第118話 枯れた大地を屍が這う 終幕
「こんな所に居たっすか。探したっすよ」
「……コラブルか。よく登ってこれたな」
「これくらいお茶の子さいさいっす」
「よく知ってるな、そんな言葉」
俺は屋根の上に横になって、一人で星空を見上げているところだった。誰かに見つかるつもりはなかったので、少し驚いた。
コラブルは怪我が完治していないらしい。右脚に包帯が巻かれている。そういう意味で「よく登ってこれたな」と言ったんだが、うまく逸らされてしまった。
「横いいっすか?」
「ご自由に」
コラブルは俺の隣に寝っ転がって、頭の後ろで両手を組んだ。
「めちゃくちゃ綺麗っすね」
「そうだな」
いつか見た空と同じ美しさだった。
「……コラブルはさ、俺が死んだ経緯って知ってるんだっけ?」
「あれ、今幽霊なんすか?」
「ちげえよ、前世で死んだ経緯だよ」
「ああ、知ってるっすよ。父親が原因だとか」
「そ。そう思い込んでた」
しかし、夢を見た。俺の幸せを願う父さんの夢……正しくは記憶。
「父さんじゃないんだ」
あの時警察を呼んだのは、父さんではない。あの言葉をかけられたのはたしか、俺が死ぬ前日だった。
「じゃあ誰っすか?」
「母さん」
「……そうっすか」
「ああ。証拠はないけど、絶対そう」
「仲悪かったって言ってなかったっすか?」
「最初からじゃなかったよ。俺が五か六歳の時は、普通の家族だったから。命の危険を見過ごすほど遠い関係じゃなかったと思う」
母さんはきっと、不安に耐えられなかったのだろう。だって、死にそうなのは俺に限らなかったから。父さんも危険だった。母さんにできるのは、それこそ警察に連絡するぐらいだっただろう。
「まあ仮に心配なのが理由じゃなくても、父さんが居なくなったら家計とか危ないしな。自然なことだよ」
言ってて少し虚しかった。
「お母さんのこと、嫌いになったっすか?」
「なんで?」
「アラタが死んだ原因ってことじゃないっすか」
「うーん……」
少し悩んで。
「分かんねえや」
分からなかった。
「………」
「………」
そこで会話が止まってしまった。俺は別になんとも思わなかったが、コラブルはそうではないようで、やがて口を開いた。
「何かあったっすか?」
コラブルは躊躇わなかった。
「……知ってるだろ? それで全部だよ」
「ほうほう、サラさんを殺そうとしてフォード君に怪我を負わせ、それを問い質してきたカルディアにも手をあげて挙句半日ほど姿を消した。これで全部っすか?」
「網羅してんじゃねえよ……」
弱く言い返すことしか出来なかった。
「ずっとここに居たっすか?」
「………ああ」
「嘘っすね。カルディアが持ち帰ってきた白骨が無くなってたっす。何処にやったっすか?」
「そういうの先言えや」
少しだけ腹が立った。
「骨はラウントレイアのところに持ってった」
「その心は?」
「……勘違いしてるだろうから訂正しとくけど、まず真っ先に骨を持って行ったわけじゃない。最初は手ぶらでラウントレイアに会いに行ったんだ。そしたらどうなってたと思う?」
「………? どうにかなってたんすか?」
「死んでたんだよ。首から上が無くなって死んでた」
衝撃だった。沢山のカカトカバネがラウントレイアの体の前で伏せていたから、間違いない。
多分サラさんの仕業だ。ラウントレイアはサラさんに負けたのだろう。なにせ彼は魔物だ。サラさんにしてみれば、手加減する必要などなかったはずである。
「だから一回戻ってきて、骨を持ってもう一回訪ねて、骨と一緒に弔った」
「悲しいっすか?」
「………少しだけ、な。三回しか会ったことないから涙とかは流せないけど、励ましてくれたから、ちょっと悲しい」
俺は彼に何も返せなかった。それも少し悲しかった。
「なんでここなんすか?」
「ん、なにが?」
「なんで屋根の上なんすか。見えるのは空だけっす。……だからっすか?」
相変わらず察しのいいやつ。
「そうだよ。悲しいのとか苦しいのとか、そういう面倒くさいのを忘れたくて、ずっとここで星見てた」
「忘れられたっすか?」
「………ああ。不思議なくらい、綺麗さっぱり消えちゃって。でもそしたら逆に、虚無感だけが残るんだ。それも苦しくて、見たり背けたりを繰り返してた」
「……ツラいっすね」
「………そうだな」
そこでまた会話が止まってしまった。
「言いたいことがあるなら言えよ」
俺から切り出した。鋭く、際どく。
「ええ? うーん………」
「なんだよ、そんなに悩むなよ。普通に言えって」
「だって言いたいことがあるのはオイラじゃないっすから」
「はい?」
「いい加減出てきたらどうっすか」
コラブルは屋根の縁に目を向けながら言った。
「おいおい……誰かいたのかよ?」
しばらく待つと、縁に小さな手がかけられた。しかし、その後は靴で壁を擦るような音がするだけで、登ってくることはなかった。
「ふ、フレアぁぁぁ……もっと押してよぉ」
「こうか?」
「ちょ待ってイタイイタイ! 変なとこ押さないでよ!」
「全く、ガイウスに頼めばいいものを……上から引っ張ってもらえ」
「デブーっ!」
「コラブル様と呼べっす」
コラブルは縁に寄って下に手を伸ばした。やがて少女が引き上げられた。俺は顔を逸らした。
「はぁ……はぁ……これだから身体魔法使いは。二階建ての屋根に易々と登るんじゃないよ」
「……っと。すまない、何か言ったか?」
「なんでもないよ!」
フレアは流石の身のこなしだった。
「アラタ。こっち見るっす」
俺は呼びかけを無視した。
「アラタ」
俺は体をゆっくりと起こして、ゆっくりと首を動かして、心の準備をしながらコラブルの方を見た。
「……カルディア」
「や、やあ。調子はどうかな?」
登ってきたのはカルディアだった。二階建てだから八メートルはあるはずだが、それを登ってきたのか?
「……言いたいことって、なんだ?」
俺は怯えながら尋ねた。カルディアはしばらくモジモジしていたが、その後真っ直ぐ俺に向かってきて、座った。そして、
「ご、ごめんなさい……」
頭を下げながら謝ってきた。俺はフリーズしてしまった。
「……ま、待てよ。なんでカルディアが謝るんだよ」
「いやぁちょっと言い過ぎたような気がしてね? それに、君の功績に目を向けないで一方的に批判するのも、如何なものかと思い直してね……」
「功績って、俺はなんもしてないよ。良いことは、何も」
「ケイオス=リヴァイアの核を破壊した」
「は……?」
「サラさんに関しては、君の功績は非常に大きい。一回目の戦闘では、君は一人で立ち向かって、犠牲者はおろか怪我人も出さなかった。二回目の戦闘でも、僕を離脱させて怪我一つ負わせなかった」
カルディアは、俺に構わず俺の功績とやらを語り続けた。
「自己犠牲っていうのはあんまり褒められたものじゃないけどね、それが最善手の時だっていくらでもある。アラタはそれを適切に選んだだけだ。責められることじゃない」
「……やめろよ」
「フォード君が来たのが予想外過ぎただけだ。少年はきっと、クレイに連れられなくとも一人で行っただろうからね。むしろそこで少年の意思を尊重した君を、僕は賞賛するべきだった」
「やめろよ」
耐えられなかった。
「問題はその後だろ。その後で、全部台無しだ」
「僕も初めはそう思ったよ? でもね、よく考えたらそんなことはないんだ」
「なんで」
「傷ついた人はいるけど、死んだ人はいない。結果として君は、犠牲者を一人も出さなかった。結構すごいよ、これ」
「違うじゃんか!」
思わず声を荒らげてしまった。
「火傷だって軽いもんじゃないだろ……殺そうとしたのに……!」
「避けられなかった。多分君は、何があっても結局サラさんを殺そうとしたよ。少年があそこに行っちゃった限りはね」
「でも!」
「悩むことじゃないんだよ。もう過去のことだ。他にどんな手があったとしても、君が実際に選んだ手が最善なんだ」
カルディアは決して俺を責めなかった。俺はそれが嫌だった。
「やめろよ……責めろよ。叱れよ」
「どうしてかな?」
「カルディアが言ったことは全部正しいんだ。サラさんを殺すためにカルディアを帰したわけじゃない。フォード君を傷つけるために特訓してたわけじゃない……ああ、違うんだ」
そこでまた溢れてしまった。涙声になりながら、頑張って絞り出した。
「人殺しするために、強くなりたかったわけじゃないのに……っ」
俺はまた泣いた。コラブルが背中を撫でてくれた。カルディアは焦りながら、必死に声をかけてくれた。それらは俺の涙腺を余計に刺激した。
その後の夕食の席で、サラさんの夫が自殺したことを知った。夕飯は、不思議なくらい味がしなかった。
以上がことの顛末。リヴァイアでの出来事は、俺たち各々の心に陰りを残して、ある程度の収束を迎えたのだった。
〜枯れた大地を屍が這う 終幕〜