ラフロの恋唄
星間平和維持軍の聴取を受けたデラはようやく解放されて一息つきたい気分。それでも、ノルデが手を回してくれたのか短時間ですんでいる。
当の美少女はもっと上のほう、星間管理局本部の人間と話すために操縦室に残った。フロドも疲れたと言って部屋に戻っている。
(あんなおかしな妄想に付き合えないし)
ポレボー要塞建造に関わっていた司令官は、イグレドが他国と結んで妨害工作をしていると主張していた。そんな事実はないしGPFも聞く耳を持っていない。
正規ルートの公務である証明書式を確認してもらって終わる話。イグレドの行動も調査のためだと貫いた。青年の行為も正当防衛の範囲である。
(あら?)
そのラフロがカフェテリアのテーブルに一人座り外を眺めている。
「一緒しても大丈夫そう?」
ドリンクのタンブラーの一つを彼の前に置く。
「もうピークは過ぎた。薬が効きやすい」
「減退時のほうが楽なのね。それはよかったわ」
「世話を掛けた」
青年の繁殖期も終わりが近いようだ。衝動もかなり抑えられているという。元どおりに近い穏やかな面持ちがそれを証明していた。
「ちょっと想像しづらいんだけど苦しいもの?」
一時的な性衝動とは異なるだろう。
「意のままにならぬのが困る」
「仕方ないんじゃない? だって生物的特徴なんだもの」
「自分だけですまぬではな」
普段は乏しい欲求に支配されるのが我慢ならないのだろうか。しかも、それが他者にも危害をくわえかねないものなのが青年を苦悩させるらしい。
「難題よね。あなたの場合、そのときはそのときって割り切れるタイプじゃなさそうだもの」
常に剣士であろうとする芯があるだけに。
「使えぬ身になる」
「そう卑下するものではないと思うんだけど実直だものね。仕事を控えるのが正解かも。私も他に思い浮かばない」
「閉じ込められるほうが楽かもしれぬ」
普通なら相当の苦痛になる措置。しかし、少年期に一人隔離された生い立ちを持つラフロには日常なのかもしれない。
「よくないわ。きっと恋人を作るのが一番の薬」
「それも吾には難題だ」
窓の外にはガス惑星へと落ちていくポレボーの姿。それは人の攻撃性の結晶のように見える。
優越感という情動が時間と資金と労力を費やすに値するとして建造されたもの。青年には無きに等しいものの象徴が破壊に瀕しているのは皮肉である。
(人間というのがままならないものなのかもね)
そっとため息を挟む。
(かたや感情に振りまわされて破滅へと手を伸ばし、かたや慣れない情動に困惑して扱いかねてる。かく言う私だって彼に対する感情の正体をつかめないでいるくらいだもの)
母性なのだと思っていた。当然のように備わり、いじらしささえ感じさせる青年の一本気に発動したとしか考えられないでいた。
しかし、蓋を開けてみればどうだ。いざとなれば欲望に身を任せてもいいと感じるほどの情が湧いてきたのだ。それは決して母性ではないはず。
「いつか……、いつか手に入るはず」
思いがけない言葉が口をつく。
「だってあなたも人間だもの。その身体だって感情と欲望の乗り物なんだもの。失ったままでは……、うん。成立しないの、きっと」
「そういうものか」
「ええ。成功も失敗もなにもかも、人の根底にある感情ってものが生みだしてる。もし、それなしに成立するのだとしたら肉体なんて必要なくなってしまう」
取り止めない会話をラフロは真摯に受け止めてくれる。
「かもしれぬな。吾は根を間違っているのだろう」
「そうじゃない。剣でいたいという思いだってあなたの情動の一つなの。捨てては駄目。そこから引きださないと」
青年は目を瞠って彼女を見る。普通ではないと言われつづけ、自分でもそうだと思い込んでいたか。思わぬ指摘に驚いたらしい。
「ぶつけてもいいの。望んでもいいの」
できるだけ優しく告げる。
「あなたと親しい人はそれで傷ついたりしない。取り戻してほしい。本当のあなたと一緒にいたいと願っているから」
「デラは優しいな。その優しさは己が身を傷つけやしまいか?」
「傷ついてもいいのよ。だって皆、そうやって生きているんだもの」
許しがなければ関係は成立しない。
「我欲だけで誰かを傷つけては駄目。でも、自分を殺しつづけるのも駄目。あなたが一番わかっているのではないかしら」
「自覚はある」
「そろそろ許してあげて。自分の中にある芽を育てるの」
大気との摩擦で赤熱したポレボーはアンモニアの雲に沈んでいく。圧潰して爆発したか、描かれる雲の縞模様にプクリと目が浮きでてきた。それがラフロの中に生まれた感情の芽であるかのようにデラには見える。
「いつか届こうか」
彼の黒い瞳に意思のきらめきがある。
「吾の願いは主のもとに」
(主? ノルデのこと?)
青年の思いを一身に受ける存在は他にいない。
(願いが届く? もしかして……)
ラフロが抱いているのが幼い日にすり付けられた依存心だけではないとしたら。彼女に必要とされるもの、そこを目指しているのが単なる執着ではないとしたら。ただ、隣りにいてほしいという欲求、恋心の発露なのだとしたら。
(あ、よく考えたら当然じゃない)
彼の性質が物語っている。
(いくら欲求が強まったからってノルデに夜の相手をしてもらおうなんて耐えられるはずがない。我慢なんて誰より得意なんだもの。拒むに決まってる)
頑として譲らないだろう。憐憫にすがるだけの行為など青年が自分を許せるはずがない。それくらいなら完全に閉じこもってしまうはずだ。
(それなのに、あの大人ノルデを受け入れてる。それはなに?)
答えは出ている。
(告白なんだわ、彼なりの。自分の恋心を相手に知ってほしいがために情という形でぶつけてる。身体だけじゃない、心も欲しいと抱きしめているんだわ)
夜ごとに唄う恋。言葉にするのももどかしく、全身に心を込めて訴えている。超越の存在はそれに気づいていない。
(夜空の瞬き、星の吐息のように訪れる恋の季節)
ラフロの想いもピークに達するとき。
(彼がノルデの心の扉の前で奏でる小夜曲はいつになったら届くのかしら。難しいわね。だって彼女は母親のつもりなんだもの。だったら私にも……?)
デラは自分の中に芽生えた感情に少し驚いた。
◇ ◇ ◇
「ほら、早く!」
「わー、押さないで!」
フロートでくつろいでいたフロドを海に突きおとす。
「ひどいよ、デラ! 僕、泳ぐのあんまり得意じゃないって言ってるじゃない」
「だから鍛えてあげるって言ってるわ」
「技術的な問題じゃなくて体脂肪率の問題なんだって」
彼女の提案したバカンスにイグレドチームの面々も二つ返事で乗ってきた。ラフロも皆が喜んでいるならと同調する。
「美味しいのなー」
ノルデも背の高いグラスに積まれたフルーツと生クリームとシロップの塊に舌鼓を打っている。フリルをふんだんにあしらった水着なので、お腹が膨れたら遊ぶつもりだろう。
「わぷっ!」
足が攣った。
「意地悪するからだよ!」
「言ってないで助けて」
「うむ」
たくましい長躯に抱きあげられた。足の付く場所だったので本気で溺れていたのではなかったのだが。
「大事ないか?」
「大丈夫」
彼女のビキニ姿を見るラフロの瞳にあのときのような熱情はない。
「そうか」
「ねぇ、次のナナンマまでに私をおとしたら、この身体を自由にできるわよ」
「吾以外になら魅力的な誘いなのであろうな」
(この要塞は難攻不落かもしれないわね)
デラはつれない青年の頬をつねった。
次話『ささやく雲のララバイ』『名誉の汚れ(1)』 「そんなふうに言ってくれる人はマイノリティよ」




