ昆虫ばかりの惑星なのだ。文明を持つとしても昆虫となるだろうね」
「それはまた気長な」
というのも、昆虫が進化して文明を持つにいたるケースが非常に少ない点にある。大型化しにくく天敵も多い昆虫。生態系で覇権を握るには不向きな生物と考えられている。
まったく例を見ないわけでもない。道具を扱うほどの知性を持った種も無くはないのだ。しかし、全てのケースで滅亡してきた。それも虫同士の闘争の結果として。食性と本能が知性を得る邪魔になっているというのが定説である。
(どちらにせよ数千年スパンでどうにかなるかもって話だわ)
望み薄という冠までが付く。
「どうにも危険な兆候が見られるので実地確認をすべきとの意見が出た」
それが今回の案件。
「注目していただけに私自ら出向きたいと思ってね。ラゴラナという危険を排除できる機材も整ったことであるし」
「虫相手にアームドスキンですか?」
「これを見ても過分だと思えるかね?」
モーガンが投影パネルに映像を出す。それは丸っこい蜂のような昆虫。不釣り合いに見えるほどの大きな翅を羽ばたかせて飛んでいる。
「あれ?」
スケールがおかしい。
「大き過ぎませんか?」
「うむ、計算では体長が3m前後となる」
「ちょ! 3mの蜂! 怖っ!」
見るからに凶悪そうだ。頭部の大部分を占める複眼。頑強な顎。硬そうな外骨格。そして、前脚の爪は著しく発達して鎌のようになっている。怖気がした。
「こんなのが跋扈する場所にか弱い女性を連れていく気ですか!」
思わず抗議する。
「普通なら連れていかんよ。だが、君は操縦も得手だと聞いたのでね」
「そういう問題じゃありません!」
「そのための護衛だ。企業側も民間軍事会社を雇って連れてくる。あまり心配は要らないと思うのだかね」
人目を気にして声のトーンを下げるよう言われる。
「それだったら別にイグレドでなくとも傭兵協会が部隊を貸してくれるのではありませんか?」
「うーむ、ワリドントに普通の傭兵では合わないかもしれないのだよ」
「それは変です。イグレドの戦力はラフロ一人なのですから」
たしかに彼の剣技は常人の域を超えていると感じた。しかし、一人は一人である。傭兵十名単位の部隊に勝る戦力とは思えない。
「それは、あの惑星の特殊事情が関わっている」
イグレドの内情は知っている様子。
「ビーム兵器が使えんのだよ」
「え、そんなことが?」
「ビームに使う弾液が高分子ラジカルなのは知ってるね?」
当然のように言われる。
「いえ、知りません」
「そうかね。常識だと思っていたが」
「博士の常識は博物館の中でしか通用しないと思ってくださると幸いです」
多少の皮肉を込める。寛容でもあるし、的確な解説も得意としているのを知っているからこそデラでも言える。
「兵器としてのビームというのは、対消滅炉で生成された熱プラズマを導引し、それに高分子ラジカルを質量体として乗せて投射することで破壊力を発揮する」
どうにか理解できそうな説明に落ち着く。
「これはラジカル状態の物質が、熱プラズマ内でも安定状態であることを利用した兵器であるためなのだよ」
ラジカルとは、簡単にいえば分子がなんらかのエネルギーを得て電子的な安定を失った状態の物質を指す。つまり、対で安定する電子が軌道内に偶数個であれば電子的安定性を持つのだが、外軌道にはじき出されるほどのエネルギーを受ければラジカル化する。
分子式では化学反応のし易さを足で表したりするが、強制的に足を増やされた状態になるわけである。ゆえに遊離基と呼ばれたりもする。
「このラジカル状態には阻害条件がある。天敵は酸素なのだ」
説明は続く。
「周囲の酸素と交わって過酸化ラジカルになってしまうと熱プラズマ内での安定性を失う。燃焼加速が起こってしまいプラズマを過熱させる。ビームランチャーはそれに耐えられないのだ」
モーガンが操作すると投影パネル内に実験映像が現れる。固定されたビームランチャーが発射されようとしたとき一気に砲身が赤熱し暴発、爆散した。
「このときの実験室内の酸素濃度は48%」
条件表示の一部を指差す。
「そして、惑星ワリドントの大気の酸素濃度は52%。すべてのビーム兵器が使用不能の状態になるのだ」
「なるほど。ビーム兵装が使用不能となると、アームドスキンでも戦闘能力を半分封じられたようなものですね。でも、ラフロは違う」
「そうだ。彼は剣技に特化した実力を持っていると聞いた。幸い、ブレードの力場形成に酸素濃度は影響しない。戦闘能力を落とさないですむという結論になる」
不向きであるという予想は覆される。たしかに青年でも護衛として問題はないだろう。
(でも、彼が一人しかいないことに変わりないのよね)
むしろ民間軍事会社のほうが戦力ダウンしそうな環境である。
凶悪そうな巨大虫相手に不安を禁じえないデラであった。
次回『緑の枷(2)』 「わかりました、デラ先生」




