ハイド&シーク(4)
一瞬だけうかがえた面立ちは女でも見惚れるほどだった。真っ直ぐな漆黒の髪は艷やかに舞い、腰を覆うほどの長さを誇る。バストやヒップラインも理想的といえるもの。そこまでは記憶を手繰れる。
(でも、ここはイグレドの中)
デラが今いるのも自室のベッドである。
ましてや隠密航行中。第三者が入れる状況ではない。それなのに見知らぬ誰かに出会ってしまった。
悩んではいたが寝ぼけてはいなかったはず。白昼夢を見たわけではない。確実にあの美女は存在したのだ。
(私の部屋からカフェテリアに向かおうとしたんだから船尾方向。機体格納庫へのフロアエレベータの向こうは機関部とかがある立入禁止エリア。そこに誰か住んでるの? 深夜になると出てくるっていうの?)
警備艇がイグレドを幽霊船だって騒いでいるのを笑えなくなった。デラは船内に出没する美女の幽霊に出会ったのだろうか。そんな怪談じみた話は遠慮したい。
(違う。会話したんだもの。実体はあると思う。誰かが船尾エリアでハイド&シークしてる? ノルデがそんなの見逃すわけないじゃない)
答えは出ない。しかし、このままでは恐怖心と好奇心が綯い交ぜになった感情を処理できない。立入禁止エリアに忍び込むのはイグレドの皆に義理が立たない。
(ノルデに訊く? 彼女が隠したがってるのだとしたらラフロやフロドの前では訊けないわね。タイミングを選ばないと)
ろくに眠れなかった頭ではろくな考えが浮かばない。もう一度眠ろうとする。しかし、美女のことや昨日のラフロのことが次々と頭をよぎって上手く寝入れない。そうしているうちに着信音で引き戻されてしまう。
「フェフ?」
相手の表示は後輩のもの。働いてくれない頭に悪態をつきながら応対する。
「なあに、フェフ?」
「あ、先輩。出てくれたんですね」
履歴を残すだけのつもりだったらしい。
「用じゃないの?」
「用というか、どうするか相談なんですけど」
「難しい話だったらまたにして」
今はまともに答えられる気がしない。
「そんなでもないです。前に話してたチケット取れそうなんですけど、先輩、いつの間にかフィールドワークに出ちゃってるんですもん」
「ああ、ごめん。言ってなかったわね。急だったから」
「そうだったんですね。それで、例のステヴィア・ルニールの特別公演、二週間後なんですけど戻ってこれそうです?」
たしかに以前話した記憶がある。だが、今はそれどころでない状態。依頼もいつまでに終わるかわからない。
「悪いけど遠慮するわ。トラブってて時間が読めないの。キャンセル料がいるなら払うから」
イグレドチームとの関係性が大事である。
「それはいいんですけど、チケット浮くならチューリと行くので」
「例の友達ね。そうしてちょうだい」
「でも先輩、まさかイグレドじゃないですよね?」
怪訝な声音で訊かれる。
「え、なにか変?」
「そうなんですか!? 先輩、とうとうその気になったんですね?」
「その気ってなによ」
後輩の声が微妙なニュアンスを含んで跳ねる。残念がっているような、面白がっているような、判断しかねる雰囲気だ。
「だって、今『ナナンマ』ですよ?」
「ななんま?」
全く意味不明の単語。
「え、調べてないんですか? カレサニアンの発情期です」
「はつじょう……き?」
「宇宙暮らしだと多少はズレるかもしれないけど、その季節なんです。この時期のカレサニアン男性と同席するってことは、ベッドに誘っているのと同じことなんですよ?」
働かない頭が余計に混乱する。
「ベッドにって……」
「OKってことですよぅ。恥ずかしいから言わせないでください」
「マジ?」
(あれってまさか?)
ラフロは普段から素っ気ないので意識しなかったが、フロドは若干よそよそしいと感じていた。距離を置いている印象。今思えば意図して接触を避けていた。
(そんな状態なのに私は図々しくもいつもどおり接してた?)
鈍感にもほどがある。青年のことをどうこう言えない。
(ラフロに普通に抱きついたりして、ほんとに誘ってるも同然じゃない。あれは欲情したんじゃなくって発情してたのね。本能的なものだとしたら、めちゃくちゃ我慢してくれてたんじゃない)
彼女を傷つけまいと必死で突き放したのだろう。ラフロが珍しく情動を見せたのはそのためだ。
(なんて勘違い。恥ずかしい)
穴があったら入りたい。
(この時期に仕事を受けてないのも当然よね。女性と同席する機会があるとなにが起こるかわからないんだもの。彼らの理性にも限界があるだろうし、なにより耐えられないかも)
トラブルが起こる可能性が高すぎる。接触を避けるのが一番の対策だろうとすぐにわかる。
「知らなかったんですね。じゃあ、自然に受け入れたんですか」
後輩はなにか勘違いをしている。
「受け入れてないわよ」
「え、なにもないんですか? ほとんど自制が利かないんで、お国ではお休みになるそうですよ。女性はそれほどではないけど、男性はとても仕事なんてできない状態だっていいますから」
「バカンスってとこだけ正解だったわけね」
出掛けられる休暇ではないが。
「なんです?」
「いいえ、こっちのこと。依頼を渋られたのは本当よ」
「でしょうね。なにもないっていうのが信じられないです。カレサに行ったときにナナンマの対策があるのか聞きたかったんですけど、さすがに恥ずかしくて聞けませんでした」
今からでも対処すべきだろうか迷う。単純な話、デラが部屋から出なければ二人は自制に苦しまなくてすむだろう。ただし、仕事は進まない。発情期が過ぎ去るまで自粛するのが順当か。
「色々と思い当たる節があるわ。どうにかしてみる」
彼女のほうがハイド&シークするのが正解だろう。
「そうしてください。ラフロさんたちがかわいそうですよ」
「そうね。迂闊だったわ」
「教えておけばよかったですね。すみません」
責められる話ではないので「いいのよ」と言って通信を終える。
膠着状態の今はデラが引きこもったとしても問題がないかもしれない。だからといって、フェブリエーナが言っていた二週間のナナンマを無為に過ごすのもなんである。ノルデは次手を考えている様子でもあった。
(でも……、どうなのかしら?)
事情を知って改めて思う。
(求められたら受け入れる気になってのも本当。それでよかったの?)
深い仲になったときラフロはどうするだろうか? あの義理堅い青年ならば本能的な行為だったとしてもなおざりに収めようとはしないだろう。パートナーとして迎えようとするのは予想に難くない。
(これまでの付き合いでわかること)
考えるまでもない。
(だとしたら? 私、彼と結婚してもいいと思ってた? もしかして、いつの間にか好きになってたのかも)
これまでの経験から自己分析する。彼女は一目惚れするタイプではない。しっかりとした人間関係を構築する中で相手を異性として受け入れるか考えるほうである。恋愛になっても問題ないか自分を確認してから始まる関係が全てだった。
(身体の関係を許す気になっていたということは、恋愛関係も問題ないと思っていたってこと。やっぱり、ラフロを好きなのかしら?)
そこだけは今ひとつ自信が持てない。恋愛ではなく仕事のパートナーという意識も強い。憐れむ気持ちがあるのも事実。愛情なのか母性の発露なのか際どい感じがする。
(答えを出すのに時間掛かりそう。とりあえず当面の問題解決をノルデと相談しなきゃ)
問題はそれだけではないのだ。
「ノルデ」
繋げたパネル内の少女に問いかける。
「ごめんなさいね。私、ナナンマのこと知らなかったの。このまま引きこもったほうが良くないかしら?」
「それについて話すんな。来てほしいのな」
デラは操縦室へと招かれ当惑した。
次回『美女の正体』 「大丈夫、ラフロ? 無理してない?」
 




