ラブカクテルス その99
いらっしゃいませ。
どうぞこちらへ。
本日はいかがなさいますか?
甘い香りのバイオレットフィズ?
それとも、危険な香りのテキーラサンライズ?
はたまた、大人の香りのマティーニ?
わかりました。本日のスペシャルですね。
少々お待ちください。
本日のカクテルの名前は数多くのいきさつでございます。
ごゆっくりどうぞ。
私はいつもの店のドアを開けた。
なんとも言えない、いい雰囲気のBGMが耳に心地よく入ってくる。
ここは私のイキツケの店。
仕事帰りに毎晩のように立ち寄る、カクテルが支流のカウンターバーだ。
それほど広い訳ではない店内は少し薄暗く、カウンターの上に優し赤色の傘が掛かった照明が、席と同じ分だけ天井から繋がった垂れ壁から、まるで鈴蘭のように伸びている。
それが店中を流れるピアノの曲やモダンジャズなどの雰囲気に似合う光を絶妙に創りだしてたのだった。
私はそんなカウンターの一番奥のいつもの特等席に腰を下ろす。
そこはカウンターの端が、程よい段差になっていてちょうど私の肘が心地よくハマるのが特等席の理由で、必ずと言ってもいいほど私が来るとその席は空いていて、まるで私を迎えているようであった。
そして私を迎えてくれるもうひとつ。
中年少し前といったところの、この店看板のバーテンダーがグラスを磨きながら私に近づいきた。
ゆっくりとジャケットの内ポケットからタバコを出して一本くわえると、バーテンはいつものようにキレのある金属製のライターを、どこから出したかわからないくらいの速業でそれに火をつけてタバコへと火を移してくる。
私はそれに応えるように、いつものね。とオーダーを入れると、バーテンダーはまたどこにしまうのか見てわからないくらいのスピードでライターをサラリと消しながら、いつもありがとうございます。と、流れるような動きでカクテルを作り始める。
これが常連である私のプロローグであった。
一杯目に出されたそのカクテルはバイオレットフィズ。
甘く夜を妖しく彩るその色は私の大のお気に入りだ。
私はそれに一口口付けし、今夜また出会えた恋人を慕うように、それを味わう。
実に優美な時間だ。
私は少しニヤけそうになりながらも、姿勢を崩さずに流れるピアノの音符に身を任せてこの一時の幸せを感無量と、もう一口体に染み込ませる。
そして灰皿に置いていたタバコをまた手にとって深く吸い込んだ。
まるで南国の夕日に照らされた砂浜、そしてそこに一つだけ建てられた椰子の葉で作られた屋根のある、あのビーチバーに座りながら飲んだカクテルを思い出す。
そしてあの時に覚えた親父の好きだったこのタバコの味。
そう言えば、あの島ときたら去年だったか、噴火したんではなかったっけ。
椰子の木も皆吹っ飛んだとかなんとか。
私はそんなことに想いを耽りながら二杯目を頼むことにした。
今度はテキーラサンライズ。あの刺激は、甘い一時から一気に目を醒まさせる、実に病み付きになる一杯だ。
それを、いつもと同じようにカウンターから出してきたのは、この頃入った新人のバーテンダーだった。
彼女は今時の金髪がよく似合う、かわいいというよりは綺麗な顔立ちの女性だった。
そう言えば彼女は、最近見なくなった、不幸な役がヤケに似合う、あの女優さんに横顔が似ている。
しかしいつだかそれを彼女に言ってみたら、彼女はそんなことはないと思うと言い、女優はともかく、自分の夢は歌手になることらしく、子供の頃から独学で続けているダンスも得意で、今度オーディションがあるという。
歌う事も好きで、たまにどこだかの駅でギターを抱えて弾き語りなんかもしているらしい。
そんな彼女はいつもの笑顔でグラスを私の元へと運んできてくれた。
私は彼女と会話をするのが最近の小さな楽しみになっていた。
そしてグラスの礼を言いながら、今夜もその楽しみに酔う。
彼女にはいつも私の近くで起こる変わった事や、旅の話、小さい頃の話なんかを聞かせるが、彼女はそれがとても気に入っている様子で、いつも私の席の前から離れようとしない。
そして今夜もどんな話を聞かせてくれるかと目を輝かせていた。
私はそんな彼女に話をし始めた。
先日の事だ。
道を歩いていた時に、突然空から女性の声がした。
するとその途端、目の前に羽根がある女の人が降ってきたんだ。
彼女はうっそーっと驚いた。
私は続けた。
きっと嘘じゃないと思う。だけどあまりのことに腰を抜かして倒れてしまい、気絶してしまって、気づいた時にはもういなかった。
しかしその記憶だけはしっかり頭に焼き付いているから不思議だと話を進めると、彼女は変わったコスプレかしらね。と、現実的に解釈した。
無理もない。
見た者意外、そんなことを受け入れるのは難しい。
私はそれを無理に押し付けるように話を繰り返すことはしないが、冗談だと笑かすこともしない。
なぜなら真実は曲げられないからだ。
私は話を変えることにした。
あまりしない話だが、仕事の話。
私は飽きやすいタイプの人間で、職を色々変えてはのめり込み手に職をつけて、ある程度すると飽きて、また新しい事を始める。
だから経験豊富なのだが、ちがう言い方をすれば才能に溢れ、性格も起用だということになる。
そんな中から私は、以前にしていた運送屋の頃の話をし出した。
あの頃は思い起こすと色々あった。
ある海岸線の高速道路を走っていた時に、なぜか私のお気に入りの曲ばかり聞こえてくる不思議なラジオ局があって、私はそれを聞きながら叫ぶように歌を歌い、夜中を駆け抜けた。
サザンクロスの彼女という曲が最高に好きだというと、彼女は首を傾げた。
確かに古い曲に違いなかった。
私は話を切り替えた。
ある時の客先の屋敷の事だ。
着いたはいいが、玄関から屋敷までの道のりが、異常なまでに遠い距離で、そうそうそういえば、そこで出会ったピザ屋の女の子と必死に荷物を届けようとするうちに、恋に堕ちたっけ。
なつかしい。
私はグラスにまた一口つけて、そして話の続きを始める。
ある食材の配達をしていた時期の相手先の話。
それらはかなり繁盛していた店で、それはそれは忙しかった。
ほら、この頃テレビでも有名なあの行列が絶えないラーメン屋。
噂の食通まで虜にした名店や、最近海岸近くにオープンした地中海海鮮レストランなんかは得意先だった。
あそこは羽振りが良くて、この頃店舗を増やすくらいの勢いらしい。
彼女はその店に行ったことがあり、本当に美味しく、歯応えのある店の看板料理は最高で、ハート型のパスタもお洒落でいいと絶讚した。
そして私に笑顔を見せながら、その他にどんな仕事をやっていたのですか?と好奇心溢れる目を輝かせた。
私は軽くはははと笑いながらグラスを傾け、建築業界も長かったよと話を続けた。
あの頃は資格を散々取って、色々な機械に乗ったりして、それはそれで楽しかった。
ビルの上のクレーンなんかも乗ったことがある。
そういえば、その時同じ現場の隣のクレーンに若い女のオペレーターがいて、彼女はかなり操縦が上手かった。
そのせいであちこちの現場から引っ張りダコになって、相当稼いだ後に小さなレストランを開いたらしい。
確かメキシコ料理だかなんだの、カウボーイをイメージしたような内装の店で、ランチが評判だった。
あの頃のその店がある辺りは意外と寂しい駅の近くだったらしいが、その後にあの駅のある路線が、あの有名なパチンコ付き電車を走らせた路線だったから、彼女にとっては大当たり。
今では新幹線までが連絡するような大きい駅になって、あの周りは大変身した。
そうそうそいえば、最近ほら、その新幹線が駅も止まらずに走って行ってしまったり、痴漢かと思って取り押さえられた男が殺し屋だったなんていう、変わった話題が絶えないあの駅だよ。
今は、映画宇宙の何とかの売り出しで、凄い大きいロボットのオブジェが飾られて、人なんかもかなりの賑わいらしい。
でも彼女、今はレストランから落ち着いた、名画なんかを飾る喫茶店にしたなんて聞いたよ。
近くの学校の学生さんなんかがよく寄っていくようだけど。
私はというと、クレーンのオペレーターは退屈すぎて直ぐに辞めてからまた、あちこち様々な職に就いた。
墨出し屋と言って、建物を建てる時の基準を測ったり、それら印をつけたりする仕事は、変な設計士に気に入られたはいいけど、私の性格に合わない仕事ばかり押し付けられて永くは続かなかった。
それから今ではそんなに珍しくない、あの防衛用可変型マンションや、オプションで空を飛べる戸建てなんかも造る大工や鳶職なんかもやったし、それはそれは高い鉄塔なんかも建てたっけ。
あれはあれでボルトが多くて苦労したよ。
彼女はそんな話に、大変そうね。と相槌を打った。
少し現実的すぎる、今の雰囲気に合わない話題を変えようと、私は子供の頃の話をした。
それは小学生くらいの時。
隣に住んでいた女の子が好きで、でもなかなか話す機会がなかったそんな時、いきなり始まった条例、近所交流のための食事会を隣同士で行う決まりなんてのが出来て、そのお陰で僕と彼女は仲良くなった。
でもそれって誰かが勝手に作ったイタズラだったみたいだけど、僕にとっては素敵なイタズラだったよ。
僕はそれを言い終わるとグラスの残りを一気に飲んで、でもその後に親の仕事の都合で直ぐに引越しをして、彼女とはそれっきりになったんだ。と、次のカクテルを注文した。
マティーニ。
落ち着いた大人の時間にふさわしい一杯。
彼女はそのグラスを私に出して、それから?と話を促す。
私は、引越した先がかなりの田舎だったと続けた。
そこでは一人の少年と親友になったが、彼は寺の住職さんの子供で亀を飼っていたんだ。
それでその寺は山の上にあるのだけれど、
私はそこまで話をして思った。
その山まで巨大な亀で、それが村守護神だなんてことを彼女に言っても、きっとそんなこと、信じないだろう。
私は話を振り替えた。
その山のてっぺんにあるその寺に行くと仙人がいて、なんでも願いを聞いてくれるという言い伝えがある有名な寺だったけど、それはそれは登るのが大変で、たどり着くまでには相当骨を折る山だった。
私は若くだらしなかった頃に知人に言われて登ったあの山の話をした。
それからまた引越しをした子供時代に話を戻して、中学生の時の悪だった友達の思い出を繰り出した。
アイツとはケンカも互角で、いいコンビだったが、今度はアイツの方が引越した。
私は親に振り回されっぱなしだったこともあって、一人でその友達を探して旅に出た。
あれが私の初めての旅だった。
彼には会えたが、親にはかなり怒られた記憶があるよ。
そこで私はやっとマティーニに一口つけた。
それから私はなかなか手を焼く青年期を迎えて挙句の果てに、親父に言われて漁師の修行へ出ることになったが、あの航海で私達は龍を見た。
海の守り神だそうだ。
しかしその漁師も、言うまでもなく直ぐ止めて私はケンカの腕を買われて不法投棄の取締り部隊のアルバイトをしばらくやった。
その時に仕事で勧められた薬、アナドレナリンはかなり効果があったよ。
それでもあの埃の外の世界にまで仕事に行かされそうになったこともあり、また私は転職することになった。
でもその頃といったら職業難で、次は仕方なくバイトでファーストフードカフェのキッチンをやったが、そこの店員で好きな子ができた結果は、その子が実は元男だったことにショックでまた転職。
それで移ったアルバイトの牛丼屋。
そこでも同じバイトの女の子に惚れたものの、彼女には好きな男がいると言われてフラれてしまった。
しかし彼女、その男に気に入られようとするあまりに、色々と顔を変えたらしい。
整形だとかして。
そうそうそういえば、その牛丼屋をやっている時に驚いたのが、ある時に結婚式の二次会だといって大勢の礼服をきた人々達がぞろぞろと来て、自分の作った牛丼に感動していたなんてことがあった。
あの客達ときたら大袈裟で、いったいなんなんだって感じだった。
私はそんな話をしたものだから、少し口が寂しくなった。
それでツマミを頼もうとメニューを見ると、珍味鍋、マヨネーズラーメン、ヤドカリといそぎんちゃくの壺焼き、それにデザートで鼻柿なんて変わったメニューばかり。
私はそんな中でも唯一まともなメニューであったサンマの塩焼きを頼むことにした。
まぁ、旬だし魚は悪くない。
彼女はそのオーダーを聞くと、カクテルもおかわりしますか?と付け加える。
とりあえずマティーニが、まだかなりグラスに残っているのを見せると、彼女はわかったわと奥へ注文を入れに入っていった。
そんな彼女の背中を目で追いながら、私は今での自分の恋愛に想いを馳せた。
初めて付き合い、同棲した彼女は、不幸な事に一緒になってすぐに亡くなってしまった。
確かに病弱で寝たきりだった彼女。
しかし最期、私が部屋に帰るとそこは荒らされて、彼女はベッドの上で息を引き取っていた。後にその荒らされた事が死因の原因ではないとされたが、私は謎を残したその最期に心閉ざした。
しかしその後付き合った彼女は、そんな私を癒し、元気付けてくれ、結婚した後もしっかり者でやりくり上手だったせいで、生活はなかなか安定し、例のポイント税の時などは家族一丸となってかなりの減税に貢献した。
彼女のお陰で幸せな毎日が流れた。
それだから私も家族を大事にし、仕事仲間と飲みに行くには必ず小さかった子供を寝かしつけてからでないと行かなかったし、たまにチビを公園に連れて行っては、桁外れの砂山を作ってみたり、食事のときなんかは、明るい食卓になるように、一発オナラをかましてから箸を持ったり、子供達が恐い夢を見ると言って泣けば、夢の中まで助けに行ったし、また、雨が続く休みの日には、変わったレストランなんかに家族を連れ出したり、彼女の誕生日には毎年色々な催しを企画して、その中でもホテルでの招待は彼女もご満悦だったらしい。
しかしそんな彼女も今は病に倒れてしまって意識がなく、入院生活を送っている。
彼女の実家はあの有名な白い蛇を奉っている神社の近くにあり、小さい頃から変わった子供だったらしく、学生の時は周りが履いているスカートが短いと、とんでもなく長い裾のスカートを履いてはそれを流行らせたり、いきなりバイクに跨がってみたり、かと思えば、地下室付きの一軒家を借りて、そこで一人バカンスと、誰にも告げずに籠ってみたり。
そのおかげで、ちょうどその時にきた大地震でしばらく閉じ込められて死にそうになったり。
でもそんな彼女も大学時代に突然白血病になり、しかし運よく彼女の友達が例の特殊な脊髄の持ち主の、あの彼女だったせいでなんとか命は救われ、それがきっかけで、前向きで元気な性格になったと昔、笑って話てくれた。
しかし、人生の後半は私のせいでかなり苦労させて、挙句に倒れてしまったのだった。
子供が巣だってから、丁度その頃に目を患った母を私は預かることにしてみたものの、世話は殆ど彼女に任せて、私は仕事に比重を置いた。
いや、きっと逃げたのである。
それに母はきっと気付き、無意識に彼女に当たっていたに違いなかった。
しかしとうとう母が亡くなり、しばらく彼女は落ち着いていたが、歳なのか、突然倒れた彼女は意識不明となった。
そして私は、毎日仕事を定時で切り上げては彼女のところに顔を出して、帰りにここに寄っていく生活を繰り返すようになった。
また私は逃げているのだろうか。
そんなことを考えいるところにバーテンの彼女がサンマを持って帰ってきた。
私に浮かない顔をしてどうしたのかと聞いてくる。
私は首を横に振り、なんでもないと無言の返答をした。
すると彼女は、私には人の心を読む不思議な力があるのよと、クスクス笑いながら言い、奥さんの事を考えてらしたのね?と驚きの質問をしてきた。
私はなんでわかったのかと聞くと、彼女は、だから言ったでしょと、イタズラ混じりの笑いを私に向けた。
そして、図星ね。とまた笑いながら頭にスラッとした白い指を差して、ピピピとくるの。とおどけた。
私はからかうように、他には何が解るのかと聞くと、彼女はクスクス笑い、内緒と後ろを向いた。
私は仕方なくサンマに箸を入れて、グラスを傾けた。
そして少し小刻みにジャズのリズムに乗っていると、二つくらい離れた席の男性が、失礼ですが少しお伺いしてもいかがですか?と話かけてきた。
私はどうぞと迎え入れて、なんなのだろうかとその話を聞くと、彼は名前を名乗ってきた。
彼は黒川と言うらしく、私に白川さんではないですか?と尋ねてきたので、私が違いますがと、自分の長い長い名前を答えると、これは失敬と席を立って帰っていった。
よくわからない人だ。
私はまた、さっきの続きでサンマをつつこうとすると、ふと、この頃また出てきた腹になんとなく視線が落ちた。
少し飲みすぎだろうか?
なんとなく腹を擦ってみた。
そんなところをひょっこり戻ってきた彼女がまたクスクス笑うのを聞いて、私もクスクス笑うのだった。
その恥ずかしさを隠すように私はいきなり話題を振った。
そういえば今度降りてくる女性だけの国、愛国が国民を募集していたが、君は行かないのかね?
すると彼女は、それも面白そうだけど、やっぱり女性には男性と一緒に幸せになるのが一番だと思うと言い、こんな時間も女だけだと味気ないとあっさり答えた。
そしてどんな男性が好みか聞くと、彼女はそうねー、としばらく考えながら、最近結婚したあのイケメン俳優なんて素敵だと思うと、彼が昔から好きだった一般の人と念願叶ってした結婚のが感動的と少しはしゃいだ口調で話しているのが、まるで恥ずかしさを隠しているように感じた。
そして少し前までの彼女は、かなりのワガママだったらしいのだが、ある時その彼のポケットに入って、色々彼の日常の苦労を見て回った、そのおかしな夢を見てから、自分のスイッチを入れ換えたと、付け加えた。
それで最近は彼とはうまくいっているそうだ。
その話の続きををなぜだかあまり聞きたくなくて、私はとっさに世間話を始めた。
しかし、この頃は妖怪達なんかも市民権を取って政党まで建てるし、バーチャルでの架空の世界の異性と結婚できるなんて法案もできるし、わからない世の中だと私がぼやくと、彼女はあらっ、そぉ?とそんなことないけどと、話を始めた。
だって、この前に噂の地獄ツアーに行ってきたのだけど、あれったら大変なものよ。
案内はカワイイ子供のお化けなのだけど、その地獄といったら悲惨で一生ずっと、知らない者同士が意味もなく毎日殺し合う世界なの。
あれは酷かったわ。
それから別の、昔ながらの鬼の拷問エリアには、元々どこかの星の住民だった彼らが、それはそれは残酷な種族で、国の奪い合いばかりしては殺し合うところを地獄の閻魔に認められ、鬼にされた後に、地獄と化したその星で思う存分悪人を懲らしめる地獄第二惑星になっていて、そこは映像でしか見なかったのだけれど、やはり目を覆いたくなるほどの悲惨さ。
あれを見たらきっと、こっちでの犯罪なんてかなりなくなるに違いないし、それって妖怪達の発想のお陰でできた防犯の一つだし、しかもそのツアーの最後に観るおまけの、ゾンビ達のダンスショーや、閻魔大王の奥さんにあたる、人魚姫の出してくれたランチはヘルシーで、全てがこの世のものとは思えない豪快さで見事だったと、目をキラキラさせた。
私は思った。
世界もそうだが、やはり人は星から離れて暮らしてきて、その後このコロニーに移ってきたものの、あんなに悲惨な地球からの脱出をも歴史の果てに忘れて、そしてこの現在。
平和ではあるが、おかしいと思うことがだんだんと麻痺しているのだろうか?
それともやはり思想も順応して進化しているのだろうか。
地球にいた人類は環境破壊などに加えて、バカな学者達が行なった地転を止めるとどうなるなんて実験が原因のトドメを射して、一部のそれを除いて、大部分が海にのまれた。
そして生き残りも苦労の末に、途中まで完成していたこの地球そっくりのコロニーを完成させて、そして今また地球に調査団を派遣するまでにはなったが、なかなかその調査団は、送っても送っても、もう何百年も帰って来ないと街頭の巨大なテレビのニュースでやっていた。
私は行ったことはないが、やはり地球へ行ってみたい。
いつだったか、とてもキレイな、花、というものを写真で見せてもらった瞬間、この目で見てみたいと思った。
しかしその紙を持った旅人はそれ以来会っていない。
無事に花を見つけられたのだろうか。
私はグラスに口を浸けながら、そんなことを考えていたせいで、その動きをしばらく止めてしまっていた。
彼女はそんな私にお構いなく、そういえば、この前に彼からもらったバッグが素敵だったとまた。目をキラキラさせた。
そのツアーに持っていったそれは、今流行りの魚の皮を使ったものらしく、特にシャケは最高の肌触りらしい。
私は我に帰ったように止めていたグラスを傾け直し、そんな彼女に微笑みを投げ掛けようとすると、突然、この店の他の常連が口を挟んできた。
私は彼が苦手だった。
彼は今売れている、大きい声で言えない、官能小説家だった。
先日出した新作、修行の後に。という新刊が一部で話題を呼び、またヒットを飛ばしたと、本人から自慢話を聞いた。
少し前に会ったときは、飲みすぎで十二指腸宴会がなんとかで、入院をしなくてはならないと言って、それでしばらく顔を見ずに済んでいたが、どうやら退院したらしい。
彼も昔は素晴らしい恋愛映画、永遠の胸の指輪という作品を書いて、世間で大絶讚されたが、そのヒットが大きすぎたために直ぐにスランプになっり、しばらく表出て来なかったのは私も知っている。
しかしその後、彼が何の気なしに通っていた普通の主婦が経営するスナックに通い始めてから彼はなぜだかあっちの話がよく書けるようになったそうだ。
何か秘密があり、しきりそれを知りたいかと話してくるが、私はその何度もしてくるしつこい話を断り、でも彼は毎回も懲りずそれを聞きたいか?と絡むように始める。
雰囲気も何もあったものではない。
私は早々ここを引き上げることにした。
店を出て、私は空を見上げた。
そしてふと、隣を見ると、怪しい店がいつの間にかできているのに気付き、何の店だろうと覗こうとすると、ドアの向こうから若い男性がすっきりした顔で出てきた。
その後ろから艶かしい女性の声がまた来てねと、聞こえたので、私はやはり入るのを止めて家に戻ることにした。
電車の吊革につかまりながら、向の席で話す中年の女性の語尾、ザマスザマスを何だか気にしながら、最近の若い歌手だろうか、カワイイ女の子のポスターに目をやる。
そしてその隣にある奇才の画家と、謎の化石の展覧会のポスターに目を移して、その二つのポスターの色合いがやけにチカチカすると、天井を見た。
その天井には、最近の研究から生まれた育毛剤の宣伝と、使命と名を打った映画の宣伝ポスターが、細かい文字と一緒に書かれてあり、それに余計、頭をフラフラさせられる。
疲れているのだろうか。
私はゆらゆら揺られる電車の中で、まるでプカプカ浮いているような錯覚に、いや、錯覚ではなさそうだった。
またコロニーの重量制御装置の故障らしい。
ふと見た窓の外の、赤いオープンカーの女性も、車ごと宙を浮かびだした。
仕方なく他の客と一緒に、私も外へ出て、低空を泳いで家へと向うことにした。
途中、サンタを見かけた。
もうそろそろ彼らも忙しい季節になるなと、私はサンタはいつも飛んでいるから無重力なんて関係がないのだろうと、高く飛ぶそれを見ながら背泳ぎをした。
家に着いて、寝る支度もまだ浮いているままではできないため、仕方なく浮いたままのテレビをつけると、オナラがなんだかいい匂いがするなんてくだらないバラエティや、このプカプカの原因の制御装置の修理の見通しを伝えるニュース、ありふれたドラマに呆れてスイッチを消した。
そしてカレンダーに目をやる。
後一日。
呟いてみた。
そして浮いたまま目を閉じて、そのままいつの間にか寝てしまったのだった。
次の日、私は普段通りに仕事に行き、そして病院に寄って家内の病室を訪れた。
すると隣の病室が賑やかなので覗いてみると、意識がなかった女性の患者さんが目を覚ましたらしいとわかった。
私はその旦那さんによかったですねと声を掛けると、その人は複雑な表情を浮かべて、目が覚めて直ぐに、別れてくれと言われたと言いながら肩を落とした。
私はその様子の旦那さんに掛ける言葉がなく、一礼して家内の病室に戻った。
私は家内の顔を見て、私のこともそう思っているのかと、小声で聞いてみたが、彼女は何も反応しなかった。
私はそれでもいいと、彼女の額に口付けをして、最後の別れをした。
私はその後、いつもの店には寄らずに真っ直ぐノウリッシュに向かった。
私の寿命は今日までだ。
家内が入院して意識もなく、残り少ない時間、別にすることもなく、仕方なく仕事と病院には行ったが、家内の意識が戻らなかったのは悔いが残る。
せめて別れをあんな形で済ませたくなかった。
しかし逆に考えればよかったのかもしれない。
幸せならば別れも辛いのだろうから。
しかしまるで、黙ったままで行くようで、逃げるようで、しかしもう時間だ。
私は受付を済ませると、ノウリッシュのシェルの中に寝そべった。
すると何だか脊髄がムズムズする。
どうやら、いつの間にか私に寄生したやつがいたらしい。
まぁ、今は相棒なのだろうか。
気持ちよく亡くなろうじゃないか。
そう私が呟くと、不思議と背中のムズムズは消えた。
いよいよ、システムの操作をコンピュータが作動させた。
私はお先にと、心の中で家内に叫んだ。
しかし、
しかし、不思議なことに、何だか世界は、いや、時間が、逆さに進み、いや、戻り始めたようで、私は若返り始め、どうなっているのかはわからないが、私はまるで巻き戻されるように時間をさかのぼっていた。
そんな強烈に戻る意識の中で私思った。
できればまたやり直したい。
悔いが残らない人生を。
しかし戻る時間と共に、そんな意識も脳裏から薄れていくのだった。
おしまい。
いかがでしたか?
今日のオススメのカクテルの味は。
またのご来店、心をよりお待ち申し上げております。では。