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妻の遺品を片付け、ショッピングモールに行く道すがら街を案内していた。
「平和ですね。どこを見ても笑顔が溢れている。いい時代になりました」
ジャンヌは街を眺めながら、時折遠くを眺めて悲しそうな顔をする。生きていた頃の風景を思い出しているのかもしれない。
「最近だけだ。十年前までは死が身近だったからここまで笑顔は溢れてなかった」
「私の時代は笑顔すらなかったんです。悲しみと怒りに支配された世界。私は未来の笑顔のために死ねたのですね」
パッと見は外国人の少女なのに、ジャンヌがヒーローだったのだと実感する。纏う空気が違うのだ。平和の世に生きる俺と、血塗られた世界に行きたジャンヌ。見える世界も感じる空気も全てが違うのだ。
「もう、お前が戦う時代は終わったんだ。平和を楽しんでいいと思うぞ。アイスでも食べるか?」
「そうですね。ありがとうございます、枝垂さん。私アイスが食べたくなりました」
ショッピングモールに行く間にアイスを食べた。俺にはジャンヌの考えや思いを察して慰めの言葉をかけることも、励ましの言葉を送ることも出来ない。生きた時代が違う事はそれだけ大きな壁なのだ。下手に言葉をかけるよりも、気を紛らわせてやるくらいがきっといい。美味しそうにアイスを食べるジャンヌは、先程までの空気を纏っていなかった。買い物を終える頃には太陽が西の空に沈もうとしていた。買った服を持ちながら帰っていたが歩き疲れたので、駅前の広場でベンチに座って休憩している時にそれは起こった。駅前の電光掲示板が急に暗くなり、空間震と赤い文字がでかでかと出てきた。
それと同時に、スピーカーから最近聞いたことある音が聞こえてきた。
「空震警報音! 空震警報音! 付近で空間地震の予兆を観測しました。フリアージが出現します。付近にお住まいの皆様は避難指示が出るまで家から絶対に出ないでください。繰り返します。現在……」
「またか」
二日連続で起きるなんて珍しいこともあるもんだ。余震だとしたら規模は小さいかもな。
「あっちですね」
ジャンヌが指をさしたのは何もない空だが、おそらくそこに空間震が起きていてヒーローが居るんだろう。
「わかるのか」
「もともと、聖遺物ですからね。生前よりも滅ぼすべき存在を認知しやすくなってます」
「念の為に早く帰った方が良さそうだ」
周りにいた人達も足早に駅に向かっている。俺はベンチから立ったが、ジャンヌはベンチに座ったままだった。同じようにベンチに座って談笑するカップルや、煙草の煙を吐き出すおじさんなど。動かない人も多くいた。平和に感覚が麻痺してしまっているのだろう。警報がなるだけ、危険なことは何もない安全だと信じているのだ。
「帰るぞ」
「あの、枝垂さん。もう少しここにいていいですか」
俺を見るジャンヌの目は、不安に揺れていた。今までずっと笑っていたジャンヌの始めてみる顔だった。
「何がそんなに不安なんだ」
「私には、あそこに空間震があると。フリアージがいるとわかります。なのに、目の前はこんなにも平和なんです。ずれているんです、私の知る感覚と。それがたまらなく恐ろしい」
自分の両腕を抱きしめ、ジャンヌ俯いている。俺はどうするべきだ。ジャンヌは、おびえている。
本来喜ぶべきこの平和に、平和こそが恐ろしいと真逆の考えを抱いて。
今すぐジャンヌの手を引いて、この場を離れるべきだろうか。それともこのまま、ジャンヌの隣にいるべきだろうか。俺はどっちを選ぶべきなんだ。誰も俺の問いに答えを返してはくれない。
昔なら悩まなかったのかもしれない。それが当たり前だからと誰かのためにそばに寄り添っていたから。だが、今はそうじゃない。
誰かのそばに寄り添うことを、やめてしまった今の俺には。なにを選ぶべきなのか、わからない。空っぽな俺にはジャンヌにしてやれることが……ない
突っ立ている俺と、下を向いたまま動かないジャンヌ。結果的に、俺はジャンヌのそばに居続けた。
そして、下を向いていたジャンヌは急に立ち上がって真上を睨みつけた。先程まで不安に怯えていた表情とは真逆の、ヒーローが見せる戦士の顔つきのように見えた。
「来るっ」
なにが、と。俺がその言葉を口に出す前に空が割れた。
瞬きをして、もう一度見た。
空が割れている。夕焼けの空に、向こう側の見えない、黒い亀裂が広がっていた。
道を歩く、会社帰りの女性が。子供を連れた親子が。その場にいた、ありとあらゆる人が。空を眺めていた。誰も彼もその場から動くことは出来ずにいた。平和に麻痺していた感覚がその衝撃を受け止めきれなかったのだ。
そして、亀裂から黒いしずくが一つ落ちてきた。落ちてきたしずくは地面にぶつかると、水たまりのように広がり、そして徐々に形を取り始めた。
辺りは雫に音を喰われてしまったかのように静寂に包まれ、しずくが形をとるのを人々は傍観していた。
徐々に、その形は鮮明になっていき。一つの形をとった。角張った犬の形をしたフリアージに。影が地面に焼き付いてしまったかのように、誰もその場から動けなかった。時が止まったかのようにも思えるが、広場の時計は静かに分針を動かした。
フリアージは、首を動かし子連れの親子を見た。
首だけでなく、体も同じ方向を向いた。
その場にいたほとんどの人が動けないでいた。ジャンヌという一人を除いて。フリアージが地面を蹴り、親子に飛び掛かるその瞬間。
右手に槍を持ちその身を鎧に包み、ジャンヌはすでにフリアージの頭上に居た。
槍がフリアージを地面に縫いつけ、動かなくなると同時にジャンヌが口を開いた。
「逃げてっ!」
その一言に、動いていなかった人々の時間が一斉に動き出した。悲鳴と怒号が飛び交い、平穏で平和な世界が崩れ去った。
その光景は、十年前を彷彿とさせる。阿鼻叫喚の世界が瞬く間に広がった。
空から落ちるしずくは増えていく。
誰かが逃げた先に、しずくが落ちる。そのすべてに対応することはジャンヌにはできなかった。どうにか襲われそうな人を助けることはできていたが。四方に散らばっていくフリアージには対応できないでいた。
俺は、逃げなかった。いや逃げれなかった。動くことができないでいた。それは、ヒーローという力を手に入れてしまった代償なのかもしれない。迷いは人の動きを鈍らせる。
幸いにも俺の周りにはフリアージが来なかった。今ジャンヌに声をかけて体を入れ替えれば、この場にいるすべての人を救うことができる。その確信が心の隅にあった。だが俺はその行為を躊躇っていた。
周囲が闇に包まれた心の中、目の前には俺が立っていた。
「お前に何ができる。あの時死にゆく妻を目の前に、何も出来なかったにお前になにができる」
「そう……俺はあの時何も出来なかった」
「誰かを救おうとすることをやめたお前に何ができる?」
「もう誰も、自分自身すらも助けることは出来ない」
俯いた視界の端に、指にはめられた指輪に目が行く。妻からもらった指輪。優しいといわれていた、あの頃なら俺はどんな選択をするだろうか。どんな選択をすれば妻は喜んでくれるだろうか。そう考えると、自然と体が動いていた。
「そうやって俯いて、現実から目を逸らしていればいい。お前はまた全てを失うだろう」
「俺はもう、何も失わない」
「どうやって? お前には何も無い。あるのは憎むべきヒーローの力だろ」
「どんなに憎んでいても、力は力だ。力に善も悪もましてや心もない」
気がつけば俺の敵は黒い聖遺物が握られ、黒いジャンヌへと変わっていた。
「あるのはただ、力を使う者の善悪と心のみ。力を自由に使って何が悪い!」
闇は黄昏に変わり、現実が広がる。心の闇が晴れ、憎悪が溢れ出る。
『ジャンヌ、変われ!』
『は、はい!』
読んでくださりありがとうございました。
[たいあっぷ]というサイトで縦書き、しかも絵がついて状態で読めます。気になる方は探してみてください。タイトルも作者名も同じですので
誤字脱字は下に専用のがあるので、ありましたらよろしくお願いします。感想などもお待ちしています。そして読んでくれてありがとうございます。




