業火の話 第1話
ある日、女は家の本邸に呼ばれていた。
ここに来るのは三年ぶりだった。できることなら二度と訪れたくないと女は願っていたが、それは叶わぬものになってしまった。
その屋敷は広さで言えば領主のものには劣るが、清潔さを合わせて言えばゴッデスのどの屋敷よりも豪壮であると言えるだろう。幾百もの使用人を抱え、多面で国に貢献し、民からの信頼も得ているその家の一人娘の女が騎士団において高い地位を得ることは、それだけで必然であった。
女は自分の二倍ほどの背を持つ門の前に立ち、門が開くのを待っていた。いつもの鎧を身につけ、家族に対する尊敬の意は一切なかった。
しばらくした後、門が大きな金切音と共に開いた。
「こちらへ」
女は眼鏡をかけたメイドに案内され、屋敷の敷地内へ足を踏み入れた。門から玄関までも距離があり、道の周囲には広大な花畑が広がっていて、その殆どが赤い花だった。女はそれを見て羞恥を感じずにはいられなかった。
女はそのまま食堂まで案内された。そこには何十人もの人々が同時に座れるほど長い食卓が置いてあり、花の模様が密度濃く縫われたテーブルクロスで覆われていた。その上には三本の蝋燭がついている灯台複数が等間隔で並べられていて、なぜか火はついていない。壁は一面窓のはずだが、赤いカーテンが閉められ、この部屋の照明はその隙間から注ぐ日光のみとなっていた。
テーブルの端に、皿に載った肉をナイフとフォークで食べ続ける男が一人。銀髪のオールバックは必要以上に男の威厳を引き立て、金、銀に輝く装飾を施された服は、上辺のみを取り繕っている男の様子を綺麗に表していた。伸びた髭のまとめ方は笑ってしまうほどダサく、唯一内面が現れていると言えるだろう。クルクル巻いているのはこの国でこの男ぐらいだった。
男の後ろには暖炉と、壁一面に敷き詰められた絵画があった。どの絵画も自画像のようで、すべてにこの男が描かれていた。中には一緒に女性が描かれているものもいくつかあるが、一つ一つ見比べると、その女性の姿は違っていた。
その男はこちらには一瞥もくれず、話しかけてくることもない。
扉の前から動くことなく、女は口を開いた。
「…何か用ですか、父様」
「なんだそのふざけた話し方は。敬語の使い方は詳しく、時間をかけて教えたはずだが?」
「……何か御用ですか」
「はあ…まあいい。フレア、戻ってこい。お前の力が必要だ」
「………は?」
女はその言葉に憤りを感じずにはいられなかった。
「ゴッデスはすでに衰退しはじめている。以前までは領主様を信じていたが、今思えばそれが間違いだった。あの御方はもう王の器ではないのだ」
「王の器など必要ないでしょう。とうの昔から王などいないのです」
「王はいる! 民は、かつての『リーア・エル・リンケージ』のような、偉大なる指導者を求めている!」
この男は夢ばかりを見ていた。王はいるなどという妄言を吐き散らし、過去の威に執着し、現実を直視しないで夢を見続けている。なんて愚かで、馬鹿で、浅ましい。
「なぜ私が必要なのですか」
「我々は、革命を起こさねばならない」
「革命…?」
「領主様には退いてもらわなければならない。だが、あの御方は若い。寿命を待ってはいられない。手を下さねば」
「ーー私にやらせるのですか!?」
この男はいつだって自分の手は汚さず、誰かを犠牲にしておいて大して這い上がれもせず、何もかもを浪費していった。
(ふざけるな……また私にやらせるのか!?)
「相手は魔眼使いだ。普通の人間では太刀打ちできんだろう。お前しかいないのだ」
「嫌です! 相手はただ見透すだけでしょう!? 私である必要はない!」
(あれ? 違う、そうではない。殺しを否定しなければならないのに、私はなぜ自分を優先している?)
「それだけではない。王に相応しいのは魔眼を持っているものだ。…ああそうだ、お前だよ。お前が自らの手で領主を殺し、新たな王になるのだ」
「なぜ…なぜそこまで王にこだわるのですか」
この男は昔からそうだった。王を盲信している。それは絶対の正義だと、そこには発展が約束されていると、それこそが未来の礎になると信じて疑わなかった。そして自分はその一部であると恥じらいもなく宣言し続けた。
「王政派は王のもとにあって然るべきである。王族騎士は、王に従ってこそ騎士になり得るのだ」
「王族などもういません。私は王族騎士ではないのです。王政派、王国騎士さえもただの名残であり、もうその言葉に意味などない」
「あるのだ!!」
男は突然立ち上がった。硬い床と豪勢な椅子が擦れて大きな音が鳴り、のちに静寂が訪れた。それをあえて最悪の形で破るように、ゆっくりと女に近づきながら、男は過去を持ち出した。
「…お前には王族としての誇りがないのだ。あんな女のもとで育ったのだから」
「…………なに?」
それは確実に彼女の心に火をつけた。
「お前は授かったものを全て捨てていく。その瞳も、髪も、地位さえも。なぜ金色なのだ? 低俗極まりない。美しくもない、威厳もない、何もない。貴様の心がわからん」
「…別にいいでしょう。私の勝手です」
男は女の目の前まで歩み寄った。まるで挑発するかのように。
「まるでレイナのようだ」
「ーー貴様!!」
女は男の胸ぐらを掴んだ。
「貴様もかつてはこの家に尽くした身だろう? なぜ今更それから逃れられると思うのだ。殺したではないか。何百人も」
「ーーーーっ」
それは、女が心の奥深くに閉じ込めておいた記憶。女は非情にも、殺した人間のことを記憶しようとしなかった。
「三年前のオーランド戦争。あれに勝ててさえいれば今のようにはならなかったかもしれん。それも全て、貴様のせいだろう?」
「そ、れは」
男は女の手を解いて距離をとり、食卓の縁を手でなぞりながら続ける。
「貴様は非常によくやっているように見えた。途中まではな。なのに、最後になって殺せないだと? ふざけたことを。そのせいで国民が犠牲になった。お前が王になることは、贖罪でもあるのだ」
「わた、しは」
「計画は議会と協力して実行に移す。向こうの準備ももうすぐ整う。返事を待とう。期限は二週間だ」
「……わた……しは…」
「行け」
女は少し黙り込んだ後、部屋を後にしようとした。だが、
「ああ、ちょっと待ってくれ」
男が彼女を引き止めた。女はそれに何かを思うことはなく、ただ扉を開くことを途中でやめた。
「この部屋、少し暗くてな。灯りをつけてくれないか?」
それは、男からの挑発であった。また、確認であった。女の心を見極めるためのいつもの手段であった。
「…………」
女は体の方向を変えることはなく、視線だけを後ろに向け灯台についている蝋燭を見た。瞬間、蝋燭一本にだけ弱々しく火がついた。女はそのまま、男の様子を確認することなく部屋を後にした。
「………ふーっ」
男は女が出て行った後に蝋燭の火を消し、カーテンを開け、椅子に座り直した。そして食事を再開し、しかし笑みを堪えられずにいた。




