選択のとき
ノルデはラフロの頭から外したσ・ルーンをリーダーパッドに乗せる。戦闘から抽出したデータで、ラムズガルドに特化したチューニングを加えた。
「明かしてよいものか」
青年の問う視線。
「上に報告するであろう」
「ゼムナの遺志の意図な? あれは聞かせたんな」
「意識させる」
友好的に技術を盗めないなら奪いに来ると警戒していると。
「時間の問題なんな」
「承知のうえか」
「いずれ選択のときが来るのな。人類が物質文明を極める独自路線を歩むか、ノルデの主のように精神融和型文明を築くか、どっちかなんな」
そろそろ考える時間を与えるべきだと思っている。それは彼ら個の間でも何度も議論されてきた。人類が巣立ちを望むなら放置すべきとの意見も多い。
「最初から放置してる個も結構いるんな。主を喪ってからずっと眠りに就いている頑固者も少なくないのなー」
他に主なしと断じている。
「不遜だ。善意を曲解するとは」
「見逃してやるんな。人工知性の在り様を正確に理解するのは難しいのな」
「慈愛を知らねばならぬ」
ラフロには面白くないらしい。
「望まれないなら仕方ないのな。傍らにいるものとはそういうものなんな」
「享受を望むだけなのは堕落だ」
「みんながラフロみたいに道を極めるのは無理なんな」
(自分の在り方を定める。簡単ではないのな)
愛し児は早くにそれを選んだ。
(ノルデみたいに最初から決まっていれば安定するのな。でも、人間は不安定なんな。そのゆらぎが学びの歴史を作っていくのな)
「望むのは贅沢だと思ってるんな?」
座ってる青年に近づき頭を抱いて頬を寄せる。
「望みこそが力なんな。それが人を強くするのな。でも、過ぎれば転ぶんな。転ばないよう支えてやるのがノルデたちなんな」
「吾は常に望んでいる」
「ノルデだけなんな。もっと多くを望むだけの力があるのな」
示されなければ支えるのも不可。
「値するほどのものか? 足らぬ」
「評価が低いっていうんな? それほど上等ではないのな。この愛は作られたものなんな」
「人類は与えるに値しない。ノルデも間違っている」
彼の評価が厳しいのはいつものこと。求道者から見た人類はひどく自堕落に映るのだろう。
「でも、与えることしか知らないのな」
アテンドとはあくまでそういうもの。
「それが違う」
「なにが違うんな?」
「望んでもいい」
彼も理解者ではないかと落胆しそうになる。
「望み望まれる。正しい関係だ」
「存在意義を奪っては駄目なんな。困ってしまうのな」
「困らぬ世界にせねばならぬ」
感性の問題なのだとノルデにもわかっている。ラフロのように幼い頃から彼女を家族同然に育ってきたならば違いを意識しない。どんな生体端末を使おうとノルデはノルデなのだ。
しかし、そういう環境になく、背景を知る者にとっては人造物でしかない。彼らも自覚している。自身を生命だと考えるその一線を越えたとき、もっと危険な存在になってしまうだろう。ゆえに自戒している。
「そんなに同じところにいたいのな?」
願いの根底にあるのはそれだ。
「値するからだ。対等であらねばならぬ」
「いけないと言ったんな。人が作れては社会が壊れてしまうのな」
「そうはならぬ。遺志は増えぬではないか」
青年の言うとおり現存するゼムナの遺志は増えていない。
「技術的には簡単なんな。その枷を外しては駄目なんなー」
「覇権を望むほど愚かではない。それに……」
「なんなのなー?」
ラフロの驚くほど透きとおった瞳は純粋さを示している。視線を浴びていると自分が間違えているような気分になってしまいそうだ。
「増えたところで人にはならぬ」
ズバリと指摘してくる。
「気づいたのな?」
「ノルデはノルデ一人しかおらぬ。ノルデがノルデになるのにどれくらいの時を必要とするか? 主の影響もあろう。人が個を得るのに十年以上の時を要するのと同様、ノルデが人になるのに同じかそれ以上の時を要するはずである」
「偉いんな。ノルデだけを見てくれていたからこそ気づけたのな」
彼女を構成するのはデータと記憶である。有機デバイス本体に記録されている。しかし、同じ有機デバイスにデータと記憶をコピーしてもノルデにはならない。有機デバイス内での神経チップの繋がりが個性を生みだしているからだ。
これは人間にも当てはまる。再生技術を用いれば人体そのものも作成可能だ。それは脳髄も同じ。ただし、元の体の記憶を司る神経電気信号をコピーしようとしてもそれは不可能。神経細胞同士の繋がりが個性を形成しているから。
(だから人は不老不死であることをあきらめたんな。複雑極まりない神経細胞の繋がりまで再現するのは人類にも不可能だったんな)
ゼムナの遺志にも出来はしない。
「ノルデだけがノルデであるのを認めて望んでくれるのな?」
熱いものが意識を巡る。
「無論」
「こんなに嬉しいことはないのな」
「吾を選べ」
無欲で純粋な心の声。
「大切なんな。ノルデにとってもラフロはかけがえのない存在なんな。それだけじゃいけないのな?」
「望むのは博愛ではない。ノルデの幸せだ」
「十分に満たされてるのな。これ以上は贅沢なんな」
掛け値なしの言葉は伝わらないだろうか。
「吾にはもっと望めというのに自らが望まぬのは不公平である」
「満たされてるから返すのな。ラフロから奪った時をラフロに返すのな。当たり前のことなんな」
愛おしさがあふれる。
父のミゲルは協定者として申し分なかった。理念を貫くべく今も走っている。役目を終えた彼女でさえも家族として迎えた。それだけで十分だったのだ。
ただし、ラフロのことを除いては。慙愧の念以外のなにものでもない。なにが人を作りあげるか知っていたのに知らぬふりをしてしまった。落ち度である。
(ラフロの愛に応えるだけでは駄目なんな。カレサレートの家を在るべき形に戻したことにはならないのな。ラフロを今のまま寿命まで見守っても、それは自己満足なんな)
残るのは悔いだけ。
しかし、出口は見えない。人工知性の領分を守ってるかぎり無理なのかとも考えた。逸脱するのは恐怖をともなって踏みだせない。持て余すほどの感情は彼女を変えてしまいそうである。
「どうすれば満たせるのな?」
もう一度青年の頭を抱く。立派な角の間に顔を埋め頬ずりする。ノルデでさえあふれそうなほどに湧いてくるものが彼にはない。失われた時を戻す技術がないのが恨めしい。
「どうすれば戻せるのな?」
悲痛に歪む顔を見せてしまうのはラフロにだけ。そんな葛藤を表してしまえば頼りなさを感じさせてしまう。だから、他の者には見せられない。なにがあろうと、ひたむきに彼女だけを見つめてくる彼だからこそ隠し事など必要ない。
「どうすれば……贖えるのな?」
額を合わせて視線を繋ぐ。その瞳に色を宿すことができるなら、どれだけの時間を費やしてもいい。与えられるものはどれだけ与えてもいい。許せるものはどれだけ許してもいい。気持ちが額へのキスとなって表れた。
「吾を求めよ」
真摯な言葉が胸を打つ。
「奪ってしまってるのな」
「真に吾を求めよ」
「これ以上、なにをもらえばいいのな?」
頬を包む彼女の手が熱を帯びている。
「全てを求めよ。そなたの剣にせよ」
「……不遜なことなんな。人との関係性を壊したら行くとこがなくなってしまうのな」
「吾を剣として遺志を成せ。正しき形である」
(あってはならないことなんな。それなのに、どうしてノルデはこんなに嬉しいと思ってしまっているのな)
ノルデまた深い迷いの中に沈んでいった。
次回『兄弟激闘(1)』 「今ある戦力でどうにかしないと」




