近くて遠く(3)
『σ・ルーンにエンチャント。機体同調成功』
ラゴラナのシステムが機体との感応接続を伝えてくる。緻密なセンサー情報の一部が直接頭へも流れてきて軽く痙攣する。レチュラはこの一瞬だけが好きになれない。
「チューリ、準備いーい?」
フェブリエーナが訊いてくる。
「いつでも。あなたより操縦は上手だから安心して」
「少しは慣れてきたもん」
「少しは、でしょ? サブシートに乗せてあげるって言ってるのに」
同乗を勧めたが拒まれた。
「だって、センサーと直接同調しないとピンとこないとこがあるの」
「動かすのは下手なのに、そんなとこだけ適性あるんだから」
「そんなこと言われたって、生まれながらのものは仕方ないでしょ」
つい憎まれ口を叩いてしまう。そうしている限り彼女の意識は自分に向いているのだ。我ながら幼い手口だと思うがやめられない。癖のようになってしまっていた。
「吾が先に立つ。今のところ超音波ソナーに反応はないが油断するな」
ラフロのラムズガルドとのウインドウも開き注意された。
「ええ、計画通り護衛はお任せ。状況に応じて対処をお願い。判断は主にフェフがするから」
「承知」
「なにか出てきても基本的に害さない方針でお願いします。深海の生態系は全くの未知なので」
自らを顧みない方針は困るので口を挟む。
「でも、わたしたちの命が優先ですからね。危険の判断は任意で」
「任せるがいい」
「わたしはそれなりに動けるので主にフェフを守って」
かなり高性能だと聞いている青年の赤銅色のアームドスキン。ゴート遺跡絡みという内実を知ればそれも頷ける。緊急時も頼れるだろう。
「ラムズガルド、発進する」
青年が先に海中へ。
「接近する反応なし。つづけ」
「じゃ、お先」
「ええ、わたしもすぐに行くから」
気泡をまといつかせてラゴラナ二機も発進する。
「魚は案外いるじゃない」
「そんなに大きくない種類はね。このへんは近日点の前に干上がるから、この子たちも深海に移動して半休眠状態になるんだって」
「代謝を下げて生き延びるわけね」
小魚が多い。それも原始的な種類に見える。複雑な特性は持たず、細長いだけの身体をくねらせて波に揺られながら漂うように泳いでいた。
「ノニカンが今の離心型公転軌道になってから一、二億年は経っていると考えられてるのよ。もっと進化しててもよさそうなものじゃない?」
惑星考古学の研究結果だ。
「この魚たちが食べてるのはほとんどが耐久型微生物。極寒期を過ぎて陸地を川が流れるようになると植物由来の有機物が海に流れ込んでくるの。それを取り込んで成長繁殖するんだけど、お世辞にも多いとはいえない」
「足りてないわけ?」
「あんまり効率は良くない。元々生息するには不向きな環境なんだもん。なんとか遣り繰りしながら生き延びてる状態。進化爆発が起きるときって、海が栄養のスープみたいな状態になっているときなの。ここじゃそんな状態には程遠いもん」
極寒期には地上付近の水は全て凍りついてまともな生命活動など不可能。灼熱期の浅海は干上がり、水は水蒸気となって大気の成分を変えるほど。
それでも大気の存在と高い重力が水を握って放さず、特殊な循環を示しているのがこの惑星。そこで生息するには適応を第一とし進化を後回しにするしかないとフェブリエーナが説明してくれる。
「それって矛盾してない?」
レチュラは疑問を呈する。
「進化が難しいなら生物が巨大化することもないような気がするんだけど」
「チューリの言うとおり。だから、発注したゼミも請けた調査事業者も危険がないと考えて探査に来ていたと思うの。なのに、なにかに遭遇しちゃったからパニックに陥ったんじゃないかな」
「油断してたのね。じゃあ、やっぱりなにかの見間違いの線も濃くなってきたわ」
意表を突かれたときの人間が一番錯覚を起こしやすい。
「でもね、貸与されてたラゴラナが錯覚と見なせない記録を残してるの」
「どんな?」
「これ」
レーザーリンクのウインドウには超音波ソナーのデータ。探知圏内にぬるっと入ってくる超巨大な影を映しだしている。
パイロットの動揺を示すように影は相対位置を変え機体の後方に。徐々に遠ざかっていった。
「確認もせずに逃げだしてる。なにか反響成分が漂っていただけの可能性もあるわ」
「それだけならいいんだけど」
次はカメラ映像。ラゴラナ前方を照らすライトの中に細長いなにかがよぎる。明るい範囲を二度よぎった触手のようなものから必死に逃げようとする様子がうかがえた。
「これはちょっと否定しにくくって」
「う……、さ、魚じゃないの? さっきの影だって巨大な魚群じゃないっていえないわけだし」
「うん、細長い魚だって主張する人もいた」
「でしょ?」
喧々諤々の議論が演じられたらしい。その結果として本格的な調査を行うことが決定された。問題解決に定評のあるイグレドチームとそこに縁のあるフェブリエーナに白羽の矢が立ったのだ。
「確認しないわけにいかなくって。興味あるし」
「気がしれないわ」
超音波ソナーの記録を解析する。距離と影のサイズから推定値は全長が300m近く。航宙船舶クラスの大物になる。
(怖さより興味が先に立つから放っとけないのよ。いつか事故に遭っていなくなってしまいそうで)
もう一機のラゴラナを目で追う。
今もライトの明かりが照らしだした小さな魚を追って列から外れそうになっている。そんな調子なのでレチュラの危機感は半端でない。
「ほら、ラフロくんが待ってるから」
「あ、ごめんなさい」
暗い海の中でラムズガルドのカメラアイだけが浮びあがっている。すでに恒星の光が届く深さではない。目で見えるのはライトが照らす範囲だけなのである。
(怖い。おかしなもの見せるから)
今さら恐怖がこみあげてくる。
このタイミングで記録データを見せられたのは意地悪だったような気さえする。フェブリエーナはそんなタイプではないので有り得ないが。
「海底なー」
ノルデが確認がてら告げてくる。
「うむ」
「ここでどのくらい?」
「370mなんな」
3Dイメージとしてしか表示されていなかった海底がようやく実視できる。灼熱期の終わりに雨に叩かれ水で洗われる辺りは凹凸に乏しい。堆積物も相まって、だだっ広い平野がつづいているようにも見える。
「前方500m、渓谷みたいになってるのが深海部の入り口な」
海底に切れ込みができているのが映っている。
「よいか?」
「……はい」
「警戒しなさいよ」
友人は堆積物にも目を奪われて気もそぞろ。どうせそこにひそんでいるであろう生物を想像して注意が逸れているのだ。
「でも、まだ発見されてない生物がいるかもしれないから堆積物のサンプルだけ取らせて。お願いします」
「結局寄り道。いつまで経っても終わらなそう」
「急ぐからぁ」
その後もあれこれと余計な寄り道をしながら深海部の落ち込みへと潜っていく。巨大生物との遭遇地点は1000mを少し超えたところ。アームドスキンの駆動限界の手前なので捜索は可能だ。
「ほんとにいたのなー」
きっかけはノルデの一言。
「輪郭が濃いな。集合体ではなさそうだ」
「どうするのよ!」
「まずはなんなのか確認しないと。襲われたら逃げる」
ソナー画面に巨大な影が迫ってくる。正面からだと丸い塊に映っているが全容はわからない。フェブリエーナも判断を迷っている模樣。
そうしているうちに距離が詰まってくる。渓谷の幅を圧迫するほどの巨体が視界に入ってこようとしていた。
「うそ……。おっき……」
「来……、ひぃー!」
ラゴラナのライトを反射してゆらめく四つの光にレチュラは悲鳴をあげた。
次回『深海の覇者(1)』 「本格的に襲いかかってきてからじゃ遅いじゃない!」




