第3話 無事
女性は俺の体を横に倒して、頭と膝辺りをがっしりと押さえた。抵抗しようにも全く体を動かせない。男は尻尾を切りやすいように引っ張り、根本に狙いを定めた。俺の心の準備を待つことなく、男は容赦なく包丁を振りかぶった。
そして次の瞬間、ダンッ! と大きな鈍い音が鳴った。ほんの少しの間を置いて、尻尾の付け根から全身に激痛が走った。だが、
「チッ」
毛がふさふさだったので刃が通らなかった。俺の尻尾付け根までふさふさなのか...。めちゃくちゃ痛いが命拾いした。でもこの男は気づかなかったのか? ふさふさだったら切れないだろうに。
「毛を燃やすぞ」
「は…!?」
「…ホントに切れちゃうわよ?」
「構わない。それが目的だ」
発想が物騒すぎる。ハサミかなんかで毛を刈ればいいだろ!!?
いや、そんなことより、この男やりやがったぞ。振りかぶった包丁を尻尾の付け根目掛けて振り下ろしやがった。
女性も既に同調している。この男は本気で切り落とすつもりのようで、包丁を取り出した棚の隣から、バーナーを取り出した。
(…待て、嫌だ。燃やされるのは嫌だ。なんとか逃げる方法はないか!?)
などという考えが一瞬浮かんだが、すぐ消えた。今の自分に抵抗する手段はないのである。黙って燃やされて切られるのを待つしかない。辛すぎるがそれが現実だった。
男がバーナーに点火する。ボーっという音が聞こえ、横目でバーナーの火が見えた。俺はそれを見て再び必死に抵抗するが、女性が依然俺を押さえつけていて意味を成さなかった。
(ああ、嫌だ、そんな...!)
下半身の後ろから熱を感じる。いやだ、熱いのは嫌なんだ。いやだ、いやだいやだいやだいやだ!!!
次の瞬間、
「きゃっ!?」
女性は何かに驚いて手を離した。
「…!?」
男も同様にサッと後ろに下がった。
俺には何が起こったか分からなかった。体を動かせるようになったので、自分の尻尾に目を向けてみる。
(.........ん? ............え!?)
俺の尻尾を青い炎が覆っていた。熱さは感じないし、毛が燃えている感じもしない。完全燃焼の青白い炎とも違う、真っ青な炎。尻尾に何が起きているのか気になり、触ろうとした瞬間、
「触るな!!」
男に強く止められた。俺はその声に驚き、びくっとしてしまった。
それと同時に、青い炎がみるみる小さくなっていき、やがて完全に消えてしまった。尻尾は焦げておらず、まるで何事もなかったようだ。
俺は男の方を見る。今は押さえつけられていない。まだ切り落とす気があるのか…?
「………元いた部屋でじっとしていろ」
「は?」
予想していなかった言葉に変な声を出してしまう。
今の出来事に何か意味があったのだろうか。女性の方が気になり目を向けると、
「………………」
沈黙だった。ただただ動揺しているように見える。どうやら女性は何もわかっていないらしく、俺は何か知っているであろう男に問いかける。
「なんで急にやめたんだ。『エルリア』って誰だよ。俺のこと、何か知ってるのか?」
と言った途端、
「お前は知らない。」
と、男が言った。お前は、か。状況が分かってきた。
俺は、いや、俺というよりこの体は、彼らの知り合いなのだろう。それも愛称で呼ぶくらい親しい人間だ。俺は女体化したんじゃなくて、「エルリア」という子と中身が入れ替わった、もしくは意識を乗っ取ってしまったという状況なのかもしれない。原理も理由も分からないが、そうでないとこの状況を説明できない。
…この人たちは、仮にも知り合いであるこの体に傷をつけようとしたのか? 切るだけでなく、燃やそうとした。最悪だ。
…あれ、そういえば俺、なんであんなに燃やされるの嫌だったんだろう。何かあったっけ。炎...火事...ほう...か...。
............あれ? 俺、何で生きてるんだ?
いまになって記憶がはっきりしてきた。
そうだ、俺は親父の仕事に巻き込まれたんだ...警察官だった親父が恨みを買って、その仕返しに人質にとられて、そして.........。
そうだ。燃やされたんだ。監禁していた部屋ごと。
「..................!!!!!」
不意に思い出した記憶により、さっきの出来事が恐ろしくなり、震えが止まらなくなってくる。俗に言う、トラウマだ。バーナーで燃やされそうになったんだ。
ああ、まずい、何を考えればいい? 俺はこれからどうするべきなんだっけ? ああ、ダメだ。怖い、怖い怖い怖い怖い。
恐怖のために頭が回らなくなっていた。思考を封じられ、正気を保てない。誰か、助けてくれ。誰か、誰か誰か誰か誰か...!!
すると突然、
「……大丈夫よ。ごめんなさいね、怖い思いさせて。なんの理由もなく人を傷付ける人じゃないの、あの人。でも、エルリアは大事な人だから、必死だったのよ。もう大丈夫だから…」
女性が俺を抱きしめながらそう言った。とても暖かい言い方だった。その言葉一つ一つが、優しく俺の恐怖を溶かして行った。
その言葉にすっかり安心して、なんだか疲れてしまい、俺は深い眠りについた。