第3話
【閲覧注意】
この話には残酷な描写があります(虫をなぶり殺すシーンがあります)。不快に思われる方は読まないでください。
(読まなくてもストーリー全体には影響がない回ですが、主人公の心理を描く上で必要な回となっております)
遊歩道から外れて、もう1時間以上は歩いただろうか……樹海の中は木々が密集していて、遊歩道から見えた開放的な景色はすっかり無くなっていた。
とても歩きにくい場所だ……と思っていたらそれもそのはず、足元には土らしい物がほとんど無く、岩石と苔むした木の根っこだけが絡み合っている状態だ。そうか、ここは富士山の噴火によってできた場所……だから溶岩だらけなんだ。トレッキングシューズを履いてきて正解だった。
こんな土がほとんどない場所に木が生え森をつくっている。こんな生命力豊かな場所で僕は……死んでいくんだ。
もう周囲に人影は見えない。ここなら見つかることもないだろう。僕は苔で完全に覆われていない少し大きめの岩を見つけると、そこに腰をおろした。
――僕は……何を考えているんだ?
実は樹海に来る途中のコンビニで、おにぎりとお茶を買ってしまった。今から死のうとしているのに……食べたところでどうせ死ぬのだから意味ないじゃん!
〝グゥゥゥゥッ〟
でもお腹が鳴ってしまった。頭では死のうと意志が固まっているのに、食べたいという欲求もある……人間って不思議な生き物だ。
まあいい、これを「最後の晩餐」にしよう! 本当ならキャビアとかフォアグラとか……今まで食べたことのない物がいいんだろうけど、僕は食に対してそこまでこだわりはない。おにぎりで十分だ。僕はリュックのファスナーを開けると、中からおにぎりとお茶を取り出した。
静かだ……音はほとんど聞こえない。聞こえるのは時々吹く風に木々が揺らぐ音と、かすかに聞こえる鳥の鳴き声だけだ。
こんな静かな場所でひとり食事をする……贅沢な時間だ。キャビアやフォアグラなんていらない。
イジメに遭っていた僕は給食の時間、おかずに消しゴムを入れられたり、わざと落としたハンバーグを強制的に食べさせられたりした。もちろん他の生徒や先生は見て見ぬふりだ。
家では両親や弟に、イジメられていることを悟られないよう取り繕っているのが精一杯で食事は全然楽しくなかった。最期に、こんな幸せな環境で食事ができることが冥土の土産になりそうだ。
おにぎりの包装とペットボトルのふたを開け、さあ食べようと思ったとき……
〝ブゥゥゥゥゥン!〟
突然、不快な音とともに黒い塊が、僕の顔をめがけて飛んできた。
「うわっ!」
いきなり目の前に現れた物体に驚いた僕は、手に持ったおにぎりをうっかり離してしまい、さらに岩の上に置いたペットボトルを倒してしまった。
「あぁっ!!」
おにぎりとペットボトルのお茶が地面に落ちてしまった。おにぎりは岩と岩のすき間……手が届かない場所に落ちてしまい、ペットボトルは逆さになって中のお茶がどんどんこぼれていった。
――何てことだ!
僕は愕然とした。ようやく誰にも邪魔されず、誰にも気を遣うことがない「最後の晩餐」が楽しめるはずだったのに……。
――僕には……そんなことすら許されないのか?
僕は、「最期の楽しみ」を奪い取った黒い塊を睨みつけた。そいつは僕の服にしがみつき、内側の薄い翅を収納しながら悪びれる様子もなく歩き出していた。
――何……だよ!
――こんな虫にまで僕は馬鹿にされるのか?
――こんな虫ケラにまで……僕はイジメられなきゃいけないのか!?
「冗談じゃない!」
最期の最期までイジメられるなんてまっぴらだ! 逆に……この虫ケラをイジメてやろう! そう思った瞬間、僕は服に付いたクワガタのようなカミキリムシのような黒い虫の背中を掴んだ。
※※※※※※※
僕は最後の晩餐を台無しにしたクソったれ虫を捕まえた。服から引きはがそうとしたが、こいつの脚の先がかぎ状になっていて容易にはがせない。
やっとの思いで引きはがしたが、こいつのかぎ状の脚が引っ掛かったせいで服の繊維がほつれてしまった。
「お前……よくも僕の食事の邪魔をしてくれたな!」
捕まえた虫ケラをひっくり返して腹の方を見た。虫ケラは6本の脚をバタバタさせてもがいていた。よく見ると、引きはがしたときに真ん中の左脚の先端が取れてしまったようだ。
「お前さぁ、足が6本もあってウザいよ……それに1本先っちょが取れてるじゃないか……だったらこんな脚いらないよな?」
僕は先端のかぎ状になった部分が取れた脚をつまんだ。そんな脚など必要ないだろう……根元から一気にむしり取ってやろうと考えた。
〝ブチッ〟
つまんだ指に力を入れて手前に引っ張った。すると、根元からではなく脚の途中から簡単にもげてしまった。虫ケラの脚は5本……いや、5.5本になった。
「何だよつまんねー……でも、これじゃあバランス悪いよな? じゃあバランスよく反対側の足ももいでやるよ! 僕に感謝しろよ」
〝ブチッ〟
今度は真ん中の右脚をむしり取った。虫ケラはバタバタと脚を動かして抵抗するが身動きが取れない。為す術がなく、ただ空しく脚を動かしている虫ケラの姿を観察していた僕は……
――とても楽しくなった。
「そうだ! どうせ飛ぶんだからいっそのこと……足なんかいらないよな?」
僕は虫ケラの脚を全てもいでやろうと考えた。どうせこいつは僕の食事を妨害した無礼者だ! 僕は正義のため、こいつに鉄槌を下すのだ!
〝ブチッ〟〝ブチッ〟
今度は後ろの脚を両方もぎ取った。さすがに後ろ脚はそう簡単にもぎ取れなかった……しかもまた途中から取れてしまった。本当なら足の根元から取れて、分解された機械のように根元の動力部分が動いているだけの無様な姿を期待していたんだけど……残念だ。
「痛いか? でも僕はなぁ……もっと痛い思いを毎日してたんだよ!!」
僕は被害者なんだ! 今まで毎日、脚をもぎ取られるような辛い思いをしてきたんだ! だから僕だって誰かをイジメていいんだ!
最後に前脚をむしり取ってやる! そうすればこいつは一生飛びながら生きていかなければならないんだ……ざまぁみろ! 僕を馬鹿にした罰だ!
僕は虫の前脚をつまもうとした。すると……
〝ガブッ〟
「痛いっ!」
虫ケラの顎が僕の指を咬んだ。指の先から赤い血が半球状に染み出してきた。
「……てめぇっ!」
この期に及んでまだ抵抗を……しかも僕を傷付けた!
――くそっ! 虫ケラの分際で!
「お前なんか……お前なんか……こうしてやる!!」
僕は脚をもぎ取るのを止め、両手の指を使ってこの虫ケラの胸と腹(翅)を掴んだ。そして指先に力を入れると、この虫ケラを真っ二つにしてやろうと考えた。
今度はさっきの脚みたいに簡単にはいかない……かなりの力だ。だが、胸と腹のつなぎ目に爪を立て思いっ切り引っ張ると、徐々につなぎ目の部分が広がりだし、やがて電車の連結部分にある蛇腹のような物が見えてきた。そして……
〝ブチーッ〟
虫ケラの胸と腹のパーツは分離された。もげた4本の脚と、残った2本の前脚はしばらくバタバタともがいていたが、徐々に動きが鈍くなり……やがて……動きは完全に…………止まっ……た。
「ははっ……はははっ! お前が悪いんだぞ! お前が……お前が僕のことを馬鹿にするから……咬みつくから……お前が悪いんだ……お前が……」
僕が虫を殺して得たもの……それは「達成感」と「虚しさ」だった。
※※※※※※※
僕は岩の上に座り直すと、リュックからスマホを取り出した。そしておもむろにイヤホンをつけると、ラジオアプリを起動させた。
――そろそろ……世間は大騒ぎしている頃かなぁ?
僕は、もうひとつの『計画』が無事に実行されているか確認してみた。