帝国軍の勇者
帝国軍、指揮本部。
その真中にユエルは待機していた。
すでに戦いは始まっていたが、その熱気は後方にまでは伝わってこない。
それでも、今この瞬間に兵士たちの命が散っていることはユエルには理解できた。
「第4中隊、2小隊隊長フガイ殿、4小隊隊長カヘンブリ殿が重傷!! 戦闘不能となり部隊ごと後退しています!!」
「2中5小隊隊長リードリヒ殿、敵中隊長を討ち取ったとのこと!!!」
「8中隊は3中隊と入れ替えだ!!! 急げ!!!!」
各方面への伝令が入り交じり、直接戦闘は行われないが、まさしくこの指揮本部も戦場であった。
蜂の巣をつついたような騒ぎの脇で、ユエルは呟いた。
「……今は、どちらが優勢なのでしょう」
「数の上での有利は、まだまだ我が軍に分があるでしょう!
ですが、王国もやるようです。現在のところでは、こちらの部隊が撃破されている数の方が多そうですね」
ユエルの隣にいるフィラルが、少しだけ険しい顔で現状を説明する。
ユエルが頷くと、フィラルはさらに続けた。
「王国に、妙な遊撃部隊があるようですね。
少数精鋭で、こちらの部隊長クラスを狙い、狩った途端にその場からいなくなるという。
普通に考えれば数に押しつぶされるはずなのですが…………相当の実力者なのか、よほど運がよいのか……」
(あるいはその両方、ですね)
フィラルの言う遊撃部隊に、ユエルは心当たりがあった。
おそらくはロイを中心とした、能力が桁外れの者たち。
そして、指揮本部に待機している自分にまで、そんな情報が入ってきたということは……。
ユエルの考えを肯定するように、背後から近づいてくる人物があった。ゾギマスである。
「ユエル殿、今日は一段とよい日和となりましたな」
「そうですね」
「こちらの状況はおおよそ伝え聞いておりますかな?
王国軍に対して一進一退を繰り返していますが、どうもあちらには野生動物のように戦場を跳ね回る者たちがいるようです」
「…………」
「このまま押し切ることもできるでしょうが、確実性に乏しい。
ですので、そろそろこちらも手を打ちたいと思います」
「……わかりました」
ユエルが歩き出そうとすると、ゾギマスが手を挙げて静止した。
「ユエル殿は、少しだけ待ってもらえますか?
魔法協会の研究成果にと、少々面白いモノがありまして、その運用をしたいのです」
「魔法協会の研究成果?」
疑問に思うユエルに、ゾギマスは相好を崩す。
「ええ。…………ほぅ、どうやらちょうど今、成功したようですね」
ユエルがゾギマスの視線を追うと、遠方に黒い巨体が見えた。
◇ ◇ ◇
ユエルは一人戦場を歩く。ユエルの周囲からは人の姿が消えていた。
付近の帝国軍には退却命令が出され、それは王国軍にも同様だった。
王国軍の兵士たちには、小さな影一つが勇者ユエルだと知らないため、なぜ双方の軍が同時に退却をしているのか理解できていなかったが、命令違反をする者はほとんどおらず自軍の流れに身を任せていた。
(……それにしても、ブラックドラゴンですか)
右方へ視線を向けると、遠方で黒い巨体にしか見えないブラックドラゴンが王国軍を相手に蠢いていた。
王国軍と帝国軍が戦っていた場所にブラックドラゴンが召喚され、帝国軍は素早く部隊を下げ、王国軍は戸惑い混乱していた。
(ブラックドラゴンを召喚するなど、並大抵のことではないはずです。
見ている限り飛翔はしていないないようですし、人化もしていません。おそらく、まともなブラックドラゴンを召喚した、というわけではないのでしょうが)
そもそも人が最強種であるドラゴンを召喚したという話を、ユエルは聞いたことがない。
召喚できる魔物というのは、大抵はゴブリン等の低位のものであり、オークが召喚できれば上位の召喚師、トロルなどが喚び出せれば超一流という認識である。
(しかし王国軍の中にいて今も暴れまわっているのですから、あのブラックドラゴンは決してこけおどしではないのでしょう。
であれば、そう簡単に対処ができるとは思えません)
完全武装状態であれば、人海戦術でドラゴン種を倒すことは可能である。
だが、それには多大の犠牲を払う必要がある。
超超遠距離から巨大弓を射掛け、魔法を打ち込むだけでは決定打とならず、ドラゴンのブレスの届く間合いになれば大抵の者には避ける以外になすすべがない。
最終的には命懸けの特攻を敢行して接近し、剣や槍を幾度も突き立てねばならないのだ。それもドラゴンが疲労の果てに、魔力防護を展開できなくなるまでに。
ドラゴン種のほとんどは飛翔可能であり、人化する種にあっては強さは桁外れであった。
(ロイさんは……あのブラックドラゴンを相手にしているのでしょうか?)
そうであれば、ユエルにとっては微妙なところであった。
(私に与えられた役目は、ロイさんを抑えること…………おそらく、ロイさんがいる遊撃部隊の勢いがなくなれば、帝国側が勝利するはずです。
それにあのブラックドラゴン。アレがあるだけで、王国側はかなりの兵数を対処に回さなければならない。アレが一体だけしか召喚できないとは限りません。ゾギマスの余裕を見る限り、まだ数体は喚びだせるでしょう。
…………もしもこのままロイさんが現れないのであれば、私は……)
ユエルは迷いながらも、瞳に強い意志を灯らせる。
ユエルは空洞状態となった戦場を歩き続ける。
その足は、一歩一歩、王国軍指揮本部へと近づいていき…………、自分へと高速に迫る影に気づき、足を止めた。
一体誰なのか、いや、誰と疑問に思うことなどない。
勇者である自分に迷いなく向かってくる者など、あの人を除いて他にいない。
ユエルは少しの緊張と憂鬱さと、それからいくつもの感情を綯交ぜにして待った。
早鐘を打つ心臓を意識したところで、ユエルは違和感に気づいた。
(………………気のせいか、少し小さいような……)
人影が女性であることが視認できる位置まで来て、ようやくユエルは自分の予想が間違っていることを知った。
間もなく急ブレーキをかけると、数メートルの距離を置いてユエルに対峙して勢い良く剣を抜いた。
「お前が勇者ユエルだな!!
妾と手合せ願おう!!!」




