フェイク・ブラッドの誓約〜え? 村のお祭りで吸血鬼討伐ですって? やっば、吸血鬼の私なんにも準備してないんだけど! 仕方ない、下剤にトマトを使って地獄を見せてやろう〜
きっかけをくれたキラ・トマト氏に感謝を。
Ⅰ
「あたしも、お姉さんみたいになれますか?」
その言葉に私は束の間、昔のことを思い出していた。
思い返すのは、首にさげたロケットを贈ってくれた人についてだ。
『私がいない間、この場所を守り抜いてくれるか?』
優しく、気高くあられたあの方との幸せな日々。
あの人は、今どこにいらっしゃるのだろうか。
「お姉さん?」
「え? あ! ごめんなさい、少しぼーっとしていたわ」
私がいるのは、クラレンス村の寄り合い酒場。
よく知らない人には「田舎にある中規模くらいの村」と言えばだいたい通じるような雰囲気の場所だ。
酒場は店主の意向で、昼間は喫茶店じみたメニューを出している。この場所の、奥にある暗い壁際の席が私のお気に入りだった。
壁の石材からひんやり漂う、水気まで感じそうな空気がたまらない。
私は自由気ままな旅の冒険者、といった設定で数週間ほど逗留している身だ。
最近の楽しみはといえば若者との交流、これに尽きる。
今日も今日とて、最近知り合った少女たちと歓談中。
ああ、私はなんて幸せ者なのだろうか。
「マリーお姉さん!」
「っひゃい⁉︎」
「また、聞いてませんでしたよね?」
「ご、ごめんなさい……」
どうやら話題をいくつか聞いていなかったらしい。
私の目の前に座る少女は柔らかそうな頬をプク、っと膨らませた。
かわいい! 美味しそう!
……じゃなくて。
「ごめんカリンちゃん、もう一回だけお願い〜」
「やーです! もう言ってあげないもん!」
腕組みをしてツイッ、とそっぽを向くカリンちゃんは、今年で十歳の村の子ども。
他の子は子どもっぽいから嫌とか言ってるけれど、私からすれば「背伸びしたがり」にしか見えず、こんな仕草を見るとつい笑いそうになってしまう。
血色の良い肌といい、本当に食べちゃいたいくらい可愛い女の子だ。
さて、困ったのはカリンちゃんの機嫌をどう取るかだが……
「ほっほ。マリーちゃんは粗忽だねぇ」
私たちの様子を見て、もう一人の少女が笑った。
カリンちゃんといつも一緒にいるお婆ちゃん、ユノーちゃんだ。
二人はいわゆる茶飲み友達。ここに通ううちに、毎日会うこの二人とすっかり仲良しになってしまった。
「そんなことじゃ、嫁のもらい手はつかんでよぉ」
「ええっ、まだ私には早いですよぉ〜」
私の否定に、ユノーちゃんは一層、顔のシワを深める。
「アタシも若い頃は、そんなこと言ってたものよ。でもね——」
おっと、まずいぞ。
ユノーちゃんのこの様子は、えらく長い話になる雲行きだ。
人間、ちょっと成長すると話が長くなってしまうのは玉に瑕だ。
だが有難いことに、ここで助け舟が現れた。
「ねーえー、おばあちゃんのその話長いから、またにしてー」
「ほっほ、そうさね。じゃあマリーちゃんの恋のためにも、さっきの話をしてあげな」
カリンちゃんは私じゃ灰になっても言えない言葉を言い、それを笑みで返してユノーちゃんは話を元に戻す。
……待て、誰の恋だって?
「あのね、クラレンス祭がついに始まるんだよ!」
「——え?」
クラレンス祭?
嘘でしょ。
「ほっほ。マリーちゃんは最近来たばかりだけど、冒険者だから知ってるんじゃないないかしら? 村にいる冒険者と、ペアになる異性が崖の上にある館に行くのよ。恋愛成就のお祭りってことで、大々的に宣伝してもいるのよ」
「へ、へぇ〜」
私は相槌を打ちながら、実はもうあまり話を聞いていなかった。
頭はもう真っ白。背中に冷や汗がダラダラと流れるのを感じる。
マズイ。これはマズイことになった!
もう十年目が来ていたなんて!
「シ、シリマセンデシタワー。ソンナオマツリガ、アルンデスネー」
テキトーに答えていると、なんと間が悪いことに村の女性陣やら冒険者たちがそれを聞きつけてやってきた。
村に酒場はここぐらいしかないし、人が集まるここには村の人々だけでなく他の冒険者も来ているのだ。
「アンタ、知らないで来てたのか? 俺ぁもうその祭目当てよ」
「ちょっと、なら良いタイミングじゃない! せっかくだし良い人探していきな!」
「別に探さなくても、ギルドから正式に依頼として報酬も出るから、参加するだけ得だよ!」
「とは言っても地元民としちゃ、若い人には楽しんでほしいねぇ……よければうちの息子はどうだい?」
「村長も本当は、毎年やりたいみたいだけれどねー」
「まあ、あの場所に吸血鬼が現れるのは十年ごとって決まっているから」
「仕方ないのよね。あ、でも気にしないで! 吸血鬼って言っても毎回滅ぼされる最下級の弱さらしいから。戦い慣れていない人でも安心して狩れるって話よ!」
だんだん青くなっていく私のことを心配して、そう声をかけてくる人もいる。
だが、私は別のことで青くなっていた。
私が、その吸血鬼なのだ。
——今すぐ、村人どもへの迎撃準備をしなければいけない!
私を殺すための祭に盛り上がるみんなの中で、そう闘志を燃やした。
Ⅱ
街を見下ろす場所にある崖の上。
そこに数百年前から建つ大きな館がある。
なぜ朽ちないのか専門家も首をかしげる不思議スポットが私の本籍地。村人からの別名は「吸血鬼の城」。
なんとも安直だし、城というにはあまりにもガタがきすぎている。
クラレンス祭の話を聞いたその夜、私は館の裏にある墓地で儀式をしていた。
十年ごとに現れるという最下級の吸血鬼。実はそれは間違いの情報だ。
私が吸血鬼なのは本当だが……。
安全に静かに暮らしたい私は、館に建材の保存も兼ねた人払いの封印を施している。そしてそれが解ける十年目にやってくる村人たちを、ずっと返り討ちにしてきた。
ただ、普通に撃退してしまうともっと強い人間がやって来て、いずれ私は滅ぼされてしまうだろう。一計を案じた末、私はその都度「吸血鬼を激戦の末、倒した」と村人たちに暗示をかけ、被害をできるだけ抑えて帰っていただくという作戦で切り抜けていたのだ。
そんな節目ももう、今回で十回目。
もちろん、私一人でそんな面倒なことをしてきたわけではない。
まだまだ若輩者だが、身分が高貴たる「吸血鬼」の私には手足となる配下がいるのだ。
「我が眷属、我が従者たちよ、今こそ永き眠りから覚め、敵を討ち滅ぼせ」
手にした心臓くらいの大きさの塊を、私は最後の文言とともに握りつぶした。
月の光の中で、ドロリとした赤い液体が私の手から滴り落ちていく。
液体が染み込んだ墓土は突如、盛り上がった。
『ウガアアアアアアアアアア⁉︎』
耳をつんざくような声を上げて現れたのは、まず白い骨の人型、スケルトン。
『なんですの、この臭いは⁉︎』
続いて口元を押さえて現れる、女の幽霊、レイス。
『死ぬぅ、この強烈な臭さは死ねるダァ〜!』
最後に巨体を戦慄かせて、首無し騎士が悶えながら現れた。
いや、お前に鼻はないだろ。
私はしゃべるため、大きく息を吸った。
「久しぶりね、お前たち」
『あ、マリーのやつ自分だけ鼻つまんでやがる!』
『酷いですわマリー様! これ、キラートマトでしょう!』
『御主人、害獣駆逐用の作物が供物なんて、あんまりダァ』
「う、うるさい! こうでもしないと起きないでしょうが!」
なおも文句を言い募ろうとする配下たちに、私は無言でキラートマトを握り潰した右手を突きつける。三人は悲鳴をあげて逃げ惑った。
「ほらほらほらぁ!」
『ヒ、ヒイイィィィ!』
モンスターにも効く、害獣退治用に特化した激臭作物だ。あまりに臭すぎるせいか、不思議なことにアンデッドであるこいつらにも効果は抜群だ。
不意に、私は自分の行動が情けなくなった。
「……それより、お前たちを起こしたのは他でもない。前回から十年が経って、また村人どもが吸血鬼狩りをしにやってくるわ。迎撃の準備をしなさい」
そう告げると、三人の眷属は顔を見合わせた。
『マジか、もう十年だってよ』
『時が経つのは早いですわねー』
『いまの流行りについてけるか、オラ不安ダァ』
「和むなっ! 私が死ぬとお前たちも召されるんだから、キビキビ動かんかぁ!」
こいつらには危機感というものが足りない。
加えてダメな部下、ドジな部下、バカな部下ときたものだから、やってられない。
それでも手勢はこれで全部。ワンオペをする気もないので彼らに動いてもらうしかないのだ。
まあ、優秀な指揮官である私さえいれば、烏合の衆でもなんとかなるだろう。
『そうは言ってもよ、マリー』
「何よ、スケ」
『何事も先立つもの——情報が必要ってもんだろ?』
スケルトンの剣士、スケ(本名は忘れた)。担当は切込み隊長。
主人を主人とも思わないその言葉遣いはこの百年間、いや生前もイライラさせられたが、確かに一理ある。
『その通りですわ。ワタクシもこの十年で動きが鈍っているでしょうし、おどかす練習をしておきたいですわねー』
レイスのレイ(こいつの本名も忘れた)。担当は隠形と不意打ち。
リハーサルで一本しかない最高級ポーションを使ってしまうようなドジだが、パフォーマンスの向上に余念がない精神は私も理解するところだ。
『そうダァ。十日くらいあれば、前の戦いで傷んだ場所もちっとはマシになるダァ』
首無し騎士のデュラ(前の二人に同じ)。主に大きな罠の作成や館の修理を担当している。
田舎出身を体現したかのような素直さと真面目さを持っているが、使い所を間違えると作戦そのものを台無しにするザ・猪突猛進。
この館を前の主から託されてはや百年。さすがに十回目の戦いともなると、みな話が早い。
彼らが気にしているのは村人たちの訪れるタイミングと、その規模だ。
『いまの俺たちなら、真正面から戦っても五人くらいは倒せると思うぜ?』
『数日練習をさせてもらえたら、あと二、三人は問題ないですわー』
『ば、万全に館を修繕できれば、十人いてもオラたちで何とかするんダなぁ』
頼もしい、実に頼もしい。
私はうなずいて、村人どもから仕入れた情報を言うことにした。
彼らから目を逸らしながら。
「来るのは明日ね。だいたい百人くらいよ……」
『————』
一瞬の沈黙ののち、墓場はうるさくなった。
『はぁ⁉︎ おま、ふざけんなよ!』
『おしまいですわー! 終わりですわー⁉︎』
『いやダァ、オラ死にたくねぇダァー‼︎』
その一言で終わることもなく、三人ともぎゃあぎゃあ喚き散らしていく。
まあ、今までせいぜい十人くらいだったので私も最初聞いた時は絶句したものだが、これでは話が進まない。
「ええいうるさい! 鎮まれ、鎮まれー‼︎」
私は右手を突き出して、眷属どもの鼻先(デュラだけはそれっぽいところ)に強烈な匂いをお見舞いしていった。
『アーッ‼︎』×3
「……大丈夫よ、今回は私も祭に参加することになったから」
倒れ伏してようやく静かになった三人へと、私は余裕ぶって告げる。
「フフ、内部工作で切り崩していく絶好の機会だわ。そうなればむしろ、ここに辿り着けるか怪しいまである! お前たちは念には念を入れて、館の周囲に罠を張り、待ち構えなさい!」
そうは言ってみたものの、敵の数は過去最大。実際には勝率が低いことに変わりはないだろう。
私は首元のロケットを意識して、決死の覚悟をもって月へと告げた。
「我らが奉ずる月よ! そして我に試練を与えたる真祖ロランよ! 偽 祖 たる我はこの窮地を乗り越え、その頂へと昇っていきましょう!」
両手を広げ、身体いっぱいに月の光を浴びる。
月は私たち吸血鬼の力の元だ。全身に活力がみなぎってくるのを感じる。
『……つーかさ、自分で窮地って言ってんじゃん』
「うるさいそこ!」
スケに水を差された私は、思わず鼻で息を吸ってしまった。
キラートマトの香りが肺と脳を刺激する。
「うええええええええ⁉︎」
月の力がなければ、危なかったかもしれない。
私は昏倒し、次に気づいた時には明け方になっていた。
Ⅲ
吸血鬼の脅威は、ピンからキリまでとても幅広い。
広く知られているのは超常の力を使うこと。人を襲ってその血を吸うこと。長い年月を不老で生き、年を経るごとに強力な力を身につけていくといったところだろうか。
人が変異した存在のため病気の一種ととらえる学説もあるが、人類の敵というのがほぼ全国共通の見解であろう。
下級の吸血鬼は、上位の吸血鬼の影響を受けて変異してしまった存在だ。
一般にはその生命体の知的度や肉体強度が高いほど強力な個体となるが、たいがいは戦い慣れた冒険者が何人かいれば問題はない。
下級の吸血鬼は陽の光に弱いことをはじめ、多くの弱点がある。強力な能力を身につけようにも長い年月がかかるため、出現しても弱いうちに滅ぼされることがほとんどだ。
人間から血を吸って力を蓄えようにも、色素の抜けた肌と赤く染まった瞳はあまりに特徴的だ。人間社会で獲物を探すことは、先に言った「陽光が弱点」も合わせて難易度が高い。
別に血を吸わなくても長い年月を生きれば強くはなれるのだが、その成長ペースは遅々たるもの。
必然、獲物を取れない個体は強くなるのが遅れ、淘汰されやすくなる。
吸血鬼道を極めるには、なかなかに前途多難なのだ。
「とはいえ、十年ごとに現れるのが最下級の吸血鬼であろうと放置はできません。奴らは死者や動物を眷属に変えるため、放っておくと近隣の家畜や人に被害が及ぶでしょう。だからギルドからも褒章が出る形にして、積極的な討伐とその支援を行っているんです」
「まあ、そうなんですね」
「最初の吸血鬼の討伐は、聖女と呼ばれたシスター・クラレンス様がなしたと言われています。この場所も彼女にちなんで村名をクラレンス村へと変え、現在に至っています」
私は、この村でギルド職員をしているというメガネの優男から、この祭の起源について説明を受けていた。
クラレンス祭は、意外にも朝から始まっていた。
明け方に意識が戻った私は眷属たちに指示を出し、いくつかの準備をしてから急いで村に向かった。
ちなみに、キラートマトを直に潰した私の右手からは今も強力な臭いが漂うので、臭い消しの魔術が込められた手袋をはめていたりする。
そして戻ってきた私は、村の様子に愕然とした。
いや、話を聞いた時から何だかおかしいなとは思っていたのだが。
私の記憶だと、つい三十年ほど前までは村で選ばれた屈強な男どもが真夜中に松明を焚き、手に手に武器を持って館にやってくるものだったが。
まさに男たちのザ・吸血鬼狩り。血と汗の匂い漂うクラレンス祭。
その時の村の様子は館から遠目に見ただけだが、夜の間に火が絶えることはなく、物々しい雰囲気だった。
ところが今日はどうだろう。
村の至るところで色とりどりの装飾がなされ、女たちは華やかな衣装をまとって笑顔を振りまいている。
男たちもどこかのほほんとしており、その衣装も戦闘装束というより、場違いな仮装にしか見えない。
紳士服の吸血鬼ハンターはともかく、熊の毛皮を頭から被った上半身裸の姿などは懐かしいにもほどがある。見たの百年ぶりくらいだよ。
子どもたちは出店の近くではしゃいでるし。
いったいどうなってるんだ。
「でもこの雰囲気、吸血鬼狩りというより祝祭ですね。以前からずっとこんな感じなんですか?」
「いえ。今のようになったきっかけは二十年前のクラレンス祭です。当時は戦争で徴兵があり、村の男たちがほとんどいない中での開催となりました。そこで、年長の子どもたちと村の女性陣での討伐となったのです」
ああ、そういえば。
二回前は、やけに女と子どもばかりだなって思ってたのよね。戦時下で男手が取られていたのか。
ただ女たち、いっそそれまでの男連中より怖かったんだよなあ。眷属たち泣いてたよ。
幸い、途中から派閥に分かれた対立した挙句、内輪揉めで勝手に自滅してくれて助かったのだけれど。
あの時は仲の良い若い男女がいたから、彼らが倒したことにしてあげた記憶がある。
「吸血鬼を倒したのは当時メンバーで最年少の男女でした。彼らはその出来事をきっかけに結婚しまして、その時は村でも大きな盛り上がりになったと言われています」
「はあ」
「それに影響を受けたのか十年前のクラレンス祭では、すべて男女のペアでの参加——結果、全組ご成婚という運びになりました。村とギルドはこの事態に協議の結果、近年問題となっている村の少子化対策、ならびに田畑森林業の後継者育成を見据え、クラレンス祭を今回のような大規模イベントとすることに——」
うんうん、なるほど。ちょっと待って。
どうしてこうなった。
というか、ご成婚ってなんだ。とりあえず全組ってとんでもないな。
考えてみれば、前回はやたら男女比率が同じだった気がしたけど。まさかそんな話になっていたとは。
ん、待てよ。
つまりこれは。
吸血鬼退治——にかこつけたお見合いパーティということ⁉︎
さらに祭の概要を聞いていけば、午前中から昼過ぎにかけて男女が話す場を設置。そのあと夜にはペアとなった男女で「吸血鬼の城」まで行き、みんなで吸血鬼を倒した後は「討伐の証」なるものを受け取って終了、とのこと。
肝試しか!
ついでの盛り上げ役になっている自分の存在が、なんだか情けない……。
こっちは命がかかっているっていうのに。
こんな催しで殺されてたまるか!
とはいえ、今回のクラレンス祭は村の目論み通り盛況で、外部からの参加者も多数いるようだ。
総勢約五十組百名。
エンジョイ枠での参加者も多いため全員が脅威ではないにしろ、中には手練れの冒険者もいる模様。
馬鹿げた企画だが、その戦力は過去一番と断言できる。
私はため息をつきながら、一旦意識を集中させた。
〝聞こえる——?〟
『バッチリ聞こえるぜ、マリー。本日は晴天なり〜ってな』
遠くにいても、私は眷属と意思疎通ができる。吸血鬼の特技の一つだ。
こうして敵状視察と同時に自陣の状況を確認できるため、便利なことこの上ない。
『つーかお見合いパーティとはな、ハハ! こいつは傑作だぜ!』
〝笑ってる場合じゃないわよ……そっちの作業はうまくいってるんでしょうね?〟
昨夜は内部工作と言ったが、真正面からの激突に勝機などなく、もうそれに頼るしかない。
私がここに来ているのは、その作戦の「仕込み」をするタイミングを計っているからだった。
『薬は完成したぜ。レイが少し前に出発したから、そろそろ着くはずだ。デュラには落とし穴と、館の修繕を頼んでるぜ。俺も村人どもの歓迎準備中ってな——つっても、こんなんで食い止められる人数なんて知れてるから、マジ頼んだぜ』
〝任せなさい。私を誰だと思っているの〟
『祭の開催はだいぶ前から言われてたのに、ずっと気づかなかったご主人様っすかね』
「…………」
何も言い返せない。
「フン、実にくだらない——」
そんな時、侮蔑のこもった声が聞こえた。
「君たちは分かっていないのだ。十年ごとに吸血鬼が現れる、その真の恐ろしさを。こんな馬鹿げた催しで目先の利益を考える前に、もっと根本的な問題に立ち向かうべきだな」
周囲にはっきりと聞こえる声量で、一人の男が私たちへと近づいてくる。
熊の毛皮を頭からかぶった、上半身裸の青年だった。
あ、さっき見かけた人だ。
「リオン……」
ギルド職員が、苦々しげに彼の名を呼ぶ。
「やめないか、祭の当日だぞ!」
「だからこそだ! 伝統あるクラレンス祭をこのような形で貶めるなど、あってはならないことだ!」
何やら確執のある様子だが、私には関係のないことだ。
そろそろ作戦に関係する場所へ移動しようか。
そう思った時だった。
「君!」
「……え、私?」
なんと熊毛皮の男——リオンが私に絡んできたのだ。
「そう、君だ! この祭に参加するのだろう?」
「はあ、まあ」
「なら、君も知っておくといい。あの館には『真祖』が関わっている!」
「‼︎」
面倒だと思っていた矢先、彼の言葉に私は言葉を失った。
真祖——それは、真の吸血鬼と呼ばれる最上位の存在だ。
吸血鬼はより上位の存在の影響を受けて変貌する。しかし歴史上でも稀な存在である彼ら『真祖』は、自らの力によって吸血鬼へと変貌した、まさに原初と呼べる存在だ。
生前、人としても途方もない魔力を有していた彼らの力は、吸血鬼となったことで天変地異すら引き起こすほどのものとなったとさえ言われる。まさに生ける伝説。
すべてが規格外の彼らは、今の私のように人間に化けずとも、陽の光を克服できる存在だった。
「お前なぁ、あの場所にそんな大物が関わっているなんて、まだ信じてるのか?」
ギルド職員が、呆れた声を出す。
「フ。文献を調べれば分かることだ。上位の吸血鬼は、居なくなった後でも影響力のある魔力をその場に残す。下位の吸血鬼にとってそれは、自らをパワーアップさせる格好の力だ。それを求めて十年周期で吸血鬼が現れるにしろ、最初の吸血鬼を聖女クラレンスとその従者たちが滅ぼしてからもう二百年……あまりにも、影響力が残りすぎているのだよ。そんな影響力を持った存在など、『真祖』以外あり得ない。吾輩はそう結論づけている!」
自信満々な顔で言い切るリオンに、私は絶句したままだった。
いなくなった後も残り続ける真祖の影響力。
下位の吸血鬼をパワーアップさせる格好の力。
どれも、根も葉もないトンデモ理論だったのだ。
「だから、お前の自論には根拠なんかないだろ⁉︎ それが本当ならクラレンス様が真祖を倒したってことになるんだぞ!」
案の定、リオンはギルド職員から一蹴されていた。
「いい加減にしろ! 『奇跡の子』がそんなんじゃ、村も終わりだ!」
「『奇跡の子』……?」
リオンの格好からは想像もできない言葉が出てきて、私は思わずギルド職員を見てしまった。
「ああ、今のクラレンス祭のきっかけになった、二十年前の男女……奇跡の世代と言われる彼らの子が、彼リオンなんです」
ちなみに、十年前のメンバーは全組成婚を達成した偉業(?)から「伝説の世代」なんだとか。
じゃあその子どもは「伝説の子」と呼ばれているわけか。
ハハっ!
可哀想に!
「う、うるさい!」
憐れみの視線を受けて、リオンが真っ赤になって怒鳴った。
「吾輩はそんなふざけた名前で呼ばれるなぞ、まっぴらごめんだ! 吊り橋効果で村の活性化などと馬鹿げたことをする前に、ただ吸血鬼を滅ぼすために尽力した昔のスタイルに戻すべきなのだ!」
もしかしたら。
彼の発言や今日の格好なんかは、幼少期に受けた「奇跡の子」というレッテルに対しての反発なのだろうか。
ギルドの警備担当たちに両脇をかかえられ、喚きながら連れていかれる彼を見て、私はふとそう思った。
ま、知ったことではないが。
「何度でも言ってやる。あの館には『真祖』か『偽祖』が関わっているのだ!」
最後にそんな捨て台詞を吐かなければ、きっとそのまま忘れていただろうに。
偽 祖 。
真祖以上に珍しいその言葉は、聞き捨てならなかった。
そろそろ時間だった。
ある程度、話しかけてくる人たちへの相手をしてから、さりげなく私は目的地へと向かう。
〝レイ、今どこ?〟
『酒場の裏手に到着しましたわ〜』
ふむ。レイにしては悪くない。時間通りだ。
〝じゃあ、手はず通り裏口から入って、祭に振る舞われる飲み物を探しなさい〟
『了解ですわ〜』
レイには私が今朝方、大急ぎで調合した二つの特製液薬を持ってくるよう言い渡してある。
一つはキラートマトを原料にした、服用すると腹痛と眠気が徐々に襲ってくる遅効性の毒物。つまるところ下剤だ。
これを参加者に飲ませることで、途中離脱を狙うのが作戦の根幹。副作用もないので後でバレることもない、便利な薬である。
もう一つは私が飲むための、特製ドリンクだ。
こちらは一時的に能力の飛躍的向上を果たす、ブーストドリンクだ。同じく遅効性だが、効果の持続性は抜群。
敵の弱体化と私の強化。万一参加者が館に到着したとしても、そこには圧倒的差が生まれているというわけだ。
『見つけました。お昼から振る舞われる樽ですわ!』
〝よし。持ってきた物を混ぜるのよ。私もすぐに行く〟
レイに指示を出すのと、連れていかれたリオンを見つけたのは同時だった。
ギルドの人から注意され、トボトボと人気のない路地へと入っていく。
祭へ出禁でもされて、家に帰るところだろうか。
なんにせよ、人気のないところにいる今がチャンスだ。
「あの、リオンさん」
突然、真後ろから声をかけられたせいか、青年は声も上げずに驚きの表情をこちらに向けた。
隙あり。
目があった瞬間に、私は視線に魔力を乗せる。
リオンの体が電撃にでも撃たれたかのように震えた。
「……!」
「一つ、同意するわ」
邪 眼。
目が合った相手に金縛りをかけ、催眠状態にさせる吸血鬼の技だ。
「昔のクラレンス祭の方が、私もマシだと思う」
もっとも、催眠状態に入った彼がこの言葉を聞けたかは定かではないが。
改めて誰の気配もないことを確認してから、私はリオンに聞いた。
「で? あなたは『 偽 祖 』についてどこまでご存じなのかしら?」
「それ、は……」
たどたどしく、リオンは己の知識を喋っていく。
根拠のないデタラメばかり聞かされていたので本当に驚いたのだが、彼はその内容については、一部の者しか知らない真実に至ろうとしていた。
これは、由々しき事態だ。
私は彼にいくつかの暗示を施すと、自らの家へと帰るように指示する。
明日の今頃には、彼の頭からは私のことや「偽祖」の情報はすっかりなくなっていることだろう。
「さて、次は」
レイとの合流だ。
ひとまず安堵した私は、遠ざかるリオンから踵を返し、酒場の方へと向かう。
今行われている「仕込み」が今日の私の命運を分ける——そう思うと、上手くいっているのか早く確かめずにはいられなかったのだ。
急ぐ私はこの時、リオンの後を追う人物がいようとは思いもしていなかった。
Ⅳ
「レイ、首尾はどう?」
酒場に到着した私は、気配を殺して中に入る。
『あ、マリー様。手はず通り飲み物に混ぜておきましたよ!』
「そう、よくやったわ。じゃあ私の魔法瓶を頂戴」
現れた半透明の幽霊を労いながら、渡されたクリスタル瓶の中身を一気に飲み干す。
「う」
思ったより、苦いわね……
まあ、急ぎのため味付けの方は気にはしてなかったから、こんなものかもしれない。
『でもマリー様、中にはお酒を飲まない参加者もいるんじゃ?』
「普通の、というか真剣に吸血鬼討伐をする連中ならそうでしょうね。でも、このイベントの趣旨を考えてみなさい?」
当然、私も考えてはみた。
だが過去何度も「最下級」の吸血鬼として退治されてきた事実。ギルドからの報酬はあれどわずかな額であり、さらには婚活パーティの盛り上げ役となってしまっている現状。
そんな敵に対し、「わざわざ強い人間が祭を楽しむこともなく、ただひたすらに討伐目指して向かってくる」というのは、とてもじゃないが考えにくい。
仮にいたとしても、それは百人中に数えるほどだろう。
「午前中に私が直接確認したわ。今日来ている中で特に手練れと感じた連中は、もれなく酒を口にしている」
タダ酒と異性の誘惑に興味のなさそうな者など、結局はいなかったのだ。
一つ可能性があるとすれば、子どもの参加者がいた場合だが……そういった子は仮にいたとしても途中で村に戻される記念参加枠、大人同伴のエンジョイ勢だ。そもそも脅威にすらならないだろう。
『納得しましたわ、マリー様。では私はこの後どうすれば?』
「あなたは帰って、他の二人を手伝いなさい」
『はいですわ〜』
消えていくレイ。
墓場にドジまで持ち込むような彼女だが、なかなかどうして、今回は優秀だ。
「やればできるじゃない」
後は、時間経過とともに村人たちが弱るのを待つだけだ。
うまく薬が効いたか見届けたら、あとは館に帰って待ち構えるのみ。
それまで適当に時間を潰してもいいが、思いつくこともない。何かいい案はないものか。
「あ、マリーお姉さん!」
酒場から離れた私に、声がかけられた。
カリンちゃんだ。
「あらカリンちゃん、お祭を楽しんでる?」
「うん! 楽しいよ!」
片手にお菓子。もう片方の手にはコップを持っている。
中に入っているのはお祭りで振る舞われる蜂蜜水のジュースだ。
子どもや老人が好んで飲むものだが、討伐に来る大人たち用の酒と違い、こちらには何も入れていないので大丈夫だろう。
「お姉さんも楽しんでる?」
「え、ええ!」
私は意識的に笑顔を作る。
正直、楽しむ楽しまないの前に命がかかっているからなぁ……
ああ、私も悩みのない子どもに戻りたい!
私の懊悩を知ってかしらずか、カリンちゃんは小首をかしげた。
「……実は、このお祭り楽しくない?」
「え?」
「だってこのお祭、結婚する人を探すものでしょ? でも、それってお姉さんの恋人からの贈り物じゃないの?」
彼女が指差したのは、私の首元にあるロケットだ。
「ああ、これ?」
視界に入れたそれを見ると、つい笑顔がこぼれてしまう。
もうだいぶ昔のことなのに、つい昨日のように感じる、過ぎ去った日々が思い返される。
「くれたのは恋人じゃないわ。ずっと昔に旅に出た、古い友人……女の人よ」
「大事な人?」
「うん。私にとって目標みたいな人」
この想いは、あまりに複雑で一言では言い表しにくい。
確実に言えるのは、正しく私に影響を与えた人だと言うことだろう。
「あんな人になりたいと思って、ずっと頑張ってるわ。だから……このお祭りも自分なりに、精一杯やってみるつもり」
「……よく分からないけど」
カリンちゃんにとって、私の言葉は確かによく分からないものだったろう。
しかしこの子は、何も言わずに笑顔を見せてくれた。
「私はマリーお姉さんみたいになりたいなー」
「そうなの?」
そういえば、昨日もそんなことを言われたような。
「私もお姉さんみたいに自分の力だけで、自由にあちこち行ってみたい! 楽しそうだし……でも」
「でも?」
「パパもママも、子どもにはまだ早いって、話聞いてくれないの!」
あー、なるほどぉ。
そりゃこれぐらいの年の、しかも女の子にはそう言うしかないよね。
でも「ダメ」じゃなくて「まだ早い」って言うだけ、考えてもらえてると思うけどな。
とはいえ、それを言っても納得はしないだろう。ここは正直が一番だ。
「私も、カリンちゃんがもう少し大きくなってからでないと反対かな」
「えー! どーしてー⁉︎」
「お外は危険がいっぱいだからね」
たとえ強くとも、どうにもならない事が世の中にはごまんと転がっている。
人間の時も……いやそれ以降の方がずっと、それを痛感してきた。
「今よりもっと強くなって、もっと賢くなって……それでなんでご両親や私が今はダメって言うのかを本当に分かった時が、自由で楽しい旅を始めるタイミングなのよ」
我ながら下手な言い分だが「私はそうしてきたから」と付け加えると、カリンちゃんは何も言わずに視線を落とす。
この無理やり黙らせた感じが、なんだか申し訳なかったが。
「分かった……」
分からないなりに不承不承、と言った感じでカリンちゃんはうなずいてくれた。
「じゃ、その代わりいつか一緒に旅をしよ?」
「え」
子どもの交渉というのは、なんとも強引なものだ。
結局私は、カリンちゃんの機嫌を取るためにその約束を取り付けさせられてしまった。
ま、まあ十年後くらいには、また彼女と会う機会もあるだろう。
「お姉さん、一緒に回ろー?」
今は、カリンちゃんがすっかり機嫌を良くした事の方が重要だ。
「ええ、いいわよ」
せっかく私を利用したお祭りだ。私が楽しんでもバチは当たらないだろう。
念のため、眷属たちに確認を取る。
『いいんじゃねぇか。薬を飲ませたんなら、夜までこっちでやることなんてあんまりないからな』
『それに、マリー様にわたくしたちのお手伝いをさせるわけにはいきませんものね』
『オラ達の仕事は、オラ達で頑張るだぁ』
なんとも頼もしい返事が返ってきた。
私は良い部下に恵まれたようだ。
『ってわけで、楽しんでこいよ! なんたって負けたら今日が最後のクラレンス祭なんだからよ!』
……どうも一言多いこいつは、後でお仕置きが必要な気がするが。
それからしばらくの時間、私はカリンちゃんとともに祭を楽しんだのだった。
Ⅴ
祭りも中盤が過ぎ、いよいよ夕暮れ。
日没まであとわずかだ。
カリンちゃんと別れた私は、他の参加者とともに広場へと集められていた。
「さて皆様いよいよやって参りました本日のメインイベント! 恐ろしき吸血鬼の城へのツアー!」
参加者の前で、代表者っぽい人間が声を張り上げる。
ついにツアーときたか。
だが、異変はここから起き始めた。
「では、皆様への挨拶として『奇跡の世代』のアーノルド夫妻に……え? お二人とも急な腹痛?」
後半は尻すぼみでほとんどの人間には聞こえなかったろうが、私の耳にははっきりと届いた。
薬が効き始める時間になってきたのだ。
その頃には、あちらこちらで似た症状の者が現れていた。
「う……」
「なんだ、急に……」
脂汗をかく者。ふらつきながら静かに広場をあとにする者。
その数は少しずつだが、増えていく。
ギュルギュルギュル……。
私の近くでも、そんな音を身体の中から響かせてうずくまったご婦人が一人。
どうやら討伐の参加者以外にも多数、被害は及んでいるようだが……必要な犠牲というものだ。
悪く思わないでほしい。
いや、むしろ私の命を餌にこんなイベントを開こうとするから当然の罰と言えるだろう。
「フフフ……」
おっと、ついこれからの地獄を想像して笑みが漏れてしまったようだ。はしたないはしたない。
だがこの瞬間をずっと待っていた身とあっては、神も私の行いを許してくださるというものだ。
この薬の効果は丸一日続くと過去に実証済み。
腹痛からの下痢と、その後やってくる脱水症状。さらにはトドメとばかりの眠気と合わせて数日はノックダウンまっしぐら。
初期に発症する者はまだ幸せと言えるだろう。
後で発症する者に比べ、ひとまずは用を足せるという幸運にあずかれるのだから!
必死に我慢し、ようやく辿り着いた扉をすでに誰かに占有されている絶望!
別の場所に行こうとも激痛に動けず、さりとて無理に動けば人間の尊厳を失ってしまいかねない恐怖!
そうして辿り着いた第二の目的地には、最初の場所よりも人がいるという地獄!
その頃になって「最初から森にでも行っておけば……」という後悔!
あえて先に告げよう。今さらそんなことを言ってももう遅い、と!
解毒剤なんて作っていないからね! 慈悲はないから!
ざまぁみろ、よ。
ギュルギュルギュルギュル……。
私の気持ちに賛同するかのように、また一つ盛大に腹の音が鳴り響いた。
「フフフ……はしたない音」
そう独りごちた私の視界が、突如ぐらついた。
「あ、あれ……?」
ギュルギュルギュルギュル……。
先ほどより近くで聞こえる、大きな音。
いや、なにかがおかしい……。
すでに私の周りには人がまばらになってきている。
だというのに——あまりに音が近過ぎやしなかったか?
直後、私の腹部から脳天へと駆け抜ける絶大な痛みに、疑問の答えはつまびらかにされた。
「ふ、ふおおおおおおおお⁉︎」
痛い⁉︎ 何これ超痛い⁉︎
何が起こった⁉︎ なんで私に痛みが発生しているの⁉︎
い、いや何かの間違いよ。そうに違いない。
落ち着け。落ち着け私。
たまたま似たような音が鳴っただけ……痛みも冷や汗も、思い込み……たぶん、きっと……。
周りがそうなってるから、私も少し不安になってるだけだ。群集心理のトラップというやつに——
ギュルギュルギュルギュル!
あああああああ違う! これ確実に当てはまったパターンだ⁉︎
気がつけば私はその場にうずくまっていた。
『お、おい■リー! 一体ど■した⁉︎』
スケの声が遠く聞こえる。雑音のようなものが混じっている。
私の変調に、吸血鬼の技も使えなくなってきているのだ。気を抜いていては連絡もままならない。
私は、残る精神力をありったけ込めて部下の名を呼んだ。
〝レ〜〜イ〜〜〟
『ヒ、ヒィ! 違いますマリー様! きっと何かの間違いです!』
まだ何も言ってないのにこの狼狽えよう。
レイめ、やってくれたわね……!
〝アンタの渡した魔法瓶しか、心当たりなんてないでしょうが!〟
『そんなことありませんわ! だって、確かにあれにはマリー様に言われたものを…………あ』
間抜けな声とともにレイは絶句した。
『違うんです! 練習にと思って、原液の時に試しにマリー様の水筒に入れておいただけですの!』
こいつ、練習で私の入れ物に毒物を混ぜていた、だと⁉︎
しかも原液を⁉︎
他の人間には酒で薄めて十分以上に効くのに、私には丸々一本濃厚なやつを⁉︎
部下からの弁明の声はそこで途切れた。
私の集中力が限界に達したのだ。
「大丈夫ですか⁉︎」
うずくまる私の隣で誰かが屈んでくる。
ギルド職員の、メガネの優男だった。
彼は職務の都合上か何かで、毒入りの飲み物は飲んでいなかったのだろう。
「立てますか⁉︎ お運びしますのでご辛抱を!」
正直、非常にありがたい申し出だったし、なんなら好感度も上がった。
しかし、私にはやるべきことがある。
「いえ、問題ありません。一人で歩けます……」
館で村人どもを迎撃しなければいけない!
立ち上がる私に、職員はなお言い募る。
「どうか見栄をお張りにならないでください! この症状は過去の文献に記載があります。死にはしませんが一日中苦しむんです! 今なら、今ならまだ空いている場所があるはずです!」
何が空いている、とあえて言わないのが彼の優しさか。
私は汗にまみれたまま、彼に微笑んだ。
「なら、私は一目散に森へ向かいます……それが確実ですもの」
私のその言葉に、彼は何かを悟ったように押し黙った。
その間にも、周りにはどんどん自らの戦場に向かう者たちがいる。
争奪戦はすでに始まっているのだ。
「……どうかご武運を」
神妙にそう言って他の人へと向かう彼から、私は駆け出した。
Ⅵ
もちろん向かうのは森ではなく、我が館だ。
今は人間の中に紛れるため化けているが、本来の姿ならこの程度の腹痛、耐えられなくはない。
村から出たところで変身を解除しようとして、気付いた。
あ、だめだこれ。
あまりに変調をきたしているから、解除する前に粗相をする方が早い。
だがまあ、館についてからなら大丈夫だろう。
あの場所には、私の力をサポートする仕掛けがいくつもあるからだ。
「仕方……ない。急いで、戻りましょうか……」
もう言葉を出すのも厳しくなってきている。早めに着かないとゲームオーバーだ。
体感的にはあの夕陽が沈むまでにがタイムリミットか。
私は一目散に駆け出した。
闘争の始まりだった。
「うぐ、ぅ……」
急激な動きに、体内の異変がより活発になる。
私は暗い不安の雲を振り払うように、ひた走った。
村から 轍 の残る道を少し駆け、途中で横に折れる。
短い草の生えた道を走る度、腹の中に針が出現したような痛みが生まれた。連動して重くなっていく下腹部。
それは内臓ごと溶け崩れていくような熱い感覚とともに規模を増し、出口を求めて私の脊髄を刺激する。
ダセ……ココカラダセ……
そうすれば何もかも楽になれる、と。
負けるわけにはいかない。
今こそ吸血鬼の矜持を見せる時だ。
私が歯を食いしばり、激痛に耐えながら進んでいくと、徐々に痛みに慣れてくる。
誘惑に勝ったのだ。
なんとか落ち着きを見せた体内。私の走るスピードは増す。しかし油断は禁物だ。
これは第一波を乗り越えただけだからだ。
不安定な地面の振動に耐え、小川を跳んで着地した頃に次の波が襲ってきた。
「なは、あぁあああ……」
最近発明された拳銃にでも撃たれれば、こんな気分なのだろうか。
力を入れているはずの腹部から、何もかもが抜け落ちていくような脱力感。第二波はいっときの安寧を知ってしまったが故に、なお苦しいものだった。
その苦しみに耐え、なんとか崖の下にたどり着く。
普段見慣れた、崖上の高台へと続く傾斜の大きい坂道が、私の心を恐怖で支配する。
しかしここで怯んでいてはもう時間がない。
「止まってはダメよ、止まってはダメ……」
呪詛のように呟き、ええい、ままよ! と震える足で駆け上がる。
真の地獄の始まりだった。
「ギィやっ⁉︎」
一歩毎に、もうないと思っていた痛みの天井を軽くぶち破られ、膝から崩れ落ちてしまいそうになる。
「イヒィーっ⁉︎」
それでも、私は止まらない。
走れ、走れマリー!
そう己を叱咤する。
最悪な事態が起きた。幻覚症状が出てきたのだ。私の視界の中で、悪魔と天使が仲良くタップダンスを踊り出す。
悪魔がニタリ、と笑って告げてくる。
『モウ、ダレモミテナイ。ガマンシナクテイインダゾ』
悪魔め! なんという誘惑を!
歯軋りする私に、愛くるしい天使が涙を滲ませながら叫んだ。
『もう誰も見てないわ! 我慢しなくて良いのよ!』
おい天使、お前もか!
最初から一択オンリーの選択肢。
同じことしか言わない二匹を振り払い、私はさらに足を早めた。
あの夕日が沈むまでに、館にたどり着く。
そうすればなんとかなる気がする。
一瞬でも気を抜けば終わる闘争の中で、私をかろうじて支えているのはただその気持ちだけだ。
ああ、早く終わってくれ。
この苦しみが終わるのなら、なんだったら改宗だって辞さない。
終わりの見えない道を走りながら、私は祈りに祈った。
ああ、鎮まりたまえ! 荒れ狂う流れよ!
太陽は刻々と動いている。あれが沈んでしまわぬうちに、帰り着くことができなかったのなら……。
私のなんか大事な色々なものが死んでしまう!
だからお願い神様いるんなら早く助けろ!
しかしお腹の中の濁流は、心の叫びをせせら笑うかの如くますます激しく躍り狂う。
崖の上まで、五合目踏破!
ここで唐突に第三波襲来!
視界は真っ赤に染まり、頭の中を一様に白光が覆い尽くす。
その向こうから、はるか東にいると言われる『仏』の巨大な顔が現れた。
穏やかな表情に緩みかけたお尻だが、私は我に返りキュッと力を込め直す。
そのまま根性で八合目を駆け抜ける。
第四波と第五波はさらに激しい。
連続でやってきた!
間断なくドウドウと響きをあげる激流は、私の心の隔壁を次々に木端みじんに砕き散らしていく。
そこで悟った。
もう無理。
これもう、絶対ダメ。
かろうじて耐え抜いた私だが、もう次の波を防ぎ切る余力はない。
ゴールまではまだだいぶある。足は遅々として進まない。
終わった——
そう思った時だった。
ふと、凪のようにすべての痛みが治まった。
おりしも館へのラストコーナーが視界に見えた瞬間だった。
わずかながら希望が生まれた。
祈りが届いたかと、天を仰ぎ見る。
ああ、神々よご照覧あれ!
濁流にも負けぬ愛と誠を、今私が見せてやる!
力強く地を蹴る。いつもの力だった。
景色が一気に加速する!
視界の端を木々が、岩肌が高速で通り過ぎていく。私はまさに風だった。
途中、一瞬だがスケが「Welcome to VampireCastle♪(吸血鬼の城へようこそ♪)」と書かれた看板を立てていたのが見えたので、あとできつい灸を据えてやることに決める。
歓迎の準備をすると言っていたが、まさか比喩抜きで本当にしていたとは……。
だが余計な雑念に気を取られている暇などない。
ついに館が見えたのだ!
『あ! 駄目ダァご主人! そこには落とし穴……!』
聞こえてきたデュラの声を私は逃さない。
最後の力を振り絞って跳んだ。
なにぶん力を調整できない状態のためとてつもない距離を跳んでしまったが、逆にそれが幸いした。
私の眼下に広がっていたのは、二階建ての家が丸々入りそうなくらいに大きくて深い穴だった。
おい誰がこんなの作れって言った。
だが、そんな文句を言う暇もない。
第六波の蠢動がお腹の中を揺らし始めたのだ。
奔流となれば、もはや私に抗う術はない。
「レイ、扉を開けなさい!」
最後の直線を、馬のように!
雄叫びと共にスピードを上げる。
『お任せくださいまし!』
現れたレイが私に先んじて、宙を駆けていく。
そして私がぶつかる前に扉を体当たりでこじ開け——ようとして、そのまま停滞なくすり抜けた。
私は、
「ぐええ⁉︎」
扉を蝶 番 ごと弾き飛ばして中に転がり込むと、同時に変身を解除した。
ちょうどそれは日没と同時。
私を人に変化させていた魔力が霧散し、強靭な吸血鬼の身体へと戻る。
そんな私の姿は——金色に輝くつややかな髪と、ミルクのようになめらかな肌。高貴さを感じさせる整った顔立ちには、蠱惑的な桃色の瞳が輝いている。二十代より少し前を思わせるうら若き美貌の長身を包むのは、白と赤を基調とした大輪の花のようなドレス。
……だったはずだ。鏡がないから確認しようもない部分があるけれど。
ただ肉体に本来の力が戻ったのはすぐに把握できた。
「破‼︎」
体内の筋肉を総動員し物理的に激流をブロック。さらには神経系のオンとオフを使い分け、消化管の運動を劇的に抑え込む。
……もしかしたらできないかと少し不安に思っていたが、できてしまった。
私は、帰ってきたのだ。
「た、助かった……」
正確には現在進行形で押さえ込むのに相当なエネルギーを使っているので、私の力の大部分が封じられたに等しいのだが。
肩で息をする私に、部下たちが恐る恐る集まってくる。
「よし、お前たち。今から迎撃を始めるけど……その前にそこに直りなさい」
Ⅶ
「まず、スケ!」
正座をさせた三人を、順に罰していく。
『な、なんだよ、有言実行してるじゃねーかよ!』
「忖度しろ! 推測しろ! もっと 慮 れ! なんだあの看板は! 誰がサボれと言った⁉︎」
そう言うと、スケはこうなると分かっていたのか、変にポーズを決めて言った。
『でもよ——仕事って、適度にサボるもんだろ?』
「限度があるでしょーが!」
私が平手打ちをすると、スケの頭蓋骨は首を中心に高速で回転した。
「……もういいわ。とにかく先鋒は任せるから、村人が現れたら報告しなさい。はい持ち場に行く!」
『遊び心も必要なんだぜ、マリー』
そう言いつつ、首が回転したまま器用に館から出ていくスケルトン。
「……デュラ」
静かに名を告げると、首無し騎士は神妙にうなずく。
「大きな落とし穴、作ってくれたわねぇ……」
『は、はい! 昨日の夜から一生懸命に掘って、丁寧に仕上げたおかげで、大きくて立派な逸物が作れましたダァ!』
「褒めてない! あと言い方がなんか卑猥! しかも落とし穴じゃなくてただの穴じゃない! 締切に間に合ってないの分かってる⁉︎ あんなのすぐ迂回されて終わりでしょうに!」
私の言葉が降り注ぐごとに、デュラの大きな体が悲しくうなだれる。
私は、少しトーンを抑えて言った。
「それに……あれしか作ってないんでしょう?」
『す、すげえダ! どうしてオラがあれ一つしか作ってないことを⁉︎ ご慧眼だべ!』
「最初の仕事が完成してないからに決まってるでしょうが! あとそれ逆に嫌味!」
掌底を叩きつけると、デュラの体は館の入り口から外へと飛び出していった。
「穴と館の間で戦いなさい。無理に戦わず、隙あらば穴に落とすように。いいわね?」
『分かったダァ……』
情けない声が遠くから返ってくる。どうやら穴に落ちかけているようだ。
はぁ、まったく……。
「さて」
私のその言葉に、残ったレイがガタガタ震え出す。
さてどうしたものか。
そこで、私の意識にスケから連絡があった。
『マリー、奴ら来やがった!』
え、もう?
なんか早くない?
そうは思ったが、祭の日程的には今が頃合いでもある。私の移動がチンタラしたものだったことも考えると、比較的元気そうな連中を時間通り出発させただけかもしれない。
「落ち着いて報告。何人いる? 様子は?」
『二人だ! 男女。どっちも青ざめた顔して、ふらついてやがるぜ』
ふむ。思った通りだ。
薬も効いているようだ。狙い通り全力は出せないはず。
『な、なあ。別に倒しちまっても構わないんだろ?』
「ええ、いいわよ。殺すと後々面倒だからそこはよろしく」
『任せろやヒャッh——』
スケが襲いかかったであろう音と、それを断ち切るような剣の音。
あ、秒で寸断されたなアイツ。
まあ、私の魔力が尽きない限りそのうち復活するから問題はないだろうけど。
きっかり十秒後、スケの震える声が聞こえてきた。
『な、何が起きたかわからねぇんだがよ……』
「いや瞬殺されたんでしょ」
ダメな部下、スケ。
仕事しない、そして超弱い。
よもや下痢状態の冒険者より弱いとは……
「で。さっきの二人は?」
『それがよ、復活した時に見たら、少し離れたところでどっちも倒れてんだよ! あの瞬間、俺の奥義も炸裂したってことなのか⁉︎』
なるほど、向こうも剣の一振りで限界がきたみたいだ。
今のように眷属で体力を使わせれば早々に勝機が訪れそうだ。
なおも言いつのるスケに、「じゃ、その調子でよろしくね」と告げる。
『おうよ! 次は小っせえのが来たきた〜』
調子に乗ってる。大丈夫かなコイツ。
そう思いながらも、レイに向き直った。
「……邪魔が入ったけど、レイ。あなたには挽回のチャンスをあげようと思っているの」
『ほ、本当ですの……?』
「ええ」
怯えるレイだが、私が言うのだから本当だ。
「私が飲むはずだった薬よ。あれを持ってきなさい。村に持ってきてなかったのなら、まだここにあるんでしょ?」
あれを飲めば、現状が少しはマシになるかもしれない。
というより、こんなことで許すのだから我ながら甘い。感謝されてもされ足りないくらいだ。
ところが、レイは『え』と固まったままだった。
「なによ? 早く取ってきなさい」
『あの薬も、使ってしまいましたの……』
「はい?」
どういうこと?
「え、待って。もしかして村に持ってきて、液体に混ぜたってこと? 何に⁉︎」
『た、確か子ども用の蜂蜜水用の樽に……』
スケの悲鳴が聞こえてきたのはその時だった。
『はあ⁉︎ このガキ、速——』
先ほどと同じ、スケルトンの秒殺。
だが私には、嫌な予感がした。
その予感は数秒とたたずして『グェー!』というデュラの悲鳴で確信に変わる。
早い! そして倒すだけならスケルトンより数段手強いはずのデュラハンもすぐさま倒すなんて!
それを果たした村人は、凄まじいスピードで館に入るとレイを後ろから斬りつけた。
『アビャー⁉︎』
レイが光の粒子になって霧散する。
霊体のレイを斬りつけることができるのは、得物が銀製品である証拠。
「あなたが、この城の吸血鬼ね!」
あっという間に私の眷属を倒した小柄な人影は、銀の短刀を手に私と対峙した。
私も流石に驚く。
「あ、あなたは……」
そこにいたのは、カリンちゃんだったのだ。
Ⅷ
私の中で、いくつかのピースが組み合わさっていく。
先ほどの、自由に外に出たいという気持ち。まだ早いと言われ不満そうな表情。
あの時、私みたいになりたいとは言っていたが、「冒険者になりたい」とは言っていなかった。
普通に聞き流していたが、すでに後者を達成していたとしたら。
そして私がカリンちゃんと会っていた場所を思い出す。
冒険者たちの集まる店だよ! それもほとんど毎日!
「あなた、冒険者なの⁉︎」
「小さいからって甘く見ないでよね。そこら辺の大人より強いんだから!」
前傾姿勢になったカリンちゃんが、残像を見せながら私に迫ってくる。
常軌を逸した動き。恐らくは特製薬の混ざったジュースを飲んだことでブーストがかかっている。
それでも、元々の身体能力が高くなければここまでにはならないはずだ。
間一髪、私は銀の斬撃をかわして距離を取った。
逃げきれなかった髪が数本、床に落ちる。
「……最下級の吸血鬼とは思えない動きですね」
油断なく短刀を構え、間合いを測るカリンちゃん。
え、なんかキャラがさっき話してた時と違いすぎやしません?
とっても凛々しいんですけど⁉︎
あれか、仕事モードオンというやつか!
「あなたも、子どもとは思えない実力ね」
「どうも。地元では『伝説の子』って言われてます」
全組ご成婚した「伝説の世代」の子か! 実力とはあんまり関係ない情報な気がするけど!
そういえば今年で十歳だったっけ。あの頃には影も形もなかった子と、こんな形で戦うとは。
時の流れを嫌でも感じるなぁ。
さて、どうやって無力化しようか。
「……余裕そうですね。でも次は逃さない!」
「‼︎」
言うやいなや、宣言通り先ほどを越える速度で迫ってくる。
まずい、こっちの反応がわずかに遅れた!
赤色が、私の胸元から弾ける。
血ではない。刃はギリギリのところでドレスを裂くにとどまっていた。
私の背後に立ったカリンちゃんが舌打ちする。
「しぶといですね。次こそは——」
しかしその言葉は不意に途切れ、彼女の目が大きく見開かれた。
ん、どうしたのかしら急に?
向き直った私はカリンちゃんの視線の先を辿る。
ドレスが裂かれたことによって、ロケットが露出していた。
あ。まずい。
さっきこれ見せたんだった。
「…………そのロケットを持っていたお姉さんを、どうしたんですか?」
声を震わせ、静かに涙を流しながらカリンちゃんは問いかけてくる。
うーん。
正体が私とは思っていないようだが、なんだか最悪のシチュエーションを想像されてる気がする。
仕方ない。あんまり話がこじれると調整がややこしいから、適当に誤魔化しておくか。
「これは——」
「お姉さんの仇!」
涙も拭かず、感情を無くした表情でカリンちゃんが加速してくる。
その速度はこれまでの比ではない。流石に私も冷や汗をかいてきた。
「待って、話せば分かる!」
「問答無用!」
苛烈な一撃がついに私の腕をかすめ、左腕から血が滴り出した。
「まだまだ!」
それで満足するはずもなく、カリンちゃんは私の首筋を今度は狙ってくる。
向けられた殺気に、私も真面目に対処するしか無くなった。傷つくのもいとわず左腕を突き出す。
まさか避けずにくるとは思っていなかったのか、カリンちゃんの反応はわずかに遅れる。私はその間に、短刀を持つ彼女の腕を無理やりつかんだ。
そして力一杯、放り投げる。
下手をすれば致命傷になりかねない力で投げたが、彼女の実力を信じたが故の処置だ。
「くっ……」
すかさず空中で身をひねり、四つん這いに着地したカリンちゃん。
だが、顔を上げたまさにその眼前に、私がいるとは思いもしなかったであろう。
「⁉︎」
邪 眼!
至近距離で目が合ったカリンちゃんは、全身を硬直させた。
力を失った手から短刀が落ち、甲高い響きを上げて床を跳ねる。
勝負あった。
「お、ね……さん」
悔しそうに呟いて倒れるカリンちゃんを、私は支え、静かに横たえた。
「し、しんどかった〜」
稀に見る強敵だったし、相対するにはコンディションが最悪すぎた。
年齢による戦鬪経験の少なさと感情を乱してくれていたおかげで、なんとか勝てたといえるだろう。
感情の乱れた原因が自分というのは嬉しいような気もするが……ズタズタになったドレスと深く切り裂かれた自分の左腕を見ると、ちょっと複雑だ。
ま、肉体は吸血鬼の力で数日かければ治るだろうし。ドレスもなんとかなるだろう。
「とりあえず、今回のクラレンス祭もこれで一件落着ねー」
大きく息をついた、そんな時だった。
ズン!
そんな音と、芯から震えるような衝撃が私の全身を揺らす。
「ほっほ。相変わらず粗忽だねぇ、マリーちゃん」
悪意を持ったそんな笑い声が、私の背後から投げかけられた。
Ⅸ
私は震えながら、首だけ動かして後ろを見る。
館の入り口。そこに杖をついた小柄な老婆が立っていた。
「ユノー、ちゃん……?」
「ふむ。どうやら仕留め損なったようだねぇ」
ユノーちゃんは天気の話でもしているかのように呟くと、杖とは別の手に持っていたものを放り捨てた。
一発装填式の携帯型バリスタ。しかもそれは私がよく知るものだった。
「どうだい、教会の吸血鬼ハンター御用達の白木の杭の味は? と言っても、さすがに背中越しじゃあ心臓はぶち抜けやしないね」
吸血鬼ハンター。
その名の通り、吸血鬼狩りを生業とする者の総称だ。個人から組織に属する者まで様々だが、この業界でもっとも恐れられているのは教会の有する「対吸血鬼部隊」だろう。『聖女』を筆頭としたこの集団は全員が殺傷能力の高い装備を身につけており、戦闘能力も総じて高い。
だが、まさかユノーちゃんがそうだったなんて。
私を背後から撃ったバリスタは、部隊のシスターが好んで使う高威力の兵器だ。
運良く……と言っていいかは分からないが、発射された白木の杭は私の心臓からやや逸れ、背中から右の肺に突き刺さっていた。
杭の表面はご丁寧に銀コーティングされていて、吸血鬼の再生力を減じている。
もちろん死ぬほど痛いが、かろうじて致命傷ではない。思考もまだ明晰な部類。ユノーちゃんもそれがわかっているのか、必要以上に近寄らず追撃もしてこない。
「悪いねえ、楽にあの世に送ってやれなくて。すぐトドメを刺してあげるよ」
「その、わりには……来ないのね」
「ホッホッ、小娘と並べないでおくれ。邪眼を使われちゃかなわない」
やっぱりそうか。
先ほどから私は視線を向けるが、かわされる手応えばかりだ。
だがその牽制で、迂闊に相手も動けない。まさに私の化け物じみた生命力と痛みへの鈍感さが、窮地を救い拮抗状態を作り上げている。
打開策は——正直、厳しい。
眷属を呼んで注意を逸らそうにも、復活させるほどの余力が今の私にはない。
せめてあと少し、時間を稼いで——あ、まずっ。
堪え切れず、右肺から込み上げる灼熱の液体を私は吐き出してしまった。
どんなに痛覚が鈍感になろうとも、こうした反射行動は抑えづらい。私の身体が硬直する。
分かりやすいほどの隙を見せてしまった。
当然、ユノーちゃんはその瞬間に動き出す。
こちらに駆けながら、杖を両手で持つと力強く引き抜く。そこから漏れ出たのは銀の光を放つ細身の剣だ。
すべての動きが異常に速い。最悪なことに彼女も蜂蜜水を飲んだようだった。
「今すぐ楽にしてあげる、よぉっ!」
先ほど見たカリンちゃんに匹敵……いや、それ以上。
人間の限界を超えそうなその速度に、私はカリンちゃんから慌てて離れ、力の限り地面を蹴った。だが遅すぎる。
「遅いよぉ!」
「う、ぐっ……!」
即座に追いつかれ、銀の斬撃が私の身体を次々と切り裂いていく。
焼け付くような斬撃が身体中を襲った次の瞬間、私の視界は真っ赤に染まっていった。
目を斬られたのだ。
「ああ、あああああああ!」
「これで邪眼は使えないねぇ」
見えない視界と激痛の中、私は勢いのまま地面を転がった。暗闇の中で何度も揺れる感覚を味わいながら、少しでも距離を取る。
「しぶ、といね……致命傷は、避ける、んだから」
今の連続攻撃はユノーちゃんにも負担が大きかったのか、息切れをしているようだ。すぐの追い打ちはしてこない。
有利な状態だから慎重になっているのだろうが、今の私にはありがたい。
私はその声からなるべく遠ざかるように、床をはった。
もう、立ち上がる力もなかった。
「ユノー……ちゃん」
「呆れた。普通ここまでやりゃ、並の吸血鬼なら動けないよ」
「なんで……」
私はユノーちゃんと会話できるよう、必死に言葉を紡いでいた。
「なんで、私の……正体」
「ああ、そのことはねぇ——ってその手には乗らないよ!」
予想していなかった痛みが、私の右足を襲う。
「時間稼ぎで傷を治されちゃ困るからね。とはいえ私もアンタと話したいから、時々こうさせてもらうよ」
右足の感覚が無くなっていた。
斬り飛ばされたのだ。
苦痛に私の脳が焼けそうになるが、根性で耐える。
「……どうもアンタは十年、二十年の吸血鬼って感じじゃないね。こりゃ、リオンって子の言ってた『 偽 祖 』ってやつを信じるしかないようだね」
「⁉︎」
私の驚愕は、表情に現れたのだろう。ユノーちゃんが笑いをこぼす。
「ホッホ、正体がマリーちゃんだってわかった瞬間だよ。変な被り物の子がフラフラ歩いてて、まるで邪眼の暗示にかかったような状態じゃないか。来た道をのぞくとアンタの姿が見えたって寸法さ」
しまった。
暗示をかけた後は気にしてなかったから、完全に私の手落ちだ。
「もう気づいてるだろうけど、私ゃ元教会所属のシスターでね。見れば暗示を受けたかどうかすぐに分かる。何を暗示したのか尾けてみると、『偽祖』って研究を燃やそうとしてるじゃないか。ピンと来たよ」
そこでふと言葉を切って、私の左足をユノーちゃんが切断する。容赦のないことだ。
「次は腕を切るよ。今のうちに行きたい場所に動いときな」
言われるまでもなく、そうするつもりだった。
最初に確認したユノーちゃんとの位置関係、その後の動き。
「そうそう、頑張って行きな。私もあんたの行く場所に興味があるからね」
私の手は、目論見通りその部屋の扉を開けている。
そこは館の最奥。大広間に位置する場所だった。
「へえ。あれがアンタがここを守る理由かい」
ユノーちゃんの驚く声が聞こえる。
視界が塞がっていても、私は彼女が何を見てそう言っているかは分かっていた。
偽 祖 ……それは、最も「真祖」に近い存在を指す。
真祖ではない吸血鬼は、すべて他の吸血鬼の影響を受けた存在——それは間違いない。だが、いるのだ。他者からの影響によって吸血鬼へと変貌しながら、真祖へと至る潜在力を示す個体が。
それが私。
かつてこの館にいた真祖ロランの魔力の影響を受け、私は吸血鬼となった。そしてそれだけでなく、彼女に匹敵する力の片鱗を見せたのだ。
しかし潜在力とはあくまで、まだ 顕 になっていない力だ。
ロランは私を仲間として迎え入れたあと、成長を促すべく誓約を設けて去ってしまった。
誓約はたった一つ「どんな方法でもいいからこの場所を守り抜く」こと。
期限は真祖となるまで。守ったか否かの判断は私の命の是非か、館にある守護対象が破壊されたかどうか。
大広間の中央には、私の守護対象である巨大なクリスタルが鎮座してあった。
あのクリスタルが砕ければ誓約違反の罰が下され、私の命運も尽きることになっている。
「『真祖は偽祖を家族として迎え、新たな真祖にすべく誓約を与える』——読めたよ、あのクリスタルを守るために、今までチャチな小細工で村人を欺いてきたってわけだね」
リオンの研究と彼女の長年の経験で、ユノーちゃんは私がずっと隠し続けてきた秘密を暴いてしまった。
「もうお前に用はないよ、マリー。あれだけ巨大なクリスタルと『偽祖』の情報があれば、教会も私を無視できない。たんまりお金がもらえるだろうさ!」
「それが目的だったの?」
私は胸元のロケットをいじり、そっと開けた。
「お金欲しさ? それとも教会に恨みでもあるの?」
「どっちもさ! だけど恨みはたんとあるよぉ!」
ユノーちゃんはクリスタルを見たまま、怒りの感情を露わにした。
「あたしは家族を吸血鬼に殺された。だから教会の犬に、ハンターになったんだ! なのにさんざん裏で働かせた挙句、年取ったからって『もう休め』だぁ? あたしはこの命尽きるまでお前たちを殺したいんだよ! 幸せだっていらない、家族だっていない天涯孤独さ! 死ぬまでに一匹でも多く、化け物どもをこの手で葬ってやるんだ! そのためには教会が無視できない実績と、金がいるんだよ!——待ちな、何をしている⁉︎」
話が長くて助かった。
ユノーちゃんが気づいた時には、私は目的を終えている。
「あなた、カリンちゃんの祖母じゃなかったのね」
ロケットの中身。
そこにはガラスの容器に収められた。赤い液体が入ってた。
私にとって最も尊い方の血——真祖ロランの血だ。
わずか数滴しかないその血を一滴、私の牙は吸っていた。
「私、全力はこの部屋でのみ振るえって言われてるの」
そして偽祖は、真祖の血で本来の力を引き出せる。
真祖の血に宿る濃密な魔力が身体中を駆け巡り、私を中心に渦を巻いた。
その渦の中で、一瞬のうちに私の手足と目、内臓に至るまでが健全な状態へと再生していく。
「チッ、化け物め!」
ユノーちゃんは異変に気づいた時には、私の首筋に銀の剣で斬りかかっていた。だがもう遅い。
私が軽く睨んだことで、銀の剣は硬質な金属音を響かせて砕け散る。
「⁉︎」
驚く彼女に向けて、私は優しく宙を薙いだ。大広間に突風が吹き荒れ、小柄な彼女の身体を壁に叩きつける。
ユノーちゃんはうめき声を残すと、そのまま床に倒れ伏した。
しまった。やり過ぎたか?
今の私の力は真祖に並ぶ。災害にも等しい力はまだ未熟な私には制御が難しい。
クリスタルは私の力を抑えるためのものでもあるのだ。
「ぐぅ……なんだい、この力は」
喘鳴とともに起き上がるユノーちゃんに、私は安堵する。
だが彼女の目に宿る危険な光は油断ができない。
「これがアンタの、『偽祖』の力ってわけかい……これじゃ、もう勝てるわけないねぇ」
よろよろと立ち上がった彼女は、身体を引きずるように私に向かってくる。
その姿は、どう見ても憐れな老人そのものだった。
「人間なんかこの力に比べたら虫ケラ以下だろうね……でもね、そんな虫ケラみたいな弱い人間も一生懸命に生きてるんだ。それを踏みにじろうとする奴から守るのが私さ! この想いをアンタらは笑うだろうけどね!」
「……笑わないわよ」
私は静かに言うと、ゆっくりと近づいてくるユノーちゃんを見つめる。
もはや満身創痍なその状態では大したこともできまい。これまでの彼女との思い出を考えればせめて、一撃くらい受けてあげるのが情けというものだろう。
「アタシみたいな弱いババアでも、最後の根性で、この拳を届かせ……」
——なんて思わせたいんだろうなぁ。
ユノーちゃんが突然高速で動き、隠し持っていた小型拳銃を取り出した。
「演技ご苦労様」
私の一撃が一瞬速く、ユノーちゃんが持った拳銃を正確に弾き飛ばす。
銃は暴発し、天井に弾丸がめり込んだ。
「でもごめんなさい。付き合うのは演技までよ」
「な、なんでアンタが、シスターのバリスタを……」
得物を弾いた私の武器——彼女にとっては随分と古い型の携帯型バリスタ——を見て、掠れた声を出す。
「それは内緒」
バリスタを宙に放った私は、手袋から抜き放った右手を彼女の鼻先に突きつけた。
「んぎええええええええええええ⁉︎」
キラートマトの激臭に、絶叫を上げたユノーちゃんは白目をむいて気絶した。
それが今回のクラレンス祭の終わりを告げる音だった。
Ⅹ
翌日。
壮絶な一夜が明け、朝日が館に降り注ぐ。
「いやー、朝日を浴びると生きてるって感じるわぁ」
『マリー、そりゃ吸血鬼が言っちゃいけないセリフじゃねえか?』
入り口を修理し終えた私が日光の中で伸びをしていると、スケが大穴を埋めながら一言挟んでくる。
ちっ、うるさい奴め。
「じゃ、私は村に行ってくるから、館の修理は引き続きお願いね」
ユノーちゃんとの戦いの後、私は眷属たちを復活させ後始末に乗り出した。
村から討伐に来る者はあの後も多少なりといたが、体調を崩している者が大半で、そのほかもなんとかなった。
終わってみればあっけないものだった。
だが祭の整合性をとるため、今回の後片付けは思ったよりも忙しい。
いつもなら邪 眼で館に来た連中に暗示をかけ、私が倒されたことにして終了だが、今回は私も参加者として存在を広く覚えられているし、ここに来たカリンちゃんやユノーちゃんとは想定以上に関わってしまっている。
二人が今回討伐したということにしているが、邪眼は細かい部分の記憶を改変できるものではない。何かの拍子に疑問を持たれたり思い出さないよう、私がこれまで同様に接してはぐらかしたり経過観察を行う必要があった。
『なあ、バアさんの方は助けてやる必要があったのか?』
スケがサラリと、怖いことを言ってくる。
『別に村の関係者じゃなかったんだろ? 今回血をだいぶ流したんだし、いい加減血を吸っといたほうがいいんじゃないのか? 何より、秘密知られちまったじゃねーか』
普通に考えれば、彼の言う通りなのだろう。
真祖を目指す私にとって、この館の秘密は絶対に知られてはならない禁忌なのだから。
「私のポリシー、知ってるでしょ。なるべく傷つけないし、血も吸わない。人間じゃなくなってもそれまで生きてきた日々と同じように、私は神を信仰し、人と関わり……そして静かに清貧に生きていくわ」
それに、私はあの酒場で話した二人との時間を大切にしたいと思う。
やがて時が過ぎ、どうしようもない別れがこようとも。
私はこれまで生きてきた日々、これからの日々を大切に覚えて生きていきたいと思う。
だからかつて、真祖ロランに問うたのだ。
「私は私のままで、貴女のようになれますか」と。
彼女は討伐に来た私の命を奪うこともなく、また偽祖となった後にそんなことを言う私を笑い飛ばすこともなく、代わりにこの館の守護を誓約とした。
私はそれを、試練だと捉えている。
ロランの信頼に応えるだけではない。私は私であり続けることを証明するため、この場所を守り続けないといけないのだ。
私のやり方で、その日が来るまで。
『つーかさ、昨日走ってここに帰ってくる時、「改宗も辞さない」とか考えてなかったっけ?』
「主人の心を盗み見るな!」
不調時の私の心の叫びはまる聞こえだったらしい。
スケの頭蓋骨を蹴り飛ばして、私は村へと向かった。
この後、私は絶句することになる。
下剤に苦しんだおかげで祭は大失敗かと思いきや、決死の看病や助け合いにより新たな恋が芽生えたとかで、意外にも大盛況に終わった顛末に。
この村なんかおかしくない?
◇◇◇
マリーが村に向かって少し時間が経った頃。
『おー、効いたぜ……』
頭をようやく装着し直したスケルトンは、他の仲間が墓地に集まっているのに気づいた。
『お前らー、何してんだ?』
『ここの掃除ですわ〜』
『ご主人の墓だけ、また草がわんさか生えてるダァ』
その場所は、彼らと彼らの主の墓がある場所だった。
実際には彼らと違い、主は死んではいない。なので主は、彼らが眠っている時に彼らの墓場は綺麗にしていくが、自分の墓には「別に死んでないし」と言う理由でまったくのほったらかしだった。
眷属たちがそれをどう思っているか分からないあたり、主はやはり粗忽であると言えた。
『またかよ、俺も手伝うぜ』
今頼まれている作業はある。が、不急の案件だ。
怒られようものなら、また適当にサボっていたことにすれば良い。
スケルトンはそう考え、仲間の元へと向かう。
やがて綺麗になった墓石には、次のような文字が刻まれていた。
『聖女マリー・クラレンス。従者たちとともにここに眠る』
読んでいただき、ありがとうございました!