【第一章】其の二 『闇迷の間』
勝手に目が覚めたというよりかは、無理やり起こされた感が否めない。
ここが自身の通う高校であり、よく使用する西側の階段の踊り場だという事は瞬時に解ったが、今までの記憶が思い出せない。
(あれ……、確か俺は………。)
煌哉は重すぎる身体をどうにか起こし、ふらつきつつ状況を把握する。
辺りは暗闇。階段の上の窓からは微かに月明かりが漏れている。
そして、思い出そうと頭の中を探る内に、どうにか記憶が無くなる寸前まで思い出すことが出来た。
「そうだ……、俺は確か職員室で先生の……。」
―― ズキン ズキン ズキン ズキン
「っ……。痛え……。なんだこれ……。」
頭が割れそうなほど痛む瞬間が、何度も襲いかかって来た。彼を苦しめる理由はあの鷹西先生の目である。
煌哉は、あの真っ暗な目を思い出す度、激しい頭痛と恐怖に見舞われるようになっていた。まるで何かの呪いのように。
(ってて……。
ん……?
こんなところに鏡なんか無かった……よな……?)
そして、治まりそうにない頭痛や恐怖に耐えつつ、彼が如何にも怪しい、大きな鏡を発見したのは直ぐのことだった。
元々、西側の階段の踊り場に、そんな鏡が無かったのは確かである。それは、彼自身が一番解っていることでもあるだろう。
(っ……!)
そして、追い討ちをかけるように彼に恐怖を与えたのは、紛れも無くその鏡であった。
「俺が……、写ってない……。鏡なんだよな……?いや……、待て……、
元々こんな鏡は無かったわけだ……、存在自体が有り得ないんだ……、でも……、
じゃあなんでここに……?そもそも……、俺はどうしてここに……?」
様々な恐怖が入り交じり、ガタガタと震え出す煌哉は、ほぼ錯乱状態と化していた。存在しないはずの鏡。そして、その鏡に写らない一人の青年。
傍から見ても完全に異質であるこの状況下で、先手を取ったのはなんと鏡であった。
「おいで」
少女……、いや、もっと幼げな女の子の声。
しかし、確かにその声は、鏡の中から聞こえた。
「だいじょうぶ」
再び声が聞こえた。幻聴では無い。この両耳が確かにその声を聞いた。
次の瞬間、彼は全ての恐怖が取り除かれた様な気がした。身体の震えも、溢れ出そうになっていた涙も全て。
「おいで」
突如として現れた鏡からの誘い。無音の空気の中に響き渡る幼げな女の子の、透き通る声。煌哉は自然と、歩みを前に進めていた。何も考えられない。ただ、鏡に向かって歩いていた。
「俺は……、俺は……、俺は……、俺は……、」
「俺は」と、ただひたすらに繰り返し、魂の抜けた様な表情をしつつ、両脚だけは着々と鏡に歩み寄って行く。着々と。着々と。着々と。
「俺は……、」
「おいで」
「俺は……、」
「おいで」
「俺は……、」
「おいで」
「俺は……、」
「おいで」
「俺は……、」
「どうすれば……」
………………
…………
……
◇◇◇◇
闇迷の間
◇◇◇◇
暗い。暗い。暗い。
とにかく暗い場所。何も無い場所。誰も居ない場所。
暑さも、寒さも、音も、光も、何もかも失われた様な場所。
そんな空間に、ぽつんとただ一人、取り残された様に横たわる青年の姿があった。そう、凛堂煌哉である。
「……んん?」
謎の空間で目を覚ました煌哉は、恐怖をも取り除かれ、精神状態はとりあえず平常運転のようだった。そして、先ほど起きた出来事も合わせて忘れてしまっているようだった。
しかし、このとにかく暗い空間に対しては、多少の驚きは隠せなかったみたいだ。
「何処だ、ここ。」
「気が付いたのろろ?」
煌哉が立ち上がり、さらに冷静に、今置かれている状況の整理を始めようとした途端、謎の少女の声が聞こえて来たのだ。そして、その声の主は暗闇から姿を現し始めた。
「凛堂煌哉君で、間違いないろろね?」
日本人形。浮遊した三十センチ程の日本人形が、ゆっくりと近付きながら話しかけて来るでは無いか。
「っ……、なんだ……、どうなってる……!お前は誰だ……!なんかのカラクリか……?!」
「ザンネンだけど、私自らの意志で動いてるのろろよ。」
当然、煌哉は信じられないはずである。変な空間で、いきなり現れた日本人形が話しかけて来るなんて、現実ではまず有り得ないからである。
「夢でも見てるのか……?随分とハッキリした夢だな……。」
現実ではまるで信じられない、有り得ないような出来事。そしてこれらが夢である可能性は切っても切れない関係であると考えている煌哉だが、この状況もまた、そうであるに違いないと確信した。
「夢じゃないろろよ。貴方は今、世界の狭間に居るろろ。」
「そんなの、信じられるわけ無いだろ……?第一、お前は誰なんだよ……!」
「私はヒノヨ。此処、闇迷の間で貴方への対応を任されたのろろ。」
(今なんて言ったんだ……?闇迷の間……?これは本当に夢じゃないのか……?そして、コイツは一体……?)
「まだ、私を疑っているようろろね。
とりあえず、貴方が此処に誘われた理由を教えるのろろ。」
「俺がここに誘われた理由……?」
「貴方は、大切な人を探しているんじゃないのろろ?」
(……っ!)
ヒノヨと名乗る日本人形が放った言葉に、煌哉の中の眠っていた記憶が刺激を受け、目覚める。同時に、彼の目に光が点った。
「そうだ……、思い出した。俺は麗の情報を得る為に、放課後に職員室に行ったんだ。
俺は……、俺自身で……、麗を見つけようとして……!」
「それが理由ろろ。」
「……は?つまり……、
俺は元の世界で麗を探していた。
けれど、急にこの空間に飛ばされて今に至る……。
いや、どう考えても俺がここに飛ばされたのは、
お前が元凶じゃねぇかよ!!!」
「私じゃないって何回言えば解るのろろ!!!」
つい、ツッコミをいれてしまう煌哉に、仕方なく応じるヒノヨ。しかし、ヒノヨの次の言葉により、煌哉の彼女に対する態度がぐるりと変わるのだった。
「その子は今、異世界にいるのろろ。」
「……異世界?」
「異世界ろろ。」
「それは本当か……?!どうすれば、その異世界に行けるんだ……?!」
「今から飛ばすのろろ。」
「え……?ちょ、待っ……」
唐突にヒノヨによって告げられた異世界転移。しかし、異世界に行けるというよりも、麗の居場所を知れたという感情が、彼の中では遥かに上回っていたようだ。
しかし、次の瞬間、紫色の光に包まれたかと思いきや彼の足元に丸く穴が開き、そこから華麗に落下していく煌哉であった。
「うわあああああああああ!!!!!!!!
少しこれは乱暴過ぎる異世界転移だぞおおおおおおおお!!!!!!!」
「知らないのろろ。ま、頑張ってくるのろろ。」
………………
…………
……
私と対面して、あんなに怯えなかった人間は初めてろろ。ま、頑張ってくるのろろ。(ヒノヨ)