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畏怖×if 無に帰す魔法と八つの魔眼  作者: 金剛陽薙
第3章 束の間の平和
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業火の話 第2話

 翌朝。


 女が聖堂の扉の横に座り込んでいる。女は帰ってきてから、ずっとそこに居座っていたのだ。夜も眠ることなく、何かを考えることもなく、空虚のままただ時間を浪費し続けていた。


「何かあったんですか、フレア?」


 聖堂から出てきた男が、女に声をかけた。その男は質素な茶色のシャツに長ズボンを履いて、白いマントを羽織っている。顔は少しやつれていて、伸びた髪はゴムで一本に纏められていた。髭は少し残っているが、大体はしっかり剃られている。

 以前に比べてその姿は、男本来の風貌を取り戻しつつあった。


「…何もない。気にするな」

「無茶を言わないでください。何もない人間は、食事も取らずに外に居座ったりしませんよ。何か辛いことがあったのなら、私に話してくれませんか?」

「…………」

「…朝食の準備が整いました。もしお腹が空いているのであれば、食堂まで来てください。こちらとしてはフレアがいないと申し訳なさで食事が喉を通らなくなってしまうので、来て欲しいのですが」

「…ああ、後で行く」

「分かりました。待っていますよ」


 男は女をしばらく見つめた後、身を翻して聖堂内に戻っていった。男は言葉通り女が食堂に来ることを望んでいたが、女はそれを知らんぷりした。







 しばらくして。


「フレア」


 中から再び男が出てきた。男に女を励まさないという選択肢はなかった。

 今回は策を用意した。体を動かせばきっと気が楽になるだろう。確信はないが、今は行動することを優先せねばならない。

 男は扉から距離を取り、聖堂を正面から見つめる素振りを女の目につきやすいように行い、そして女にこう話しかけた。


「フレア。こっちに来て、聖堂をじっくり見てみてください」

「………?」

「いいから、さあ」


 女は仕方なく付き合うことにした。立ち上がって男の横の並び、聖堂の入り口を見た。


「扉だけじゃなくて、もっと上の方も」


 女は言われた通りに扉よりも上に視線を向けた。ツタが生い茂り、ヒビが入り、少し黒ずんでいる。


「汚れているでしょう? ここだけじゃない。側面も、後ろも、中の壁も汚れている。以前は人が少なかったから掃除も大変だっただろうけど、今は違う。私たちがいる。だから、ね」


 男は右腕を前に突き出した。その手には雑巾と金槌が握られていた。


「掃除しましょう。ついでに修理も。雨漏りに悩まれていましたから」

「…そんなに汚いか?」

「ええ。フレアが掃除しているのは床ばかり。でも、倉庫には長い脚立があります。あの人に任せっきりだったのでは?」


 男はあの青年の話を躊躇いもなく語った。当然悪意はない。何かに侵されている彼女の目を覚ましてやらねば。今の彼の目的はその一点のみなのだ。


「さあ、綺麗にしましょう! リフレッシュしましょう! 貴方がやらないと言っても私たちはやります。それとも、私たちだけにやらせますか? 貴方もここの一員なのに」

「……分かった、やろう。徹底的にな。彼らはどこに?」

「寝てると思いますよ」

「はあ…叩き起こしてこい」

「はい!」


 男はさっきよりも明らかに声のトーンが高くなっていた。意気揚々と聖堂に入っていき、少しして、中から騒がしい音が聞こえてきた。


「さあ、やりましょう!」


 男たちを連れて戻ってきた。各々が目を擦ったり、あくびをしたりしている。


「お前たち、なぜ朝食後にまた寝る」

「子供たちが遊び始めるのはもっと後の時間ですし…」

「今日俺は休みなんですよ…」

「休みなどない。辺境で暮らす人間がちんたら生きるな。死ぬぞ」

「「う、うっす」」

「では、始めるか」


 女は右手で、(ほうき)の柄を握った。














「どうですかー?」

「ああ、いい感じだー」


 始めてから二時間ほど経った。さほど大きな聖堂ではないが、脚立を使うとなるとかなり地道な作業になるので時間がかかるのも当然だ。

 今はツタを剥がし終わったところだった。ツタ自体は決して悪いものではないが、男は外観を気にしているようだった。生やすのであれば、グリーンカーテンにすべきだと。女はそれをよく知らなかったが、響きが良かったので採用した。

 女はまたしても地面ばかり掃除していた。決して高い場所が怖いとか、そういうことではない。箒を両手で握り、何度も同じ場所を掃いている。実はもう終わっているのだ。


「私、なんで話せるんでしょうか? この世界の文字読めないのですが」

「さあな。神様がうまくやってくれたんじゃないか?」

「ああ、なんてありがたい。こうしてフレアと話せるようにしてもらえただけでも幸せです」

「…そうか」


 男は常に女と話し続けていた。当然である。女を励ますためにやっているのだから。


「そろそろ聞いてもいいですかー?」

「なんだー?」


 男は梯子の上から話しかけてくる。多少の距離があるので正直話しにくいが、女は取り合うことにした。


「何かあったんですかー?」

「…………いや、何も」

「そう気負わないでください。ちょっと話すだけで、気が楽になると思いますよー」

「……本当に、大したことじゃないんだ。気にしないでくれー」


 女は話さない。話せるわけがない。


「嫌なら嫌で構いません。でも、もっと頼ってくれていいんですよー。情けない人間であることは自覚していますが、力になりたいのは本当ですから」

「そうか」


 情けないのは否定できないが、しかし今は頼もしいが優っているだろう。女は他愛もない会話がしたかった。故にどうでもいいことを話題に持ち出す。


「しかし、君は随分と喋り方が変わったな」

「今そこに触れますか」

「実は前から気になって仕方がなかったんだ。君ってそういう感じなのかー?」

「そうですよー。変ですかー?」

「変だー」

「ひどい…」


 既に女は少しだが救われていた。何気ない人間の気遣いが、誰かを救うこともあるのだ。


「じゃあ、黒ずみとりますねー」

「頼んだー」


 女は男に背を向けて掃き掃除を続けている。


「今度はこっちから、一つ聞いていいかー? 君は……?」


 後方からガタガタと妙な音が聞こえてきた。まるで脚立がふらついているような、そんな音が。

 次の瞬間、脚立が倒れる音、そして大きな何かが地面にぶつかる鈍い音が静寂満ちる辺り一体に鳴り響いた。


「おい、どうし…大丈夫か!? しっかりしろ!」


 女が後ろを振り向くと、脚立が倒れ、その隣に男が力なく横たわっていた。頭からは血が流れ、小さな血溜まりができていた。

 女は焦った。


(どうしよう。ひとまずベッドに。いや、動かして大丈夫か? 誰か、誰か呼ばないと…そうだ、最近噂のあの医者を…)



 女は一時的な手当を他の男たちに託し、急ぎ噂の医者とコネクションを持っている人物のもとへ向かった。


(急がないと、また……)
















 場所は酒場。


「分かった…ああ、ひとまずベッドに運んでおく」


 女はある男を介して医者から指示を受けていた。その医者が自分が戦った男たちと一緒にいたあの女性であることに非常に驚いたが、通話はすぐに終わってしまった。

 女は酒場の扉を勢いよく開け、右折し駆け出した。


(…そうだ、彼女に相談してみようか。極力、話せるだけ話して、それで、意見をもらってみようか。)


 女は急いで聖堂に向かった。

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