第18話 俺のやるべきこと②
男はある日のことを思い出していた。あの森で、彼女からある言葉をもらった日を。
『ーーーさん。俺、もっと強くなりたいんです。みんなを守れるくらいに』
『でもお前、才能ないでしょ?』
『だからです。才能がないことは何かを成せない理由にはならないんです。努力すればいい。でも、俺一人じゃ限界があるんです。悔しいけど、誰かを頼らないとなにもできない』
『はあ……本当に愚かだなあお前って。別にお前がやる必要ないだろ? それは才能がある奴の仕事なんだよ』
『指を咥えて見てろと?』
『ああ』
『馬鹿なこと言わないでください』
『それは君もだよ。いいかい? 現実っていうのは残酷なんだ。お前が……誰が思っているよりもね。まあお前が誰かを守りたいって思うのは自然なことだよ。でもね、得手不得手ってものがある。誰かを守るのはそれを得意とする奴に任せて、君はもっと貢献できるものを探した方がいい』
『そんなこと…それでも、俺は…』
彼女は現実主義者だった。初めの頃は口を開くたびにボロクソに言ってきたな。
でも、彼女はたまに夢を見る。
『はあ……君は本当に愚かだなあ。でも……わかった、ちょっとしたアドバイスをあげよう』
どんな気持ちで言ってくれたのかはわからない。ずっと呆れた様子だったから。でも、その言葉が今も生きている。
『無力な人間が大きな壁を越えたいなら、困難に立ち向かいたいなら、偉業を為したいならね、畏れてはいけない。這い上がらなければいけないんだ。たとえどんな状況であってもね。それができないなら、諦めなよ』
ーーーさん。俺はちゃんとできてるだろうか。
『でもそれ以前に、死んじゃダメだからね。覚えときなよ。まったく、今のご時世何があるかわからないんだから……………』
ーーーさん。俺は自分で辿り着けなかったのに。
この狼は、一人でそこに行ってしまうみたいです。
限界が来た。男渾身の魔法障壁を魔眼の炎が焼いていき、まもなく彼らの命が終わる、はずだった。
「な……!?」
女はただ驚いた。
黄金の輝きが消えた時、そこには一匹の死に怯えた狼がいた。
狼は無意識に障壁を展開する。青く、弱々しい守りだった。
未熟な人間が初めから完璧にできるわけがなく、壁を作ることはできず、その障壁は狼の体を沿って形成された。
狼の体と魔眼の炎が衝突する。
「う“う”ううぅぅ…!!」
狼は、自らの体を壁にすることで太陽の如き炎をせき止めた。
畏れないわけがなく、防ぎ切れるはずもないのに、その狼は果敢に立ち向かって見せる。炎の圧力に圧倒され、立ち続けることができない。狼は両手を床につきながら、一歩一歩、確実に進んでいく。炎はここぞとばかりに手をついた狼を包み込む。女は立ちはだかる脅威を、狼を殺すことだけに集中していた。
(思考がまとまらない。何を考えればいい? ああ、あの時の感覚だ。熱い、痛い、あついいたいあつい)
否。
(違う。何も考えなくていい。今はただ、あの人の元に。あの人の目を見て、腹割って話すために)
恐れながら畏れず、這いつくばりながら這い上がれ。
それが俺のやるべきことなのだ。
このまま炎に身を焼かれていては狼は確実に死ぬだろう。止めないと決めた歩みを止められてしまうだろう。
狼は死ぬわけにはいかない。歩みを止めるわけにはいかないのだ。
狼は思い出す。魔法の言葉を。
勘違いしてはならない。この世界には魔法がある。
それはすなわち、奇跡を起こす魔法の言葉だ。
狼は床に手をつき、魔法を唱える。あの子から教わった、生きるための魔法を。
「『インステッド』………!」
瞬間、狼の体を青い炎が包む。体が青く燃え上がり、しかしそれは狼に恐怖ではなく希望を与えた。
「……何故だ?」
女は動揺していた。青く燃え上がった狼を、自らの炎に焼かれながらも、なお歩みを止めない狼を畏れた。
畏れてしまった。
形勢が逆転し、彼らの勝利が揺るぎないものとなった。
蒼炎が太陽の如き炎を侵食していく。それはこのような状況でなければ、じつに神秘的に感じられる光景だったろう。赤が青に変わり、熱が温もりに変わり、憎悪が決意に変わっていく。女はそれを上回る火力を出すことはできる。だというのに、女は魔眼を振るえないでいた。
聞こえていた。聞こえていたのだ。
知ってしまった。知ってしまっては殺せない。
狼は、誰かを守るために自らの命を賭けられるのだ。
その姿は、女の目にはどう映っただろう?
まるで善ではないか。女にできなかったことを成し遂げているではないか。
蒼炎が太陽を喰らい尽くした頃には、女は座り込んで俯きぶつぶつと何かを呟いていた。
「おまえたち…悪か…善では……私には、出来なかった……」
狼が炎の中でゆっくりと立ち上がると、狼を覆っていた蒼炎が弾け散った。それは周りに飛び火することはなく、美しい魔力の粉となりすぐに消えてしまった。
狼はボロボロだ。身体中の毛が焼け、普段見えるはずのない皮膚が露出している。皮膚も無事ではなく、全身火傷だらけだ。ガイウスからもらった服も燃えてしまった。しかし、狼の瞳は固い決意を宿していた。
狼は座り込んでいる女に歩み寄った。女はそれに気付きつつも顔を上げることはなく、瞳から涙が流れるのを我慢していた。
「俺らは『悪』だよ。それを否定する気はない……というかできない。でも、悪は一人じゃない。俺たちだけじゃないんだよ。それに踊らされちゃダメだ。悪が滅ぼすのはいつだって他人なんだから」
女は顔を上げずに尋ねる。
「貴様らはなんなんだ…? 殺したのだろう……なのに、身を焦がしてまで……どうしてそんなことを言う。私の何を知ってるんだ」
「知ってるわけじゃないけど……でも、貴方には良い人であって欲しいなって。かなり勝手だけど、そう思うから。強いしね」
「強くなど…つよく…など…ぅぅうううう」
女は泣き出してしまった。狼は反応に困る。当然だ、女の涙などそうそう見るものではない。励ましたいが、これ以上言葉をかけるのははばかられた。
「おい」
後ろから男が声をかける。
司教は逃げてしまった。タイミングを逃したと言わざるを得ない。暗殺はもう不可能だろう。
男は何か言いたげな表情だったが、今は何も言わないようだった。
「……戻るぞ。長いは無用だ。そろそろ外が賑やかになってくる」
「あ……はい」
狼は女を励ますことを諦めた。自分で立ち上がれるだろうと信じて。
扉から外へ出る。すると、
「警護団だ。ご同行願えますか?」
「え」
大聖堂は鎧を纏った数十人の男たちに包囲されていた。遠くの方から、
「連れて行け」
そんな声が聞こえた。他に連行されている人がいるらしい。男と狼は視線を移す。そこには、
「なんだと」
「……よっしゃっ!」
なんと、司教が連行されているではないか。男たちが司教の両腕を二人がかりで押さえつける。司教はそれを振り払おうとするがまるで敵わない様子で、実に滑稽だった。
(よく分かんないけど、これでガイウスが殺さずに済む。…………なんだろう…………目が、霞んで………)
忘れてはいけない。全身火傷の自然治癒、業火の魔眼による魔力の焼却、さらに無茶な魔法の使用により狼の魔力はおよそ半減していた。それは経験したことのない負担であり、狼の意識は落ちてその場に倒れてしまった。




