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業火の話 最終話

 場所は小さな聖堂、女の部屋のベッドの上。

 女は眠れずにいた。

 期日は明日。

 女は迷っていた。

 わかっている。ここにいては前に進めないのだ。ここには居場所があり、平和があり、安らぎがある。だがしかしそれは、女を過去に繋ぎ止める(かせ)にしかならないのだ。

 居場所を捨てたが故に新たな居場所を求め、あの所業を忘れられないが故に平和を求め、罪から逃れるために安らぎを求めた。

 女は逃げているのだ。

 青年がいなくなった今、ここは、その役割さえも失いつつあった。

 女は自分が殺した彼らを思い、逃走をやめ、再び罪の中に身を沈めるだろう。彼らを殺したのに自分はのうのうと生きているなんて、羞恥心で死んでしまいそうだった。

 女は迷っていたが、意思はほとんど決まっていた。女は殺すつもりだった。領主を殺め、贖罪を果たそうと決めていた。

 そんな時だった。


「フレア!!!」

「…クリスか。いきなり入ってくるな」

「すみません。でも緊急事態なんです!」

「…どうした」


 女は一人の時間を求めていた。だというのにこの口調がえらく変わった男に邪魔され、機嫌を悪くしていた。


「貴族たちの家が燃えています!」

「ーーーーーーなに?」

「中央の騒ぎから逃れてきた人が教えてくれました! 全て燃えているそうで、おそらく貴方の家も…!」

「…行かないと」

「あ、フレア!?」


 女は駆け出した。男を退け、寝間着のまま白いマントを羽織り、剣を持って聖堂を出た。














「ーーーーーああ」


 燃えている。豪勢だったはずの屋敷にすでにその面影はなく、もともと赤かった花も、より求められていた姿へと近づいていた。いや、皮肉にも求められていた姿そのものだろう。燃えているのだから。

 女はそれを野次馬の輪の外側から眺めていた。消防士が門をこじ開け中へ入るが、おそらく彼らでは手に負えない。


「被害の状況はどうなっている!」

「使用人の数を把握し切れておらず、まだ十数名が残っているものと思われます! 当主は未だ救出できておりません!」

「……っ!?」

「消火を急げ! 救出隊は急ぎ当主を………? な!? おいあんた!」


 女は野次馬を押し除けて門を通った。途中消防士が女に気づき止めようとするが、女はそれに構うことなく足を強化して駆け出し、一瞬で玄関に到達した。

 当然扉も燃えている。中も火で満たされているだろう。

 女はマントを大きく破き、口に巻いて頭の後ろで結んだ。そして扉を蹴って開け、身をかがめて急ぎ足で進んでいった。蹴った扉は遥か遠くまで飛んでいき、進む彼女の衣服も炎によって焦され丈が短くなっていった。

 女はただひたすらに、父の無事だけを祈った。













「……………なぜだ」


 男は床にうつ伏せに倒れていた。そこは本来食事を取る場所だったが、赤いカーテンや花模様のテーブルクロスは燃え、蝋燭(ろうそく)は溶けてしまっていた。

 男の背中には広く血が滲んでいた。白かったはずの服が赤黒く染まり、そのシミを広げ続けていた。


「…邪魔になったからだ。議会にしてみれば、お前らも領主も邪魔だった」


 近くには議会の暗部が一人、テーブルの上に立っている。男を襲っておきながら、何故かとどめを刺さない。


「まだ…死ぬわけには…!」

「…手遅れだ。毒が回っている」

「な…んだと…?」


 男は疑問に思った。手に握っている短剣で刺し殺せばいいものを、何故毒で殺すのだろうかと。


「…何故毒を使うのか、わからないようだな。…これはあまりにも理不尽だ。俺たちがやったという証拠も僅かながら残してやるし、遺言を残す時間もやる。せめてもの抵抗だ」

「うぅ………!」


 暗部の言葉を聞いた途端、男は床を這いずり始めた。


((のこ)さねば…遺さねば……!)


 腕を必死に動かして、ゆっくりと進み続けた。背中から側面に染みた血が少しだけ床に付着し、男が這いずった跡を残した。


「…おのれ…おのれおのれおのれ……!」


 男は何かに怒っている。だが、その怒りが届くことは決してない。


「……俺は行く。せいぜい足掻け」


 そう言うと、暗部は窓から出て行った。

 男は取り残された。毒が回り、力が入らない。その場でただひたすらに腕を動かし続けていた。


 そんな時、扉が誰かに蹴り飛ばされ、誰かの荒々しい息遣いが聞こえてきた。


「はあ、はあ、父様!」

「……ああ、よく来た…」


 男の娘だった。燃えるような瞳には焦りが見えた。

 娘は男に走り寄り、体を反転させて起こした。その際に手が背中に触れ血が着いたが、娘はそれを無視している。


「何があったのですか? これは、私ではない」

「分かっている…分かっているぞ、フレア…あいつらだ…議会の奴らが裏切ったんだ…」

「何故? 規模が大きすぎる」

「…フレアよ」


 男は娘の言葉を遮るように腕を掴んだ。


「どうでもいい…そんなこと、どうでもいい…今はこれからのことを考えろ」

「これから…? 分かりました、行きましょう。まだ間に合う」

「馬鹿が…もう間に合わん…」


 男は掴んでいる手に力を込める。


「お前のことだ」

「…何をおっしゃっているのか分かりません」

「分かれ…問答をしている暇はない」


 男は徐々に意識が薄れていくのを感じながら、それでも必死に言葉を遺す。


「私は間違えた…分かっていた。当然だ…戻るという選択肢がなかっただけだ」

「…それがどうした」


 娘は敬語をやめた。男がそれを責めることはなかった。


「お前が生まれた日から、私は間違えていたのだ…お前は王になれると信じて疑わなかった…だが違った…お前は特別などではなかった…ただの少女だった…」

「それがどうした!!」


 娘は怒鳴った。男の感傷などどうでもいい。女は男を助けたかった。命を目の前で散らせたくなかった。それはきっと、耐えられるものではなだろうから。


「お前はただの少女であってはならない」

「は….?」

「ただ幸せな日々を送っていてはいけない…辺境で呑気に暮らしていてはならない…」

「何を、言っている」

「あの戦争で、お前は罪を背負ったわけではない…だが、武勲があるとも思わない…お前にあるのは、(ごう)だけだ」

「はっきりと言え! 貴様のくだらん言葉に付き合ってはいられない!」

「心を()べてはならない」

「ーーーーー何?」


 男は遺す。娘一人だけに。


「何故かお前は、心を焼べ魔眼を振るう」

「それは貴様が…!」

「それだ…それがレイナと同じなのだ」


 男の意識は落ちかけている。男は最後の力を振り絞って娘に言う。


「他人に踊らされるな…心を焼べてはならない…業を焼べろ」

「………何故…」

「為すべきことを為せ…受け継いだ…義務を…果たせ………」


 娘の腕を掴んでいた手がゆっくりと離れ、床に落ちた。娘は少しの間男が再び話すのを待っていたが、男が(まばた)きしないのを見て、ゆっくりと男の体を床に置き、立ち上がった。


(受け継いだ、義務)


 女は曲解した。女は、あえて別の意味で捉えた。


(ライト。君は私に託しただろうか)


 あの青年のことであると、曲解した。

 彼の願いを果たさねば。


『俺は夢見てるんだ。誰もが幸せに暮らせる世界を。誰もが誰もを思いやる世界を』


 そんな世界を目指さねば。

 女の中で信念が生まれた。


 女は遺体を背負って、涙を堪えながら、ただひたすらに男たちが遺した言葉を頭の中でくり返しながら炎の中を走り抜けた。












「…隊長!」

「どうした! …あれは」


 消火栓を使い火を消している途中、突然屋敷を包んでいた炎が消えていった。

 炎が完全に消えると、中から人が出てきた。人は誰かを背負っていた。


「無事だったか! 何故一人で突っ込む…それは」


 隊長が背負われているものの正体に気付いた。


「…当主だ。既に亡くなっている。火は消した。使用人たちを助けてくれ」

「…分かった。行くぞ!」


 消防士たちが一斉に駆け出した。女は遺体を救急隊に預ける。その時、人混みから離れた場所を誰かが駆けて行った。姿は隠されておらず、女ははっきりとその存在を認識した。体格の大きな狼と、領主と思わしき人物を背負った男。

 彼らだ。かつて女が殺そうとした、あの狼たちだ。


 女がまず考えたのは「何故彼らがここにいるのか」ではなく、「何故領主を背負っているのか」でもない。

 「彼らはどこへ向かうのか」だった。

 女は狼たちの後を追い走り出した。
















 森の中。狼たちは走り続けている。女はそれをがむしゃらに追い続けていた。彼らの行き先を知りたい。女が考えているのはそれだけだった。

 突然狼たちが足を止めた。そして、


「誰だ!!」


 男の方がそう言った。女は我に帰り、急いで木の陰に隠れ状況を把握する。

 無意識に追ってしまった。そしてバレてしまった。


(…隠れていても仕方がない)


 女はゆっくりと木の陰から出た。


「ーーーなんで」

「なんでお前が?」

「……すまない。悪気はなかった」


 両者の道が交わる。


 そして、重なって行く。

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