第61話 空に浮かぶ悪夢
ちィッ、阿鼻叫喚の地獄絵図だな!
上空にいるブラックドラゴン共から放たれたブレスは、帝国軍も王国軍も関係なく無差別に兵たちを襲う。
燃える者、凍れる者、溶ける者、効力は様々であるが、ブレスを受けた兵はあっさりと致命傷を負った。連続で撃たれれば数分で全滅させられそうな勢いだった。
「魔王よ!! 一体どういうことだ、これは!!」
驚愕と怯えを混在させた声を震わせながら、ゾギマスが走ってきた。周囲には親衛隊らしき兵たちもいる。
ブラックドラゴンを多数召喚させたことも驚きだが、さすがに自国の兵が大量虐殺されれば黙っていることもできないだろう。
圧倒的な力に恐怖した様子であったが、ゾギマスは声を荒げてブラックドラゴンの姿となった魔王の前に立った。
「倒れていた貴様に誰が力を貸してやったと思っている!?
今まで貴様に協力してやった恩を忘れたのか!?」
「まさか。忘れるものかよ。この俺が人間の世話になったなど……」
「ならば、なぜあのようなことを!? 黒雛の研究が進めば、貴様が欲していた意のままに操れるブラックドラゴンがいくらでも作れるのだぞ!? それを一体どういう了見だ!!!」
「愚か者が」
魔王の前から一筋の光が生まれ、ゾギマスへと射出される。微動だにする間もなく、光はゾギマスの胸を貫いた。
ゾギマスは天を見上げる形で倒れ、身体を震わせながら吐血する。
周囲にいた兵が呆然とし、慌ててゾギマスに駆け寄って介抱した。数名が魔王へと強襲し剣を振るうが、魔王はまるで意に返さなかった。
「魔王が人間の世話になったなど、そのような屈辱、生涯忘れられるものか……。
貴様ら全員を殺し尽くしても溜飲は下がらんが、一度はこの俺を倒した勇者を葬れば少しは気も晴れるだろう」
魔王は巨大な翼を広げて、真上へと羽ばたいていく。
飛び立つことで爆風が生まれて、俺は両手をかかげて体勢を低くして踏ん張る。魔王を攻撃していた帝国兵はひとたまりもなく吹き飛ばされていた。
魔王は上空へと羽ばたき、旋回するブラックドラゴン共の中央にとどまった。
……どうしたもんかな。
あの野郎、空からのブレス攻撃を連発して押し切ろうってのか?
くそ。対ドラゴン仕様、せめて耐魔装備や対空装備があるならともかく、今の状態じゃ俺たちはただの的じゃねぇか! 兵隊の数が万いようがブレスの餌食になるだけだぞ!
魔王は悠然とこちらを見下ろしていた。
どうしたらいいか頭を悩ませていると、魔王が大口を開けた。
呼応するように、次々と周囲のブラックドラゴンたちも開口していく。
あ、本当に本気でヤバい、と思っていると横から声がかかった。
「ロイさん! 無事ですか!?」
息を切らせて走ってきたのは、珍しく慌てた様子のユエルだった。腕には荒く呼吸をしているエッタを抱えていた。エッタはかなり疲労しているようで、目を開けているのか閉じているのかよくわからない。
向こうで戦っていた時の状況をちらっと見た感じでも、エッタは剣技を連発しまくっていたからな。ぐったりしてても無理はない。
ユエルの方は、そろそろ力が戻ってきているかもしれない。であれば、ついさっきまでは今か今かと待ちわびまくっていた救世主様なのだが、今来られるのは最悪だった。
「無事だが無事じゃなくなる! 退くぞ!!」
ユエルの腕からエッタをひったくって、要領を得ないユエルを速攻で促してその場からダッシュする。
次の瞬間、俺たちのいた地面が炎で包まれた。
「ッ!? なんですか、これ!?」
「上空からのブレス攻撃だよ!! 獲物を見つけたから仕留めにかかってるんじゃねぇの!?」
「獲物って……」
「一人しかいねぇだろ、魔王がわざわざ狙いをつける奴なんて!!」
もしかしたら俺も入ってるかもしれんけど、ユエルほどロックオンはされてないだろうよ!
俺たちは次々と襲い来る炎のブレスを避け続ける。足を止めたら瞬時に丸焼きにされそうだ。
足を止められない俺たちに、魔王が哄笑が耳に届いた。
「愉快なダンスだな、勇者よ!
滑稽な姿をもう少し見てやってもよいが、そんな油断が命取りとなると学んだのは貴様からだったな」
散発のブレスがやみ、周囲のブラックドラゴンたちと合わせて魔王が完全に俺たちに狙いをつけるように様子見してくる。
明らかに特大の攻撃が来る感じだ。
「……ユエル、勇者の加護の力は戻ってきたか?」
「おそらくは。ですが、あれだけのブラックドラゴンのブレスを浴びれば、ただでは済まないでしょう……」
ユエルは冷静に答えるが、それは諦念を含んでいるようにも聞こえた。
勇者の加護があるユエルは極度の魔法耐性があるが、決して完全に無効化するわけではないのだ。強大な魔力を有したブラックドラゴンから放たれるブレス攻撃を、それも複数同時にくらえばひとたまりもないだろう。
どうする? どうする?
魔剣でブレスを斬ることは可能だが、同時に放たれるブレスを斬るのは不可能に近い。魔力が複雑に絡み合っていて、一度斬っただけでブレスが霧散することは稀だ。ブレスの核となるような部分を斬らなきゃ話にならない。
ならばブレス自体を避けたいところだが、とてもじゃないがあの感じ、力を溜めて放出されては避けられる攻撃範囲になるとは思えない。対魔仕様ではない装備で、あんなもんくらった日には完全に終わりだろう……。
詰んだ状況を自覚すると弱気が襲ってきて、頭の回転が鈍くなっていくのを感じた。
「ロイよ、そなたでもそのような顔をするのだな」
「エッタ?」
腕に抱えていたエッタが俺の胸を軽く押してきたので、エッタを地面に降ろす。
「ふふ。そなたの腕の中は、なかなか心地よかったぞ」
「お、お前、こんなときに何言ってんだよ!?」
どうしてだか、こんな状況にもかかわらず、エッタの笑顔は思わず見惚れそうになるくらいに魅力的だった。
エッタは視線を上空へと移し、今か今かと総攻撃を仕掛けてこようとする魔王たちを睨みつける。
「奴らの攻撃は妾がどうにかしよう。ロイ、それに勇者よ、下がっているといい」
「はぁ!? お前、本当に何言ってんだ!? ブラックドラゴンのブレスってのはなぁ、本気でシャレになんねぇんだぞ!!」
「ふっ、妾は偶然にも魔法耐性効果を上昇させる装備をしているのだ」
「……お前まさか、あのブローチのこと言ってんの? あれは、レッドドラゴンの攻撃がかろうじて防いだだけで、しかもあんな短時間で砕け散ったじゃねぇか!!」
「今度もまた防げるかもしれないではないか。安心しろ、妾は運がいいのだ」
「運でどうにかできる状況じゃ……」
言いかけて、横からユエルがずいっと顔を出す。
「それ、リデルフレムですよね? そのブローチに比べれば、私の加護の力の方がよほど対魔効果が大きいです。
あなたこそ下がっていてください」
「む……泣きそうな顔をしている小娘がほざくでない」
「泣きそうな顔なんてしてません。
あなたこそ立ってるのも辛そうじゃないですか。だれがここまで運んできたと思っているんですか?」
「妾は一言も頼んでいないぞ。そのような些細なことを恩に着せようとは、勇者とはまこと器が大きいものだな」
「そうでしょうか。私、援軍の方々が来たのがわかった途端、目をキラキラさせるような現金な性格はしていませんけど」
バチバチと火花でも散りそうな勢いでにらみ合う姫さんと勇者の図。
こいつら、隙あらば険悪な空気になるな。これでよく黒雛相手に共闘できたもんだ。
……あー、もう、アホかよ。
「くだらないけんかは、よそでやれ」
エッタとユエルの頭を続けて軽く叩く。
「何をする! もとはといえば、この女が妾に突っかかってきたのが悪いのではないか!」
「先に突っかかってきたのはそちらでしょう」
なんなのお前ら? 逆に仲いいの?
まったく、馬鹿なやり取りを間近で見せられて、すっかり肩の力が抜けちまったよ。
俺は二人の前に出て、魔剣レーヴェルスフィアを構える。
「ロイ?」
「ロイさん?」
「いい機会だ。
魔剣を持った剣聖にどんな魔法攻撃を仕掛けようと無駄だってことを、魔王様に教示してやろうじゃねぇか」
十中八九は失敗するだろうが、残りは成功に転がるかもしれない。
こういう賭け事のようなことは気乗りしないが仕方ない。後ろの連中に任せるよりは、よっぽど現実的ってもんだよな。
空が震える。
魔王ゼーレスドーグルとブラックドラゴン9体が放つブレスが視界を覆いつくすが、不思議と恐怖はなかった。




