近くて遠く(2)
開放されたリアハッチ上に出ると身体がずしりと重い。反重力端子の影響範囲から外れているからだ。
フェブリエーナはヘルメットのバイザーを跳ねあげてみる。呼吸可能な大気なのは調べてあるし、気圧調整をしてあったので変化に苦しむこともない。鼻の奥にツンとくるような感じがする。
(ちょっと酸素量が多い所為かな。長時間はやめといたほうがよさそう)
惑星ノニカンの空気を味わってみたかっただけ。
フィールドワークで彼女がよくやる行動。その場の空気を感じることで、そこの生物がどんなふうに生きているかを擬似的に体感した気分になるのだ。
バイザーを下ろしてフィットスキンを操作。徐々に気圧を下げていく。質量がメルケーシンの二倍以上ある惑星で生身のままで生活するのは無理だ。
「うきゃ!」
レチュラは外に出るなり突っ伏している。
「重っ! 立てない!」
「あははは。ちゃんと普段から運動しないから」
「天文関係は純頭脳労働! 体力系フィールドワーカーと一緒にしないで」
ラゴラナのお陰で秘境と呼べる場所での移動も楽になったが。
「はい」
「あ、うん」
「すんごく綺麗だから見て」
手を差しだすと同期は視線を逸らしながら握った。言い合いになったあとはどうしても気まずい。それでも、いつの間にか普通に会話できている。フェブリエーナがあまり気にしないので、すぐ距離を詰める所為か。
「ああ……、広い」
「んー、気持ちいーい!」
彼方の水平線までつながる紺碧の海に感動するレチュラの横で伸びをする。眩しい主星の光の下で二人寄り添って飽きもせずに海を眺める。
「この下に人を襲うような巨大生物がいるなんて信じられる?」
「今そんなこと言う?」
目を丸くして隣を見る。
「どうする? 波間を割ってきた怪物が触手を伸ばしてきたら」
「逃げるわよ」
「んふふー、ちゃんとラフロさんが助けてくれるよぉ」
実際にそんなことは起こらない。現在もノルデが万全の体勢で海中の監視を行っているはず。危険が迫っていたら警告される。
「わたしも庇ってあげるし」
フェブリエーナのほうが少しは動けそうだ。
「あなたに身を挺してでも助けてなんて言わないわ。いざとなったら、わたしだって動けるんだから」
「そう? でも、太腿プルプルしてるよ。今でもつらいんじゃない?」
「うるさい。見るな」
同期の反応に笑いがもれるが仕方あるまい。彼女とて、もう一人自分を背負って立っている感覚になっている。基準値の二倍以上のノニカンの重力はさすがにきつい。
「体に障りはないか?」
後ろから長躯が歩いてきている。
「ラフロさん」
「重力は2.26Gだそうだ。重いであろう」
「そういう意味じゃラフロさんのほうが重いですよ」
体重の重いほうが大きく作用する。
「ああ、程よいので振りに来た」
「本気ですか?」
「冗談に聞こえるか?」
青年は眉をひそめる。冗談を言っているつもりは欠片もないのだろう。広いところまで歩いていくと背中の大剣の柄に右手を伸ばす。
「あれ、何kgくらいだと思う?」
「20kg超え。もしかしたら30kgあるかもね」
個別回線での会話。
剣身そのものは大きく見えるが肉厚はそれほどでもない。実用的な重さに加減されていると思われる。
「振れるのかな?」
「ノニカンだと約70kg。振れる重さじゃないわ」
束元を握った大剣が静かに抜かれる。頭上に立てると左手が柄の先を握り、小指で柄尻を包み込むように収めた。
スッと前まで振りおろし、ゆっくりとまた頭上へと戻す。それをくり返しはじめたので彼女たちも驚かされる。
「嘘でしょ。降ろしたときの重さなんて100kgどころじゃないのよ?」
「もしかしたら、あれくらいの速さが限界なのかも」
ヘルメット内のラフロの顔が赤く染まっていく。フィットスキンも中に別の生き物が這っているのではないかという盛り上がりを示し、見るからに大量の汗をかきはじめた。
「尋常じゃないわね、彼」
「剣技だけでも信じられないくらいの人だけど……」
どう表現すべきか迷う。
「なにも感じないのに確固とした芯だけはある感じかな。だから誰に対するときも整然としてる。それが厳しさに感じるときもあれば優しさに感じるときもある。揺るがないから厳格でもあり寛容でもあるって思える」
「ずいぶん買ってるのね」
「本当に信頼できる人って身の周りにどれくらいいる? 心からってなると少なくなっちゃうよね。ラフロさんは……、イグレドクルーはその範疇に入るの」
いざというときに本当に信じられる人々。
「先輩も頼りにしてるし、その理由はわたしにもわかるの。彼らは優秀なだけじゃなくて誠実。依頼を第一に考えてくれて手抜きなんかしないし、それ以上のことをしてくれるから」
「デラ女史が専属みたいになってるのは聞いてるわ。学内であらぬ噂も立ってるけどね、角付きの男にぞっこんだって。そんな私情で動いてしまう人じゃないって思ってるけど。どっちかっていうと管理局の差し金っぽい」
「最初はそうだったって言ってたの。でも、今は彼ら以外に考えないくらい肩入れしてるけど」
同情というのは安っぽい気がする。憐憫でもない。強いていえば使命感だろうか。ラフロのたどり着く先を確かめてみたいという思い。それはフェブリエーナにもある。依頼をまわせば職務に勤しみながらそれができる。
「よくわからないわ。いい男といえばそうだけど。人によってはどストライクなタイプよね」
肉体美の話をしている。
「先輩はどうだったかなぁ? 前の彼氏に筋肉質タイプの人いなかったと思う」
「きっとそこじゃないのよ。なんとなくは感じるのよね。彼って強靭そのものなのに、どこか母性をくすぐるようなところがあるわ」
「子供っぽさはなくない?」
彼女には理解できない。
「いわゆる大きな子供みたいなのじゃないわ。なんだか手を差し伸べたくなるタイプ? 本人より周りの人間のほうが心の傷を自覚してしまうみたいな?」
「んー、わたしにはわかんない。男の人と付き合ったことがない所為かな。異性といても人間的興味より生物学的興味に頭がいっちゃう。女性と違いすぎて」
「フェフはそのままでいいと思うけど」
レチュラがぽそりと返してくる。将来的に困る感性のはずなのに、そこは注意しないのは変だと感じるが。
「あ、そっか。ラフロさんって、そういう男性の本能的なところをあまり感じないんだ。怖さがないっていうか」
豹変しそうな感じは全くしない。
「ぎらぎらした部分はないわね。いやらしい視線を感じたことも」
「ね? フィットスキンが日常的になると、どうしても切り離せない。わたしってもしかしたらラフロさんタイプが合うのかも。下心を感じないから近くにいても快適」
「そ、そう? わたしはそんなこともないと思うけど。フェフはもっとしっかり愛してくれる、ちゃんと支えてくれる人が合うと思うわ。ただ合わせてくれるだけの人だとどこかへ行ってしまいそうだもの」
辛辣なことを言われる。
「そんなことないもん。ちゃんと考えて動いてるもん」
「仕事に関してはね。問題はプライベートのほう。ふわふわしてて、いつまでも学生ノリを引っ張ってるイメージなのよ。職員なんだから、もう先輩後輩とかじゃなくキャリアで相手を見ないと」
「えー、先輩は先輩だし、ふさわしいキャリアを持ってるもん」
レチュラはデラとの付き合い方にもいい顔をしない。もっと割り切った関係を妙に勧めてくる。
「それは認めるけど……」
「あ、すんだみたい」
「眺めて面白いものでもあるまい?」
オープン回線で青年の声。
「ううん、なかなか興味深い筋肉でしたよぉ?」
「そうか」
訝りもせず受け入れるラフロにフェブリエーナはシャワーを勧めた。
次回『近くて遠く(3)』 「それって矛盾してない?」




