夢を歌う鯨(3)
(なにもない。どこをひっくり返してもここは普通の海洋性惑星)
デラは行き詰まってしまっている。
(手広く調べてみても、化石燃料の埋蔵量が標準より多いくらい。そんなのは容易に想像できるわ)
原料は過去に沈んだ各種生物の死骸なのだから当然である。未開惑星ならともかく、現代の星間銀河圏で燃料として求められることはない。プラスチック原料ともなるが、それは単なる有機化合物で化学合成可能なもの。
(虫一匹飛んでない洋上はたしかに希少ともいえる。でも、観光資源としては弱い)
一時的に喜ばれてもすぐに飽きられてしまう。
デラも最初は奇妙に感じた。空中を飛んでいる生物が見当たらない、あまりに真っ更な大気圏を。なのでフェブリエーナに尋ねてみたものである。
「発生できなかったんですよ」
「どうして? 鳥ならともかく虫くらいは生まれても変じゃなくない? 実際に虫の祖先になる海洋性の節足生物はいっぱいいるのに」
「虫だって卵を産まないといけないでしょう? 産み落とす場所は海しかありません。そんなの全部魚の餌です」
後輩生物学者曰く、洋上に活路を見出そうとした節足動物はいたかもしれないという。しかし、よほど大量に産卵しなければ海中で生き残ることはできない。空を飛べる軽い身体を持ちながら大量の卵を抱えるのは理に合わない。
しかも、翅を持つ虫だってずっと空を飛んでいるわけではない。留まって翅を休めるときもある。ここでは海面になる。海面にとどまる生物など魚の格好の餌でしかないと説かれた。
「そんなわけで惑星ネローメの大気圏は無垢そのものなんだと思います」
「はい、降参」
反論できるほどの知識など持ちあわせていない。
(無垢な空を貴重に感じてもすぐに飽てしまう。だってそれだけなんだもの)
観光資源として特筆されるほどではない。
デラはコンソールを前に頭を抱える。これほど無力感を覚えたことはない。たとえ専門分野でなくとも、理知的な思考ができると自負があったのだ。しかし、感情がそれを許さない。彼女の中の理知が、星間銀河圏加盟に必要な財源確保は困難と結論を出していたとしても。
「はぁ……」
リフレッシュの必要を感じてデスクから立ちあがる。
「私が間違っているのかしら。海翼人を星間銀河に加えたいと望むのはただの我儘なの? だから上手くいかない?」
甘いものを欲してカフェテラスに。そこには先客がいて、パフェを削りとりながら、だらしなく相好を崩している。後輩の目は投影パネルに釘付けだった。
「変わった形の節足動物を肴にパフェを舐めながら、よくそんな顔ができるものね」
友人ながら奇人だと思う。
「だって、こんなに効率的な遊泳脚をしてるんですよお? 見ているだけでうっとりしちゃうじゃないですか」
「だからって、美形な恋人を眺めるような目で見る?」
「ああ、プロポーズしてくれないかなあ」
「変態だ!」
せめて脊椎動物にしてくれと思う。差別だろうか。
「それよりね」
話を振る。
「あなたはどう思ってるの? ロレンチノは星間銀河圏に加わるべき?」
「管理局の依頼はそうですし、個人的にも適していると思ってます」
「それが彼らにとって大きな生活の変化を及ぼすとしても?」
それも懸念する点の一つ。
「特に医療は必要でしょう。新生児生存率はそんなに悪くないみたいだけど、病気による死亡率は馬鹿にできない。それが平均寿命を引き下げているわ」
「それは気になってました」
「適した薬品の開発や投与方法の模索は不可欠よね」
ロレンチノにも扱える器具を作りだせば、脅威になっている病気の克服もできる。器用な触腕の構造をもってすれば難しくもない。
「で、ネローメに現代医療が導入されたとしたら」
例え話になる。
「おそらく彼らの人口は確実に増えていく。そのとき、海は変わらないでいられるかしら?」
「生態系の変化ですか。人口増加による食料不足とかを考えてるんですよね? それは心配いらないと思います」
「そうなの?」
簡単なものではあるが、ロレンチノは養殖技術を有している。郡という海域の括りがそれだ。単なるテリトリーではなく、魚の繁殖に適した場所を選定して保護するという手法で。
その規模が大きくなるだけだろうとフェブリエーナは予想しているようだ。郡を広くする、あるいは分けることで食料確保を試みるだろうと主張した。
「自然繁殖の動物とは違います。彼らほどの知性があるなら自分で解決できる程度の問題です」
やはり専門家の視点は違う。
「きっとあなたの言うとおりね。さしたる問題ではないんだわ」
「郡が大きくなると隣接する郡との関わりも変わってくるかもしれません。それもたぶん簡単に解消してしまうと思います」
「そうね、理性的な人種だもの」
(足りないピースは財源だけ。それを見つけないといけない私が無力だなんて)
デラは思い悩む。
「どうしたの、ため息なんて」
フロドが顔を覗かせる。
「私、顔に出てる?」
「うん。お仕事上手くいってないのかな?」
「ちょっとね。君は?」
少年は「夕食時だよ」と答える。
「じゃあ、食事が済んだら気晴らしする? ハセーたちに誘われてるんだけど」
「もうそんな時間なのね。気晴らし、か」
「それがいい」
後ろには長躯が佇んでいた。ラフロにも察せられるほどの状態だったらしい。
(駄目ねぇ)
デラは苦笑いを浮かべて夜遊びに参加すると告げた。
◇ ◇ ◇
浮上したイグレドの甲板から夜空を見上げる。明かり一つなく満天の星々。まるで宇宙空間にいるようだとデラは感じた。違いは星の瞬きだけ。
「きれいね」
言うまでもないのに、つい口をつく。
『星空の美しさは外の方もハセーたちロレンチノと同様に感じるのですね?』
「それはそうよ。こんなに美しいものは他にないもの。躍動を感じながらもどこか儚げで神秘的で」
『宇宙を旅する方は見慣れていらっしゃるものかと思ってました』
そう感じてもおかしな話ではない。
「宇宙で見える星々は少し違う姿をしているのよ?」
『そうなのですか?』
「ええ、もっと彩りがあるの」
赤系の地味なものだが違いはある。口で説明するのは難しい。
『ああ、この目で直に見てみたいです』
『ケミーも。少しくらい危険でもかまわないから』
『だよな。一生に一度でいいから』
コチーも賛同する。
「もしよ」
『はい?』
「もし、そんな時代が来たら、あなたたちの生活はどんなふうに変わっていると思う? それは怖くないのかしら」
物質文明が海の世界に入ってくる。変革は否応なく彼らの生活をも変えてしまうと説いた。
『怖くないといえば嘘でしょう。でも、夢は変わらないと思うのです。星空に憧れる夢は』
「ああ……」
(重力で地面に縛りつけられていた人類だけが抱く夢ではなかったのね)
気づかされた。
(海で自由に生きるロレンチノを重力から解き放たれたみたいに感じていたけど間違い。彼らだって大空や星空に憧れを抱いているんだわ)
歌声が響く、「♪きゅうーきゅい」と。「♪るるる」とメロディが奏でられ、「♪ちちち」「♪たんたん」と伴奏も加わる。そこに込められているのは聞き間違いようのない憧れだ。星空を恋うる歌だった。
(それなのに私は……)
いつの間にか涙を流している。とめどもなくあふれ出た。
(彼らになにもしてあげられない)
苦しくて切なくて仕方がない。胸が痛くて張り裂けそうだ。
「どうした?」
「彼らに道を作ってあげられない。価値ある資源を見つけてあげられないの」
ラフロにこぼした言葉は弱々しくささやいたもの。
「妙だな」
「え?」
「形あるものしか価値はないのか? 吾にはそう思えぬが」
(形あるもの?)
デラは「それ!」と大声をあげてしまった。
次回『夢を歌う鯨(4)』 「さあ、準備はいーい?」




