第54話 糸が切れるとき
殺気を消して、完全に戦闘モードを解除したユエルを前に、俺は握った拳を解いてチョップを入れた。
「痛っ!?」
ユエルの額に命中させると、表情には出さないながらも不満気な空気が周囲に満ちる。
「何するんですか。痛いじゃないですか」
「おう、ついな」
「ついってなんですか」
「あまりの生意気さに、つい」
「何ですか。馬鹿にしてるんですか? そんなに勝負の続きがしたいんですか?」
ユエルの周りから見えないはずの炎でも燃え上っているかのように錯覚してしまう。怖ぁ。
でもそれ以上に呆れるわ。
「もう勝負の続きなんてやる気にならねぇよ。ユエルこそなんなんだよ。勝手にすっきりした顔しやがって。
俺はな、半分死ぬ覚悟で戦ってたんだぞ?」
「……そんな大げさな」
「大げさ? どこが大げさなんだよ。勇者相手にまともに戦える奴が何人いるかってんだよ。
それをお前、唐突に戦意なくしてしたり顔で『だから私、あの時言ったじゃないですか』ってなんだコラ。
ふざけるのも大概にしておけよボケ娘が」
「ふ、ふざけてなんかいません! 私は全力で戦って…………ロ、ロイさんこそ! 最後に寸止めしてるじゃないですか!!
そっちこそ本気じゃなかったってことじゃないですか!!」
「ばーか。俺はもうお前が戦う気がないのがわかってたから止めたんだよ。
勝負もついてない内に投げたお前とは違いますぅ」
「なんですって!!」
「お前こそなんだよ!」
ユエルは完全に怒気をはらんだ眼でガンつけてくる。
そこらの小娘のようなナリはしていても、勇者の睨みだ。半端な威圧感じゃない。身体は本能ですくみ上りそうになるが、気合で抑え込む。こんなところで引いてやるかよ。
そのままガンつけ合っていると、不意にユエルの目から涙がこぼれた。
え? …………涙? え? え?
「お、おい……ユエル?」
意味が分からなくて、俺は思わずモロに動揺してしまう。
と、ユエルが何度かまばたきをして、自分の頬に手をあてて、
「…………あ」
そこで初めて気づいたように声を漏らした。
「私、泣いて……?」
「なに、なんなの? どうしたのお前?」
「…………」
いや、黙られたらこっちは何もわかんねぇよ。
なんなの? 俺はどうすりゃいいの?
「なんで…………私は戦っていたんだろうって……」
「え?」
「どうして、私はロイさんと戦っていたんだろうって。そう思ったら、急に胸が痛くなって…………。
よく、わからないですね」
ユエルが袖で涙をぬぐう。
渇いた端から、まだすぐにこぼれていった。
「経緯はどうあれ、私は帝国のために、ロイさんは王国ために。私たちはそれぞれ背負うものがあって戦ったのはわかっているんです。わかっていたんですけど、なぜだか急にたまらなくなって……。
私がやらなきゃ、スヴェンさんが危なくて、スヴェンさんの家族だって。村の人たちも、彼女も……。
それに私、これが絶対に間違っているとも思えなくて…………帝国の皇帝陛下と皇后様、あの人たちなら、後のことを考えれば、きっともっと本当に平和になるかもしれないって…………だから、だから………………」
「…………」
「だけど、ロイさんと戦って、それで、今話して、そうしたら、急にわからなくなってしまって…………」
やまない涙を流すユエルの頭に手を置いた。
やっぱり、こいつは糞真面目だ。
「……ロイ、さん?」
「難しく考えすぎなんだよ、ユエルは。
もっと気楽に、やりたいようにやりゃいいんだよ」
「でも、そんなことしたら……」
「スヴェンの旦那の件か? 何も見捨てろって言ってるんじゃねぇんだよ。
ユエル。お前はな、もっと他人に頼ることを覚えろ。なんでもかんでも全部自分でやろうとすんな。手が足りないことなんていくらでもあるんだからな。やれることはやってもらえばいいんだよ」
「でも、私は勇者だから……きゃっ!?」
たわごとを言おうとするのを黙らせるため、ユエルの頭をわしわしと乱暴に撫でる。
「勇者だからなんだよ。勇者になったら手が増えんのか?」
「……そんなわけないじゃないですか」
「だったら考えるまでもねぇ。むしろ、勇者って立場を使ってもいいくらいだろ。魔王を倒した功績を考えれば、それでも全然足りねぇくらいだよ」
はっと鼻から息を吐いて、俺は腕を組んだ。
ホントこいつはアホみたいに真面目な奴だ。筋金入りだ。正直ちょっと甘く見てたわ。これほどまでに全部背負い込もうとするとは思わなかったぞ。
まったく、余計な気を回しておいて正解だったな。
「でも今更、どうしようもなくて…………」
「ロイーーーーーー!!!」
離れていたエッタが俺たちの方へと走ってくる。その横には、戦場にしては身軽な服装をした男が馬に乗っていた。エッタに先導されて恐縮した様子だった。
エッタを治療していた僧侶さんは慌てた様子で後ろから走ってきている。
……さすがだな。どうにか間に合ってくれたらしい。
「ロイよ、こやつがそなたに話があると言っているぞ」
「で、殿下! ありがとうございます!! こちらはもう結構ですので、どうか治療に専念されてください!!!」
「くはは、この程度の傷、もはや気にならん。剣を振るうのに邪魔でなければ構うことはない!」
エッタは本当に肩の怪我については気にした様子もない。
見ればユエルに斬られた傷はほとんどふさがっていた。出血は止まっているし、縦筋が入っている程度だった。
「で、ですが、もしも殿下に傷が残れば王に申し訳が…………」
馬から降りた王国兵は真っ向から姫さんに具申することもできず、もごもごと口を動かしていた。
埒があきそうにないし、さっさと助け舟を出しとくか。
「エッタ。どうせなら傷がないほうがいいんじゃないか? せっかく綺麗な肌してるのにもったいないぞ」
「む? …………そうか。うむ……ならばどうせもう少しだろうし、治すとしようか……」
若干の歯切れの悪さはあるものの、エッタはこちらまで走ってきた僧侶さんを捕まえてその場で治療を再開していた。
その様子を見ていると、王国兵に声をかけられた。
「……ロイ殿、お初にお目にかかります。
私は近衛騎士のヴィルと申します。隊は現在こちらへ向かっておりますが、私は報告のため先行して参りました。
ロイ殿、任務は完全に遂行いたしました。かの村にいた帝国兵はすべて捕らえました」
ヴィルさんから告げられる事実を聞いて、俺はほっと胸をなでおろした。
「ありがとうございます。近衛騎士の本分でないにもかかわらず、迅速に対応していただき感謝しかありません」
「よいのですよ。
隊長も、どうせ城にこもっているしかないのだから、ちょうどよかったと笑っていました」
「えぇ!? 近衛隊長も出たんですか!?」
「はい、とても張り切っていましたよ。隊員たちも人質を取るような奴らに容赦はいらんと、草の根を分けて帝国兵を探し出し、順次捕縛していきました」
「……そりゃ頼もしいですね」
有事の際以外はそうそう出番がないだろうからって、スヴェンの旦那の村にいるかもしれない帝国兵のことを頼んじゃったけど、案外ノリノリだったようだ。
「ロイさん? もしかして、かの村って……」
「ああ、もちろんスヴェンの旦那の家族のいる村のことだよ。
遠くの村人を人質にするなんてハッタリかとも思ったんだが、ゾギマスのことだから本当に仕掛けててもおかしくないし。
どちらにせよ、安全が確かめられないとこっちは迂闊に動けないからな」
「なら……それならもう村は、スヴェンさんの家族は、大丈夫なのですか?」
ユエルの問いに、ヴィルが力強くうなずく。
ユエルは緊張を解いて顔をゆがませて、深々と頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「はっはっは。いいってことよ、お嬢ちゃん。
われら王国近衛隊にかかれば、造作もないことだからな」
漢気ある笑いをして、ヴィルが頭を下げるユエルの前で胸を張る。
あー、これヴィルさん気づいてないね。ユエルの性格ならどうこうってのはないだろうけど、早めに言っておかないとヴィルさん自身が気にしちゃいそうだし教えておくかね。
でもその前に……、
「ちなみにな、スヴェンの旦那はすでにモニカが助けてるはずだ。
帝国軍が動き出した後に救出するよう頼んである」
「モニカさんが……」
「金も十分渡したし、モニカなら適当に帝国兵を何人かおだてて操り人形状態にして、なんとかできるだろ。
国が戦争おっぱじめて、兵たちは浮ついているころだろうしな」
「じゃあ皆さん、もう大丈夫なんですね……」
ユエルは大きく息をついて、安心したように目を細めた。
「はっはっは。お嬢ちゃんは優しいな。俺の娘にも分けてほしいくらいだ!」
「ちなみにヴィルさん、一応言っておくけど、そいつ勇者だからね。直前まで俺と戦ってたんですよ」
「え? …………こ、これは失礼いたしました!! 大変な無礼を……も、申し訳ありませんでした!!」
「いえ、その、私は別に気にしてませんから!」
慌てて頭を下げるヴィルさんに、これまた慌てて止めようとするユエル。
その様子を見て、俺は笑いをこらえることなどできなかった。




