第18話 俺のやるべきこと①
女は剣を抜き、両手で剣を構えた。剣身は淡い赤色をしていて、とても美しく見えた。
瞳が燃え上がる。魔眼を使う気だろう。
狼は腰を低くし重心を下げて、跳ぶ準備をする。逃げてはならない。ならば、立ち向かうまで。
男はただ狼を見つめている。構える様子はない。眉間にシワを寄せ、狼を責め立てているようだった。
「燃え尽きろ」
女が呟いた。瞬間、大きな轟音と共に狼が思い切り跳躍した。女の視線は狼を取り逃し、隣の長椅子を真っ赤に染め上げ灰にした。
女は急いで空に視線を移す。
狼を燃やさねば。
今の女はそれだけを考えていた。
しかし、狼は目の前にいた。一度のジャンプで三十メートルという距離を瞬時に詰める。
「っ……!」
狼は女の肩を足で捉え押し倒した。狼の重量だけで十分な威力が生まれ、床が割れて女の体が沈んだ。狼は次の一手を考えた。思いついたのは顔を殴ること。しかしそれはあまりにも安直で、顔を狙ったは良いものの、簡単に避けられ、その拳は沈んだ床をさらに砕いただけだった。その素振りはあまりに幼稚で、さながら争いを知らない子供のようだった。
そうだ。
狼は戦いを知らない。
この世界に来て誰かを殴ったのは(殴ろうとしたのは)これで三度目。たったの三度目だ。女の肩を捉えたのは奇跡、偶然でありそれが女にダメージを与えることはなかった。
勘違いしてはならない。この世界には魔法がある。体格差を覆すなんて、誰にでもできることなのである。
「うわっ!!?」
女は肩に乗った狼の両足を外側から掴み、ありったけの力を込めて入り口へ投げ飛ばした。狼は自らの跳躍と同じ速さで、より遠くへ投げ飛ばされた。扉の上部に衝突して床へ落ち、壁にはヒビが入り、隙間から朝日が淡く差し込んでいた。
女は強い。魔眼を使わずとも狼を仕留めることが可能だった。だが女は魔眼を使う。狼の弱点だと知っているから。
女は狼を睨みつけ瞳に力を込める。狼は何かを察し魔法を唱えようとする。
女は瞳を光らせ、魔眼を使用した。
燃える、燃える、燃える。憎悪が、怒りが、殺意が燃え上がる。しかし、その炎が狼に届くことはなかった。
「ガイウス…!」
男が狼を庇うかのように魔法障壁を展開していた。それは男にはそぐわぬ黄金の光を放ち、その身をもって彼らを守っていた。
(魔力ごと燃やすか…!)
相手は魔眼なのだ。ただ燃やすだけなわけがなく、それは魔法そのものをも燃やせてしまう。咄嗟に展開した障壁が何秒も耐えられるはずもなく、それはあっという間に消えてしまった。
(身を守るには十分だ)
男が走り出す。いつの間にか右手には剣が握られていた。漆黒の剣身を持ち、すべてを飲み込まんとする禍々しいオーラを放っている。
「貴様…!」
女も対抗するかのように走り出す。
両者とも常人とは思えないスピードで、両者間の距離は一瞬で詰められ、剣と剣がぶつかり合い、鋭い金属音が狼の耳を襲った。
それは、素人が見てもわかるほど見事な打ち合いだった。
女は剣だけでなく腕や足の鎧を巧みに使い漆黒の剣を防ぎ続け、激しく動きながらも相手を目で捉え隙あらば燃やす。
男は女の視線が自分の体を捉えたであろうタイミングで魔法障壁を展開し、防いでは打ち込む。しかし鎧などつけていないはずなのに、足や腕で剣を受け止めているのを目撃した狼は呆気にとられていた。
剣が幾度もぶつかり、その度に金属音が鳴った。
技術としては男の方が上手だろう。それでも、攻めの権利は常に女が握っていた。この世界に業火の魔眼に勝る攻めの手など存在しないのだ。
次第に男が防戦一方になる。それを女が見逃すはずもなく、女の攻撃は激しさを増した。
見るだけで圧倒的な火力を出すことができるそれを魔法障壁で防ぐのには限界がある。男は長椅子の背もたれを次々と飛び移りながら後退し、女はそれを追うように長椅子を次々と灰にした。しかし男を捉えることはできず、男は狼のもとへ戻ってきた。
「十分だ。やっと感覚が戻ってきた」
女は久しぶりの戦いだった。久しぶりに魔眼を使った。これまでの戦闘は肩慣らしだったのだ。女の思考に慈悲などなく、すべての行動は彼らを殺すという目的に忠実に従っていた。
「遺言を残す時間はくれてやる」
女はそう言い放ち、剣を天へ掲げる。淡かったはずの赤色が深く濃く変わっていく。
剣先が眩く光る。その光は次第に大きくなり、巨大な炎の球体を形成していく。
(見たものを燃やすだけじゃないのかよ!?)
その通りだ。それでは弱過ぎる。
炎は段々と肥大化していく。女の憎悪を、怒りを、殺意を取り込み空間を飲み込んでいく。それはまるで太陽のようだった。
「ーーーーーああ」
それはまさしく彼が恐れているものだった。誰かを照らすためでもなく、なにかを温めるためでもない、なにかを殺すための炎。誰かのエゴによって作り出された殺意の炎。それを直視して狼が正気でいられるはずもなかった。
(死ぬ。避けられない。滅ぶ。誰かの悪意によって。いやだ。い…やだ…)
それは狼を狂わせるのではなく、狼を絶望させた。狼は膝をつき床を見つめる。
そう、彼らは勝てないのだ。それは始まる前から決まっていたことなのだ。それは絶対的に揺るぎなく、今、結果が訪れようとしていた。
「業火に焼かれて死ね」
女が剣を振り下ろし、太陽のような炎を狼たちに向かって投げ飛ばした。過程で周りの長椅子を燃やし、長椅子は炎に触れずとも灰と化していた。それは止まることを知らない女の感情そのものだった。
熱さが彼らを襲う。もう逃れられない。自らの無力を思い知り嘆きながらも、狼は目を瞑り、焼き尽くされる時を待っていた。
(………………………………あ……れ…?)
熱を感じる。なのに、体はまだ焼けていない。
狼はゆっくりと目を開ける。
「……ガイウス!?」
男が太陽をせき止めていた。
両手を掲げ、巨大な魔力障壁を展開している。それは依然黄金に輝いていたが、その輝きは太陽にも引けを取らなかった。
「な、なにしてるんだよ」
「お前は逃げればいい」
「は?」
男は背負っているのだ。それを簡単に捨てるわけにはいかない。これも単なる時間稼ぎに過ぎず。いずれ破られてしまうだろう。だが、狼を生かして帰すことはできる。それがせめてもの責任なのだ。
「馬鹿なこと言うなよ……ガイウスはどうなる……!?」
「死ぬだろうな……っ!」
「分かって……ならなんで……!」
男は狼に諭すように教える。
「俺は背負うと決めた。すべてを捨て、自らを殺し、全てを背負うと決めたんだ。背負ったからには生かす義務がある」
「そんなこと言ったって、ガイウスが死んだら意味ないだろ。ユーリィたちはどうなる。エルリアはどうするんだよ」
「お前が守れ」
狼は言葉を失った。決していい意味ではない。
「決めたのだろう、お前も背負うのだと。誰かに投げ出すことをせず、誰かの分も」
「そ、れは」
「ならばお前が俺の代わりになる他ない。俺の代わりに自らを殺し、他人の荷を背負って生きるしかない。お前があいつらを守ってやるしかないんだよ……!」
「でも、それじゃあ……」
今男にのしかかっているのは、責任感や義務感だけではない。この状況を招いたのは自分であり、狼を巻き込んでいるのも自分であるという罪悪感が、男を強くしていた。
その男は誰にも頼らず何かを為せるが故に。誰かを思えば全てを為せるが故に。常に誰かを思うが故に。
「それじゃあ、誰もガイウスを守ってやれないじゃんか」
その言葉を理解できなかった。
「……いいか、時間がない。お前は早く」
男はわかっていた。
狼の声は震えていた。狼は炎に怯えながら、それでも男を生かそうと必死にもがいている。ユーリィもきっと同じ気持ちだったのだろうと今更気づいた。
狼が自分の言葉を全て無下にし、巨大な炎に突っ込んでいくのを見て、男は気づかざるを得なかったのである。




