しゃべる鯨(1)
まるで宇宙に浮かぶ青い真珠であった。
惑星ネローメには陸地がない。水深が浅い場所もあるので、よく観察すると青にも変化がある。だが、総じて青いのは否めない。
「ここまでくると美しさを通り越して圧倒的だわ」
立体感に乏しくなるほどの青。
「知的生命が発生してるのに真っ更な惑星なんてなかなか」
「物質文明がまったく進んでいませんからね」
「彩っているのは雲だけなんてね」
コンタクトする段階で接近するとなれば、普通は人工衛星なりなんなりが周回している。それは加盟国家でも同じこと。
そういう施設がまったくない惑星となると、資源採取に訪れる大気のない岩石惑星かガスジャイアント。ネローメほどの無垢な惑星にはお目にかかれない。
「大気は呼吸可能レベルです。若干、二酸化炭素が低めになっているくらいで」
「海中には生命があふれてるんでしょうけど、放出される二酸化炭素量でこれほど安定するものかしら」
「案外地殻運動が活発みたいです。今は観測されていませんけれども、時々火山島が出現して相当量の二酸化炭素を放出するんだそうです。噴火が収まるとまた侵食されて海に飲まれるんですけどね」
惑星の気候安定には二酸化炭素量が重要になる。二酸化炭素の温室効果が惑星全体の気温の平均化に重要な役割をしているからだ。
二酸化炭素量が足りなければ、熱はどんどんと宇宙に逃げる。昼の面では気温が上昇し、夜の面では極端に気温が下がる。結果として、常に嵐に見舞われているような極めて不安定な状態が続く。それでは生命の進化は阻害される。
「陸地があっても、原始惑星ではそんな感じなんですけどね。二酸化炭素量が安定してくるまでに数十億年は掛かってしまいます」
「それから植物が発生し、動物が生まれて、本格的に二酸化炭素の全体量が落ちついてくるわけだものね」
「そういう過程を経てはきたようですけどこれだけの水量を維持して、かつ生命が発生したのはあの大きな二つの衛星のお陰です」
ネローメは公転周期の異なる二つの大きめな衛星を持っている。
「複雑に働く潮汐力が風や波を生んで水の星に変えてしまったようです。撹拌された海水は生命の発生も促しました」
「いくつかの偶然が重なって生まれた美しさよね」
「それを楽しめるわたしたち人類にも偶然という幸運が必須でしたけど」
未だ解明されていない生命発生の最低条件は生物学者のフェブリエーナには人生を懸けた命題だろう。ネローメのような特殊な惑星や生命を研究することで一歩一歩進んでいく。
「もう少し降下するね」
操舵士のフロドが操縦桿を操作して高度を下げる。
「雲が無いところなら海面が見えそう。望遠してみる、ノルデ?」
「わかったんな」
「透明度もすごそうだね」
主星の光を反射してきらきらと輝く水面。風の影響で現れるさざ波が海の模様となり、広大な面積に彩りともいえる特色を与えていた。
望遠パネルの画角内はそれなりに深い海らしく均一な青一色。ただし、透き通った印象を抱くのは海水の透明度のによるものだと思われた。
「これかな、ロレンチノ」
波間に白い妖精が舞っているように見える。
「そう! あれがネローメの原住民ロレンチノです」
「普通の海棲哺乳類に見えるわね。大きなヒレが翼みたいなのは変わってるけど」
「優雅に泳いでるんなー」
流線型の身体が滑らかなくねりをして海面近くを舐めるように巡っている。全長が25mならば腕が進化したと思われる巨大なヒレの付け根は10m以上あるだろうか。尾にある扇型のヒレも大きいが、やはり胸から伸びるヒレが印象的だ。
「家族みたいだわ」
「たぶんそうです」
なにをしているかはわからないが、数人でくるくるとまわって戯れているようである。時折り、波間を割って鼻面を外に突きだしていた。フェブリエーナ曰く、呼吸しているのだそうだ。
「この環境で、どうして海棲哺乳類が進化したのかしら? 一度陸生になって生存競争に敗れて生活の場を海にってわけではないはずなのに」
デラは一般的な海棲哺乳類の発生の理由を説く。
「それが最大の謎なんですよ。どうしてかロレンチノは肺呼吸で哺乳動物なんです」
「海の生き物としては特殊よね。無い物ねだりな進化に思えるけど」
「はい、普通は必要に駆られてのことです。地上で生きるために肺呼吸をし、乾燥から逃れ少数でも生存率を上げるために胎生を獲得します」
哺乳という生態もそう。少数産仔で守りつつ、強く育てるために親が仔に哺乳をする。しかし、海という環境では多産放置のほうが親の危険が少なくてすむ。
「陸生の過去があるのかしら。この惑星が海に覆われてなかった頃が」
「あったとしてもまだ生命の黎明期だったはずなんですよね」
現在推測されているネローメの歴史からして、かなり旧い時代の話だと後輩は主張した。そうなると辻褄が合わない。
「当人に聞くのが一番早い」
二人で頭をひねっていると青年が言う。
「あはは。まあね」
「考察したがるのは学者の習性なんです」
「疎通が難しいならともかく、意思が通うなら吾は効率的なほうを選ぶ」
理解できないという風情だ。
「彼らが歴史とか記録とかそういうものに関心があればの話よ」
「それはおかしいんな。相手を知的生命体と認めるならそういった概念があると思うべきなんなー」
「……降参。そのとおりだわ」
(あの形態からどうにも高度な知性を連想するのが難しいのよ。変な常識に邪魔されるなんて学者失格だわ)
柔軟さを失えば進歩も発見もない。
「では疑問を解消するのにコンタクトをはじめましょう」
メインゲストであるフェブリエーナが号令する。
「お願いしておいたプローブを降ろしてください」
「中継子機を使うんな。サイズはかさばるけど、こっちのほうが高機能なんなー」
「そういえば戦闘用の装備もあるのよね」
機能的には大差ない物。観測機器である接触端子と、指揮系統を維持する中継子機では若干の性質が違うだけである。
電波回線でも接続できるが、今回はレーザー回線で繋げたまま海面へと投入する。反重力端子を搭載した機器はするすると降りていって波紋を広げた。
「彼らの会話が聞こえるかしら」
胸がわくわくする。
「そんなに難しくないはずなんですけど」
「好意的なのね」
「発見者が惚れこむほどですから」
海中は電波減退が著しい。なので普通の通信は音響を使用するのが一般的である。しかし、ロレンチノが会話に電波を使うのであれば何らかの特殊な方法を利用しているものと思われる。
「来たんな」
着水した中継子機の周りを一人のロレンチノがまわっている。
「音響ノックはされたけど電波は検出されないんな。ノイズだけなんなー」
子機に興味を示してやってきたが話しかけてくるには至っていない。やがて「づー、どどど、づづーど、づー」と音波変換された電波波形が現れる。
「かなり低周波なんな。翻訳するんなー」
ノルデが操作をすると星間公用語に変換された言葉になる。
『外の世界の方ですね。海の住人ハセーです。ようこそ』
「私は星間管理局の依頼を受けて交渉に参りましたフェブリエーナ・エーサンです。お話を伺えますか?」
『ハセーは海を代表するものではありません。でも、外の方に興味があります。お話させてもらえますか? いらして』
「海」というのは彼らが自分の世界を示す単語なのだそうだ。会話を求めてきている。積極的な相手はコンタクトの窓口には最適である。
「行ってきます!」
後輩は瞳をキラキラさせている。
「待て」
「え?」
「なにがあるかはわからぬ。吾が行く」
(危険がないかを確認するのも護衛の任務だものね)
ラフロの立候補は順当だとデラも思った。
次回『しゃべる鯨(2)』 「どうぞ。ようこそ海へ」




