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業火の話 第3話

 それはゴッデスが激動する前日。斜めに傾いた太陽が、空を茜色に染め上げる頃。

 女は私物の整理をしていた。

 女の部屋は飾り気がなく、かと言って生活感がないわけでもない、シンプルな部屋だった。本棚が並び、ベッド、一本脚の面の狭い円卓が設置され、衣服が少し床に散乱していた。

 服を畳んで棚にしまい、特に何も携帯せずに部屋を出る。女が必要としているものはそこにはなかった。

 女は次に、かつて青年が使っていた部屋へ向かった。


 非常識であることは重々承知だ。遺族でもない、ましてや騎士である女が死人の部屋を漁るなど、言語道断だ。

 だがもういいだろう。女はもうすぐ騎士を辞める。このくらいの悪行、なんてことはない。


 女はドアノブを躊躇なく回し、押し出して自分の体を滑り込ませた。

 あれから男たちがたまに掃除してくれていたらしいが部屋は埃っぽく、白いカーテンに限らず、棚やベッドなど部屋のあちこちに黒いカビが生えているように見えた。


「…………これは?」


 脚の低いテーブルの上に、いくつもの小さな本が乗っている。こんなもの見たことがない。

 女は机のもとに座ってテーブルの上に左腕を置き、本を一つとって表紙をめくった。

 それはただの日記のようだった。彼のここでの生活の苦悩が読み取れる。食事に困っていたのだろうか。

 しばらくは同じ内容が続いた。地域の人たちと助け合っていたようだ。助けられる自分を嫌っていたのが、実に彼らしい。

 そして、あの日のページがきた。

 そこには青年の本心が綴られていた。





白の年 炎の月 一日


 妙な奴が来た。全身に鎧を纏っている。だがサイズが合っていないようで、頭の鎧がガシャガシャいっている。

 頭の鎧を外してみたら、なんと女ではないか。瞳が赤い。

 戦争が終わったばかりのこの時期に来られると困る。こっちは自分のことで精一杯なんだ。誰かを助ける余裕なんてない。でも女を見捨てたら周りの人になんて言われるか…今日だけ泊めていくことにした。




白の年 炎の月 二日


 帰れと言っているのに帰らない。というか、こっちの言葉に反応しない。鎧は勝手に脱いだが、随分と薄着だ。目のやり場に困る。

 今日は昨日のご飯のお礼に三番地のとこの子供と遊んであげなきゃいけない。こんな怪しいやつに留守番を任せたくはないが、やむを得ない。時間に遅れると拗ねちゃうからな。

 彼女はご飯を食べようとしなかった。ここで死なれると俺が天罰を喰らいそうだから、あげた分は食べてもらわないと困る。




白の年 炎の月 十八日


 彼女は魔眼使いだった。信じられない。俺はこいつが嫌いだ。何人も殺して英雄になるだなんて、ふざけてる。誰かの生を踏みにじるなんて、ふざけてる。追い出してやる。追い出してやる。




白の年 炎の月 二十六日


 また変な奴が来た。なんでも信仰について知りたいんだとか。教えるのは別にいいが、なんか態度が変だ。媚びるのに慣れてない。

 だが、お礼に金をくれるらしい。金で救われるなんて滑稽だが、それが現実だ。教えないという選択肢はなかった。

 女が勝手にどっかへ行った。こちらとしては助かる。助かる…はずなんだが、あの目を見た後だと、心配になる。この世の中何があるかわからない。もう一回顔見せてくれないかな。




白の年 水の月 八日


 女が戻ってきた。鎧を捨て、ありとあらゆる名声を捨て、家族を捨てて。髪も金色になっている。

 俺はきっと彼女を救わなきゃいけないんだ。魔眼を引き継いでおいて先に進めない彼女を。沼にはまり抜け出せなくなった彼女を。俺はなんで生きてるかわからなかったけど、きっと彼女を世界に再び送り出すためだったんだ。

 そんな風に義務感を出してみたけど、結局のところ、俺が助けたいだけなんだよな。さあ、明日も頑張るか。








 女はしばらくそれを読んでいた。青年は几帳面だったようで、毎日欠かさず日記をつけていた。

 それは女に、聖堂でのある会話を無理やり思い出させた。













『人って誰しも頑張るよな。なあ、あんたはなんでそんなに頑張るんだ?』

『………頑張ってなんかない。やっただけだ』

『そうかよ。まあいいけどさ。…俺は夢見てるんだ。誰もが幸せに暮らせる世界を。誰もが誰もを思いやる世界を』

『……生きづらいな』

『そうかなあ。そう言われると自信なくすなあ』

『…そうだとも』

『なあ、あんたは俺に救われてどう思った? 余計なお世話だと思った?』

『…こっちからお願いしただろう』

『はは、そうだったな。でも、どこにも居場所がないなんて悲しいだろ? 居場所がないならここにいればいい』

『………私のような人間も、ここにいていいのか?』

『当然だろ? この世界は厳し過ぎる。誰でも、いつでもドン底に落ちる可能性がある。生きる希望を失う時がある。そういう時はさ、俺が支えてあげなきゃって思うんだ。今は頑張れなくても、いつか頑張れる時が来るはずだから』

『………私は、もう…』

『大丈夫、伝わってるよ』

『……やめてくれ』

『俺はずっとあんたを見てるよ。見守ってるよ。だから、ここがあんたの居場所だ! 俺があんたを支えるよ!』









「…私はダメだな。君がいないと何もできないなんて…」


 女は日記を閉じて立ち上がった。その意志には揺らぎが見えた。


「私は….」


 女は夕日に染まる部屋の中で、何を思ったのだろうか。

 青年は、何を思ってこの部屋でこの日記を書いたのだろうか。

 しばらくすると、誰かが部屋に入ってきた。


「…フレア。またここにいたんですか」

「ああ、すまない。……私は弱いな」

「いえ、人は誰しも弱さを抱えているものです。それを責める者はここにはいません。ですがその日記、少し焦げているようですね」

「……すまない」

「こればかりは注意させてもらいます。一応遺品なんですから、あまり焦がさないでください。何回目ですか」

「…………すまない」

「…最近は空気が乾いてきましたね」

「…そうだな」

「さあ、夕飯ができました。食べましょう」

「…ちゃんと食べるんだぞ」

「もちろん。あれから食事はしっかり取るようにしています。怪我をしては本末転倒ですから」


 二人は部屋を後にした。テーブルの上に残された日記は所々焦げているようだが、女がそのうちの一つを思わず燃やし尽くしてしまったことに、男は気付いていなかった。

 その瞳に涙が浮かんでもきっとすぐに蒸発してしまうだろうから、誰も彼女の苦しみに気付かなかったのだ。

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