序章 迫り来る黄昏
やっと投降。ワイルドウインド10!
楽しんでいただけたなら、幸いです!
彼に関して、ノインには人の良さそうな老人という印象しかない。
彼の主人だった、先代太陽王・シュレイクと風の王は、あまりいい関係を築いてこなかったが、シュレイクの守護精霊だった、智の精霊・無限の宇宙と力の精霊・有限の星とは険悪ではなかったと記憶している。
14代目風の王・インから受け継いだ遠い記憶。今は亡き無限の宇宙に、蛇のイチジクという精霊の至宝を見せられた。
「触れてみるかのう?」と何の意図があったのか今となってはわからないが、そう誘われた14代目風の王・インは、即答で断った。
それはそうだ。そんな得体の知れないモノに、何の知識もなく触れられない。
それなのに、今、ノイン自身がその至宝を求めることになるとは、これは、運命なのだろうか?
風の城。精霊の住まう世界・イシュラースの、夕暮れの太陽王・ルディルと夜明けの太陽女王・レシェラの見守る昼の国・セクルースにある、金色の翼ある精霊である風の王の統治する城だ。
風の精霊は、死して肉体を離れた魂を、始まりの地・ドゥガリーヤに葬送する役目を負い、風の導きに逆らう者、世界に仇なすモノを狩る、世界の刃でもあった。
風の王は、生きている者を守る為、死した者を慰めるため、輪廻の輪を乱すモノと戦い続ける運命を背負っている。故に、精霊は不老不死であるにも関わらず、現在風の王は15代目だった。幸いにも、童顔で人懐っこい今代の王は、精霊達に好かれ、彼の血縁以外の精霊達も城に居座り、現在総勢15人の精霊が家族として彼を助け支えていた。
今日も15代目風の王・リティルの居城に、戦いへ誘う情報が持ち込まれる。
「これは、一刻の猶予もありませんね」
ワインレッドのソファーの中心に座った、男性寄りの中性的な容姿の見目麗しい風の精霊が、その切れ長の瞳を険しくして呟いた。彼は風の王の副官で息子の、雷帝・インファだ。
雄々しきイヌワシの翼を持つインファの言葉を受け、その隣に座っていた、金色の半端な長さの髪を、黒いリボンで無造作に束ねた童顔な風の精霊が頷いた。彼の背には、風の王の証である金色のオオタカの翼が生えていた。
「だな。獲物は多勢に無勢だな。広範囲に魔法撃てる、オレとインファ、レイシが主軸か?」
金色の燃えるような光の立ち上る、力強い瞳の小柄な彼が、風の王・リティルだ。
リティルは、机の上にイシュラースの地図を広げると、赤く塗った円錐の木製の駒を3カ所に置いた。
1つは、太陽王の居城。
1つは、大地の王の居城。
1つはここ、風の王の居城だ。
今、未確認の軍団が、3つの城目掛けて進軍中だった。
「ノイン……大丈夫だよね?」
茶色の髪の、鋭い紫色の瞳の少年が、地図を睨んでいた。彼の背には、空の色をしたガラスのように見える翼があった。風の王・リティルの養子息子である、風の王の懐刀、空の翼・レイシだ。
風の騎士・ノインとその妻、風の王の守護鳥・フロインは、ある理由から今風の城を離れていた。彼が出て行って、早1ヶ月が経っていた。ノインとは、彼の希望で城の誰も連絡を取れない状態にある。リティルもそんな中での戦乱騒ぎで、ノインのことを案じないわけではない。むしろ、許されるなら、今すぐ風を放ってノインを捕らえたいくらいだった。リティルはその心に蓋をして、明るく笑った。
「弱ってたって、あいつはオレの補佐官だ。巻き込まれたりしねーよ。それより、こっちのが痛いぜ?ノインがいれば、風の城は気兼ねなかったんだけどな。インジュ、インリー、シャビ、頼むぜ?」
リティルの正面に座っていたキラキラ輝く金色の髪を、三つ編みハーフアップに結った、女性と見まごう美貌の若い男性が硬い表情で頷いた。インファの息子で、王と副官と共に風四天王の一角を担う、煌帝・インジュだ。大きなオウギワシの翼を持った彼は、この城最強の精霊だが、殺さずの戒めを持っているため、今回の作戦からは外されていた。
「任せて、お父さん。風のお城はわたし達が守るからね!」
意気込んでリティルの後ろのソファーにいた、長い黒髪を三つ編みに結った、隠すところしか隠していない軽装の少女が立ち上がった。風の王・リティルの娘、金色の白鳥の翼を持つ風の姫巫女・インリーだ。その隣で、控えめながら異様な存在感を放つ男。膝裏まである長い黒髪をポニーテールに結った、頬のこけた真っ白な肌の、不健康そうな背の高い精霊が頷いた。無常の風、司書・シャビだ。彼の背には、骨となったハゲワシの翼があった。
「リティル殿、城は心配いりませぬ。それで、誰がどこへ向かい、誰が各々方につくので?」
実働が心許なければ小生が、と言わんばかりだった。そんな心配性な生粋の死神に苦笑を返しながら、リティルは隣に座るインファを見た。
「インファは風の城な」
インファは、そうくると思っていたと言いたげに頷いた。
「了解しました。では、母さん、ファウジ、迎え撃ちますよ」
リティルの隣に座っていた、黒髪の可憐な美姫に、インファは声をかけた。モルフォ蝶の羽根を生やした紅茶色の瞳の女性は、風の王妃である、花の姫・シェラだ。一見、戦えそうに見えない彼女だが、風護る戦姫の異名で知られる、勇ましい姫君なのだった。
「ええ、ファウジ、お願いね」
シェラは背後を振り返った。そこには、膝裏まである長い白髪をポニーテールに結った、浅黒い肌の精悍な老人が立っていた。金色の肩当てと胸当てを身につけた将軍然とした彼は、無常の風、門番・ファウジ。シャビと同じ、骨のハゲワシの翼を生やした生粋の死神だ。
「うむ。奥方、心配はいらん!雷帝殿と奥方のことは、このファウジが守って進ぜよう!」
腕が鳴る!とやる気満々なファウジを見上げて、インファは「頼もしいですね」とニッコリと微笑んだ。しかしインファは優しい笑みをすぐに収めると「さて」と、地図に視線を落とした。地図の上には、一家をシンボル化した金の置物が、赤い円錐に対して置かれていた。インファは、ライオンのそばに、ト音記号とヘ音記号の置物を置いた。
「レイシには、音楽夫妻がついてください」
インファは視線を上げた。そこには、インジュの隣に座る、彼と同じくらいの容姿年齢の男女がいた。長い前髪に左目を隠した目立たない容姿の青年は旋律の精霊・ラス。副官の言葉に真面目すぎる瞳で頷いた。彼の翼はハヤブサだった。
「はい、インファさん。わたし達は大地の領域ね」
緑がかった金色の短い髪を揺らして、シロハヤブサの翼を生やした歌の精霊・エーリュが力強く頷いた。
「ああ。オレは太陽の城だ」
勝ち気に笑って立ち上がったリティルに、インファの隣にいた、ピンク色の髪の、儚げだが意志の強そうな瞳の精霊が慌てて引き留めた。雷帝妃、宝石の精霊・蛍石のセリアだ。
「1人で行っちゃダメよ!リティル様!」
「それは、みんなが許してくれねーよ。ゾナ、頼むぜ?」
リティルは、ソファーから2、3メートル離れた、暖炉のそばの肘掛け椅子に向かって声を投げた。誰もいなかったその椅子にあった、1冊の魔道書がフワリと宙に浮いた。コバルトブルーの輝きが瞬くと、お伽噺に出てくる魔女のようなつば広の三角帽子とローブを着た、知的な男性が姿を現した。時の魔道書・ゾナだった。
「オレが必要かね?君とルディルがいれば、事足りるのではないのかね?」
知的に微笑んだゾナは、夕暮れの太陽王の名を呼んだ。
「ルディルもオレもやり過ぎるからな。おまえはお目付役だよ、ゾナ先生」
移動した時間をゼロにして、瞬間移動でリティルのそばまできたゾナは「そうかね」と言って、インファに「父上のことは任せたまえ」と言った。
布陣が決まったところで、机の上の水晶球が光を発した。
『リティル、兄ちゃん』
水晶球の中に映し出されたのは、白銀髪の黒ずくめの大男だった。再生の精霊・ケルゥだ。彼と番の精霊である美少女、破壊の精霊・カルシエーナは偵察に行ってくれていたのだった。
「ケルゥ、そろそろ狩りに出ますが、状況はどうですか?」
『ああ、すんげぇ数だぜぇ?骸骨の兵隊を乗せたよぉ、骨の馬どもだ。死の軍団だなぁ』
「死ですか。オレ達を死神と知っての所業でしょうか?」
インファは、その整った顔に、暗い笑みを浮かべた。そんな静かに怒る息子の肩を、リティルは叩いて「顔が怖いぜ?インファ」と笑った。
『あとよぉ、骸骨兵ども、召使い精霊か魔法生物っぽいぜぇ?』
「じゃあ気兼ねねーな。みんな!討って出るぜ!」
風の王・リティルの言葉に、一家は頷いて、一斉に腕を振り上げた。
大地の王の治める、大地の領域の高台に、額から鼻までも覆う仮面を付けた、ミステリアスな風の精霊が、下の平原を見下ろしていた。
彼の左耳で、オウギワシの羽根をモチーフにしたピアスが風に揺れていた。
「これは……黄昏の軍団?リティル……!」
風の騎士・ノインの脳裏に、明るい笑みを浮かべる、命よりも大事な者の姿が浮かんでいた。
『ノイン、リティルは大丈夫。皆がいるわ』
フウッと、ノインの金色のオオタカの翼から立ち上ったキラキラ輝く金色風が、神々しい女性の姿を取った。シャラリと、彼女の右耳で、バラの花からト音記号の垂れ下がるピアスが揺れた。
「しかし……フロイン……」
風の城に戻った方がいいのではないのか?と決意の揺れる夫に、フロインは続けた。
『今のあなたに、何ができるの?今は自分のことだけ考えて。リティルも、インファも、それを望むわ』
ノインが、抱えた秘密を打ち明けた時、王と副官は、嘆かなかった。何とかなる方法を一緒に探そうとしてくれた。ノインは、それを断った。一家の誰かを共に行かせると言ってくれたリティルの申し出も、拒否してしまった。そして、頑なについてきてしまった妻と共に、放浪の旅に出たのだった。そんな選択をした補佐官を、引き留めることなく、2人はノインの心を尊重してくれた。
そしてインファは「頼る気になったら、いつでも頼ってください。オレも独自に探しますから」と言ってくれた。リティルは少し怒っていた。いや、怒髪天だったかもしれない。それをグッと心に秘めて、ただ、その燃えるような生き生きと生きている瞳で、睨んだのみだった。
「絶対に帰ってこいよな!どっかで野垂れ死んだりしたら、オレ、一生捜し続けてやるからな!」
精霊の死は、儚く残酷だ。死に目に居合わせなければ、その精霊が死んだことに誰も気がつかない。死体も、何も残さず消え去ってしまうのだ。
命の行く末を見守る風の王であるリティルは、おそらくノインの死を感じる事ができる。だが彼は、それをわかっていながら、捜し続けてやるといってくれた。オレに黙って、いなくなるな!とこの心に、枷をつけてくれたのだ。
ノインは、辛そうに瞳を伏せると、その場をそっと離れたのだった。
風の騎士・ノインは、死へ向かっていた。
彼は、先代風の王・インの蘇りで生まれ変わりだ。
先代風の王・インは、14代目風の王・リティルの父親だった。ノインは、彼の、リティルをどんなことをしても守りたいという強い願いを受け取って、雷帝・インファの守護精霊として目覚めた精霊だった。
守護精霊は、主人の死と共に消え去る運命にある。主人であるインファが、上級精霊から最上級精霊へ昇格を果たしたとき、不具合が生じてしまい、ノインの存在は消え行こうとしているのだった。
ノインはそれを覆すため、この世の知識のすべてが詰まった精霊の至宝・蛇のイチジクを探す旅に出たのだ。風の城から離れなければならなかったのは、命を死へと導く風の力が、ノインを容赦なく死へ押し流そうとしたためだった。
現在ノインは、もっとも会いたい者達に、会うことすらできない状態だった。
風の王・リティル……雷帝・インファ……。瞳を閉じれば見える、瞼の裏の彼等を見つめ、ノインは「すまない……」と口の中に血の味がするほど奥歯を噛み、先を急いだ。