海翼人の暮らし(2)
ハセーとケミー、コチーの三人はずっとイグレドの傍で頭を海面に出したまま。時折り皮膚の乾燥を防ぐために沈むだけでなんともないようだ。
「ラフロさんとのお話はずっと聞かせてもらってました。物質文明の話など、予想どおりなのを確認できて嬉しかったです」
フェブリエーナがハセーの触腕に触れながら言う。
「もっとお話伺いたいのですがこのままでも大丈夫ですか?」
『問題ありませんわ。当面は急な天候変化もなさそうですし』
「あなた方を襲うような生物は? なんでしたら警戒しておきます」
女性ロレンチノは『ふふふ』と笑う。
『ハセーたちが食物連鎖の頂点です。絶対に襲われないとは申しませんが、元気な状態であれば撃退できますから』
「やはり大型肉食魚種でしょうか?」
『いいえ、ほぼ同種が唯一の敵といって過言ではありません。知能の低いロレンツ種、ロレンタルの群れは多少の脅威です』
(テオドール博士の論文にもあったわ。知性に至らなかった海棲哺乳類も存在していると。我々でいえば類人猿にあたる種ね)
攻撃性は高いと記されているのをデラは目にしている。
水の星ネローメでは電波角を持つ海棲哺乳類が生態系の頂点らしい。他の大型肉食魚を駆逐した歴史が残っているわけでなく、単に劣っていたから淘汰されたようだ。
「やっぱり大きいんですか?」
後輩は怯えを示している。
『そうでもありませんわ。20mを超える個体はほとんど見られません。群れ同士であれば負けることはございませんから』
「それなら安心です。万一のときは助けてあげますう」
『来たらすぐにわかりますので』
ハセーは口を開けて笑いの気配を見せる。
「そのロレンタルも完全肺呼吸なんですよね? 不思議です」
『そんなに不思議ですか?』
「わたしたち生物学者の常識では、地上進出における必要性が肺呼吸獲得の条件でしたから。まったくと言っていいほど陸地のない惑星ネローメ、あなた方の海の世界では不要な器官かと考えられます」
ネローメにも多種多様な魚種が存在している。そのほとんどが鰓呼吸をしている。海の生活者のうち、わずかなロレンツ種だけが完全肺呼吸を獲得しているのだ。
『ロレンチノの常識では変ではありませんのよ』
ハセーが触腕を揺らめかせながら説く。
『そうなんだっけ?』
『習ったでしょう、ケミー。忘れたんですか?』
『うー……、思い出せない』
どうやらハセーは知的なほうらしい。
『海の仕組みが違うのでしたら常識も変わってくるのかもしれませんけど』
「テオドール博士はそこまで調査なさらなかったようです」
『ここの海では表層ほど溶存酸素量が多いのです。空気中から溶け込むのは海面だけのことですし、光合成をして酸素を出してくれる珪藻類が繁茂しているのも海面付近だけです。深くなるほど水中の酸素量は減っていきます』
他の惑星の海洋でも同様である。浅い海の溶存酸素量は多いし、深度のあるところでは海面表層の酸素量が圧倒的に多い。フェブリエーナはそれをハセーに教える。
『ならば、おかしな話ではございませんでしょう?』
ハセーは疑問を呈してくる。
『酸素は活動に不可欠なもの。取り込める酸素量が多ければ多いほど活発に狩りができます。それが深海域でも』
「え、まさか……?」
『ロレンツ種の祖先は選択しました。海中で取り込める酸素にはムラがある。ですが、海上の空気中には十分な酸素が大量に含まれている。それを利用しない手はない、と』
浅い海の海藻はもちろん、大洋の単細胞の珪藻や多細胞の紅藻などの藻類も光合成を行い酸素を放出する。その酸素は海水にも溶け込むが、かなりの量が空気中にも逃げている。
「より多くの酸素を効率的に得るために肺呼吸へと進化したのですか」
フェブリエーナは目を丸くしている。
『ええ、種として繁栄を目指し、能動的に狩りをする目的で空気中の酸素を利用するようになったようです。浮袋だったものを空気を溜め込むものに変化させ、そこから直接酸素を血中へと取り込む器官を発達させました』
「すごい。画期的な変化です」
『必要に迫られてのことだったのかもしれませんのよ。太古の昔には獰猛な大型肉食魚もライバルとしていたのです。互いに食料資源を争っていたのでは繁栄は見込めない』
総量が限られれば競争になる。奪い合えば栄養事情からの繁殖力が低減化してしまう。別の道を模索したのだといわれている。
『深海には低酸素でも生き延びられる魚種が生息しています。総じて動きの遅く大型の魚種が』
そんな深海を狩り場にするのも肺呼吸ならば可能だったようだ。
「肺に溜めた空気で深海にも進出したんですね?」
『そうです。浅海でも深海でも狩りが可能になった肺呼吸種はより大型化していきました。結果として鰓呼吸大型肉食魚は衰退してしまい、肺呼吸型が海の覇者の座を得たのです』
「その中からロレンツを持つ種が現れ、さらに淘汰されたんですね?」
後輩が推論を立てる。
『意思を交わし合い、集団で狩りをするほうが効率的に食事を得られますからね』
「空気呼吸による活性強化。そんなことが起こったなんて予想の上を行っています」
『偶然は進化の卵ではありませんか』
浅海には腸呼吸をする魚もいる。それらも偶然から生まれた生態なのではないか。口から空気を取り込み、なんらかの方法で酸素を得ようとする生態はそんなに不思議なものではないとハセーは語った。
「海に生まれ、海で肺呼吸に進化する。なんだか生命の不思議を感じてしまうわ」
デラは生命の多様性の一端に触れた気がした。
『生きるために生まれ、生きるために進化します。では、その先にはなにがあるのでしょうね?』
「難しい命題だわ。さらに新たな能力を獲得して進化するか、どこかで行き詰まってしまうか。そこに達したときでないとわからないのかもしれない」
『ロレンチノはそこまで行けるのでしょうか? そう考えてしまうのです』
ハセーは触腕で甲板をなぞる。
『今の海でロレンチノはこれ以上の進化を望めないのではないかと思います。それならば、外の世界に目を向けなければいつか衰退のときを迎えてしまうのではないかと不安になります。だから、この来訪は希望なのです』
「それで積極的なのね?」
『刺激を受けなければ。変化を怖れていれば停滞の中に沈んでいく道しかありません』
物珍しさから星間銀河への加盟を急いでいるのではないと感じた。彼らにも望みがあるからこそ、新しい世界へと踏み出そうとしているのだ。昔、深海へと進出したときのように。
(彼らも提供するものが必須となってくる。そうなると、私の役割も案外大切なのかもしれないわ)
フェブリエーナがどうにかひねり出してほしいみたいなことを言っていたのも頷ける。ロレンチノという人種を衰退の道へと追いやってはならない。特異な人種が多様性を生み、いずれ星間銀河を救うことになるかもしれないから。
「生きるためだけに生きるのはつまらないんな。人の命なんてそこまで長くはないんなー」
適当なようで含蓄のある言葉が差し込まれる。
「今を楽しむのも大切なんな。忘れてはいけないんなー」
「そうだね。なにしよう?」
「下を覗いてみるんな、フロド」
少年が甲板下を覗き込む。
「わあ、魚がいっぱいいる!」
『ハセーたちの大きな身体が呼び寄せてしまうようです。怖れもせずに』
「釣ろう。釣り道具あったよね?」
道具を持ってきた少年が仕掛けを垂らせば入れ喰いの状態。この惑星の魚はまったくスレていないのだ。
釣れた魚を焼いて食べ、フロドはケミーやコチーの口にもどんどんと投げ入れて楽しんでいる。
(ちょっと意気込み過ぎてたかしら)
デラも一緒に楽しむことにした。
次回『海翼人の暮らし(3)』 「美しいと思う?」




