ハイド&シーク(3)
操舵士の男は青ざめた。本来ならターゲットを発見したのを喜べばいいはず。それができない。
見つけた魚影のごときシルエットは低いアンモニアの雲の中、つまりガス惑星の強力な重力に捕らわれたまま飛んでいる。しかも、噴射光が見られない。ただの影なのだ。
「馬鹿な!」
「嘘……だろ?」
二人して驚愕する。
いくら反重力端子搭載艦艇でもガス惑星の重力の支配下にある高度まで降下するのは危険を伴う。簡単には落下しなくとも、推力が不足すれば離脱できない。
なのに、霞む船影はそんな低い高度をプラズマブラストの光さえ発さない状態で飛んでいる。まともな状態であるわけがない。
「まさか……」
「本当に幽霊船なのかよ」
彼らの警備艇ポーラ7は秒速にして1000mを超える速度。並走している船影も同等の速度を出しているのに一切の噴射をしていないのは道理に合わない。
「システム、どうしてアンノウンを教えない?」
悪い予感を誤魔化したくて訊く。
『不明機とはなんでしょう? より明瞭な質問をお願いいたします』
「馬鹿言ってるんじゃない! この距離なら重力場レーダーにだって映ってるはずじゃないか!」
『重力場レーダーに反応ありません。ご指示どおり監視は続行中です』
冗談を言うはずのない制御システムにとぼけられる。
「そんなもん、見れば……! くそ、ノイズに紛れて見えないか」
「でも、いるぞ」
ワイヤフレームの重力場モニターはスケールが大きい。実視で広範囲を見ることが可能な分、近くに大質量があるとそのノイズの中まで見分けがつかない。システムは並行してノイズの詳細分析までしているのに、見えている船影をキャッチできないという。
「本物なのか」
サブシートの同僚の顔はすでに恐怖に歪んでいる。
「そんなわけない! レーザースキャン打て。目で見えてるんだから映る」
『レーザースキャン発射。反射光ありません』
「なんだよ! なんだってんだよ!」
観測手段すべてが彼らの目を裏切っていく。見えているのに、そこにないものと見なされているのだ。
「冗談じゃない! 呪われて堪るか!」
「おい!」
サブシートの男が緊急時操作を行い、操舵権を強制奪取する。ポーラ7は周回軌道から抜け、基地へと反転する機動を取った。
「ちゃんと確認もせずに……!」
「お前が錯覚だって言うから付き合ってやったが、これ以上やってられるかよ!」
操舵士も錯乱した同僚の行動にどこかホッとしていた。
◇ ◇ ◇
(国軍のセキュリティでさえノルデにとっては玩具みたいなものなのね)
レーザー回線の確立を検知させる暇もなく乗っ取る。
相手の検知能力をことごとく奪っていくさまをデラは後ろから眺めていた。警備艇のシステムは完全に騙されて乗員に嘘を教えていることだろう。
至近距離にあるだけでほぼ彼女の掌中である。独立系の統合システムまでは不可能だというが、大きめの扉があれば簡単に入っていけると思われる。
(星間管理局のメインシステムでも彼らにどこまで覗かれてるか把握できてないでしょうね。怖い怖い)
見逃してもらっているのではなく興味の対象ではないのだろう。ノルデたちはもっと大きな流れ、時代を形作る壮大な人類の力学を監視しているように感じられた。
「面白くなったところで逃げるんなー」
「十分に恐怖よ!」
落胆する美少女にツッコむ。
「もうちょっと粘ったらドン底まで落とせるのにね」
「君も君でしょ、フロド」
「なにが?」
彼女は「まったく」と呆れる。
少年は視界の悪い中、重力変動の大きいガス惑星の大気圏を一定の高度を保って飛んでいた。計器だけでそんな芸当はできないはず。ある種のセンスがそれを可能にしている。
「次はどうするの?」
「脅すのはここまでなー。目端の利くものなら……」
語尾をぼかした少女にデラは首をかしげる。
◇ ◇ ◇
サウズ・チャナルは苛立っていた。彼の思い描く監視体制が整っていない。星間管理局のチャーター船の問題はもちろん、今は予算監視委員会なる怪しげな団体の工作船の接近も危ぶまれる。
『ポーラ7の観測データ解析が終了しました』
命じていた件をシステムが報告してくる。
「結果は?」
『重力場レーダーで船影が確認できます』
「しかし、システムは検知していなかったと報告があるぞ? 乗っ取られていたのか?」
部下の手前、一概に虚言と断じられない。
『ハッキングの痕跡は確認できません』
「矛盾しているではないか」
『解析不能の事態が起こっています』
そうとしか答えてこない。システムには曖昧な推論を立てる機能など持たされていないのだから仕方ない。あとは基地司令の彼が判断すべきなのだ。
「聞け」
司令室の要員に周知の声を掛ける。
「どうやったかは不明だが、当該の管理局チャーター船は沈んでいないものと思われる。電子戦攻撃に警戒せよ」
サウズは明言した。
◇ ◇ ◇
イグレドとしても攻めあぐねていた。警備艇の動きに予想したほどの混乱はない。ポラボーの厳重な警戒が緩んでいなければ接近するのは難しい。
時間だけを費やす結果に業を煮やしていても手の内が読めないでは策に困る。致し方なく隠密航行を続けながらも日常業務は不可欠。命を預ける機体のチェックは毎日のことになる。
「ラフロ!」
コクピットでラゴラナの状態を確認したデラは、ラムズガルドの外観チェックをしている青年に声掛けをする。自身もメッシュフロアに降りるべく身を躍らせた。機体格納庫の低重力でゆっくりと落ちていく。
「ありがと」
「むぅ……」
青年の胸に飛び込む形となる。以前に何度も同じことをしているので特に意識もしなかったのだが、この日は反応がおかしい。彼の身体がこわばったのがわかる。
「あら?」
急に息を荒げたラフロが彼女の身体をアームドスキンの脚に押しつける。両手で肩を掴まれ逃げられない。握る力も強い。
瞳には熱情の色が見える。そういう男なら幾度となく見てきたが、青年にそんな目で見られたのは初めてだ。戸惑って振り払えない。
「ラ……フロ?」
「すまぬ!」
彼は眉を歪めて引き剥がすように身を引いた。踵を返すと、顔を手で覆って歩み去っていく。なにかを堪えるかのように。
(え、今の? もしかして私に欲情したの?)
唐突なことに驚いた。
(そんな素振りは全く見せないけど、恋に近い感情が動いてるのかしら?)
悪くない傾向といえる。青年が感情を取り戻すにはやはり多くの人の中、それも親近者などの特定された面子でないのが好ましい。その結果が出つつあるのかもしれない。
(もしラフロが恋心を抱いているのならどうする? 私を抱きたいと欲望を持っているのなら)
仮定して自身を顧みる。
(抱かれてもいい? 違うわ、それ以前に彼をどう思ってる? 誠実な人柄は好ましいわ。結婚とかはまだ考慮外だとしても、男女の仲になるのに躊躇を感じない)
気持ちを一つひとつ確認しながら今後を考える。悪い癖だと思う。自分の心までロジカルに分析するからなかなか恋人もできないのだ。熱に浮かされるような恋にも憧れるのに。
夜までなんだかんだと考えていたら寝付けなくなった。ベッドで何度も寝返りを打つ。喉の乾きにタンブラーに手を伸ばすが中身は空だった。
(カフェまで行かなきゃ)
パネルをタップしてドアをスライドさせて通路に出る。考え事の所為で注意が削がれ、出会い頭にぶつかりそうになった。
「失礼」
「ああ、ごめんなさい」
謝ると、長い黒髪をひるがえして会釈した美女が去っていく。迂闊なことをしてしまったと反省し、そこでふと気づいた。
「誰っ!?」
我に返って振り向くが、デラの視線の先には誰もいなかった。
次回『ハイド&シーク(4)』 「OKってことですよぅ」




