星と海と
19 リーヴァ
使用ワード:白波 星 手首
「すごい!海だ!」
そう叫ぶと悠月文世は助手席のドアを開けて走り出した。
「おい、転ぶなよ!」
窓を開け、キーを抜きながら文世に向かって叫ぶ。そんな声は彼女には届いていないようでコンクリートで舗装された階段をかけ下りると、サンダルを脱ぎ捨てて裸足で砂浜へと飛び出した。
――全く、本来の目的を忘れてないか?
助手席に残された双眼鏡を手に取って、碧木緋路は文世を追いかけた。
夕暮れ時の海は白波が立っていて、海遊びをするにはちょうど良さそうだった。実際、文世はもう波に足をつけていてパシャパシャと蹴って遊んでいる。
「あんまりはしゃぐと濡れるぞ」
彼女の白いワンピースはもう波に触れかかっていて、それでも彼女は心底楽しそうだった。緋路は彼女の双眼鏡を首にかけると、自分も波の中へ入った。
「おらっ」
文世に波を蹴りあげる。あはは、と彼女は笑ってそれを受けた。そしてお返しだとでもいうように、彼に波を蹴り返すのだった。
夜がふけてきた。本来の目的はここにあったのだ。文世の天体観測。大学の辺りは眩しくて、全然星が見えないからと文世はずっと文句を言っていた。緋路はそんな彼女のために友人から車を借りて、彼女を郊外の海へと連れ出したのであった。
「すごい、やっぱりよく見えるね」
双眼鏡を使わずとも彼女は空を見上げてそう言った。
「あのよく見える3つの星が夏の大三角。それで、あれは火星で……あそこにはさそり座も見えるね」
そこまで言って彼女は自分の双眼鏡がないことに気付く。
「あれ?どうして緋路が持ってるの?」
「お前が車に忘れてきたんだろ」
双眼鏡を手にした文世は先ほど見つけたさそり座に目を向ける。
「緋路、あれがさそり座。赤い星が見えるでしょ?あれが中心のアンタレスだよ」
「ん?どれだよ、よくわかんねえ」
彼は彼女と同じ方向を見つめるが星座なんか全く知らない彼には全て同じにしか見えなかった。
「あれだよ」
そう言って、レンズを覗きながら彼の手首をとる。そう言われて何となく分かったような気がして、それよりも彼女がためらいなく手を取ったことに少し緊張しながら話を合わせた。
文世の夜空好きは結構なもので、小一時間ほどぐるぐる回って星を眺めたあと、満足したように満面の笑みで緋路を見た。
「すごい!やっぱり空気が澄んで空が広くて最高!ありがとう、連れて来てくれて」
「ああ、ちょうどいいドライブになったしな」
この笑顔が見られるなら何度だって連れて来る、そう思ったがそれが言えるほど彼はできた人間ではなかった。
帰りの車内で彼女はぐっすり寝ていた。あれだけはしゃいだのだから当然だろう。夜は冷えるから、と貸したジャケットを着て眠る彼女の寝顔を見て、緋路は自然と口角が上がるのを感じた。見慣れた訳では無いが触れなれた訳でもない。この後は帰って一緒にゲームでもするかと思っていたが、どうやらお開きになりそうだ。ゆっくりアクセルを踏む。彼女が起きないように。今日得たキラキラが明日も彼女の手の中に残っているように。