望まれない客(2)
デラの背筋を悪寒が駆けのぼる。視界の隅をよぎったなにかは多脚を持っていたのだ。それは軽いトラウマを呼び覚ます。
地質学のフィールドワークをしていれば虫などいくらでもいるし、気づけば身体を這いまわっている。それは気にならない。
しかし、一定以上の大きなものとなると巨大昆虫の惑星ワリドントの一件以来、恐怖を感じるようになってしまった。滅多に会うものではないので日常に支障は出ていないがなにかの拍子に思いだしてしまう。
「うっ……!」
拒否感から後退りする。気づけば操縦室から逃げだしていた。頼れるものを探して目がさまよう。しかし、イグレドの船内にはやはり誰もいない。
(まさかヴァラージの襲撃? 侵入されて三人とも食われちゃった?)
人型をしていながら虫を彷彿とさせるヴァラージのフォルムを思いだす。宇宙空間をものともせず、小型であればどこからか侵入するのも不可能ではないように思えた。
(そんなのノルデが見逃す?)
普段なら即座に否定できる。しかし、一人になってしまった船内と、恐怖の記憶がデラを信じられないくらい臆病にさせた。
我慢ならなくなって自室に駆け込む。ドアをロックして呼吸を整えようとしたら、再び透明金属窓の向こうを多脚のなにか通り過ぎた。
「ひっ!」
ベッドに飛び込み、シーツを被って丸くなる。相手がヴァラージなら意味ないとわかっていても戦う力のない彼女にはそれ以外に方法がない。震えが絶え間なく襲ってきた。
(どうしてこんなことに? 我儘なんてちょっとだけじゃない)
窮地を呼び込んでしまったのは自分かもしれない。無理を言わなければ彼らはそのままバカンスに向かっていたはずなのだ。なのに今はもういない。
(なんてこと)
嗚咽がもれそうになる。
「ぷ!」
なにかが聞こえた。
「あれ、どうしたの? 丸まっちゃってる」
「覗いたら悪いのな」
「え!?」
跳ね起きると窓の外にノルデとフロドの顔。二人は近づいて遮蔽塗装を透かして中を見ている。聞こえた声はσ・ルーンを介しての回線だった。
「……なんで宇宙にいるのよっ!?」
「船外作業なんな」
「デラも手伝ってくれる?」
気恥ずかしくなってヘルメットを掴むと部屋を飛びだした。よく考えたら気密磁場を備えたハッチは操縦室にある。ロックの掛かってなかったハッチを開いて外に出ると少年たちが手を振っていた。船尾方向には青年の姿も。
「なにしてるの?」
脅かされた気分。
「なにって、デラが割り込むからいけないのな」
「ポレッサでビームコートの吹き替えしようと思ってたのに飛ばしたからさ。せめて上塗りしとかないとガス惑星の大気に深く潜るような真似すると装甲が傷んじゃう」
「ビームコート……」
多脚の作業ロボットが背中にタンクを抱えて装甲面に吹付けをしながら移動している。コート剤が透明なので一見すると多数のロボットが船体を這いまわっているようにも見えた。
「硬化チェックしないと次の超光速航法できないし」
フロドが手持ちのセンサーを向けて反射率で硬化を確認していた。
「ラフロがやるって言ったけど全然手が足りなかったんな」
「結局みんなでやってただけなんだけど、中でなにかあったの?」
「そっとしておいてあげるのな、フロド。デラは急に一人になったから不安になって泣いてたんな」
図星を指される。
「泣いてなんかない!」
「そうなんなー」
「どうした?」
ラフロもやってくる。派手なジェスチャーの所為で流れる彼女の身体をそっと押し留めた。
ヘルメット越しに覗き込まれる。滲む涙を誤魔化すこともできない状態。青年の腕に腰を支えられていると安心感もあり、余計に涙腺が緩んだ。
「不安にさせたか。すまぬ」
顔を背けるが間に合わない。
「そんなんじゃないから」
「生身で外に出るのも少ない。吾一人では上手くゆかぬ」
「仕方ないけど……」
そうは言うが、彼は手慣れた動作でストリングを撃つ。フィットスキンの腰の両サイドに付いているのは無重力作業用の装置。糸の先にマグネットキャッチが付いており発射すると金属面に張り付いて身体を手繰り寄せられる。
宇宙施設や船体付近での作業では普通に用いられるが、そういう仕事に従事していないと常用することはない。大規模の作業ではアストロウォーカーやアームドスキンのほうが効率がよく、ガス機動装置のように使用限界もない。
(こんなに密着してるとさすがに意識するわよ)
抱きかかえられて胸のクッションパッドも押しつぶされている。
(あれ、なんか珍しい反応? ちょっと視線に熱があるみたいな)
ラフロが彼女を見る視線に違和感を覚える。わかりにくいが感情の色のようなものが浮かんでいるように思えた。
「ラフロ、そろそろ気をつけるのな」
「うむ」
身体を押しだされて船体へ。ノルデが示す場所にブーツの裏を合わせ、マグネットチップを利かせて立つ。
「後方を一周りしてくる」
「もう終わりなんな。スポットでチェックして問題なければ戻ってくるのな」
作業ロボットも船尾方向に撤収していっている。青年はストリングを交互に撃ちながら器用に追っていた。
(今のなにかしら。私に反応してたみたい)
わずかに自尊心がくすぐられる。
(いけない、変に意識しちゃ。どうせノルデにしか執着はないんだから。でも、他の異性にも興味を抱けるようになったんだとしたら、そんなに悪いことじゃないのかもしれない)
それが感情の萌芽なのだとしたら希望がある。欲に根ざすそれだとしても、一つの芽生えが雪崩のように他の全てを引きだす可能性もある。青年の反応をつぶさに観察しようと決める。
しかし、フロドがじっと見つめているのにデラは気づいていなかった。
◇ ◇ ◇
「小型艇イグレド、来訪目的を申告せよ。それ以上の接近は許可しない」
ガネスタル星系に時空間復帰すると唐突に警告を受ける。
識別信号を発信しているのでこちらの情報は相手に知られている。それなのにレーレーンの警備艇らしき船影は威圧的に近づいてくる。
「なんでよ」
不可解な反応だ。
「いきなり警告? しかも威力行使も辞さない勢いじゃない」
「胡乱なんなー」
「とりあえず停船するね」
フロドも怪訝に感じたか交戦を避ける措置をする。
レーダーで確認すると二方向から同様の警備艇が接近してきていた。イグレドの時空間復帰への初動にしては神経質に過ぎるように思える。
「レーレーン軍のもの?」
聞くまでもないが。
「軍の警備艇なんな。ずいぶん密に展開してるのな」
「センシティブになってる? 予算監視委員会とか、いうなれば反政府団体みたいなものだから過激な行動も予想してるからなのかな?」
「それにしても過剰反応よ。真っ当なそれじゃない」
黙ってると拿捕されかねない雰囲気だ。後ろめたいこともないので問題ないが。
「こちら、イグレド艇長ラフロ・カレサレートである。警告の意味を問いたい」
「回答の義務はない。当該宙域より退去せよ」
「代わって、ラフロ」
にべもない通告に業を煮やす。
「私は星間管理局の依頼を受けた中央公務官大学教授のデラ・プリヴェーラです。ここは公宙なのであなた方に従う義務はありません。チャーターである当船への威圧的行動は控えるべきです」
「待て。…………我が国の管轄惑星近傍である。接近は控えられたし。退去を要請する。以上」
「は?」
一方的な主張に終わった。進路を妨害する威嚇行動は継続中。
「こじつけでいいから止めろって言われてたんな」
「覗いてたのね。あ、そう。こっちは公務だって言ってんのに聞かないわけね」
デラは目を細めてレーダーの様子を見つめた。
次回『ハイド&シーク(1)』 「は、星間管理局のチャーター船を沈めた?」




