(二)
俺の回想をぶち破るように。
奈緒は、その台詞を見事に言い放ちやがった。
あの時と全く同じ。
憎ったらしいくらい、あっけらかんとした声で。
俺が手を止めて、鏡越しに睨むと。
奈緒は、にやっと笑った。
くそ。
相変わらず、可愛くねー。
「…覚えてた?」
「忘れるか馬鹿」
耳の上の髪をつまみ、長さを確かめながら。
俺は何とか、動揺を抑えようとした。
アホ奈緒。
歩くトラウマ。
史上最大の悪夢。
ガキっぽくて、生意気で。
何だかほっとけない。
あのあと俺がどんだけ荒れたか。
こいつは一生、知らずに終わるんだろうな。
小さな耳に触れ、細い首筋に触れるたびに。
俺がこれまでどんな思いしてきたか。
どんな気持ちで、お前を見てたか。
ノーテンキなお前は、絶対判ってないだろうな。
知りたくもないだろうな。
「さ、今度こそ流すぞ」カットクロスを外して、俺は言う。「それぐらい切ったら文句ないだろう?」
「うん」
いつものように、ぴょこんと椅子に座る奈緒。
その背後から、シャンプークロスをかける。
これも、いつものこと。
「…直也ぁ」
「うん?」
「彼女、出来た?」
「342人ぐらい」
「この前より減ったじゃん?」
「年齢制限設けたからな」
「へー」
「じゃ、倒すぞ」
「はーい」
顔の上にガーゼをかけると。
何故か奈緒は、その下でにやにやしてる。
「…直也ぁ」
「何?」
「かゆいところありませんかとか言って」
「やだよ」
「何で?」
「お前、客じゃねーし」
「お金、払ってるじゃん?」
「いいよ、カットだけだし。タダで」
「いいって。今日も暇なんでしょう?」
「痛いとこつきやがるな」
「ねー」
「何!」
「すっごい、気持ちいい」
「そりゃあ。俺のシャンプーは札幌一だから」
「せまっ!」
「じゃ、道内一」
「大して変わんないじゃん?」
「謙虚なんだよ」
「ねー」
「だから、何?」シャンプーを付けながら、俺は言う。
「ちょっとは期待した?」
「何を?」
「あたしが失恋したって」
「まさか。関係ねーし」
「嘘ばっか。じゃ、何でワゴンにけつまずいたの?」
「いつものことじゃん?俺の天然は」
「まーねー」
「あー、本気でむかついてきた」
「あたしも本気だよ」
「いや、俺の方が本気だから」
「嘘だから」
「何が?」
「失恋したって」
「はっ?」
「まだ、有効かな?」
「だから何が?」
「あの時の告白 ―― 」
今度こそ。
俺は完全に、頭が真っ白になって。
手を止めざるを得なかった。
流れ落ちるお湯。
地球温暖化。
いや。
この際、そんなん関係ねーし。
「どういう意味?」俺は、しらを切る。
「"月の猫"のお嫁さんになるの、躊躇った理由その一」
奈緒は、右手の指を一本立てる。
「あんたは直也で、あたしは奈緒。お父さん達、どっち呼んでるか判らなくなっちゃうじゃん?」
「まーな。で、二つ目は?」
「卒業出来なかったから。遠恋はやだったの」
「なるほどね」俺は、シャンプーを再開する。「三つ目は?」
「三つ目はなし」奈緒は、左手で俺をまさぐってくる。「てか、全部解決したから」
「解決?」
「卒業決まったの」
「…えっ?」
「アパート引き払って。帰って来ちゃったんだ」
「え?ちょい待って」俺は、本気で慌てる。「エジプトは?ミイラは?発掘は?」
「もう行かなくていいの」
「卒業したから?」
「うん。それと、就職決まったから」
「何処に?」
その問いには答えずに。
奈緒は、勝手にガーゼを外しやがった。
満面の笑みと共に。
「ばーーーーーかっ!」
そう言いながら。
奈緒は無理矢理、俺の左手を引いて。
無理矢理唇を重ねてくる。
最初から、そう決めてたみたいに。
その後。
奈緒が、嬉々として各方面にメールをしている間。
俺のブローがいつになく懇切丁寧だったことは、言うまでもない。




