第35話 過去の話 ガイウスとエルリア
俺が彼女と出会ったのは百年前、ゴッデスが今より栄えている頃だった。
彼女は旅人だった。それも一人で世界を回っていた。だが名は知られていなかった。いや、名は知られていたが、その名が彼女に当てはまるものだとは誰も考えなかった。
俺はゴッデスに生まれゴッデスで育ち、騎士になった。最も強い国の騎士は他と比べて格が違う。精鋭揃いで、子供たちの憧れの的だった。
だが実際に騎士になってみて、その辛さを実感した。
日の目を浴びるのは真に優秀な騎士のみ。凡人は大して注目されずにそこそこの地位で終わり、俺のような才のない人間は、雑用係がいいとこだった。
当然悔しかった。誰かを守りたいと意気込んで騎士になってみれば、誰も守らなくていいと言われたのだから。お前には無理だと、逆に邪魔だと周囲の人間から罵られ、かつては励ましてくれた仲間もいつしか俺を置いていってしまった。だが彼らが悪いのではない。全ては無力な俺に非があった。
そういう境遇にいて、俺はやさぐれた。ある日俺は街を抜け出し、一人で森の中を歩き続けた。ゴッデスの森は騎士団の管理下にあって安全だった。安全な場所をただ歩き続けるとは、俺の臆病さが出ているな。
それからまた長い間歩いて騎士団管轄の森を抜けた頃、彼女と出会った。彼女は当時ゴッデス近くに留まって、気ままに暮らしているようだった。家も、何本か木を切り倒して人為的に開けたスペースに建てていた。切り倒した木を木材として再利用したのだろうな。ああそうだ、家自体彼女が一人で建てたものだった。
いろいろあって、俺はそこに厄介になることになった。ああ、いろいろ問答があったんだ。彼女は一応師になってくれた。
それから数年は、ずっとそこで暮らしていた。その森は騎士団の管理下ではなかったから魔物が出た。彼女はそれを食料にしたがな。稀に強力な個体に出くわすこともあったが、彼女は澄ました顔で風魔法を使い、一薙ぎで倒して見せた。俺はそこで初めて気づいた。彼女が稀代の魔法使いであると。
しばらく代わり映えのない日々が続いた。俺はひたすらに魔法を使い続けた。だが俺の魔力はあまりに酷いもので、なかなか成長しなかった。
俺はな、ゴミみたいな【身体】の素質しか持っていないんだ。ああ、一つだけだ。
だから、身体魔法と共通魔法を磨き続けた。彼女から教わりながら、ひたすら魔物相手に実戦を重ねた。結局彼女の元では強くなりきれず、こうして人並み以上に強くなるのに百年もかかったがな。
ある日、国の上層部が来た。かなり突然のことだったが、そこで俺はある事実を知ることになる。
彼女の正体だ。衝撃だった。それと同時に恐ろしくなった。俺はなんて人間に教わっていたのだろうかと。もはや人間ではないその存在に触れていたという事実に震えた。
この世界には『賢者』と呼ばれる偉大な魔法使いが存在する。彼らは現世との一切の関わりを遮断し、自然の中で暮らし、何かしらの魔法を極めた。それには才能と努力の両方が必要だ。凡人が、ただの才ある人間がたどり着ける境地ではない。
その存在は知られてはいるが、実感している人間は数少ないだろう。俺もそうだった。
彼女がまさしく賢者だった。強すぎる故薄々気づいていたが、まさか本当にそうだとは思わなかった。もしそうならば、どうして俺を弟子にとってくれたのか余計わからなくなる。なぜ俺という存在を排斥しなかったのかがわからなくなる。
俺は彼女に直接聞いた。なぜ俺を弟子にとったのかと。
その理由は衝撃的なものだった。
『暇になったから』だと彼女は言った。賢者が暇なわけがないだろう? その人生を賭して一種類の魔法を極めるのだから。
お前に一つ聞いておこう。お前はどういう理由でエルリアに家族になろうと誘われた。…一緒に頑張りたい、か。言っておくが、そんな曖昧なものが理由になるわけないだろう。
彼女はよく他人を哀れんだ。他人の才のなさを、覚悟の甘さを、無力さを哀れんだ。それは傲慢ではない。
…彼女は化け物だったんだ。賢者という境地に収まる器ではなかった。今もなお魔法使いの歴史の頂点であり続けるほどに強かった。
お前も哀れまれたんだ。一人で何もできないお前が、覚悟の甘いお前が、不運なお前がかわいそうに見えたんだ。コラブルとクレイは違うが、俺たちはそういう理由で家族になっている。彼女は家族が好きだったみたいだからな、その気持ちを共有したかったのだろう。それで俺たちを救えると思っていたのだろう。間違っていない。
それが彼女だ。全ての素質を持ち、魔法を用いて数百年の時を生き、あらゆる魔法を極め『大賢者』と呼ばれた彼女の名は『リーア・エル・リンケージ』。ゴッデスの全盛期を指導したかつての王であり、今は幼女になってしまった。流れでわかってしまうだろうがな、ああそうだ。
エルリアのことだ。
「…この子が、そんなすごい人なんですか?」
「ああ」
「エルリアっていう名前は、リーア・エルから?」
「その通りだ」
「なんで幼児に?」
「…そっちも話さなければいけないのか」
「いやなら無理に聞こうとは思いません」
「話そう。必要だ」
国の上層部が来たと言っただろう? あいつらは『世界の頂上』の調査を依頼してきた。
塔といっても、あれには入口がなく、中に入ることができない。高く円形だからそう呼ばれているだけで、誰もあれの正体を知らない。今はすっかり冷めてしまったが、当時はあの塔に注目する人間が異常に多く、王室の人間も例外ではなかった。
リーアさんは快諾した。王室の人間はリーアさんの子孫にあたる。家族を大切にする彼女がその依頼を断るはずがなかった。それに、彼女でさえも例外ではなかった。あの塔はなんなのか、いつからあるのか、どうやって建てられたのかに興味津々だった。俺も連れて行かれた。『弟子なら師匠をサポートしろ』とな。
彼女は調査に熱中した。世界のありとあらゆる事象を知り尽くした彼女が唯一知らないものがそこにあるのだから、それは当然のことだったのだろう。
調査は数ヶ月に及んだ。次第に俺はついて行かなくなった。やはり一人でやりたくなったらしかった。俺は森で魔法の鍛錬を続けた。
そして事件が起きた。突然のことだった。
その日はたまたま俺もついて行ったんだ。あまりに一人置いて行かれるものだから、寂しさを感じていた。
調査は進んでいるようだった。いつ頃建てられたのか目星がついたらしい。刻印の古さを読み取ったんだ。
およそ三十億年前。驚いただろう? 人種が生まれる前だ。
リーアさんはその証明に勤しんでいた。彼女的には間違いであって欲しかったようだ。人以外のどの生物があんなものを建てられようか。ましてや三十億年も前だ、現実味がなさすぎる。
それでせっせと刻印を読み取っている途中、突然塔に入口ができた。なんの前触れもなく、気配もなく、気づけばそこにあった。
リーアさんはどうしたと思う。当然入った。世界を旅した彼女にとっても未開拓の地だったのだから、かなり楽しそうだった。
俺は外で待っていろと言われたのだが、さすがに俺でも危険だと分かった。中からはただならぬ雰囲気が漏れ出していた。普通の人間であれば、瞬時に踵を返して走り出すだろう。
俺は少し躊躇いながらも、リーアさんの後をついて行った。中は夜よりも暗く、俺は手探りで進んでいった。光魔法など使えるはずもないからな、リーアさんの明かりが見えるまで歩き続けた。壁を見つけ、それを伝って進んでいったんだが、不思議なことに、どこにも行き着かなかった。行き止まりを見つけられなかったんだ。
だが俺は別のものを見つけた。見つけてしまった。
しばらく歩いていると、突然辺りの様子がわかるようになった。足元に魔法陣があって、それが赤く光り始めたんだ。石か岩かで作られているようだったがボロボロで、今にも崩れそうだった。
俺は正面に黒い球状の塊を見た。それはゆっくりと大きくなっていって、顔になった。曖昧にしか思い出せないが、恐ろしい顔だった。そしてこっちを見て笑ったんだ。
俺は一瞬で精神をやられた。錯乱状態になり、叫びながら逃げ回った。出口が見当たらず、死を覚悟した。
だが突然背後の壁が崩れ、そこからリーアさんが来た。そして俺を担いで逃げ出した。
黒い塊は追っては来なかった。追う必要がなかったんだろう。塔自体がそれのようだった。
俺たちは飲み込まれてしまった。ああ、逃げきれなかったんだ。俺は担がれたまま何もできなかった。
だが、リーアさんが俺を逃してくれたのかもしれない。気づけば俺は塔の外で倒れていた。塔の入り口も既に消えていた。
そして、俺のすぐそばに幼女がいた。それがエルリアだ。その時は誰だかわからなかったが、魔力を見ることで彼女だと分かった。
あれがなんだったのかはわからない。確かめる術もない。リーアさんが小さくなって、不老不死になって、俺が不老になって、それで終わりだった。
「不老不死…? でも、エルリアは…」
「ごめんなさいアラタ君。一つ嘘をつきました。エルちゃんの骨折ね、治療しようとしたのは本当だけど、そんなことする必要なかったのよ」
そうだ、エルリアがそう言ってたじゃないか。勝手に治っちゃうって。いろいろあって忘れてしまっていた。
「ガイウスは不老…」
「ああ。俺は怪我しても勝手に治らない。もしかしたら不死かもしれないが、確かめようとは思わない」
「……リーア・エル・リンケージ。かつての王。じゃあこの目も」
「ああ、魔眼だ。平和の魔眼。領域内の魔力から攻撃性をなくす魔法。小さくなってから見ていなかったが、今日突然取り戻しているとは。使えるかはわからんが」
使えるかはわからない。魔眼は持っていればいいというわけじゃないのかな。
「そこからなんで魔法を消すことに?」
「…彼女を元に戻したいと考えるのは自然なことだろう。まずは国の上層部に話を聞いた。これはなんだ、どうやったら元に戻るのか、と。知っているはずもなかった。調査を依頼してきたのはそいつらなのだから。信じてすらもらえなかった」
そうか、ガイウスは何も知らないのだから、初めから魔法を消すという思考には至らないのか。今考えても突飛な発想だしな。
「次に俺は国運営の図書館に籠り、ひたすら本を読み漁った。世界の頂上に関する本を読み終えるのに半年ほどかかった。だが手がかりはなし。完全に行き詰まった」
半年…結構な期間だ。二百冊ほどか? いやもっとか。それでも手がかりを得られなかった、記述がなかったってことはつまり、前例がないってことだ。
「そこで俺は旅に出ることにした。賢者を探す旅に」
「賢者…なるほど、何か知ってるかもしれないですね」
「ああ。エルリアを連れて大陸中を回った。徒歩での移動だったから、無駄に時間がかかってしまった。一人見つけるのに八十年ほど費やした」
「八十年!?」
「エルリアが不老不死であること、俺が不老であることはその道程で気づいた。エルリアに大怪我を負わせてしまった時があった。魔物に襲われ四肢が千切れた。俺はかなり取り乱したが、ふと見れば治っていた」
「そんなサラッと…」
「不老であることには十年ほどで気づいた。簡単なことだ。老いていないし、エルリアの背が伸びないのだから」
どんどん話を進めているが、スルーしてはいけない事象がいくつもある。あの子、四肢が千切れる痛みを経験してるのか。それに比べれば骨折なんて大したことないかもしれないが、一回で慣れるわけない。何回も経験したのかもしれない。
「そして見つけた賢者は言った。こんな魔法は見たことがないと。専門外なだけかもしれないと疑ったが、そうではないらしい。そもそも魔法かすら怪しいと感じたそうだ。そしてこう断言した。これは人が操れるものではない、消したいのならば魔法という概念そのものを消すしかない、と」
「…それを鵜呑みにしたんですか?」
「ああ」
「らしくないですね」
「だろうな」
ガイウスはエルリアの頭を優しく撫でながら、エルリアの中にいる何かを見つめながら続ける。
「俺はな、百年も彼女に焦がれ、彼女を探し続け、もう限界なんだ。他に方法はなく、それしかないんだ」
「………そんなに会いたいんですか」
「ああ。俺は彼女の心からの笑顔がまた見たい。彼女と語り合いたい。この子もリーア・エル・リンケージではあるが、違う。あの、俺を嘲笑うかのような声をこの耳で聞きたい」
「……好き、なんですか?」
「さあな、恋情など俺にはわからん。だが、否定はしないでおく。たった一人のために世界を変えようだなんて、馬鹿げているな」
心からの笑顔がまた見たい。心からの笑顔を見れるほどに親しくなっていたんだ。それを百年間も追い求めるほどに、ガイウスにとって大きな存在なんだ。
「馬鹿げているかもしれないけど」
それはきっと自然なことで、
「それが人ってものだと思います」
「……そうか」
「そうです。俺はついて行きますよ、そう決めたので」
「勝手にしろ」
信じられないほどのエゴイストはしかし、自分ではなく他の誰か一人のことだけを考えていた。それは決して美しいものではなく、その先に待ち受ける結果も彼をエゴイストたらしめるものになるだろう。
だが狼の目には、それはきっと美しく映ったに違いない。
愚直に進み続けるその姿は、狼が目指す姿そのものなのだから。




