深海の覇者(3)
(逃げる? 今度は握りつぶそうとするかも)
フェブリエーナにも判断できない。
(中途半端に刺激しないほうがいい? まずは様子をうかがって)
巨大生物とお見合いになる。相手は何本あるのかもわからないほどの数の触手を揺らめかせているだけ。左右二対の冗談みたいに大きな目もなんら反応を示さない。
「えーと、話しできる?」
外部マイクで呼びかけてみる。
「そんなわけないか。星間公用語が通じたら奇跡だもん」
わずかに身じろぎをした。音には反応するようだが、それを意思表示と受け取る様子は見られない。
「どうすれば……、ん?」
目が慣れてくると、ほのかに明るく感じる。触手の表面がかすかに発光している。それで巨大生物の周囲だけが若干照らされているのだ。
「生物発光。そうだよね。そんなに大きな目があるってことは光でなにかを見ているってことだもん。わたしたちが暗いとこで使う反響定位で行動しているんじゃないのね」
音に対する知覚がかなり鈍い可能性が高い。ほとんど振動レベルにしか反応しないのかもしれない。それでは音声によるコミュニケーションなど叶うべくもない。
主には視覚、それと嗅覚で行動していると思ったほうがいいだろう。ほぼ暗闇に近い深海域では定番ともいえる感覚器である。
「じゃあ、どうすればいいかな」
ラゴラナの外部投影パネルを使ってみることにする。とりあえず、今の彼女の顔をそのまま映しだした。できるだけ大きく表情を変えてみる。
反応は顕著だった。触手がうねると二本がパネルのところへ。先端が開くと、さらに細かい触手が現れて触れようとする。しかし、当然触れられなくてさまよう様子。
「うん、こっちのほうがマシみたい」
投影機能を複雑にして上半身を写す大型3D映像にした。このほうがジェスチャーしやすい。まずは挨拶からだ。
握手をするように手を差しだしてみる。触手が伸びてきて手の平に位置を合わせる。振ると一緒に動かしてくれた。
「もう映像だって理解してる。君って頭いいんだねー」
ただ大きいだけの下等な生物ではない。それなりに知能が発達しているとわかる。それなのに彼女を連れ去ってなにもしないのを考えれば捕食行動ではなかったという答えに至る。
「どうしてわたしを連れてきたの?」
自分がここにいる意味を示す幾つかのジェスチャーに加え、首を左右に傾げてみせた。それに合わせて触手が振られるだけ。意味は伝わってないようだ。
(ここがネックなんだよね。形態が著しく違うと、身体の動きも変わってくるもんだからジェスチャーも伝わりにくくなっちゃう)
ジェスチャーでコミュニケーションは困難だと判断する。本当に直接的な動作を伝えることしかできないと思っていい。
「限界かー。どうしよっかな」
フェブリエーナは悩んで何度も左右に首を傾げてしまう。それに合わせて相手は触手を振っている。なにかの遊びと勘違いしているのかもしれない。
「もっと簡単に動作でわかるようでないと」
両手を差しだす。そこに触手が合わせられる。握るようにすると先端からの細い触手が指を絡めるように動いた。
今度はそれを引っ張るように動かす。そして、上を指差して一緒に行かないかと促した。すると、別の触手が動いてラゴラナの背中を押さえる。
「行きたくないんだ。ここにいてほしいのね? だから連れてきた」
なんとなく理解してきた。襲おうとしたわけでもなく、彼女を食べようとしたのでもない。同じくコミュニケーションを求めているのだ。本当は皆を連れていこうとしたが、抵抗したので結果的に彼女一人を連れ去る形になっただけ。
「でもねー、お話したくてもできないんじゃねー」
複雑な意思伝達手段がない。
「今みたいな感じの意思疎通をくり返すしかないかな」
怖ろしく時間を食ってしまうだろう。できれば早く無事を知らせたいが、放してくれそうな気がしない。
幸い、ラゴラナの稼働時間に支障はない。反応液は十分に残っているし、呼吸用の炭素フィルターにも予備がある。食料も切り詰めれば二週間は生き延びられる。
(悪いけど腰を据えてコミュニケーションしちゃおっかな。この子を説得して解放してもらう前に誰か来ちゃいそうだし)
ラフロが探しにくるであろう。
「君の名前は『ソーコル』ね」
いつまでも巨大生物でもないので勝手に名付けする。
丸い胴体と前に飛びでた突起から付けたもの。人気で流通量の多いメジャーなフルーツの形に似ている。本来はオレンジ色をしているが、生物のほうの『ソーコル』は若干黄色みがかった乳白色の肌をしている。
「さて、どこから攻めようっかな」
考えていると空腹感を覚える。
「悪いけど腹ごしらえさせてね」
お腹が空いたままでは頭が働かない。シートの下を探ってサバイバルボックスを引っ張りだす。カロリーバーの包装を解いて一口齧った。
「ん?」
うごめいていた触手が引き戻されてフェブリエーナの前に差しだされる。先端の切れ目から伸びた数十本の細い触手の先では何匹もの魚がもがいていた。
「くれるの?」
好意的なアクションだ。
「ありがとう。でも、それはソーコルが食べて。わたしはここから出ると一瞬でぺちゃんこになっちゃう」
現在の深度は1200m、元より人間が耐えられる深さではない。ましてや2Gを超えるノニカンでは、アームドスキンの駆動限界深度も1000m弱となってしまう。いくらフィットスキンに耐圧性能があっても無理な相談だ。
「口はそっちにあるのね」
魚を捕まえた触手は胴体の向こう、生え際のあたりへと引き戻される。口の周りに触手が生えている構造が最も効率的なので、類似軟体動物と同様の配置になっているようだった。
「仲間はいないのかな? えっと、どうやって聞きだせば……」
3D投影を操作して、彼女一人のものと複数人と一緒に映った画像を並べる。一人のほうを指さしてそのあと自分を示し、複数人のほうを指してソーコルを示す。すると触手で一人のほうを指し示した。
「他に仲間はいないのね。たった一人。君はこの深海の覇者なんだ」
ある意味納得できる。ノニカンの海はそれほど豊かではない。ソーコルがこの巨体を維持でき、繁殖するほどの個体数を持つのは不可能なのだ。
おそらく性別も存在しない。唯一無二の生物だろう。特殊ではあるが、彼女の知識には過去事例もある。
「最低限の受け答えができないと大変」
もう一度自分のほうを示して首を縦に振る。複数人を示して今度は横に振った。もたげられた触手の一本がフェブリエーナの3D映像で前後に何度も振られ、複数人画像に移動して左右に振られる。
「そうそう、これで話せるね」
どうにかコミュニケーション手段を確保。
「一つお願いしてもいい? 君のこと、ちゃんと調べたいんだけど」
3D映像を大写しに戻すと、左腕を伸ばして右手でついばむような動作をする。少しだけでいいから組織片をもらいたいのだ。
「どう?」
触手が縦に。
「ごめんね」
右手を伸ばして触手に触れる。指先からサンプリングツールを出すと、ソーコルの体表組織を少しだけ摘みとった。特に痛がる素振りも見せない。
(ラフロさんが触手を斬ったときも急に攻撃的になることなかったもんね。きっと痛覚がない)
生物の自己保存本能からすれば矛盾する。ただし、特殊な発生をした場合はその限りではない。
腰のコンテナユニットの中にセットする。そこにはオプションで簡易型の分析機器を備え付けてもらってある。サンプルボックス内の組織片をマニピュレータで顕微カメラのところへ。ウインドウに表示させた。
「え、これ?」
フェブリエーナはその画像に見入った。
次回『美しきかな(1)』 「わかってるから、まずは無事でいて」




