第120話 金輪
「ぼく、ここを出ていきます」
「なに?」
「ぼく、ここを」
「いや、うん。分かったよ。言いたいことは伝わった」
俺はフォード君と目線を合わせて、ちょっと黙った。
「急になに!?」
次の言葉はこれだった。
「お兄ちゃんたちは、たびをするんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、いつまでもおせわになるわけにはいきません」
「あー……全てを理解した」
良い子っ!! 良い子だぁ……が。
「じゃあ、どこにいくの?」
「あぐりくと」
「攻めるなぁ……」
アグリクト。ガイウスから聞いている。リヴァイアで一番大きいやつだと。伝聞だけだと具体的にどういう所かはイメージしずらいが、とにかく重要な場所だというのは理解しているつもりだ。
「何でそこに?」
「そこぐらいしか思いつかない」
「そういう感じかー」
悪いとは言わない。けど、フォード君はあまりに幼い。というか子供だ。大人の仕事場に受け入れてもらえるのだろうか。
ここで考えても仕方のないことだ。
「あとでガイウスに相談してみよう? それから、ガイウスに頼んでアグリクトの人にお願いしてみようか」
「うん」
フォード君は素直だった。今はガイウスの帰りを待つ他ないということを理解したのか、そそくさと子供部屋に戻っていった。
「変なところで大人びてるわね、あの子」
「ですね。ちょっと危なっかしいというか」
「分かるかも」
ユーリィは笑っていた。でも、どことなく乾いていた。きっと俺と同じことを考えているのだろう。
声に出してみた。
「……そろそろ、国を移動するタイミングですね」
返事は結構淡白だった。
「そうね。きっとみんなそう思ってるわ」
「……ですね」
サラさんのことは終わっていないが、今を逃せばずるずると伸びてしまうだろう。
「ガイウスからそういう話されました? 今後の予定とか」
「ちょろっとなら。一週間以内には発ちたいとか言ってたわね。決定はしてないみたいだけど」
一週間以内……やることは早めに済ませておいた方が良さそうだ。
「ちょっと出掛けてきていいですか」
「全然いいけど、どこにいくの?」
「森の方に」
「そう、いってらっしゃい」
俺は特に何も準備せずに、手ぶらで家を出た。
やることというのは、カカトカバネ達のことだ。ちなみに用があるのは俺ではなく彼らの方。一度呼ばれたんだけど、タイミングが悪くて後回しにしてしまった。
なので今日、彼らとの用事を済ませておこうというわけだ。
約束の場所は森の奥の、ラウントレイアの遺体が山となった場所。そこで現在のカカトカバネのリーダーと会うことになっている。
……日にちは決まってなかったから、もしかしたら何日も待たせているかもしれないんだけど。
「……いるなぁ」
約束の場所に着くと、現リーダーは既にいた。ちょっと風化したラウントレイアの瞳の真横。そこに、たった一匹で。
大きさは平均的なカカトカバネと同じ。ただ、鱗がやや黒ずんでいて、瞳が青黒い。脚も妙に筋肉質で、爪は手入れが行き届いていた。全体的にスタイリッシュ。
「お待たせ。待った?」
謝罪の意を全力で隠しながら、あくまでフランクに駆け寄った。
「マッタ。オソイ。三日モタッタ」
「あ、はい。すんませんした」
普通に怒られてしまった。三日間待たせたらしい。申し訳ない。
「それで、用事って何?」
内容はまだ聞いていない。だから後回しにしちゃったわけだけども。
「ラウントレイア様カラオマエニオクリモノ」
「贈り物……?」
山の後ろから新たにカカトカバネが一匹出てきた。口に錆びついた何かを咥えている。現リーダーの横に並ぶと、口に咥えたものを俺に差し出した。
「これは……」
手に取ってみると、見た目より軽かった。
輪っかだ。金属の輪っか。全面が極限まで錆びていて、錆の一部が手についた。毛にも絡んで少し不快感。
装飾品か? でも腕輪にしては小さいし、指輪にしては大きいし……。
「これは何?」
「シラナイ」
「知らないの!?」
そうなるといよいよ扱いに困るぞ、これ。
「ラウントレイア様カラワタセトダケ。絶対ニ失クスナ。用ハオワリ」
そう言い残すと、現リーダーは俺に背を向けて歩き出した。
「お、おい」
呼びかけても振り返ることはなかった。従者を連れて、森の奥に消えていった。
「……何だこれ」
貰った金属の輪っかを親指と人差し指で作った輪っかにぶら下げながら、俺も山に背を向けた。
「…….」
一度、振り返った。山はもう動かない。
「……もっと色んな話がしたかったです」
それだけ口にして、俺も歩き出した。
まだ昼前だ。天気は最高、気温も高くなってきた。木々の隙間から差し込む光は以前よりもうんと鋭く、意識がその温度に吸い寄せられるようだった。
「…………旅の再開かな」
どんなに不本意でも、それを止めることは俺にはできない。
「サラさんは……どこで何してんのかな」
どんなに知りたくとも、それを知ることはできない。
「……結構キツイな」
一度足を止めて、木々の隙間から空を仰いだ。少しだけ浮かんでいる雲を見ていると、自分まで浮ついてきた。
一度深呼吸をして、全力で駆け出した。木を避けながら、いつかと同じ速さで走った。腕も全力で振った。いつまで経っても疲労感はやって来なくて、それが少し怖かった。
家に続く道に辿り着き、速さを殺すことなく扉の取っ手に飛びついて、勢いそのまま中に飛び込んだ。
「戻りましたっ!!」
「きゃあっ!?」
居間にはユーリィがいた。とてもデジャヴ。
「ちょっと! 優しく開けてってば!」
「す、すみません!」
俺は木製の机を挟んでユーリィと向かい合い、金属の輪っかを握っている右手を机に叩きつけて尋ねた。
「やすりってありますか!?」
「………へ?」
ユーリィは何が何だか分からない様子だったが、俺が右手に持っているものを見て、一部察したようだ。
「ちょっと待ってね」
そう言い残し、外に出てシルフィーの荷車の方へ歩いて行った。少し経って、右手に金属製のやすりを持って帰ってきた。
「はいどうぞ」
「あるんですね」
「クレイの私物ね。壊しちゃダメよ」
「気をつけます」
というわけで、これからこのボロッボロの古びた金属の輪っかを磨いていく。ユーリィも付き合ってくれるらしい。
「磨き方ってありますかね?」
「どうなのかしらね? やった事ないから分からないわ」
俺も動画とかでたまに見たことがあるだけで、やった事はない。動画では、最初は機械を使っていた気がする。当然そんなものはここにはないから、
「地道に磨いていこうと思います」
「あら、すごく時間掛かりそうね?」
「他に思いつかないんで……」
まずは内側から磨いていくことにした。やすりを内側に当てて、しっかり圧しながら手前に引いた。するとボロッと、表面の錆が綺麗に剥がれて取れた。緑青のような気持ち悪い色の塊が机の上に転がって、金属の輪っかの本来の表面が露わになった。まだ錆はついてるから汚いけど。
「おー、気持ち良い」
「綺麗に落ちるものね?」
「こっからが大変なんですよね」
他の部分に取り掛かる前に、露わになった部分をさらにやすって綺麗にしてみようと考えた。どんな感じかコツを掴んでおきたかったし。
やすりを持って、再び内側に当てる。その段階で、
「……うん?」
露わになった部分に、文字を見つけた。俺はこの世界の文字が読めないから、一度やすりを置いてユーリィに聞いてみた。
「あの、これなんて書いてあるんですか?」
「ん? どれかしら」
「ここ、なんか書いてあります」
ユーリィは顔をうんと近づけて、文字を見た。
「……古い言葉かしらね。現代の知識じゃ読めないわね」
「そうですか……」
「ちょっと待ってて。ガイウスが古語に関する本を貰ってたはずだから、探してくるわ」
そう言うと、ユーリィは二階に上がって行った。そしてすぐ戻ってきた。
「あったわ」
「早っ」
「解読してみましょう」
辞書みたいに分厚い本のあっちこっちを開いて、ぶつぶつ呟きながら解読してくれた。ありがたい。
「やっぱ文字勉強した方がいいよなあ……」
不便で仕方がない。しばらくは生きていく訳だし、この際本腰入れて学業に励もうかな。
そこまで考えた時に、解読が終わった様だった。
「読めたわ」
「おお」
「でも、どういう意味か分からないわね」
「とりあえず内容だけでも」
ユーリィは辞書みたいな本を机に置いて、俺を見た。
「『アルフレッドに捧ぐ』……って、書いてあるわね」