凍れる森で(2)
人が恋をするのは本能だと言ってしまえばそれまで。それだけでは語れない。同性にも及ぶとなれば、知的生命の精神性にも関与しているだろう。
「種の保存のためだけではないか」
ラフロもそれくらいはわかっている様子。
「解き明かせないものよ。古くから現代でも詩人は病気みたいなものと表現するわ」
「どうにもならぬのだな」
「意識した時点で罹っている病気ね」
デラは自身の経験から自嘲してしまう。
「きっと、どうしようもなく寂しいのよ。一人では埋められないなにかがあるんだわ、身体にも心にも」
「吾は欠いているのかもしれぬ」
「そう? そんなことないと私は思うけど」
青年も忘れようとして忘れられなかったものを求めているのだ。普段はあまり表れないが、発情期のときの彼なら傍から見てもわかる。ノルデを求めているのは身体だけではない。
(あの情熱を見てしまったから私も罹ってしまった。困った病気に)
それまでは本気で考えてもいなかったのに。
ラフロは男としては理想なのだ。強くたくましく、そして誠実である。芯があり、決して折れない。女性を守ろうとする気質も強い。
しかし、異性としては難しい。愛されたいと願うならば、これほど向いていない人もいないだろう。よほど慣れないとなにを考えてるかさえわからない。
「あなたの中にも恋情の芽はある。それは欲しいと思う欲望につながっているもの」
デラは確信している。
「ノルデを求める心は、子供の移行対象とは違うの。母親の愛の代償行為じゃないわ。存在意味を外に求めただけ。自らの在り方を決めるために」
「そう見えるか?」
「ええ、おそらく間違いない。踏みだすのが早すぎたから不自然に見えたのよ」
移行対象のような単純な依存ではない。選ばれることを願うという相対的人間関係への発露だったのだ。それは親愛ではなく恋愛に似たもの。
「あまりにそれだけだったものだから奇妙に見えたのね。完全に欠落しているように思えてしまったんだわ」
「失われていないと?」
「少ないだけ。私にはあなたの奥底で燃えている情が感じられる」
(だからこそ羨ましいと感じてしまったのよ、それほどに集中して想われているノルデを)
感情が傾きそうになる。
(いけない。あふれてしまいそう」
略奪欲とは違うはずだ。彼女にそんな性向はない。ただ、それほどまでに真摯に想われたとき、自分はどう感じるだろうと考えてしまったのが起点である。
「このあたりでもう一回試料を取るわ」
「うむ」
意識を調査に引き戻さないと暴走してしまいそうだ。学者でいられない自分がうとましい。人間は感情の乗り物であると実感してしまう。
(抑え込んでるだけなんて理性的な振る舞いじゃないのね)
苦笑がもれる。
意識的に淡々と作業をする。没頭しようとすればするほどに頭の隅に追いやったものが大きくなってしまう。
「今日はここまで、ね?」
「承知」
クレーターの外輪山が見えてきたあたりで休止を告げる。
「先に行け」
「お言葉に甘えて」
「吾もつづく」
(優しくしないで)
いつもは心地よいのに、今日のデラにはつらかった。
◇ ◇ ◇
必死で解析機器に食らいつき、熱いシャワーを浴びてお腹をいっぱいにしたら、どうにか眠くなってくれた。思い悩まないですむほど自分をいじめるのは健康的とはいえないが。
「どんな感じー?」
「アルミニウムとかゲルマニウムが多いのな」
「だいたい予想どおりの比重の名前が並んできたわね」
ラゴラナの腰のコンテナでサンプルに解析磁場を照射してイグレドのシステムで解析している。単体で行うより素早い結果に満足する。
「外輪山を越えるんなー?」
「ええ、ここからはちょっとテンポ早めでいいかも」
「ルート確認で先行するのな。マップに反映するんな」
純粋に距離ごとのサンプリングが理想なので、地形が複雑でないほうがいい。クレーターの外では飛散した物質が吹き溜まったりしない地形を選ぶ方針で計画していた。
「飛びましょ、ラフロ」
「了解した」
上空を先行していくイグレドを見送りながら高度を取る。ルートに落とされたピンを基準に解析を進めていった。
「ちょっと休憩」
「うむ、風よけくらいにはなろう」
ラムズガルドの背中は凍りついた木立だけが残っている森へと向かう。熱を持ちはじめたばかりの凍土の大地はどこも強風が吹き荒れていた。
「待ってね」
降機したラフロが支えようとラゴラナの前で待っている。降着姿勢を取らせて手の上に乗った彼女は足元へと降りる。手を引かれて凍土へと足を着けた。
「んー!」
伸びをする。パイロットシートは長時間の搭乗にも耐えられる設計になっているものの、やはり降りて背筋を伸ばすと楽になる。リフレッシュのための休憩なのだ。
「窒素74%、酸素24%、アルゴン1%、二酸化炭素0.02%。問題なし。バイザー開けても大丈夫よ」
一応大気分析をする。
「その代わり寒いのは覚悟してね。気温マイナス2℃」
「見ればわかる」
「まだ凍ってるものね」
樹氷ではない。完璧に氷に覆われているのである。木の幹はまるで氷に封じられているかのようだった。
大気は循環を取り戻して熱を帯びはじめているがまだまだである。とはいえ、エカジラ星系に辿り着く前はマイナス150℃前後だったことを考えると温まってきたほうだ。
「ノルデが持たせてくれた」
「ありがと」
無重力タンブラーを手渡される。キャップを外さなければかなりの保温性がある。吸口からもれでる蒸気から良い香りが漂ってきた。
木の根元に青年が敷いてくれた断熱シートに腰掛ける。足を投げだして幹にもたれた。氷のごつごつとした感触はあるがフィットスキンのお陰で冷たさはない。
「あなたも」
「ああ」
隣を手で叩くと、ラフロは大剣を脇に置き片膝を立てて座った。デラは彼の肩にもたれ直す。ごつごつとした感触が氷とそう変わらないのが少し面白かった。
「疲れたか?」
「身体はね。でも楽しい」
心は躍っている。
「学究に心血を注げる人間は敬意に値する。吾にはできぬ」
「そんなに違う? あなたの剣技と一緒よ。極めていこうとすれば時間も体力も奪われる。でも、それに見合うものは返ってくるわ、達成感とか満足感とかそんな形で。名誉とかお金とか、そういうのは余禄」
「後者が目的になってしまうこともあろう。吾とて求められると思うから剣士、正確には戦士であろうとした」
首尾一貫している。
「それも間違ってないと思うわ。目的意識が純粋なら。学者が名誉やお金を求めると、まるで欲にまみれた俗物みたいに扱われるけど、自分が身を立てるために知識を用いるなら問題ないんじゃないかしら」
「権利はある。努力もした。ならば得るのは道理である」
「そうよ。でも、先生って呼ばれる人物は職務に神聖さを求められがちなのよね」
人格者であることを求められる。学者も同じ人間。なのに同じ欲を持つのを許されない。公にそういう発言をすれば指弾される。
「教育の場なら人格者たろうと努力はします」
自戒はある。
「人目を気にして乱れたところは極力見せないようにするわ。でも、それ以外の場所では普通でいたい。美味しいものに目がないし自堕落に暮らしてもみたい。知識欲が強いのは認めるけどほんの少しよ」
「そうなのか?」
「そうだと思いたいわ。今だって、別の感情に押し流されようとしてるんだもの。なんだと思う?」
ラフロは「わからぬ」と答える。
身を起こしたデラは青年の横顔を見ながら少し儚げに微笑んだ。
次回『凍れる森で(3)』 「いい年して少女みたいな恋してる」




