プロローグ
「ソティ……見えるかしら。赤い布がヒラヒラしているでしょう?あそこにはね、神様が住んでいるのよ」
母は私を抱き上げそういった。
――……唯一見える壁の向こう側。
壁よりも高く積み上げられた四角い岩の上には、赤い綺麗な布が今日も主張をするように風に揺られている。
赤は神様の色。あの岩の山は神様の“おうち”だと教えてもらった。
ご飯が食べられるのも神様のおかげ。神様は私たちが飢えないようにと、天使に食べ物を運ばせている。
お家が暖かいのは神様のおかげ。神様は私たちが凍えないように、天使に布を運ばせている。
私たちが生きていられるのは神様のおかげ。神様は私たちに危険が及ばないように町に壁を作ってくれた。
母はいつも神様の話をする。
そんな母に一度だけこう訪ねたことがあった。
――……神様にあってみたい
そんな私に母は
「神様はね、人間には会えないのよ」
そう、悲しく微笑んだのを、会えなくなった今でも覚えている。
***
まだ外が明るくなりきっていない時間に、私は食べ物を受け取りに小川まできていた。
小川は唯一天使との交流場所。
天使はとても気まぐれで、食べ物の量も種類もまばらで、たまに布や変わった道具を人間に贈ってくれる。
私の持っている縄で編まれた籠も天使からもらったものだ。
両手では持ちきれない食べ物も、道具も両手以上に持ち運ぶことができる。とても便利すぎるもので、私以外に持っている人は数少ない。
私たちは、そんな便利な道具を「神様の贈り物」と言っている。
神様は壁よりも高いところに住んで、人間をみんな見てくれている。頑張っている人、優しい人にはこうして、神様の贈り物をくれるのだと教えてもらった。
「……今日はタイミングが悪かったわね」
私は食べられる食べ物をすくい上げ、籠の中を覗く。
青い果物がひとつに野菜が7枚。それ以外の食べ物はどれも黒くなっていたり、骨だけだったり、食べられなくなっていた。
天使からの贈り物は、時間もまばらで、いつ来るかはわからない。
村の人も各自が受け取りに来るものだから、手遅れな時もある。
また、受け取るのが遅れてしまったら、天使が機嫌を損ねて「食べられなく」してしまうのだという。
私は食べられなくなってしまったものを布袋につめ、小川を後にした。
*
小川が見えなくなるまで、小道を歩き続けると、一人の男性の姿が見える。
「やぁミオソティス!今日は天使の贈り物はどうだったかい?」
「こんにちは、ダナヴィス。ダメだったわ、昨日は夜ふかしをしてしまったからかしら」
私は布袋を大きなスコップを持った男性へ渡し、そう言った。
「おや、珍しい。昨日は寝れなかったのかい?」
「夜中に喉が渇いて目を覚ましてそれっきりよ、水を飲んだら目が覚めてしまったわ」
「夜でも神様は見守っているということだな」
「神様も少しは目をつむって欲しいわ」
「ははは、ミオソティスは美人だから、神様も目が離せないのさ」
「ダナヴィスにはかなわないわ」
豪快に笑う彼、ダナヴィスは私よりうんと背が大きく、ふさふさと生えている髭は男の勲章だといつも自慢げだ。
私の亡き母よりも年上で、母とは小さい頃から仲良しだと聞いている。
ダナヴィスは自慢のスコップで土を掘り起こすと、そこに食べられなくなった食べ物を入れ、土を被せる。
これが彼のお仕事。
食べれない食べものをそのまま小川に置いておくと、天使が機嫌を損ねて贈り物をしなくなってしまう。しかし、食べられないものは私たちではどうしようもできない……そこでダナヴィスのお仕事が必要になるのだ。
食べられない食べ物を土に埋めると、土がどんどん黒くなり、黒くなった土は神様にお供えする、と……いつだったか、聞いたことがある。
彼は数少ない壁の向こう側と直接交流ができる人間の一人だ。
「今日は壁の向こうにいくの?」
「いいや、今日は行かないさ。」
「……そう」
私が持ってきたものを埋めながら簡潔に答える彼の答えに、私は気分を落とすように返事をした。
「ミソオティス……きみは」
「大丈夫よ……わかっているわ」
「……そうかい」
彼が言いたいことは、わかっている。
ずっとずっとそう言い続けられているのだもの。
「私もう行くわね、ご飯の用意をしなきゃだし、今日はアーシャに袋を作る約束なの」
「あぁ、気をつけて帰りなさい」
「えぇ、ありがとう」
私はダナヴィスから空になった袋を受け取り、へにゃりと笑いながら手をふる。
アーシャは私の家の近くにすむ女の子。私はダナヴィスのようなお仕事ができない代わりに、川を綺麗にしたり、食べられない食べ物をダナヴィスに運んだり、縫い物をしたりする。
それが子供の仕事だ。
言葉が話せるようになると、赤ちゃんは子供になり、仕事を覚える。
男の子はスコップが持てるようになったら、大人となり、ダナヴィスのような仕事をするようになる。
女の子はいずれそのときが来たら、身体が大人だと教えてくれる。そして子供を産み、子供を育てる仕事をする。
私の友達はみんな大人になっているのに、私は未だに子供のままで、今もこうして子供の仕事を続けているのだ。
村のみんなは
「ミソオティスは壁の外に憧れるから、まだまだずっと、子供なのよ」
そういった。
「ソティ!」
可愛らしい声に、私は顔をあげた。
家の前で自慢の黒い髪をなびかせ、手を降る少女……アーシャの姿が見えた。
「アーシャ、約束は日が昇ってからじゃなかった?」
「だって今日からお仕事をおぼえるの、たのしみだったんだ!」
アーシャは私の籠を持ちたがるように手を伸ばした。
アーシャは赤ちゃんの頃から、私にとてもなついてくれて、私のお仕事をいつも興味津津にとなりで見ていた。
「わたしもソティのようになりたい」そういう彼女に、照れくさいながらも誇らしくも思っているのは隠せない。
「でもアーシャ、子供になる前に何度も私のお手伝いしたわ。あなたはもう立派な子供じゃないかしら」
「ほとんどソテイがしてくれたよ!アーシャだけはまだ一度もないもん!」
拗ねたように頬を膨らませる姿が、とてもかわいくて、思わずクスクスを笑みをこぼす。
「じゃあ素敵な袋を作らないとね……」
私は籠で両手がふさがっているアーシャが家の中に入れるように扉の布を開けてあげる。
鮮やかな色の布はとても貴重でめずらしく、青い布で出来た私の家は自慢の一つだ。
この布は、亡き母がもらった「神様の贈り物」それを受け継いだのだ。
「ソティのお家いつ見ても素敵」
「ありがとう、アーシャ。でもアーシャの髪飾りも素敵じゃない」
アーシャはいつも髪をひとつに高く結び、みんなに見えるように髪飾りをつけている。
白い花に赤いリボンがあしらわれていて、アーシャの黒い髪にとても栄えてとても綺麗だ。
「折角アーシャが来てくれたもの、布袋作りましょうか」
「……ごめんなさい、ソティご飯だったよね」
「いいのよ、布袋ができてからでも遅くはないわ」
「ありがとう!ソティ大好き!」
アーシャは頬を真っ赤にして可愛く笑う。
その笑顔を見るだけでも、嬉しいのだ……自分より優先するのも仕方がないのは言うまでもない。
「私もアーシャが大好きよ」
私はそう言って、アーシャをうんと抱きしめると、アーシャはかわいい声を出して恥ずかしそうに笑った。
これは、優しい優しい人間思いの神様と、そんな神様に見守られた私たちのお話。
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