海と共に
2017年4月
季節は冬から春に変わりつつあるが、まだ厚着をしている人々が目立つ。
ある日の商店街、太陽は傾き、空に浮かぶ雲が橙色に染まる。道行く人達は、身を寄せ合って歩く家族や夫婦、カップルまたは、仕事帰りのサラリーマンやこれからバイトに向かう人などそれぞれだ。
その中に付き合いたての若いカップルが居た。男性は爽やかだが地味さもあり、田舎から上京してきた大学生の様な容姿だ。それに比べて、女性は非常に整った顔立ちで長く黒い髪をなびかせて歩いていた。
男性は歩きながら女性の方に顔を向け、やや微笑みながら話し掛けた。
「玲奈、今日はもうそろそろ帰る?」
「うん、暗くなってきたしね! 瞬くん明日大学行くでしょ?」
瞬の問い掛けに反応した玲奈は少し間を置き、瞬に顔を向け、笑顔で返事した後、翌日の瞬の予定を聞いた。
「行くよ! 玲奈も行くだろ?」
「うん! じゃあ、また明日も会えるね!」
瞬は玲奈の言葉を聞き「可愛過ぎる!」と心の中で叫び、顔を真っ赤にして照れた。それと、同時に玲奈も下を向き、瞬にバレないように顔を赤らめる。まだ付き合いたての2人は何か言う度にこうして照れ合っていた。
照れた顔を元に戻し、瞬が話を切り出す。
「じゃ、じゃあ、帰ろっか。気を付けてね!」
「う、うん! 瞬くんも気を付けてね!」
玲奈は帰り道に踵を返して歩いて行った。
2人は同じ大学に通っていて、初めて出会ったのも大学だ。たまたま同じ講義を幾つか受けており、何度も会う内に少しずつ話すようになり、互いに惹かれ合い自然と付き合った。
瞬は一年前に実家の束縛から逃れ、一人暮らしを始め、行きたかった大学に進学し、数ヶ月前に可愛い彼女も出来て、まさに今が人生の絶頂期だった。
玲奈が歩いて帰る後ろ姿を途中まで見送り、瞬もまた踵を返して玲奈の言葉を思い出しながら帰路についた。
(また明日も会えるね!)
「(あ~、あの時の玲奈は可愛過ぎた! キュン死にする所だった……)」
思い出してまた赤面する瞬は手で顔を覆いながら歩く。今日1日の玲奈との記憶を遡り、余韻に浸る。
待ち合わせに遅れて来た時の玲奈はいつもより化粧や服装に気合が入っており、瞬の目には天使の様に写っていた。
始めて繋いだ手は小さくて柔らかくて、瞬は緊張で手汗をかいていたが、それは玲奈も同じだった。ご飯を食べている姿や隣で映画を見ている姿、奢ろうとしたら「絶対ダメ! 割り勘だよ!」と言ってくれた姿、全てが瞬にとっては天使だった。
その緊張のせいかこの日の瞬はかなり汗をかいていた。
「緊張のせいかな? 今日は暑くないのに汗が凄い」
その日の気温は誰もが厚着をする程の寒さだったのだが、瞬は汗をかいていた。しかし、瞬は全く暑さを感じておらず、むしろ寒いくらいだった。
瞬は風邪の前兆かと思い、家に帰ったら体を暖めようと思いつつ歩いた。その途中、家のエアコンのリモコンの電池が切れかかっている事を思い出し、帰り道にある電器屋に電池を買いに入店した。リモコンに合う電池を探している途中、テレビであるニュースが流れていた。
「先日、能力者による窃盗事件が発生しました。犯人は逃走中で現在、能力者対策本部が捜査中との事です。尚、犯人は透明化の能力者との情報が入っております」
全世界で能力者が現れ始めてから1年、何がきっかけで現れ始めたのかは世界の研究者達も詳しくは分からないらしく、能力の詳細も明らかになっていない。日本でも時々今回のニュースの様に取り上げられる事がある。大抵は能力を使った犯罪だ。
しかし、瞬はほぼ無関心だった。何故なら瞬は能力者でもなければ、見た事も無いからだ。
「またか」
そう呟くと、近くにいた高校生くらいの男子2人組がニュースを見て話していた。
「俺なら透明になってテレビ局行って、古垣芽衣について行って風呂覗くぞ!」
「お前天才だな! 俺なら黒石麻衣だな! 俺も能力ほしいなぁ!」
そんな中学生を横目にお目当ての電池を見つけ、レジに持っていき機械的に会計を済ます。
再び帰路につき、途中で夕飯を買う為、コンビニに寄り、弁当を買い、また帰路につき、10分ほどで家に着いた。風呂に入り、帰りにコンビニ寄って買っておいた弁当を食べる。
これが、いつものルーティーンである。
しかし、今日が最後の【いつも】になる。
玲奈と別れてから家に帰った瞬は男の一人暮らしにしては珍しい位に綺麗に整頓された部屋に背負っていたカバンを投げ置いて、スマホをベッドに投げてそそくさと風呂に入る。風呂に入っている間も脳内はその日の玲奈とのデートの事でいっぱいだった。
「(明日も玲奈に会えるし、次のデートは何しようかなぁ)」
風呂場でニヤニヤしながら頭を洗う瞬、見た目はかなりキモイ。シャンプーを流し、身体を洗う。その時に最近の汗のかき具合を気にして、自分の皮膚の様子を伺う。
「(うーん、見た感じ特に変な所は無いな。ブツブツとかも出来てないし。体調も悪くない。気のせいかな?)」
特に皮膚に違和感を感じる事も無く身体を洗い、上がる。その後、瞬はコンビニで買った弁当をガツガツと食べ切り、冷蔵庫を開けて1.5ℓのペットボトルに入ったキンキンに冷えたお茶をがぶ飲みした。食欲を満たし、満足した瞬はベッドにダイブしてテレビを見ながらスマホを弄り、くつろぐ事にした。
くつろぎ始めてから1時間程経った時、着信音と共に瞬のスマホにメッセージが届いた。遊んでいたソーシャルゲームを中断し、SNSを開いて、メッセージの全文を読んだ。
それは、玲奈からだった。
「瞬くん! 今日はありがとう! 来週またデートしたいな!」
そのメッセージと共にチクワの穴にハマったチワワが「どうかな?」と言っているスタンプを送って来ていた。それを見た瞬は盛大に鼻の下を伸ばす。ちょうど、瞬もデートしたいと思っていた為、すぐにメッセージを返す。
「玲奈こそありがとう! そうだな! 俺もちょうどデートしたいって思ってたから、明日詳しく決めような!」
と、メッセージを送信し、玲奈からすぐに「分かった! もう会いたくなってきちゃった!」と返信があり、またも瞬は鼻の下を盛大に伸ばし、ニヤニヤしていた。すると、またメッセージが届き、着信音が鳴る。それは玲奈ではなく、幼馴染みの慶太だった。
「明日の夜、友美と一緒にドライブに行こうぜ!」
友美も慶太と同じ幼馴染みだ。この2人とは小学生時代からよく3人で遊んでおり、大学は違えど交友はずっと続いていた。ドライブに誘われる事はそう珍しい事ではなかった。
瞬はメッセージを見ると、予定が無いか脳内で確認し、すぐに承諾のメッセージと二足歩行のマッチョの猫が親指を立てているスタンプを送信した。
「もちろん!」
トーク画面を開いたままだったのか、瞬がメッセージを返すとすぐに既読がつき、少し間を置いてから慶太から返信が来た。
「じゃあ、明日夜8時に迎えに行くわ!」
「分かった!」
トーク画面を開いたままで待っていた瞬は慶太の返信に素早く気付き、簡単に返事を返した。その後はいつも通りソーシャルゲームをしたり、据え置き型のゲーム機で物語の続きを進めたりした。玲奈とのやり取りはその間も欠かさなかった。自分の時間を過ごした瞬は11時過ぎに就寝した。
その晩、瞬は不思議な夢を見た。
目の前が真っ暗だ。
周囲を見回しても暗くて何も見えない。
自分の身体も見えない。
自分が浮いている感覚がして、どこが上なのかも分からない。
ここはどこだろう。
枕元でスマホがけたたましく目覚まし音を鳴らし、小刻みに震える。
「んー」
瞬は呻きながら、スマホの目覚ましを画面も見ずに止める。それと同時に体中に物凄い不快感を覚えた。いつもはあまり寝汗をかかない方だが、その日は寝汗の量がいつもとは違い、大雨に打たれた様だった。
「うわ、寝汗がヤバイ!」
エアコンの暖房機能が狂ったかと思い、エアコンを見るが起動していない。実際暑くはなく、むしろ毛布を被っていないと寒い程だった。瞬はまた風邪か何か他の病気かと不安に思いながら風呂に入った。
頭と身体を洗い、ささっと上がり洗面台の鏡の前で頭と身体を拭き、鏡を見た瞬は驚いた。拭いたはずの顔がまた濡れていたのだ。疑問に思いつつも再び拭き、鏡を見た。今度は濡れていなかった。
「見間違いか?」
呟きつつも、体調に変化は無い為、気に止めず大学に行く準備をして、大学に向かった。
その日も天気が良く、少し乾燥しているが過しやすい日だ。大学に着くと玲奈と待ち合わせし、一緒に講義を受ける。昼になり昼食も学食で一緒に食べて腹を満たした。
そして、午後は2つ予定していた講義をを受け終わり、玲奈と大学を歩いていた。その時に最近汗を物凄くかく事を玲奈に話した。
「なんか、最近汗が凄いんだよな〜、なんかの病気かな?」
「え!? なんか怖いね! 体調悪くなったりしてない?」
「うん、今の所はな!」
「なんかあったらすぐ連絡してよ! 飛んでいくからね!」
「病気だったら伝染るかもしれないからダメ。でも、ありがとう!」
2人は歩いている内に大学の中庭を通りかかる。中庭はかなり広く、多くの学生が利用している。その中に長髪でチャラい格好をした男と金髪のホストの様な顔付きでホストの様な格好をしている2人組が居た。
その2人組は歩いている瞬と玲奈をチラチラと見る。見られている事に気付いた玲奈は瞬に小声で伝える。
「瞬くん、あの人達がこっち見てるよ? ちょっと怖い……」
「ん? ……確かに見てるな。移動しよう」
目を合わせない様に中庭から離れる瞬達、その後ろ姿を見て何かを話す2人組。そして、
立ち上がり瞬達を追い掛ける。人目に付かない校舎の横にある渡り廊下で、瞬達の目の前に立ち、長髪男が声を掛ける。
「お兄さんさぁ、可愛い彼女連れてるよねぇ? 彼女さんさぁ、そんな地味な男より俺達と遊ぼうぜぇ? お金も持ってるし楽しい所いっぱい知ってるよぉ?」
絡まれた瞬は面倒臭そうにし、玲奈は恐怖で瞬にしがみつく。瞬は玲奈の前に出て、2人を睨みつけ、言葉を返す。
「なんですか? やめて下さい。玲奈はお前らみたいな奴には付いて行きません」
その言葉を聞き、金髪男がムッとした顔をして1歩前進し、瞬に近付く。瞬はそれを警戒し、左足を半歩下げて構える。すると、金髪男は「フッ」と笑い、続けてこう言った。
「おい、こいつビビってるぜ? こんなビビリのどこに惚れる要素があるんだ? 玲奈ちゃんだっけ? こいつは度胸も無いし地味だし、どこがいいの?」
問い掛けられた玲奈は答える事はなく、瞬の後ろで震えながら隠れる。それを見た長髪男がニヤつきながら更に挑発をする。
「なぁ、この彼氏ボコろうぜ。それから、この女どっか連れてって回そうぜ! 最初俺な!」
そう言って2人は瞬と玲奈を嘲笑う。玲奈は恐怖で涙目になりながら、瞬の背中に顔をうずくめる。瞬は怒りで拳を強く握りしめる。風で木々が揺れ、葉が落ちる。それと同時に瞬が怒鳴り声をあげる。
「お前らふざけんな! ぶっ殺すぞ!!」
それを聞いた2人組は顔を見合わせて再び瞬を嘲笑う。一通り笑うと金髪男は瞬の方に向き直り、眉間に皺を寄せて「やれるもんならやってみろよ」と挑発し、瞬の左肩に右手を掛ける。瞬は左肩に置かれた手を右手で力強く掴み、金髪男と睨み合う。
すると、金髪男が違和感に気付き、肩から手を離す。
「チッ、なんだこいつ気持ち悪いな。めっちゃ濡れてんだけど」
金髪男の右手は瞬に掴まれた部分だけが水を浴びたように濡れていた。長髪男は指を指して笑い、金髪男は気持ち悪がって自分の服で何度も拭く。
「気持ち悪っ! 手汗ヤバすぎるだろ! マジでこんな奴のどこがいいんだよ。頭おかしいだろ」
何度も服で右手を拭きながら瞬と玲奈を罵倒する。すると、長髪男が「行こうぜ」と言い、2人組は踵を返して去っていく。その間もゴソゴソと「マジ無いわ」「アイツ病気だろ」などと小言を並べていた。
去っていく2人組が見えなくなるまで瞬は睨み続けていた。完全に視界から消えると大きく深呼吸をして後ろに隠れている玲奈の方へ向きを変え、玲奈に言葉を掛ける。
「玲奈、もう大丈夫だよ。居なくなった」
俯いていた玲奈は瞬の言葉を聞き、顔を上げる。その顔は頬を紅く染め、目に涙を貯めており、小動物の様に震えていた。上目遣いで見つめられた瞬は鼻息を荒くし、照れを全力で抑える。そして、玲奈が震え声で話し出す。
「瞬くん、大丈夫? 守ってくれてありがとう」
「うん、俺は大丈夫だよ。だから、安心しろ」
その言葉を聞いた玲奈は安堵した様子で頷く。なんとか、照れを隠し切った瞬はその様子を見て「じゃあ、帰ろっか」と声を掛け、帰路につく。途中まで歩き、互いの帰路の分かれ道に近づき、会話を締め始める。
「今日は慶太達とドライブしに行く予定だから、返信が少し遅れるかも! でも、なんかあったらすぐに電話しろよ」
「分かった! 気を付けてね! 来週のデートの予定、忘れたらダメだからね! 瞬もなんかあったらすぐ連絡するんだよ!」
「うん! またね!」
玲奈は笑顔に戻っており、瞬は「やっぱり笑顔も天使だ」と思い、玲奈の笑顔を心に刻み込んだ。
その日も汗が容赦無く出ていたので真っ直ぐ帰宅した。家に着くと、そそくさとカバンを所定の位置に投げ置き、服を脱いで洗濯機に放り込む。そのまま風呂に入り、風呂から上がるとスマホを弄りながら慶太が来るのを待っていた。
スマホの画面が切り替わり、慶太からの着信が入った。電話に出ると、慶太の声がすぐに聞こえた。
「着いたぞ!」
「おーい! はよ来ーい! はーやーくー!」
「はいよ!」
友美の早く来いコールも聞こえ、素早く返事し、スマホをポケットに入れた。あらかじめ準備しておいたショルダーバッグを肩に掛け、スマホから充電器を抜き、部屋の電気を消し、玄関のドアノブに手を掛けようとした。しかし、手がドアノブに掛からず、手をすり抜けていくような感触を瞬は感じた。それと同時に水に小石を落とした様な音が鳴り、違和感を覚え、もう一度試みるとドアノブに手が掛かり、ドアを開ける事が出来た。
首を傾げながらも家の前に停車している慶太の車に乗り込む。
「お! 瞬! 久しぶりだね!」
友美はすでに車に乗っていた。友美は昔から体育系で常にテンションは高い。元バスケ部で身長は高めで短髪でボーイッシュだが、男子からの人気はあった。
それから、少し車を走らせ、少し海辺の方にドライブに行く事になった。