【第一章】其の八『五百三十五年来の客人』
コウヤとエフィはマナに一先ずの別れを告げ、部屋の外へと出て行く。去り際、心做しか、彼女は寂しそうな表情を見せた気がした。
部屋の外には、先程早々と出て行ったグレンの姿があった。二人は彼に駆け寄り、話しかける。
「なあ、グレン……。」
「彼女は私をからかい過ぎなんだ。」
「……ああ、それは解ってる。
それでなんだが、お前に一つ提案があるんだ。」
「私に提案……?」
「お前、さっきマナの前で未熟な剣士だって言っただろ。
それならよ、
吸血姫とやらをお前がぶっ倒して、マナに未熟じゃないところ見せてやろうぜ!」
「……、簡単に言ってくれるな。コウヤ。
リィヴェルナの吸血姫が、
その身体にどれほどの魔力を秘めているか、知っているのか?」
「ああ、知ってるさ。マナから聞いたからな。」
「なら、何故私にそんな事を言う。」
「お前にしかやれない。俺は、そう思っただけだ。
マナの親父さんの仇、犠牲になった大勢の人々の仇、
そして、
マナとお前との約束を果たす事が、今のお前にとっての何よりの目標じゃないのか?」
「……。」
「グレンさん……!
私も……、貴方にしか出来ないと思います……。
マナさんの両親を失った悲しみや苦しみ……、
グレンさん……!
私も……、貴方にしか出来ないと思います……。
心にぽっかりと空いた穴を塞げるのは、貴方しか居ません……!」
コウヤとエフィの言葉に、顔を上げ、一瞬だけ表情が変わった。
しかし、グレンはまた俯いてしまった。
「……、私に、やれるだろうか。」
グレンの中に潜む迷いを断ち切るかのように、コウヤは言葉を続ける。
「ああ、お前にはそれだけの実力があるって信じてる。だから必ず、その手でマナを護ってやるんだ!」
彼はその言葉を受けた時、何かを思い出したかの様な表情をした。そしてすぐに、言葉を続けた。
「……、そうか、私は大切な事を忘れていたよ。」
「……!」
グレンは静かに顔を上げる。その顔は確かに、決意に満ち溢れた表情をしていた。
「決着の時だ。時間が無い、急ぐぞ。」
グレンは、急いで階段を駆け下りていく。コウヤとエフィもそれに続いた。素早く王宮を出ると、近くに停まっていた馬車に乗り込む。
「なあ、グレン。ひょっとして、今から行く気なのか……?まだ準備も何も……。」
いきなりの出発に焦りや不安を隠せないコウヤに、冷静な表情を見せながらグレンは言う。
「ここから古城リィヴェルナまでは時間がかかるからな。今から向かうのが得策だろう。」
「待ってください、グレンさん……、
本当に……、本当に大丈夫なんですか……?」
まだ見ぬ大敵との対決を前に、今までに無いほど、エフィは怯えているようだった。
「私がこの剣で斬る。安心したまえ、君達に怪我はさせないよ。」
「……はい。」
「では、出発だ。」
グレンのその一言を受け、御者が馬に出発の合図を出す。ガラガラと、車輪が進む感触が身体に伝わってくる。
「……、なぁ、グレン。
あのハンマーのおっさんは、この戦いには参加しないのか?」
「彼には王宮の警備を任せてある。あれでも一応、護衛隊長だからね。」
「まじか、そんなお偉いさんだったのかよ……。
どうりで強いわけだ。」
「……コウヤ、エフィローナ、これだけは聞いて欲しい。
私に何があろうと、決して古城内に来てはいけない。
君達がする事はただ、私が送る合図に応えるだけだ。いいかね?」
「……、合図?」
「私の合図が見えたら、これを使ってくれ。」
そう言うと、グレンはポケットから手の平サイズの青い球体を取り出した。
「……、どこかで見覚えがあるんだがぁー?」
コウヤはエフィの方に目を向ける。エフィは瞬間的に目を逸らした。
「これ、エイムボムだよな?」
「ああ、私の合図が見えたら、これを空高くに放り投げてくれ。」
「……解った。」
「頼んだぞ。コウヤ。」
「ああ。」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
古城リィヴェルナ 城外
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
馬車の中で食事をとりつつ、ヘレナヴァレ王宮から1~2時間ほど山道を走ると、真っ黒に塗られた壁や、所々が生い茂るツタに覆われた古城リィヴェルナが姿を現した。
生気を失ったその古城は、賑わいで溢れていたあの頃を思い出しているかのように寂しく、ひっそりと静かに佇んでいる。
「でけぇ……、あれが古城リィヴェルナ……。」
「あの中に、マナさんの命を狙っている吸血姫が居るんですね……。」
「……、では、君達。頼んだよ。」
馬車から降りたグレンは、一度振り返りそう言うと、古城リィヴェルナへと歩いて行った。
「グレン!!!
絶対帰って来い!!!絶対だ!!!
マナとの約束、忘れるんじゃねぇぞおおおおおお!!!!!!!」
「……。」
コウヤのその叫びに、彼は右手を挙げて返した。
やがて彼の姿が、森の陰に飲み込まれて見えなくなる。
「グレンさん……。」
「……、
心配するな、エフィ。
あいつなら、やれる。
護るべきものがある人間ってのは、強いんだぜ。」
エフィの肩を優しく叩きながら、コウヤはそう言った。
「そうだね……、コウヤ君。」
エフィは微笑みで返す。その瞬間、コウヤは彼女から複雑な思いが取り除かれたような気がしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
古城リィヴェルナ 城内
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鉄格子の様な扉は既に朽ち果てており、簡単に中に入る事が出来た。城内には幾つもの部屋があったが、ドアは全て壊され、室内は家具や食器等が割れて散乱していた。
「数百年前に此処で起きた惨状を物語っているな。」
一歩一歩、歩みを前に進めるグレン。灯りが乏しい中、
誰も居ない広間に唯一、彼の足音が響き渡る。
―― ゴツッ ガラガラ
歩く彼の足に何かが当たり、崩れ落ちる。彼は、右手でそれを拾い上げた。
「崩してしまってすまない。……皆、苦しかったんだな。」
驚く事に、本来なら100年足らずで風化してしまうであろう人間の骸骨が未だに散乱していた。朽ちた頭蓋骨には、これでもかという深い傷が遺されていた。
「……君達の仇は、必ず私が討つ。だから、少しだけ時間をくれないか。」
拾い上げた頭蓋骨を元あった場所に戻すと、骨を踏まないように注意しながら歩いていく。
無数の骸骨が足元に散らばる中、しばらく進むと、巨大な二枚の扉を発見した。
単なる偶然かもしれないが、扉の前に積み重なった骸骨から飛び出た指の骨が、その扉を、何かを訴える様に指さしていた。
「……この中に居るんだな。後は私に任せたまえ。」
そう言うと、その骨は安堵したかのようにボロボロと崩れ落ちた。グレンは静かに剣を抜き、左手で重い扉を開ける。
中は異様に広く、微かに日光が差していた。そして部屋の中央には黒い影が立っていた。
「久しく見ぬ客人……。ようこそおいで下さいましたなぁ……。」
「……っ?!」
振り返ったその姿に、グレンは酷く動揺する。
女性ではなく、男性であったこと。
そして何より、身長が3メートルほどであったことに彼は驚いた。
「吸血姫と言うくらいだから、女性かと思ったが……、貴様がこの古城リィヴェルナの当主か。」
「女性……、吸血姫……、それは彼女の事か……?」
「……?」
指を指す彼の後ろに目をやると、磔のように縛られ、俯き眠っている長い赤髪の少女が居た。それは紛れもなく噂に聞いていた容姿であった。
「……どういう事だ。貴様は一体……。」
「我はエマ・ヒーデルベルグ伯爵……、リィヴェルナの当主……。」
「……、なら、数百年前の大量虐殺も貴様がやったのか……!」
「仰る通り……、流石は剣士よ。
いやぁ、実に愉快だった……。
散りゆく命と共に……、流れ出る鮮血は蝶の様に舞い、
漆黒の夜を紅く染め上げる……。
ああ……、なんと美しいのだろうかぁぁぁ……!
そして今……、あの快楽が再び訪れようとしている……!」
「なんだと……。」
「彼女を我が力で凶暴化させ、世界に解き放つのだ……。
ああ……、
待ちきれない……。
待ちきれない……。」
見るに堪えない凄まじい形相で話しながらグレンを見つめるエマ伯爵。その目は紅く狂気に満ち溢れており、口元には確かに日本の鋭い牙が生えていた。
(あの吸血姫伝説は偽りだったということか。
つまり、あの赤髪の娘は被害者……。まずは、目の前にいるあの男を……。)
「……私が貴様を斬る。その為に此処に来たのだ。」
「我を斬る……、実に面白い……。
この我を止めようと言う事だな……。」
…………
…………
「……っ!!!」
勢い良く前方に駆け出すグレン。それと共に剣が微かに赤く発光する。しかし、まだエマ伯爵は動こうとしない。
「っっっ!!!」
グレンがエマ伯爵の首目掛けて剣を振る。その瞬間。
―― グゴギィィィッ
エマ伯爵の首が伸び、頭部が剣を避けるように遠ざかったのである。
「んなっ……。」
その異様な光景に気を取られ、体勢を立て直そうとした時には遅く、グレンは腹を蹴られる。
―― ゴスッ
「がぁっ……!」
―― ドゴォォォン
勢い良く吹っ飛ばされ、壁に激突するグレン。彼は身体が壁にめり込み、若干の吐血もしていた。
「っ……。」
「生き血を啜るのは、余り好きでは無いのだ……。
我は冷え切った血をグラスに注いで味わうのが好きでね……。
剣士の血……、是非とも味わってみたいものだ……。」
「……、ここで貴様にやられるほど、私は弱くは無いのでね……!
ここで流すのは……、貴様の血だ……!」
ジュルリと舌で音を立てるエマ伯爵に、再び立ち上がり剣を構えるグレン。
「はぁっ……!」
サンライズ・オークを討伐した時にも見せたような素早い速度で、エマ伯爵に詰め寄るグレン。片手に構えた剣は、赤い光に包まれている。
「ニルヴァルーラ……っっっ!!!」
より一層赤い光が強くなり、それは長い剣身へと姿を変える。グレンは剣を振り上げ、エマ伯爵の脳天を狙う。
「ほう……、実に綺麗な閃光だ。
だが……、お前の剣は我には通用しない……!!!」
―― キィィィンッッッ
エマ伯爵は魔力で創り出した藍色の剣で対抗する。グレンの剣とエマ伯爵の剣がぶつかり合い、激しく火花が散る。
しかし、グレンは押され気味になっていた。
「っっっ……!!!」
「ふはははは……!!!
解るか剣士よ……!!!
これが……、これが我の力なのだ!!!
五百三十五年という永い年月の間、秘め続けてきた我の力は、
全てを……、全てを呑み込むのだ……!!!
」
段々とグレンの剣に纏われた赤い光が弱くなっていく。彼の、剣を握る掌や腕は震え、既に限界が近い様だった。
彼は静かに目を瞑る。次々と浮かんでくる記憶の中で、幾つもの言葉が過ぎっていく。
「「 グレン……、逃げ……なさい………。 私……、待ってる……から……。」」
「「 グレン、必ず強くなるんだ。 」」
「「 グレン君、約束ですよ。 」」
「「 グレンさん……!
心にぽっかりと空いた穴を塞げるのは、貴方あなたしか居ません……! 」」
「「グレン!!!
絶対帰って来い!!!絶対だ!!!
マナとの約束、忘れるんじゃねぇぞおおおおおお!!!!!!!」」
…………
…………
…………
―― キィィィィィィィィィッッッ
再び、グレンの剣は赤い光に包まれる。今までに無いような強い光。そして、彼の目は白く光り輝いている。もはや、目の前の大敵を討つ事だけに意識が集中している様だった。
「っ……、何が起こったのだ……。」
「「 グレン君 」」
「はぁぁぁぁあぁあぁあぁああぁっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!」
グレンの両手に握られた剣はさらに勢い良く発光し、エマ伯爵の握る藍色の剣身をだんだんと斬っていく。
「馬鹿な、我が力……、我が力は……、
我が力はこんなものでは無いのだ……、我が力はぁぁ……!!!
おのれええぇええええええぇええぇえあぁあぁあぁああああああああああああぁああ!!!!!!!!!」
――スパァァアンッッッッ ドパァァァァッッッ
赤い光に包まれた剣がエマ伯爵の身体を真っ二つに斬り裂いた。衝撃で周囲に強い風が吹く。
それと同時に、その身体は巨大な赤い光の柱に呑み込まれ、天井を突き破り空高くまで伸びていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
古城リィヴェルナ 城外
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「コウヤ君、あれ……!」
「……、やったんだな、グレン……!
エフィ、頼んだぞ!!!」
「もう……、投げる時、笑わないでね……!!!
えいっ……!!!」
「お、今回は上手く投げれたな。」
「へっへーん!!!」
「そこ、自慢出来るところじゃないよー。」
――ドガァァァンッッッ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
古城リィヴェルナ 城内
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
薄れゆく赤い柱の中で、空高く剣を掲げるグレン。
「やったよ……、父さん、母さん。皆……、そして……、
マナ。」
空を見上げるその表情は、彼がまだ幼い頃の表情に戻っていたように見えた。
「……、どうやら、向こうの二人にも届いたみたいだな。
さて、問題はあの娘だ……。」
剣を納め、磔にされている赤髪の少女の元へと歩み寄る。彼女はどうやら眠っているようだった。彼は磔を解く。
「……!」
その時、彼はある事に気付いたようだった。
彼は、優しく赤髪の少女を抱き上げると、来た道を帰って行く。
「……、仇は討った。後は安らかに眠ってくれ。」
散乱する骸骨に向けてそう言うと、全ての骸骨が白い光に包まれて粉となり、空に舞い上がっていった。
彼の耳には、無惨にも殺された彼等からの感謝の言葉が聞こえた気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
古城リィヴェルナ 城外
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おっ、来た来た!!!
エフィ、グレンが帰って来たぞ!!!」
「凄く心配でしたぁぁぁ……!!!
良かったです……!!!」
「ただいま、二人共。協力、感謝するよ。」
「気にする事ないぜ!流石だな、グレン。」
「私は……、いや、僕は、一流の剣士になれただろうか。」
「……ああ!!!」
「……そうか。」
少し間を置いて、グレンは微笑みながらそう返した。
「ところで聞いていいか……?」
「なんだ。」
「その赤髪の少女ってまさか……?吸血姫じゃねぇよな……?」
「この娘は吸血姫では無かった。あの吸血姫伝説は全てデタラメだった。」
「デタラメ……?」
「詳しい事は、馬車の中で話すよ。
さあ……、王国へ帰ろう。」
「あ……、おい、待てええっ!!!」
「えっ、ちょっ、グレンさん!コウヤ君!置いてかないでええっ!!!」
こうして、古くから人々を怯えさせていた吸血姫伝説は幕を閉ざした。そして、彼の心の中の、決して噛み合わなかった歯車がピッタリと噛み合った瞬間でもあった。
これにて第一章は完結となります。第二章の執筆も着々と進めて参りますので、引き続きお読みいただければ幸いです。(有馬オレオ)